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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
聖騎士団
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聖女は涙を隠せない

夕暮れ時。


戦地から戻った一行を、ジンは前線野営地の入口で迎えていた。


雨は止んでいたが、湿地には未だ硝煙と血の臭いが染み付いている。少年の黒髪も泥と返り血で汚れ、包帯の巻かれた腕からは薄く血が滲んでいた。彼自身もまた、数刻前まで前線で槍を振るっていたのだ。


それでも彼は、帰還してくる仲間たちへ深々と頭を下げる。


「お疲れ様でした……あっ」


言葉が止まる。


隊列の後方。


そこにいたベリアリアの姿を見た瞬間、ジンの表情が強張った。


白衣は半ば血で染まり、双角へ巻かれた布には黒ずんだ血痕がこびりついている。普段は柔らかい瞳も、今は焦点が定まっていなかった。


「あの……大丈夫ですか?」


控えめに尋ねる。


隣にいたルシャが、重い口を開いた。


「マルティナがやられた」


「……!」


息を呑む。


マルティナ。


第四大隊所属の槍騎士。明るく豪快で、補給班にもよく差し入れを持ってきていた女性だった。


「胸を貫かれた」

ルシャが低く続ける。


「ベリアリアが止血術式を施したが……間に合わなかった」


その瞬間、ジンは理解した。


癒術騎士にとって最大の悪夢。


“救えなかった”という事実。


「私のせいなのよ……」


ベリアリアが掠れた声で呟く。


「あと数秒早ければ……」

「術式の接続順を変えていれば……」

「私がもっと強ければ……!」


「違う!」


思わずジンが叫ぶ。


泥だらけの手で、彼女の腕を掴んだ。


「ベリアリアさんのせいじゃない!」


黒い瞳が真っ直ぐ彼女を見上げる。


「あなたがいたから、今日だって皆んな生きて帰ってこれたんだ!」


「ジン……」


潤む瞳。


彼女は何かを言おうとして、結局言葉にならなかった。



誰も知らない命令


その夜。


負傷兵用の簡易天幕で休んでいたジンの元へ、副官が現れた。


「団長命令です」


それだけで、ジンの背筋が冷える。


脳裏を過るのは、以前のルシャの夜。


壊れかけた騎士たちの姿。


「ベリアリア嬢の居室へ向かってください」


「……承知しました」


前線基地の夜は静かだった。


遠くで負傷兵の呻き声と、焚き火の爆ぜる音だけが聞こえる。


やがて、癒術騎士用の個室へ辿り着く。


副官は何も言わず去っていった。


「失礼します……」


返事はない。


扉を開いた瞬間――鉄臭い血の匂いが鼻を刺した。



深い悔恨


室内には月明かりだけが差し込んでいた。


寝台に横たわる大きな背中。


その足元。


床には大量の血痕が広がっていた。


「……来てはいけないと言ったでしょう」


振り向かないまま、ベリアリアが呟く。


「こんな姿……貴方に見せるべきじゃない」


「でも……」


ジンは言葉を失う。


寝台脇には血塗れの布。


切開用の小刀。


そして、何度も無理矢理癒術を重ねた痕跡。


「止血術式を試していたの」


自嘲気味な声。


「マルティナを救えなかったから……」

「せめて再現できないかと思って、自分の身体で」


ゆっくり身体を起こす。


破れた袖。


露わになった左腕には、赤黒く爛れた傷跡が幾重にも刻まれていた。


「見て」

震える声。


「これが失敗した癒術騎士よ」


「そんな……」


駆け寄ろうとするジン。


だが――


「近づかないで!!」


鋭い制止。


空気が震える。


ベリアリアの瞳には、自分自身への嫌悪が滲んでいた。


「私は治せなかった」

「救えなかった」

「癒術騎士なのに……!」


その肩が小さく震える。


「価値なんて……無いでしょう?」


沈黙。


その後。


ジンは静かに口を開いた。


「僕は……凄いと思います」


即答だった。


「自分の身体を傷つけてでも、人を救おうとした」


黒い瞳が揺るがない。


「その優しさは、絶対に間違ってません」


「嘘よ……」


涙が零れる。


「結果が全てなの……」

「助けられなかった時点で失格なのよ……」


「違います!」


強い声。


「生きてるだけで価値があります!」


ジンの言葉には迷いが無かった。


「それに……」

「ベリアリアさんは、これからも沢山の人を救えるじゃないですか」


沈黙。


そして次の瞬間、嗚咽が漏れた。


大きな身体が震える。


「……そう、なのかな」


「間違いなく」


ジンが頷く。


その頭を、ベリアリアの大きな手がそっと撫でた。


「ありがとう……」


涙混じりの声。


「こんな愚かな私を……許してくれて」


「許すとかじゃなくて……」


困ったように笑うジン。


その笑顔を見て、ベリアリアの呼吸が少しずつ落ち着いていった。



夜の温もり


「私も……」


ベリアリアがぽつりと呟く。


「貴方みたいに、強くなれたら良かったのに」


沈黙。


そのまま、彼女はゆっくりとジンを抱き寄せた。


柔らかな温もり。


血と薬草の匂い。


「少しだけ……こうしていてもいい?」


ジンは戸惑いながらも頷く。


「はい……」


そっと腕を回す。


彼女の身体は驚くほど冷えていた。


(マルティナさんを救えなかったこと……ずっと苦しんでたんだ)


そう思うと、放っておけなかった。


しばらく、無言の時間が流れる。


やがて。


「……可愛いね、貴方は」


耳元で囁く声。


ジンの肩が小さく震えた。


「べ、ベリアリアさん……?」


彼女は微笑む。


けれどその笑みは、どこか泣きそうだった。


「怖がらなくていいわ」


そっと額へ口づけを落とす。


「少しだけ……誰かの温もりを感じていたいだけ」


月明かりの中。


傷ついた癒術騎士は、静かに少年へ寄り添っていた。



清冽な朝


鳥の囀り。


遠くで鳴る軍鐘。


目を覚ましたジンは、ぼんやり天井を見上げた。


全身が重い。


だが昨夜までの張り裂けそうな苦しさは薄れている。


「おはよう、ジン」


隣から柔らかな声。


振り向くと、ベリアリアが微笑んでいた。


昨夜までの憔悴は少し薄れ、穏やかな表情へ戻りつつある。


「昨夜は……ありがとうございました」


「え……?」


「貴方のお陰で、少し前を向けそうなの」


朝日に照らされた横顔は、再び“皆を癒す騎士”へ戻ろうとしていた。


「これからも皆んなを守るわ」


そっとジンの頬を撫でる。


「貴方も含めてね」


ジンは静かに頷く。


城壁の外では、帝国軍の銅鑼が鳴り始めていた。


新たな戦いの朝。


それでも今だけは、束の間の静寂が二人を包んでいた。

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