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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
183/197

水煙草を

赤黒い風刃が消えた後も。


その場には静寂が残っていた。


倒れた木々。


真っ二つになった標的。


抉られた地面。


ジンはそれを見ながら。


義手を握ったり開いたりしていた。


「……前より強いな」


小さく呟く。


以前から。


義手で放つ魔術は強化されていた。


だから驚きはしない。


だが。


ここまでの威力は初めてだった。


義手の完成度が上がった影響なのか。


魔眼の影響なのか。


それは分からない。


その時だった。


「……ねぇ」


ネフェリアの声が聞こえた。


いつもの調子ではない。


ジンが振り返る。


ネフェリアは。


義手を見ていた。


正確には。


そこから未だに薄く漏れ出している紫色の魔力を。


その表情は強張っていた。


眼鏡の奥の瞳には。


明らかな警戒と困惑が浮かんでいる。


「貴方……」


少し掠れた声だった。


「人間よね?」


ジンは目を瞬かせる。


その質問は。


何度か受けた事があった。


レヴィアナにも。


族長にも。


そして。


自分自身にも。


答えは分からない。


だから。


ジンは少し困ったように笑った。


「多分」


「多分?」


ネフェリアが固まる。


「いや……」


「人間だとは思うんですけど」


「思うんですけど?」


余計に不安になる返答だった。


ネフェリアは思わず一歩下がる。


義手を見る。


赤黒い魔術を思い出す。


そして。


もう一度ジンを見る。


どう見ても東方の青年だ。


だが。


先程の魔力だけは。


どう見ても普通ではなかった。


グリムヴァルドも黙っていた。


レヴィアナからの報告は聞いている。


義手から放たれる異質な魔術。


紫色の魔力。


魔族因子。


知識としては知っていた。


だが。


実際に目の前で見るのは初めてだった。


想像以上だった。


グリムヴァルドですら。


僅かに表情を険しくしている。


そして。


静かに口を開いた。


「ザイン」


「はい?」


「人前でそっちの魔術は控えよ」


その声音は真剣だった。


ジンもすぐに察する。


「……やっぱりまずいですか」


「まずい」


即答だった。


グリムヴァルドは倒れた木々を見る。


「威力の問題ではない」


そして。


義手から漏れる紫色の魔力を見る。


「あれを見て平静でいられる者は少ない」


ネフェリアが何も言わず頷く。


実際。


先程の自分がそうだった。


本能が警戒した。


理屈ではなく。


生き物として。


危険だと感じた。


グリムヴァルドは続ける。


「お主を知る者なら良い」


「じゃが知らぬ者が見れば違う」


「恐れる者もおるじゃろう」


「敵視する者もおる」


ジンは義手を見る。


浅黒い腕。


その内側を流れる紫色の魔力。


少しだけ。


複雑そうな顔になった。


「分かりました」


そう言って。


義手を握る。


すると。


紫色の魔力はゆっくりと薄れていった。


だが。


ネフェリアだけはまだ義手を見ていた。


研究者として。


恐怖と同じくらい。


強烈な興味を抱いていたからだった。


「……後で詳しく聞かせなさい」


「どっちです?」


「全部」


即答だった。


どうやら。


今夜も長くなりそうだった。



その後。


検査を終えた一行は研究所のリビングへ戻っていた。


大きな窓からは海が見える。


夕暮れが近いのか。


橙色の光が部屋を照らしていた。


ジンはソファへ腰を下ろす。


正直。


疲れていた。


朝から検査。


魔眼の確認。


魔術の確認。


義手の確認。


休養のはずだった。


どう考えても休養ではない。


そんな事を考えていると。


目の前へ見慣れたものが置かれる。


ごとり。


水煙草だった。


「はい」


ネフェリアが当然のように言う。


「吸って」


「またですか」


「またよ」


即答だった。


ジンはため息を吐く。


ネフェリアは慣れた手付きで炭を調整していた。


甘い香りが漂う。


昨日とは少し違う。


果実の香りに。


どこか花のような香りも混ざっていた。


「今日は調合変えてるから」


「そうなんですか」


「今日は回復重視」


ネフェリアは胸を張る。


「魔力循環」


「疲労回復」


「炎症抑制」


「精神安定」


「あと少しだけ眠気」


「少しだけ?」


ジンが嫌な顔をする。


ネフェリアは視線を逸らした。


信用出来なかった。


だが。


吸わないという選択肢は無いらしい。


ジンは観念して吸い口を手に取る。


ごぽり。


静かな水音が響く。


甘い煙が肺へ流れ込む。


身体の力が抜けていく。


今日一日の疲れが少しずつ解けていくようだった。


「どう?」


ネフェリアが聞く。


「……美味しいです」


「でしょう?」


満足そうだった。


その横で。


アリア達もそれぞれ椅子へ腰掛けている。


ミーナは窓の外を眺め。


フィリスは持ち込んだ本を読んでいる。


グリムヴァルドは静かに目を閉じていた。


珍しく。


穏やかな時間だった。


ネフェリアだけは。


机へ向かいながら何やら記録を書いている。


時々。


ちらりとジンを見る。


そして書く。


また見る。


そして書く。


「何書いてるんです?」


ジンが聞く。


ネフェリアは答える。


「観察記録」


「何のです?」


「全部」


即答だった。


「魔眼」


「義手」


「魔術」


「蔦」


「あと食事量も調べたい」


「なんでです?」


「気になるから」


研究者だった。


完全に研究対象を見る目だった。


ジンは深く考えるのをやめた。


ごぽり。


もう一度煙を吸う。


甘い香りが広がる。


窓の外では波の音が聞こえていた。


戦いも無い。


追手もいない。


誰も傷付いていない。


そんな穏やかな時間は。


随分久しぶりだった。


「ねぇ」


アリアが口を開く。


「なに?」


「一口ちょうだい」


ジンが瞬きをする。


「吸った事無いんですか?」


「無いわよ」


アリアは首を横に振った。


「そもそも初めて見たもの」


「私も」


ミーナも頷く。


「気になってたんだよね」


その横で。


フィリスが本から顔を上げた。


「南方エルフの嗜好品ですね」


「知ってるの?」


ミーナが聞く。


フィリスは頷いた。


「文献では」


「水を通した煙を吸う事で香りを楽しむ文化だそうです」


「へぇ」


アリアが感心する。


「さすが記録官」


「ですが」


フィリスは少し考える。


「実物を見るのは私も初めてです」


ジンは少し笑う。


確かに。


南方の文化なのだから。


知らなくても不思議ではない。


「どうぞ」


そう言って。


吸い口をアリアへ差し出した。


「ありがと」


アリアは受け取る。


そして。


恐る恐る吸った。


ごぽり。


煙が水を潜る音。


次の瞬間。


アリアは首を傾げた。


「……あら?」


煙を吐く。


甘い香りが広がる。


「何これ」


「どうです?」


ジンが聞く。


アリアは少し考える。


もう一度吸う。


ごぽり。


「美味しい……のかしら?」


「分からない?」


「分からない」


真面目な顔で頷いた。


ジンは思わず笑う。


その反応は割とよくある。


アリアはもう一度煙を吐いた。


「嫌じゃないのよ」


「むしろ好きかもしれない」


「でも何が好きなのか説明出来ない」


「そんな感じ」


「分かります」


ジンも頷いた。


すると。


横からミーナが手を伸ばした。


「次私」


アリアから吸い口を受け取る。


ごぽり。


吸う。


吐く。


そして。


ミーナも首を傾げた。


「……?」


もう一度吸う。


ごぽり。


「何これ」


「だから水煙草」


「そうじゃなくて」


ミーナは真面目な顔だった。


「なんか甘い」


「うん」


「美味しい」


「うん」


「でも煙」


「うん」


「分からん」


全員が少し笑った。


ネフェリアも書き物の手を止めていた。


「初めての人は大体そうなるわね」


「そうなの?」


アリアが聞く。


ネフェリアは頷く。


「お茶でもない」


「酒でもない」


「菓子でもない」


「だから脳が処理に困るのよ」


妙に説得力があった。


ミーナは納得したような。


していないような顔をしている。


そして。


もう一口吸った。


ごぽり。


「……あ」


「どうしたの?」


アリアが聞く。


ミーナは少しぼんやりした顔をしていた。


「力抜ける」


「それはあるわね」


アリアも頷く。


さっきより表情が柔らかくなっている。


ジンは嫌な予感がした。


横を見る。


ネフェリアが視線を逸らした。


「ネフェリアさん」


「なぁに?」


「何入れました?」


「回復薬草とか」


「とか?」


「リラックス系の薬草とか」


「とか?」


「少しだけ眠くなるやつとか」


「少しだけ?」


ネフェリアは黙った。


アリアとミーナが顔を見合わせる。


そして。


再び一口。


ごぽり。


ごぽり。


数分後。


「……」


「……」


二人ともソファへ沈んでいた。


アリアはクッションを抱きしめている。


ミーナは背もたれへ寄り掛かっていた。


「眠い」


「眠いわね」


完全に術中だった。


ネフェリアだけが満足そうに頷く。


「よし」


「よしじゃないですよ」


ジンが突っ込む。


その横で。


フィリスは興味深そうに水煙草を眺めていた。


そして。


静かに口を開く。


「私も試してみても?」


ネフェリアの目が輝いた。


どうやら。


被験者が一人増えたらしかった。


フィリスはしばらく水煙草を眺めていた。


文献では読んだ。


南方エルフの嗜好品。


香りを楽しみ。


心身を落ち着かせる文化。


だが。


実際に触れるのは初めてだった。


「どうぞ」


ジンが吸い口を差し出す。


フィリスは小さく頷いた。


「ありがとうございます」


そして。


恐る恐る吸う。


ごぽり。


静かな水音が響く。


肺へ煙が入る。


甘い香りだった。


果実にも似ている。


花にも似ている。


だが。


どちらとも違う。


不思議な香りだった。


「……なるほど」


フィリスはゆっくり煙を吐く。


白い煙が空中へ溶けていく。


そして。


もう一度吸った。


ごぽり。


今度は少し長めに。


すると。


フィリスの表情が僅かに変わった。


「どう?」


アリアが聞く。


フィリスはすぐには答えなかった。


目を閉じる。


身体の内側へ意識を向ける。


そして。


少し驚いたように目を開いた。


「魔力が……」


「ん?」


ネフェリアが反応する。


「循環しています」


フィリスは自分の胸元へ手を当てる。


「正確には」


「流れが整っている感覚でしょうか」


もう一度煙を吐く。


身体の奥。


普段は意識しない魔力の流れ。


それが。


穏やかに巡っているのを感じた。


「へぇ」


ネフェリアが頷く。


「ちゃんと効いてるみたいね」


「薬草ですか?」


「薬草よ」


「南方産のね」


フィリスは感心したように水煙草を見る。


「文献では読んでいましたが」


「実際に体験すると印象が変わりますね」


そう言って。


もう一度吸う。


ごぽり。


甘い香り。


穏やかな水音。


身体の力が抜けていく。


魔力も落ち着いていく。


まるで。


長時間の瞑想を終えた後のようだった。


「……良いですね」


フィリスがぽつりと呟く。


その言葉に。


ネフェリアが満足そうに頷いた。


「でしょう?」


「南方の文化は意外と侮れないのよ」


その横では。


アリアがクッションを抱えながらうとうとしている。


ミーナは完全にソファへ沈んでいた。


ジンもどこか眠そうだ。


フィリスはそんな光景を見て。


少しだけ口元を緩める。


穏やかだった。


戦場でも。


聖騎士団でも。


こんな時間はなかなか無かった。


だからこそ。


フィリスはもう一度だけ。


静かに煙を燻らせた。


ごぽり。


その音は。


夕暮れの研究所へ心地よく響いていた。

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