褒賞と義務の狭間
第二十四章:戦場に咲く歪な灯火
勝利の夜、壊れていくもの
その日は、聖騎士団にとって久方ぶりの“大勝利”だった。
北方帝国軍を大きく押し返し、数ヶ月ぶりに前線を後退させることに成功したのである。
泥と血に塗れた兵士たちは互いの肩を叩き合い、生還を喜び合った。
泣く者。
笑う者。
酔い潰れる者。
誰もが限界だった。
だからこそ、“今日だけは笑っていい”という空気が砦全体を包み込んでいた。
⸻
祝勝の宴は深夜まで続いた。
「アリア万歳!」
「聖王国万歳!」
酒場を貸し切った大広間で歓声が爆発する。
主役となった水色毛の猫獣人――アリア・エルレインは、団員たちに囲まれながら困ったように笑っていた。
「も、もう! 飲ませすぎだってば!」
頬を赤く染めながら盃を掲げる。
今日の戦いで、彼女の雷撃弓は帝国軍突破部隊を完全に食い止めた。
まさしく英雄だった。
「ジン! もっと飲めよ!」
酔ったミーナが白い尻尾をぶんぶん振りながら少年の肩を叩く。
「こんな楽しい夜、滅多にないぞ?」
「はい……でも」
ジンは曖昧に笑った。
その視線が、自然とアリアへ向く。
すると。
水色の瞳と目が合った。
アリアは一瞬だけ固まり、すぐに視線を逸らした。
――それが一度ではない。
数分おきに、彼女はこちらを見ていた。
まるで何かを言いたげに。
(……変だな)
胸の奥に、小さな違和感が残る。
今日は誰も精神的に壊れていない。
誰も発狂していない。
それなのに――。
(どうして“命令”が来たんだろう)
酒の熱とは別の冷たさが、胸をゆっくり撫でていった。
⸻
命令書の謎
深夜。
宴が終わり、自室へ戻ったジンは、副官から渡された封筒を開いた。
簡素な羊皮紙。
そこには短く記されている。
『今宵はアリア・エルレインの居室を訪問せよ』
「……」
ジンはしばらく紙を見つめていた。
(アリアさんが……精神的に消耗していた?)
そうは見えなかった。
むしろ、今日の彼女は誰よりも輝いていた。
だが。
命令は命令だった。
拒否するという発想そのものが、少年には存在しない。
戦時下の聖騎士団では、上官命令は絶対だからだ。
重い足取りで螺旋階段を上っていく。
窓から差し込む月光が、石造りの廊下を銀色に染めていた。
静かすぎる夜だった。
⸻
気まずい対面
コンコン。
小さく扉を叩く。
しばらく間が空いてから。
「……どうぞ」
か細い返事。
部屋へ入ると、寝衣姿のアリアが窓際に立っていた。
夜風に揺れる水色の髪。
普段の快活さは無い。
どこか落ち着かず、不安げだった。
「本当に来ちゃったんだ……」
振り返った彼女の第一声に、ジンは硬直する。
「えっと……命令だったので」
困惑しながら答える少年。
アリアは小さく苦笑した。
「命令、ねぇ……」
その笑みには、自嘲にも似た感情が滲んでいた。
「今日は誰も傷ついてないよね?」
「はい……勝利の日ですし」
「それじゃあ……どうして私が呼んだと思う?」
答えられない。
アリアはゆっくり机へ歩み寄り、一枚の羊皮紙を持ち上げた。
そこには正式な団長印が押されている。
『戦功褒賞権
対象:ジン
本権限保有者は対象に対する優先命令権を有する』
ジンの呼吸が止まった。
意味を理解するまで、数秒かかった。
「……僕を?」
アリアは俯いたまま、小さく頷く。
「最初は意味分からなかった」
震える声。
「でも周りの反応見て……気づいちゃった」
水色の猫耳が不安そうに伏せられる。
「ジンくん、もう皆の中で“そういう役目”になってたんだって」
沈黙。
「夜になると誰かの部屋に呼ばれて」
「壊れそうな人の話を聞いて」
「泣いてる人を抱きしめて」
「戦場で狂いかけた人を落ち着かせて……」
アリアの瞳が揺れる。
「皆、ジンくんを“慰安係”みたいに扱ってたんだね……」
ジンは否定できなかった。
必要な役目だと思っていたからだ。
誰かが壊れずに済むなら、それでいいと。
「だから……悔しかった」
ぽろり、と涙が零れる。
「皆が当たり前みたいにジンくんを消費してるのが嫌だった」
「アリアさん……」
「なのに私も、この紙を受け取っちゃった」
震える指が羊皮紙を握り潰す。
「結局、私も同じ側なんだって思ったら……すごく嫌になった」
沈黙が落ちる。
やがてアリアはゆっくり顔を上げた。
月明かりの中、水色の瞳が真っ直ぐ少年を射抜く。
「だから……その……ごめんね」
次の瞬間。
アリアの両手がジンの胸を強く押した。
「っ――」
背中が寝台へ沈む。
水色の瞳が揺れていた。
怒り。
悲しみ。
嫉妬。
罪悪感。
壊れそうな感情が全部混ざり合っている。
「ずっと……気づいてた」
しゃくり上げる声。
「貴方が夜になると、いろんな宿舎を行き来してるの……窓から見えてた」
「アリア……それは……」
言いかけた瞬間、柔らかな掌が口元を塞いだ。
「分かってる!」
感情が爆発する。
「命令なんでしょ!? そんなの分かってるよ! でも……っ!」
涙声が崩れていく。
「許せなかったの……!」
次の瞬間。
鋭い痛みが首筋を走った。
「うっ……!」
猫獣人特有の鋭い犬歯が皮膚へ食い込む。
熱を帯びた痛みにジンの身体が震える。
さらに肩へ爪が食い込み、制服の布地が裂けた。
「やめ……っ」
弱々しい抵抗。
しかしアリアは止まらない。
「みんなと、こんな風にしてたんでしょ……?」
泣きそうな声だった。
「ルシャさんの匂いも……ベリアリアさんの香油の匂いも……全部残ってた……!」
猫耳が逆立つ。
その姿は獣のようで、同時に傷ついた子どものようでもあった。
「私が……一番近くにいたのに……」
震える指先が少年の胸元を掴む。
爪痕から滲んだ血を見て、アリアは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「最低だよね……私……」
ジンは言葉を失う。
否定したかった。
けれど否定できない。
戦争が長引くほど、聖騎士団は少しずつ壊れていった。
眠れぬ者。
発狂寸前の者。
喪失に耐えきれない者。
そしてジンは、“誰かを慰める役目”を与えられていた。
「違う……僕は……」
言葉が続かない。
アリアの苦しみが痛いほど伝わってくる。
「ごめんね……本当にごめん……」
そう呟きながら、アリアは崩れるようにジンへ覆いかぶさった。
香水と汗、そして涙の匂いが混ざり合う。
「もう……止められないの……」
その声は、怒りではなく悲鳴に近かった。
ジンは抵抗できなかった。
目の前の少女もまた、自分と同じように壊れかけていると分かってしまったからだ。
窓の外では、勝利に酔った騎士たちの笑い声がまだ遠く響いている。
けれどこの部屋だけは、まるで別の世界みたいに静まり返っていた。
互いに傷ついたまま。
答えを見つけられない夜だけが、静かに更けていく――。




