切断前夜
― 三日目・夜 ―
第七砦・祝宴会場
雪の降る夜だった。
第七砦中央棟――普段は補給倉庫として使われる大広間が、今夜だけは騎士達の宴会場になっている。
酒樽が幾つも並べられ、燻製肉と香辛料の香りが漂う。
疲弊し切った騎士達にとって、久方ぶりの“まともな食事”だった。
「今日は好きなだけ飲みなさいよー!!」
誰かの甲高い声。
歓声。
笑い声。
杯がぶつかる音。
だが、その賑わいの奥には、どこか異様な熱気があった。
皆、ジンを見ている。
視線が集まる。
黒髪の少年は、それに気づかないまま困ったように笑っていた。
「ジンくーん!こっちこっち!」
ミーナがぱたぱた手を振る。
白い鼠耳が灯りに照らされ、ぴこぴこ揺れていた。
「今日はね、いっぱい焼いたんだよ」
机の上には蜂蜜焼き菓子が並んでいる。
「ありがとうございます」
ジンが嬉しそうに笑った。
その瞬間。
近くにいた若い女騎士が、どこか熱っぽい目で少年を見つめる。
「あー……やっぱりジンくんの笑顔、落ち着くわねぇ……」
酒で赤くなった頬を押さえる。
別の騎士も笑った。
「分かる~。この前、部屋来てもらった時も、話してるだけで安心しちゃったもの」
「ちょ、ちょっと……!」
ジンが慌てる。
「そういう言い方やめてくださいよ……!」
「あはは、ごめんごめん♪」
軽い調子。
だが視線だけは妙に甘い。
別の席からも声が飛ぶ。
「ジンー!この前はありがとね!」
「悪夢で眠れなかった時、ずっと手握ってくれたじゃない」
「あれ反則よ~。あんな優しくされたら依存しちゃうって」
笑い声。
だが。
その場にいるアリア達だけは笑えなかった。
――皆、“慣れている”。
ジンが夜に部屋へ来ることに。
慰めてもらうことに。
寄りかかることに。
それが当たり前になっている。
「……っ」
アリアの胸が締め付けられる。
その横でルシャが酒を煽った。
喉を焼く熱さ。
だが全く酔えない。
「ジンくん、今日は誰の部屋行くの~?」
酔った騎士の一人が悪戯っぽく笑う。
「あ、いや……今日は……」
言葉に詰まる少年。
その様子に、周囲の女性達がくすくす笑った。
「困ってるじゃない」
「でも分かるわぁ。ジンくん、断れないものねぇ」
「優しいから」
その言葉が、まるで刃みたいに空気へ刺さる。
ジンは曖昧に笑うしかなかった。
それが“役目”だと思っているから。
「……アリアさん?」
不意にジンが声をかける。
「顔色悪いですよ?」
「えっ!? あ、あはは!」
慌てて笑顔を作る。
猫耳がぴくぴく揺れていた。
「ちょっと飲みすぎただけ!」
「無理しないでくださいね」
優しい声。
何も知らない声。
その無垢さが、余計に苦しかった。
少し離れた席では、ルシャが無言で酒を煽っていた。
既にかなり飲んでいる。
だが酔えない。
隣へリオーネが腰を下ろす。
「飲みすぎだ」
「……うるさい」
ぶっきらぼうな返事。
リオーネはそれ以上何も言わなかった。
彼女自身、杯を持つ手が微かに震えていたからだ。
その頃。
会場の隅では、ベリアリアが一人、小さな硝子瓶を握り締めていた。
淡青色の液体。
深度睡眠薬。
手が震える。
何度も。
何度も。
今からでも捨ててしまいたかった。
「ベリアリアさん」
不意に声。
振り向くと、セレナが立っていた。
白い羊毛が灯りに照らされている。
「……まだ間に合います」
小さな声だった。
「やめるなら」
ベリアリアの瞳が揺れる。
だが。
「……無理です」
唇を噛み締める。
「もう、止められない……」
その声は、まるで自分へ言い聞かせているようだった。
一方。
何も知らないジンは、騎士達に囲まれていた。
「ジンー、この前ほんと助かったわぁ」
「泣きながら寝ちゃった私のこと、朝まで起こさなかったでしょ?」
「……覚えてないです」
「うそつき。ちゃんと毛布掛けてくれたじゃない」
女性騎士達が笑う。
その輪の中心で、ジンは照れ臭そうに笑っていた。
家族みたいな空気。
けれど。
それは同時に、歪な依存でもあった。
会場の奥。
ハインリヒは静かにその光景を見つめていた。
誰よりも疲れた顔で。
老騎士の視線の先。
黒髪の少年は、皆に囲まれながら笑っている。
何も疑わずに。
「……」
ハインリヒは目を閉じた。
その横顔には、後悔とも疲労ともつかない深い影が落ちていた。
雪はまだ降っている。
静かに。
静かに。
まるで、この夜を終わらせたくないかのように。




