源蔵との手合わせ
館へ戻るなり。
使用人達は大忙しだった。
「宴の準備だ!」
「酒蔵開けろ!」
「魚は足りるか!」
「足りなければ市場から買ってこい!」
源蔵の号令で館中が慌ただしくなる。
ジンは思わず苦笑した。
「帰ってきただけなんですけどね」
「諦めなさい」
アリアが言う。
既に慣れていた。
そんな中。
源蔵は周囲をきょろきょろ見回した。
そして。
「ジン」
「はい?」
「ちょっと来い」
妙に小声だった。
怪しい。
実に怪しい。
源蔵はそそくさと歩き出す。
ジンも仕方なく後を追った。
館の中庭。
夕日が差し込む静かな場所だった。
誰もいない。
源蔵はそこで足を止める。
そして。
事前に置いてあったらしい棒状の物を掴む。
「ほれ」
ぽいっと投げる。
ジンは反射的に受け取った。
木製。
訓練用の武器だ。
だが。
普通の木刀ではない。
柄が長い。
刀身も長い。
薙刀とも違う。
槍とも違う。
不思議な武器だった。
「長巻じゃ」
源蔵が言う。
ジンはそれを眺める。
知らない武器のはずだった。
だが。
握った瞬間。
妙な感覚があった。
馴染む。
驚くほど自然だった。
右手と左手の位置。
重心。
振り抜く感覚。
何も考えなくても分かる。
まるで。
昔から使っていたかのように。
ジンは思わず何度か振る。
ぶん。
空気が鳴る。
軽い。
いや。
身体が自然に動いている。
源蔵は満足そうに頷いた。
「やはりな」
「……なんですかこれ」
「多分だがな」
源蔵は腕を組む。
「お主にはそっちの方が合っておる」
ジンはもう一度振る。
確かにそうだった。
槍とも違う。
だが。
妙にしっくり来る。
そして。
不意に思い出す。
水蓮の薙刀。
エルフの里で何度か真似した動き。
あの時も妙に身体に馴染んでいた。
源蔵はニヤリと笑う。
「ほれ見ろ」
「その顔じゃ」
ジンは気付いていなかった。
自然と笑っていた。
武器を握るのが楽しい。
そんな感覚は久しぶりだった。
すると。
源蔵は近くに立て掛けてあった木刀を二振り手に取る。
そして。
一本を肩へ担ぐ。
「さて」
楽しそうだった。
いや。
かなり楽しそうだった。
「前回は水蓮に取られたからのう」
ジンは思い出す。
館へ来た時。
水蓮との戦いになってしまった事を。
源蔵は木刀を構える。
口元は笑っている。
だが。
眼だけは真剣だった。
「今回は違う」
夕日に照らされる。
東方最強の老人。
朝霧源蔵。
「万全のお主とは」
木刀を向ける。
「ワシの番じゃ」
中庭に風が吹く。
ジンは長巻を握り直した。
左手の義手も自然に動く。
身体は軽い。
視界は鮮明だ。
そして何より。
戦いたいと思った。
源蔵はその気配を感じ取る。
にやりと笑った。
「よし」
「来い」
宴が始まる前。
師弟でもなく。
親子でもなく。
ただの武人として。
二人は向かい合った。
ジンは長巻を構えたまま深く息を吐く。
そして。
左目へ魔力を流した。
黄金の魔眼が僅かに輝く。
世界が変わる。
色が変わる。
熱が見える。
筋肉が動く度。
熱が流れる。
力の流れが見える。
今までなら到底追えなかった情報量だった。
源蔵を見る。
腕。
肩。
腰。
脚。
全身に熱が流れている。
どこへ力が入るのか。
どこから動くのか。
手に取るように分かる。
「ほう」
源蔵が目を細める。
「それが魔眼か」
次の瞬間。
源蔵が踏み込む。
速い。
だが。
見える。
右脚。
腰。
肩。
木刀が来る。
ジンは長巻を動かす。
甲高い音。
ガンッ!
受けられた。
だが。
終わりではない。
二撃目。
三撃目。
四撃目。
左右から木刀が襲い掛かる。
ジンも長巻を振るう。
ガンッ!
ギィン!
バチィッ!
木と木がぶつかる音が中庭へ響く。
何度も。
何度も。
武器が交差する。
だが。
違和感があった。
見えている。
確かに見えている。
筋肉の動きも。
力の流れも。
熱の移動も。
それなのに。
追い切れない。
「っ!」
木刀が頬を掠める。
慌てて身を捻る。
直後。
長巻で受ける。
ガンッ!
衝撃が腕へ伝わる。
重い。
源蔵は笑っていた。
「どうした」
木刀を振るう。
「見えておるのだろう?」
図星だった。
見えている。
だが。
達人は違う。
見えている情報だけでは足りない。
どこからでも攻撃が来る。
何通りもの動きがある。
筋肉の動きが分かった所で。
その先が読めない。
経験。
勘。
技術。
積み重ね。
それら全てが源蔵にはあった。
ジンは歯を食いしばる。
長巻を振るう。
薙ぐ。
突く。
返す。
身体は驚くほど自然に動いた。
まるで昔から使っていた武器のように。
源蔵の木刀と何度もぶつかる。
ガンッ!
ギィン!
ガッ!
木片が飛ぶ。
土が舞う。
夕日に照らされた中庭で。
何度も。
何度も。
長巻と二刀が交差した。
その様子を。
いつの間にか集まっていた使用人達が見守っている。
宴の準備を忘れて。
思わず見入ってしまうほどだった。
「すごい……」
誰かが呟く。
だが。
その中でも。
源蔵は少しずつ笑みを深くしていた。
「良い」
木刀を振るう。
「良いぞ」
さらに踏み込む。
「それでこそじゃ」
ジンは汗を流しながら笑った。
苦しい。
追いつけない。
それでも。
楽しかった。
こんな風に武器を振るうのは。
久しぶりだった。
そして。
何より。
今の自分がどこまで通用するのか。
試せるのが嬉しかった。
ガンッ!!
源蔵の木刀が長巻へ叩き付けられる。
重い。
今までで一番重い。
ジンは咄嗟に受ける。
だが。
受け切れない。
「っ!!」
衝撃が全身を貫いた。
足が浮く。
身体が宙へ投げ出される。
視界が傾く。
吹き飛ばされた。
だが。
それで終わらなかった。
源蔵は追撃しなかった。
踏み込まなかった。
その場から。
木刀を振るった。
大きく。
鋭く。
まるで空間そのものを斬るように。
「な――」
ジンの目が見開かれる。
次の瞬間。
轟ッ!!
空気が裂けた。
木刀の軌跡から。
目に見えるほどの圧力が放たれる。
剣圧。
それは確かに飛んでいた。
「嘘だろ!?」
思わず叫ぶ。
木刀だ。
魔術でもない。
弓でもない。
なのに飛んでいる。
理屈が分からない。
だが。
飛んできている以上。
防ぐしかない。
ジンは空中で長巻を構える。
そして。
振り抜いた。
激突。
バァンッ!!
衝撃が弾ける。
腕が痺れる。
身体がさらに吹き飛ぶ。
だが。
勢いは殺せた。
地面が迫る。
ジンは身体を捻る。
長巻を支点に。
受け身。
ごろりと一回転。
さらにもう一回。
土煙が舞う。
そして。
片膝をついた状態で止まる。
ざっ。
長巻を地面へ突き立てる。
荒い呼吸。
額から汗が流れ落ちた。
源蔵は中庭の中央に立っている。
微動だにしていない。
まるで当たり前の事をしたような顔だった。
ジンは思わず叫ぶ。
「木刀で飛ばすのはおかしいでしょう!?」
源蔵は鼻を鳴らした。
「何がおかしい」
「全部おかしいですよ!」
周囲で見ていた使用人達も頷いていた。
その通りである。
源蔵は笑う。
実に楽しそうに。
「達人になるとな」
木刀を肩へ担ぐ。
「飛ぶ」
「飛ばないでしょう!」
即答だった。
アリアが吹き出す。
ミーナは腹を抱えている。
フィリスも顔を逸らして笑いを堪えていた。
グリムヴァルドは腕を組みながら呟く。
「飛ぶ者は飛ぶな」
「飛ぶんですか……」
ジンは遠い目をした。
東方がおかしいのか。
達人がおかしいのか。
多分両方だった。
だが。
源蔵は既に構え直している。
まだ終わる気は無いらしい。
「ほれ」
木刀を向ける。
「続きじゃ」
夕日に照らされながら。
源蔵は少年のような笑みを浮かべていた。
対するジンも。
いつの間にか笑っていた。
ならば。
付き合うしかない。
長巻を握り直す。
魔眼が熱を捉える。
そして再び。
二人は地面を蹴った。
ガンッ!!
長巻と木刀が激突する。
何度目かも分からない打ち合い。
だが。
その時だった。
ジンの長巻が僅かに源蔵の防御を擦り抜ける。
ひゅっ。
木刀の隙間を抜けた一撃。
長巻の先端が。
源蔵の頬を僅かに掠めた。
ぴっ。
赤い線が走る。
血が一滴だけ流れた。
一瞬の静寂。
次の瞬間。
源蔵が笑った。
心底嬉しそうに。
「はっはっはっはっ!!」
豪快な笑い声が響く。
「良い!!」
「実に良い!!」
頬の血を親指で拭う。
そして。
さらに笑みを深くした。
「取ったな」
ジンは荒い息を吐く。
「掠っただけですよ」
「掠れば十分じゃ」
源蔵の目が細くなる。
武人の目だった。
成長を喜ぶ目だった。
だが。
次の瞬間。
その目が変わる。
ぞくり。
ジンの背筋が冷えた。
「だが」
源蔵は木刀を一本構える。
「これを受け切れるかな?」
言葉と同時だった。
ぶんっ!!
木刀が投げられる。
矢のような速度。
ジンは反射的に長巻を振るう。
ガァンッ!!
木刀を弾き飛ばす。
重い。
ただ投げただけとは思えない威力だった。
だが。
防いだ。
そう思った。
「――っ!?」
気付く。
源蔵がいない。
先程まで立っていた場所に。
いない。
そして。
もう目の前にいた。
「ほう」
その声と共に。
凄まじい圧力がジンを襲う。
まるで巨大な魔獣が目の前に現れたような威圧感。
本能が叫ぶ。
危険だと。
源蔵は残った木刀を振り上げる。
夕日を背負いながら。
全身全霊を乗せて。
振り下ろした。
「――っ!!」
避けられない。
なら。
相打ちだ。
ジンも長巻を振り上げる。
真正面から迎え撃つ。
ガァァァァァァンッ!!
轟音。
衝撃。
腕が軋む。
義手が悲鳴を上げる。
次の瞬間。
ジンの身体が吹き飛んだ。
砲弾のように。
中庭を横切る。
「ジンっ!」
アリアが思わず声を上げる。
宴の準備をしていた使用人達も。
いつの間にか集まっていたフィリスやミーナも。
そして館へ戻ってきたばかりの水蓮も。
全員がその光景を目撃していた。
「ちょっ……!」
ミーナの顔が青くなる。
「飛び過ぎじゃないですか!?」
フィリスも思わず声を上げる。
吹き飛んだジンは。
そのまま一直線に中庭の池へ向かっていく。
水蓮の顔から血の気が引いた。
「ジン殿!!」
ぼちゃんっ!!
盛大な水柱が上がる。
池へ真っ逆さまに落ちた。
静寂。
誰も笑わなかった。
使用人達も固まっている。
「お館様……」
「流石に今のは……」
「まずいのでは……?」
本気で心配していた。
アリアは池へ向かって走り出す。
ミーナも続く。
水蓮も慌てて駆け寄った。
源蔵だけが腕を組んだまま。
池の水面を見ていた。
数秒。
やけに長く感じる。
「ジン……」
アリアが呟く。
その時だった。
ざばぁっ!!
水面が割れる。
ジンが勢いよく顔を出した。
髪から水が滴る。
服もずぶ濡れ。
だが。
長巻だけはしっかり握っていた。
そして。
顔を上げるなり叫ぶ。
「死ぬかと思いましたよ!!」
その瞬間。
周囲から安堵の息が漏れた。
アリアは大きく息を吐く。
ミーナはその場でへたり込みそうになる。
フィリスも胸を撫で下ろした。
水蓮など池の縁まで来ていた。
「ご無事でしたか……!」
本気で心配していたらしい。
源蔵はそんな様子を見て。
ようやく豪快に笑った。
「はっはっはっはっ!!」
「良いではないか!」
「良くないですよ!!」
池の中から即座に返事が飛ぶ。
そのやり取りを見て。
ようやく皆の緊張も解けた。
だが。
源蔵は笑いながらも満足そうだった。
「うむ」
「やはり強くなったな」
その言葉に。
池の中のジンは。
びしょ濡れのまま苦笑するしかなかった。
「死ぬかと思いましたよ!!」
池の中からジンが叫ぶ。
その瞬間。
安堵していた一同の中から。
別の意味で大きな声が飛んだ。
「父様!!」
水蓮だった。
普段は落ち着いている彼女が。
珍しく頬を膨らませている。
「やり過ぎですよ!!」
源蔵は腕を組んだまま。
「そうか?」
「そうです!!」
使用人達も何度も頷いている。
「流石に飛ばし過ぎでした!」
「池が無かったらどうするんですか!」
「いや受け身を取っておったし――」
「そういう問題じゃありません!」
完全に怒られていた。
ジンは池の中からその様子を眺める。
少し面白い。
源蔵が怒られている。
珍しい光景だった。
だが。
水蓮はそこで終わらなかった。
ぷんすかした顔のまま。
さらに続ける。
「それに!」
びしっと源蔵を指差す。
「この後私の順番って言ったじゃないですかぁ!!」
中庭が静まり返る。
源蔵が瞬きをする。
ジンも瞬きをする。
アリアが吹き出した。
ミーナは腹を抱えて笑い始める。
フィリスも顔を逸らして肩を震わせていた。
どうやら。
本命はそちらだったらしい。
水蓮は頬を赤くして続ける。
「ジン殿と手合わせする約束だったんです!」
「父様が全部先にやってしまうから!」
「むぅ!」
本気で不満そうだった。
源蔵は腕を組んだまま。
「いや、だって久しぶりじゃし」
「私も久しぶりです!」
「むぅ……」
今度は源蔵が押されていた。
珍しい光景だった。
池の中のジンは思わず笑う。
すると。
水蓮がくるりと振り返る。
「ジン殿!」
「はい?」
「立てますか!?」
「多分」
「なら大丈夫ですね!」
水蓮の表情が一気に明るくなる。
そして。
腰に差した木刀へ手を添えた。
「次は私です!」
源蔵が目を丸くする。
「今からか?」
「今からです!」
即答だった。
アリアが肩を竦める。
「元気ねぇ」
「親子ですね」
フィリスがぼそりと呟く。
誰も否定出来なかった。
そして池の中では。
ジンがびしょ濡れのまま。
「せめて着替えさせてください……」
と小さく呟いていた。




