聖騎士団で暮らす事になった少年
窓越しに差し込む朝陽が白樺材の床を琥珀色に染めていた。一週間ぶりに自ら立ち上がる黒髪の少年の足取りはまだ少し不安定だった。
「無理はしないでください」
ベット柵に寄りかかる彼の背を支えたのは牛獣人ベリアリア。柔和な声と対照的に太く力強い角が朝日に眩く輝いている。
「少しずつ慣れていけば良いのです」
食堂までの道のりが今日の第一課題。杖代わりに渡された松の枝を握る指先は冷たく震えていたが——
「黒髪君!」
廊下の曲がり角で待ち構えていた猫獣人アリアが跳ねるように駆け寄ってきた。水色の毛並みが喜びで逆立っている。
「朝食!早く行こっ!今日はシチューだって!」
そう言いながらも少年のペースに合わせて歩幅を狭める。遠くで見守る紅毛の狼獣人騎士の鋭い視線にも気づいているかのように。
## 灰色の月光
廊下の奥で待っていたのは狼獣人。深紅の髪に銀の鎖帷子が映える。
「遅い」
苛立ちを隠さない口調とは裏腹に、鋭い黄色い瞳がジンの一歩一歩を見据えている。アリアが口を開きかけた時—
「ルシャだ」
簡潔すぎる自己紹介。少年の鼓動が早くなる。初めて見る"威圧感"というものだった。
「……あの…はじめまして」
返事が届くまで長い一瞬があった。狼獣人は鼻を鳴らし、踵を返す。
「食事が冷める前に来い」
去り際の背中で揺れる紅色の尾毛。それが答えだと悟るのに時間はかからなかった。
## 異郷の膳卓
食堂の大窓から差し込む午後の光が石造りの空間を暖かく包んでいた。木彫りの長机に並ぶ十数人の騎士たち。銀食器が擦れ合う音と低く抑えられた談笑が調和する。
「こちらが今日のご馳走ですよ」
ベリアリアが盆を運んでくる。湯気立つ野菜スープとパンの香ばしさが鼻をくすぐる。
「熱いですから気をつけて」
牛獣人の親指が慎重に匙に触れる。灰白色の髪が微かに揺れた。
正面に座るアリアが頬を膨らませながら尋ねる。
「ねえ黒髪くん!おいしい?東方の料理とは違う?」
その猫耳が興味津々と小刻みに動く。
少年の視線が離れた席へ滑る。紅い毛並みの狼獣人が黙々と干し肉を噛んでいた。灰色の瞳に気づくと僅かに眉が上がる。
スプーンを握る指先が無意識に強張る。異邦人として注がれる数多の視線に耐えるには——まだ時間がかかりそうだ。それでも。
ひと掬いのスープが舌先に触れた瞬間、懐かしさに似た温度が胸に灯った。
「……美味しいです」
控えめな声が静寂を破る。アリアの三毛模様の尻尾が嬉しそうに跳ねた。
「でしょー!ロレッタさんが作る料理は何でも最高なんだから!」
給仕を担当する老執事が帽子の縁を下げて笑む。
木皿の縁に残った最後の汁を啜りながら少年は思った。
(まずはここにいることを許された。それだけで今は充分なのかもしれない…)
食堂の窓から射し込む初秋の日差しは柔らかくも力強く、壁に掛けられた聖王国の旗を黄金色に染め上げていた。燭台に灯された蝋燭の火がゆらゆらと揺れる中で、少年はそっとスプーンを置いた。
「ごちそうさまでした」
まだぎこちなさを残したものの確かな響きを伴った挨拶に、近くに座る牛獣人ベリアリアが微笑む。深みのある蒼い瞳が温かく細められる。
「よく食べてくれて嬉しいわ。元気になってきた証拠ね」
その隣では猫獣人アリアが尾を高々と持ち上げている。
「これでやっと団の見学ができるね!わたし案内役やっていい?いいよね?」
紅い毛並みの狼獣人ルシャが溜息混じりに吐き捨てる。
「先ずは団長との面会だ。順序というものがある」
石畳の回廊を四人が歩いてゆく。軍靴の響きと軽やかな爪音が大理石を叩き、天井の梁へと溶け消える。
目的地の書斎室では既に待機していた団長ハインリヒが肘掛け椅子から立ち上がった。
壮年の人間。栗毛の間で金色の眼が少年を貫く。
「初めまして坊や…元気になった様だねぇ」
夕暮れ迫る書斎には暖炉の薪が爆ぜる音が響いていた。壁一面の書架には西方魔導書と歴史文献が所狭しと詰め込まれている。窓の外では夕闇に沈む城下町の屋根瓦が星々のように点滅し始めていた。
重厚な机に向かう老いた人間の団長ハインリヒは深い皺の刻まれた指先で青銅プレートを撫でた。表面の文字は半ば擦り切れながらも辛うじて判読できる。
「暁ジン」の文字が炎に浮かび上がる。
「これが君の名前だ」
ジンがプレートに伸ばしかけた指を引っ込めた。東洋式の姓を示す記号が彼の視線を釘付けにする。
「どうやってここまで来たのだ?」「家族は?」「東方の国から逃げてきた理由は?」
ハインリヒの矢継ぎ早の質問に少年は俯き加減に首を振るばかりだ。
「申し訳ありません……覚えていません」
その声には自己嫌悪が滲んでいた。
窓辺に佇むベリアリアが慰めるように視線を送るも、紅い髪のルシャは壁際で腕組みしたまま微動だにしない。
沈黙を破ったのは入口から舞い込んだ一羽の伝令鳥だった。脚環に巻かれた羊皮紙を解くハインリヒの眉間に深い皺が寄る。
「明日から君の身元は正式に聖騎士団の預かりとなる。記憶が戻ればいいが…ね…」
それは命令であり祈りだった。聖騎士団の紋章が刻まれた印章が封筒に押し付けられる。
満天の星屑が尖塔群を縁取る深夜。ジンの割り当てられた小部屋の窓枠にアリアが腰掛けていた。月光に照らされた水色の毛並みが幻想的なシルエットを描き出す。
「眠れない?」
その囁きと共に彼女が差し出した陶杯からは甘い林檎酒の香りが漂う。
「お休み前の一杯だよ。わたしたちの習慣だけど……飲む?」
戸惑う少年−−ジンの横でベリアリアが毛布を丁寧に直しながら言う。
「強がらなくても良いのですよ。今宵が過ぎればまた明日があります」
牛獣人の角が月明かりを反射して神秘的なオーラを放つ。
ドアを蹴り開けたのは意外にもルシャだった。手には油紙包み。
「これを食べて寝ろ」
無造作に投げ込まれた包みには焼きたてのパンが三つ。彼女の紅い毛並みが照れ臭そうに逆立つ。
月光の下で三人の異なる種族が囲む円卓。その光景にジンは小さく息を吐く。
(これが僕の新しい日常……?)
翌朝彼を待っていたのは鍛錬場で行われる基礎体力測定だった。
聖騎士団の一日が始まろうとしている
朝靄に煙る訓練場ではすでに数十人の聖騎士たちが武技訓練に励んでいる。鉄剣が打ち合わされる鈍い音と咆哮が岩壁に反響する。
「まずは走り込みだ」
ルシャの低い声が命じる。彼女自身は既に完璧なフォームで槍術の演武を終えていた。赤みがかった瞳が挑戦的な色を宿す。
一周三百メートルの楕円コースで二十周。それが基本メニューだ。ジンにとっては未知の苦行である。
五周目で足がもつれた。裾を踏みつけ転倒する。砂利が剥き出しになった肘に喰い込む痛みよりも屈辱感の方が大きい。
「休憩したい時は左手を上げなさい」
ベリアリアの声援が遠く聞こえる。傍らで水の魔法を準備しているのだろう。淡い光の粒が空中で踊っているのが見える。
八周目に及んだ頃、アリアが猫特有の俊敏さで追いついてきた。走りながらも息一つ乱していない。
「ほら頑張れ〜あと十二周しかないじゃん!」
そう言って彼女の水色の毛髪が風になびく。冗談めかした応援が妙に励みになった。
十五周目に入るとついに限界が訪れそうになる。視界の隅でハインリヒ団長が腕を組みながら見守っている姿が焼き付く。
(諦めたら……ここから追い出されるかもしれない)
その恐怖心が疲労を凌駕した瞬間——ジンの足取りが僅かに軽くなった。
終盤には二人の騎士が激励の拍手で迎えてくれた。汗まみれになりながらもゴールラインを跨いだ瞬間の達成感は格別だった。
「お見事!これなら数年後には正式入団可能かもね♪」
アリアの尾が嬉しそうに跳ねる。
訓練後は騎士団浴場での休息時間。石鹸の芳香と湯気で満ちた空間はが癒しを与えてくれる。
「入団式ではこの聖銀の鎧を授与されることになる」
ベリアリアが示した模型品は月桂樹の冠を戴く乙女像の意匠が美しい。西洋の聖性が凝縮されたデザインだ。
湯船に浸かるジンの背中に不意に触れるものが——ルシャが濡らした布で傷だらけの肘を包んでいる。
「訓練中の怪我は当然のものだ。気に病むな」
ぶっきら棒な口調だが眼差しは優しい。
(ここは敵意ではない……)初めて感じる他者からの庇護に涙腺が緩みそうになる。




