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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
186/197

グリムヴァルドの過去

その日の夜。


族長の館では少し大きな食事会が開かれていた。


魔眼の定着。


その成功を祝う意味もあるのだろう。


長い木製の卓には様々な料理が並んでいる。


南方の果物。


焼いた魚。


香草を使った肉料理。


見た事もない木の実の煮込み。


そして当然のように。


食後用の水煙草まで準備されていた。


ザインは席に座る。


右隣にはグリムヴァルド。


左隣にはアリア。


向かいにはミーナとフィリス。


少し離れた場所にはネフェリアもいる。


そして卓の奥には。


族長と長老達が並んでいた。


既に宴は始まっている。


「ほれザイン」


「これ美味いぞ」


ミーナが皿を差し出す。


焼いた魚だった。


「ありがとうございます」


受け取る。


食べる。


美味しい。


塩気が絶妙だった。


「うむ」


族長が頷く。


「気に入ったか」


「美味しいです」


「そうじゃろう」


何故か誇らしげだった。


どうやら里の自慢らしい。


その横で。


ネフェリアは既に料理より酒に手を出していた。


「ネフェリア」


グリムヴァルドが呆れた声を出す。


「まだ始まったばかりじゃぞ」


「良いじゃない」


「今日はお祝いなんだから」


全く反省していない。


フィリスはその様子を見ながら小さく笑った。


以前なら。


こんな食卓は考えられなかった。


聖騎士団では上下関係が厳しい。


食事ももっと形式的だった。


だが。


ここは違う。


族長ですら笑いながら食べている。


長老達も気軽に話している。


どこか家族の食卓に近かった。


そして。


ふと。


族長がザインを見る。


「しかしの」


その場の視線が集まる。


「一月か」


「早いもんじゃ」


ザインも頷く。


確かに早かった。


最初は数日程度の滞在のつもりだった。


気付けば一月である。


族長は酒を一口飲む。


そして。


穏やかな目でザインを見る。


「来た時とは随分顔が変わったの」


「そうですか?」


「うむ」


今度はグリムヴァルドも頷く。


「変わったな」


アリアも同意する。


「変わったわね」


ミーナも頷く。


「最初もっと死にそうだった」


「それは言い過ぎだろ」


ザインが苦笑する。


だが。


誰も否定しなかった。


むしろ。


ネフェリアまで頷いている。


「死にそうだったわよ」


「研究対象として不安になるくらいには」


「それ基準おかしくないですか」


ネフェリアは笑った。


族長も笑う。


長老達も笑う。


そして。


少しだけ静かになった時だった。


族長が言う。


「今のお主は良い顔をしておる」


その言葉に。


ザインは少しだけ言葉を失った。


族長は続ける。


「ちゃんと飯を食い」


「ちゃんと寝て」


「ちゃんと笑っておる」


「それが一番大事なんじゃ」


その言葉に。


アリアが小さく頷く。


フィリスも。


ミーナも。


グリムヴァルドも。


誰も反論しなかった。


それは。


皆が思っていた事だったからだ。


一月前のザインは。


確かに生きていた。


だが。


今ほど穏やかな顔ではなかった。


今は違う。


左目も戻った。


義手も戻った。


仲間もいる。


そして。


こうして笑える時間もある。


族長は満足そうに酒杯を持ち上げた。


「さて」


「堅い話は終わりじゃ」


そう言って笑う。


「今日は食え」


「飲め」


「そして楽しめ」


「暁の子の快気祝いじゃ」


その言葉に。


卓には再び賑やかな笑い声が戻った。


宴も終わりに近付いていた。


長老達は酒を飲み。


ネフェリアは既に出来上がっている。


ミーナは族長から南方の昔話を聞き。


フィリスはそれを熱心にメモしていた。


アリアは呆れたようにそれを眺めている。


賑やかな時間だった。


だが。


ふと。


ザインは気付いた。


「……あれ」


グリムヴァルドがいない。


少し前まで確かにいたはずだった。


席を見る。


空いている。


誰も気にした様子はない。


ザインは静かに立ち上がった。


誰にも声は掛けない。


そのまま館を出る。


夜風が肌を撫でた。


辺りを見回す。


だが。


グリムヴァルドの姿は無い。


「……」


少し考え。


左目へ魔力を流す。


黄金の瞳が細く収縮する。


温度。


生命。


魔力。


夜の世界が色を持つ。


そして。


すぐに見つかった。


グリムヴァルドだった。


強い。


いや。


異常なほど濃い。


膨大な魔力を持つ彼の存在は。


この魔眼にはよく目立った。


場所は里の外れ。


人気の無い場所だった。


ザインはゆっくり歩く。


しばらく進む。


森を抜ける。


すると。


小さな墓地が見えた。


月明かりに照らされる石碑。


派手ではない。


静かな場所だった。


その中央。


二つ並んだ墓の前に。


グリムヴァルドはいた。


腰を下ろしている。


手には酒瓶。


静かに酒を飲んでいた。


そして。


時折。


何かを語り掛けるように口を動かしている。


ザインは足を止めた。


聞こえない。


だが。


誰に話しているのかは分かった。


墓だった。


グリムヴァルドはまた酒を飲む。


そして。


少しだけ笑う。


まるで。


そこに誰かがいるように。


昔話をしているように。


そんな顔だった。


ザインは声を掛けるべきか迷う。


だが。


その時。


グリムヴァルドが口を開いた。


「隠れるのは下手だな」


振り返らないまま言う。


ザインは苦笑した。


どうやら気付かれていたらしい。


「すみません」


「良い」


グリムヴァルドは酒を一口飲む。


「来るか」


そう言って。


隣の空いた場所を軽く叩いた。


ザインはゆっくり近付く。


そして。


その隣へ腰を下ろした。


夜は静かだった。


波の音も届かない。


聞こえるのは風の音だけ。


しばらく二人とも何も言わない。


やがて。


ザインは墓を見る。


名前が刻まれている。


だが。


今は読まない事にした。


代わりに聞く。


「知り合いですか」


グリムヴァルドは少しだけ笑った。


「知り合いか」


そう呟く。


そして。


墓を見つめた。


長い沈黙の後。


静かに答える。


「家族なんだ」


その声は。


いつものグリムヴァルドより少しだけ柔らかかった。


ザインは黙って墓を見る。


グリムヴァルドは酒を一口飲んだ。


そして。


ぽつりと呟く。


「私にはな」


「夫と息子がいた」


夜風が吹く。


墓石の前で。


グリムヴァルドは静かに続けた。


「だが」


「ある日」


「森の中で魔獣に襲われて死んでしまった」


「二人ともだ」


ザインは何も言わない。


グリムヴァルドも続きを急がなかった。


しばらく風の音だけが流れる。


「私はその時」


「里を離れていた」


「戻った時には全部終わっていたよ」


酒を飲む。


苦い顔をする。


まるで昔の自分を思い出しているようだった。


「息子はな」


少しだけ笑う。


「やんちゃな奴だった」


「魔術ばかりやりたがって」


「父親をよく困らせていた」


そして。


その笑みはゆっくり消える。


「死んだ時は」


「お前と同じくらいの歳だったかな」


少し考える。


そして首を振った。


「いや」


「もっと若かったかもしれない」


「忘れてしまったよ」


その言葉は。


どこか自嘲するようだった。


エルフは長命だ。


長すぎる。


何十年。


何百年。


生きてしまう。


だからこそ。


忘れたくないものまで薄れていく。


グリムヴァルドは墓を見つめる。


長い沈黙。


そして。


ぽつりと呟いた。


「忘れたかったんだ」


ザインが顔を上げる。


グリムヴァルドは墓から目を離さない。


「二人の事を思い出したくなくてな」


「この里を出た」


「墓を見るのも嫌だった」


「何もかも嫌になって」


風が吹く。


木々が揺れる。


「だから逃げた」


その言葉はあまりにも率直だった。


言い訳もしない。


誤魔化しもしない。


ただ事実だけを口にした。


「こうして墓の前へ来たのも」


「本当に久しぶりだ」


酒を墓の前へ少し注ぐ。


手が少し震えていた。


「何十年ぶりか」


「それとも百年ぶりか」


「もう分からない」


グリムヴァルドは苦笑する。


「我ながら薄情な親だな」


ザインは首を横に振った。


「違うと思います」


グリムヴァルドは少し驚いた顔をした。


「何故だ?」


ザインは墓を見る。


そして静かに言った。


「本当にどうでも良かったなら」


「ここに来てない」


「……」


「忘れたいままだったと思います」


グリムヴァルドは何も言わなかった。


ただ。


しばらく墓を見つめていた。


やがて。


小さく笑う。


「そうかもしれないな」


その声は少しだけ力が抜けていた。


しばらくして。


グリムヴァルドは墓石へ視線を向ける。


昔は見られなかった名前。


思い出したくなかった顔。


聞きたくなかった声。


それらを静かに受け入れるように。


「……ただいま」


ぽつりと漏れた言葉。


それは誰に向けたものでもない。


だが。


何十年もの間。


言えなかった言葉だったのだろう。


夜風が吹く。


墓前に供えられた酒の香りが僅かに漂う。


ザインは何も言わなかった。


言葉はいらない気がした。


だから。


ただ隣に座る。


それだけだった。


グリムヴァルドも何も言わない。


ただ。


二人で静かな墓地を眺めていた。


月明かりの下。


ようやく帰って来られた者と。


その帰りを待ち続けていた二つの墓だけが。


そこにあった。


月明かりが墓石を照らしていた。


風が吹く。


木々が揺れる。


静かな夜だった。


グリムヴァルドの言葉を聞いた後。


ザインは想像していた。


夫。


息子。


失われた家族。


何十年も向き合えなかった後悔。


その重さを想像してしまう。


自然と表情も硬くなっていた。


そんなザインを見て。


グリムヴァルドはふっと笑った。


そして。


ぽん。


優しく頭へ手を置く。


「そんな顔をするな」


そう言って。


ゆっくりと髪を撫でた。


短く整えられた白髪。


その根元に少しずつ戻り始めた黒髪。


グリムヴァルドはそれを見ながら目を細める。


「今はな」


穏やかな声だった。


「お前の成長が嬉しく思うよ」


少しだけ手を止める。


そして。


昔の呼び名ではなく。


今度ははっきりと。


「ジン」


そう呼んだ。


ザインは少し目を見開く。


グリムヴァルドは墓へ向き直る。


酒瓶を持ち上げる。


そして。


まるでそこに二人がいるように話しかけた。


「見ただろう?」


「こいつは本当に手の掛かる奴なんだ」


苦笑する。


「怪我ばかりする」


「無茶ばかりする」


「放っておくとろくな事にならない」


どこか楽しそうだった。


「だが」


少しだけ笑みを深くする。


「強くなった」


「本当に強くなったよ」


墓石へ向ける眼差しは優しい。


長い年月を越えて。


ようやく向き合えるようになった家族へのものだった。


そして。


静かに続ける。


「私にも今は家族がいる」


風が吹く。


墓前の草が揺れる。


「血は繋がっていない」


「だが」


「それでも家族だと思っている」


その言葉に。


ザインは何も言えなかった。


ただ。


胸の奥が少し熱くなる。


グリムヴァルドは墓石へ酒を少し供える。


そして。


小さく笑った。


「だから安心してくれ」


「私はもう一人じゃない」


月明かりの下。


その横顔は少しだけ穏やかだった。


何十年も。


何百年も抱えてきた痛みが。


ほんの少しだけ軽くなったように。


グリムヴァルドは静かに墓石を見つめていた。


そして。


ザインもまた。


何も言わずその隣に座り続けた。


今はそれで十分だった。

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