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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
聖騎士団
37/197

切断開始

処置室の空気は、既に壊れていた。


ルシャの両手が震えている。


振り上げた斧が、重い。


重すぎる。


まるで、自分の罪そのものを抱えているみたいだった。


「……ッ」


歯を食いしばる。


そして――再び振り下ろした。


ガツンッ!!


鈍い衝撃音。


だが。


まだ切れない。


「――あ゛ぁぁぁぁぁあああッ!!」


ジンの絶叫が医務室を貫いた。


拘束具が激しく軋む。


細い身体が痙攣するように跳ねる。


「や、やだ……」


若い女騎士の一人が口元を押さえた。


涙が零れている。


「なんでこんなこと……」


別の騎士は完全に顔面蒼白だった。


「ジンくん……!」


誰かが泣き声を漏らす。


だが止まらない。


止められない。


ルシャは息を荒げながら左腕を見る。


刃は深く食い込んでいる。


だが骨が断てていない。


白く硬化した骨組織が、異常な強度で刃を受け止めていた。


「なんだよ……これ……」


掠れた声。


側近が冷たく告げる。


「続行しろ」


「ッ……!」


ルシャの瞳が揺れる。


処置台の上では、ジンが涙を流していた。


「やめ……て……」


震える声。


「ルシャさん……!」


助けを求めるような声だった。


その呼び方が、余計に胸を抉る。


「私は……」


ルシャの喉が震える。


「私はお前の姉貴分だろうが……」


涙が落ちる。


それでも。


斧を手放せない。


王命。戦争。グングニル。


全部が彼女を縛っていた。


そして。


三度目。


ガツンッ!!


「ァ゛アアアアアアッ!!!」


今度の悲鳴は、もはや絶叫というより断末魔に近かった。


ジンの身体が激しく反り返る。


拘束具が悲鳴を上げる。


「やめてぇぇぇぇッ!!」


アリアが泣き叫んだ。


その場へ駆け出そうとして、リオーネに抱き止められる。


「離して!!」


「見るな!!」


リオーネ自身も声が震えていた。


瑠璃色の瞳から涙が落ちる。


処置室の隅では、ベリアリアが完全に崩れ落ちていた。


「ごめんなさい……!」


「ごめんなさい……!」


耳を塞ぎながら泣き続ける。


フィリスは記録係でありながら、もう記録を取れていなかった。


羽根が逆立っている。


目の前の光景を、脳が理解することを拒んでいた。


周囲の騎士達も同じだった。


「嫌……」


「こんなの……」


「ジンくんが何したっていうの……」


すすり泣きが広がる。


誰も、この光景を“正しい”と思えていない。


それでも止まらない。


女王アストレアだけが、静かにその様子を見下ろしていた。


冷たい蒼い瞳。


まるで戦場の損耗報告でも眺めているかのように。


「適合率が高い」


小さな呟き。


「ここまで定着しているとはな」


その言葉を聞いた瞬間。


ジンの顔が歪む。


「……なん、で……」


涙で濡れた瞳が女王を見る。


「僕を……」


「こんな……」


声が途切れる。


痛み。


恐怖。


裏切り。


全部で呼吸すらまともにできない。


それでも。


ルシャは再び斧を握り直した。


手が震えている。


視界が滲んでいる。


もう、自分が何をしているのか分からなかった。


ただ。


目の前で泣き叫ぶ“弟分”だけが現実だった。


「ぁ゛……ぁ……ッ!!」


喉が裂けそうな呻き声が、処置室へ響いた。


ジンの視界はもうまともに定まっていない。


涙。


汗。


痛み。


全部が混ざり合い、世界そのものが歪んで見えていた。


左腕から、焼けた鉄杭でも脳へ突き込まれているみたいな激痛が突き抜け続けている。


「やめろ……ッ!!」


ガシャンッ!!


拘束具が悲鳴を上げた。


細い身体とは思えない力で、ジンが処置台の上でもがく。


革ベルトが軋み、金属固定具が激しく跳ねる。


「離せぇぇぇぇぇッ!!」


絶叫。


それは痛みだけの声ではなかった。


恐怖だった。


完全に壊れかけた悲鳴だった。


眠っていたはずだった。


安心して眠っていたはずだった。


それなのに、目を覚ました瞬間。


自分の腕へ斧が振り下ろされていた。


しかも。


そこにいるのは敵兵じゃない。


毎日一緒に飯を食って。


一緒に笑って。


背中を預けて戦ってきた人達だった。


「ルシャさん!!」


涙を撒き散らしながら叫ぶ。


「なんでだよぉッ!!」


ルシャの顔が大きく歪む。


だが答えられない。


答えられるわけがなかった。


その斧を握っているのは、自分自身なのだから。


「アリアッ!!」


「ベリアリアさん!!」


「助けてよぉぉッ!!!」


その声を聞いた瞬間、アリアの心が完全に崩れた。


「やだ……」


涙が止まらない。


「やだよこんなの……!!」


嗚咽混じりの叫びが響く。


処置室はもう、まともな空間ではなかった。


誰も泣いている。


誰も壊れかけている。


拘束具が激しく鳴る。


ジンは必死に身体を捩っていた。


左腕から血が飛び散る。


暴れる度に傷口が裂け、赤が白い処置台を染めていく。


「対象が覚醒しました」


側近が低く告げた。


その瞬間。


女王アストレアの蒼い瞳が、ゆっくり細められる。


「抑えよ」


静かな声。


だが、その一言だけで空気が凍りついた。


「対象を固定しろ」


誰も動けない。


恐怖。


罪悪感。


絶望。


全員の足を縫い止めていた。


すると女王の声音がさらに低くなる。


「聞こえなかったか?」


処置室の温度が、一瞬で下がったようだった。


「――抑えよ」


王命。


絶対命令。


その瞬間。


最初に動いたのはリオーネだった。


彼女は一度、強く目を閉じる。


まるで何かを殺すみたいに。


「……すまない」


震える声。


そしてジンの肩を押さえ込む。


「リオーネさん……!?」


信じられないという顔だった。


裏切られた子供みたいな目。


その視線だけで、リオーネの胸が裂けそうになる。


続いてルシャが左半身を押さえつけた。


「暴れるな!!」


怒鳴り声。


だがそれはジンへ向けた言葉じゃない。


自分自身へ向けた悲鳴だった。


「お願いだから……!」


涙が床へ落ちる。


アリアまで処置台へ縋りつく。


泣きながら、ジンの身体を押さえる。


「ごめん……!」


「ごめんねジンくん……!!」


ベリアリアも嗚咽しながら脚を固定する。


「嫌いになっていいから……!」


「だから今は……お願い……!」


結果として。


聖騎士団全員で、ジンを押さえつける形になった。


家族みたいだった人達が。


皆で。


たった一人の少年を拘束している。


「なんで……」


ジンの瞳から涙が溢れ続ける。


「なんで皆……」


その目は、完全に怯えていた。


処置室にいる全員を、まるで知らない怪物を見るみたいな目で見ている。


その視線が、皆の心を確実に壊していく。


「離してぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」


拘束具が悲鳴を上げた。


その瞬間だった。


バキッ――!!


嫌な音。


左腕内部から響いた、骨の軋む音。


処置室の空気が止まる。


ルシャの顔色が変わった。


硬化していた骨へ、ついに亀裂が入ったのだ。


「……ッ」


ジン自身も気づいた。


だからこそ。


さらに激しく暴れる。


「やだ!!」


子供みたいな叫び。


「やめてぇ!!」


涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになっている。


「嫌だぁぁぁぁぁぁッ!!!」


それでも。


誰も止められない。


止められなかった。


女王アストレアだけが、静かにその光景を見下ろしていた。


まるで戦場の損耗報告でも確認しているような、冷え切った目で。



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