戻ってきた感覚
ジンは何も言わなかった。
ただ。
新たに構築された左腕を見つめる。
ゆっくりと拳を握る。
そして開く。
その動きを何度も繰り返した。
失われたはずの感覚。
もう戻らないと思っていたもの。
それが今。
確かに戻り始めていた。
その様子を見ていたアリア達から。
小さく声が漏れる。
「……」
誰もすぐには言葉を発せなかった。
アリアはその腕を見ていた。
ただ黙って。
ジンの左腕を。
自由に動く左腕を。
見ていた。
あの日の事を思い出してしまう。
聖王国。
魔道砲。
命令。
そして。
失われた左腕。
止められなかった。
守れなかった。
今でも夢に見る。
だからこそ。
今。
そこに腕がある。
それだけで胸が詰まりそうだった。
アリアはそっと口元を押さえる。
そして。
小さく笑った。
涙が出そうになるのを誤魔化すように。
「……良かった」
それだけだった。
それ以上は言えなかった。
ミーナもまた。
その腕を見つめていた。
彼女は昔の義手を知らない。
だから比較は出来ない。
だが。
ずっと左腕の無かったジンは知っている。
だからこそ。
そこに腕がある。
ただそれだけで。
胸が温かくなる。
「……腕だ」
思わずそんな言葉が漏れた。
自分でも変な感想だと思った。
だが。
他に言葉が見付からない。
ミーナは少しだけ笑う。
「なんか……」
「嬉しいね」
素直な言葉だった。
フィリスは静かに義手を見つめていた。
記録官として。
そして仲間として。
ジンが失ってきたものを知っている。
左腕。
左目。
平穏な日々。
数え切れないほどのものを。
その全ては戻らない。
だが。
今目の前にある左腕は。
確かに前へ進んでいる証だった。
フィリスは静かに頷く。
「良かったです」
短い言葉だった。
だが。
そこには確かな安堵があった。
三人とも。
あの日の事を忘れてはいない。
止められなかった事実も。
許された訳ではない。
きっと。
自分達自身が完全に許せる日など来ないのかもしれない。
それでも。
目の前で自由に動く左腕を見ていると。
ほんの少しだけ。
救われた気持ちになった。
まるで。
ジンが前へ進めているのだと。
そう言ってくれているようで。
三人はしばらく。
何も言わず。
その左腕を見つめていた。
その後も。
魔術の検査は続いた。
「次」
ネフェリアが紙束をめくる。
「まだあるんですか……」
ジンが思わず呟く。
「あるわよ?」
ネフェリアは不思議そうな顔をした。
まるで当然だった。
ジンは諦めた。
こうなった研究者は止まらない。
ネフェリアは羽根ペンを構える。
「使える魔術を順番に見せて頂戴」
「全部ですか?」
「全部」
即答だった。
「攻撃魔術も」
「補助魔術も」
「生活魔術も」
「南方魔術も」
「全部」
ジンは苦笑する。
「分かりました」
まずは得意の風刃。
風が唸り。
刃となって標的へ飛ぶ。
続いて火球。
氷槍。
石礫。
どれも以前より安定していた。
火球は狙った位置へ。
氷槍は真っ直ぐ飛び。
石礫は驚くほど正確に標的へ命中する。
ネフェリアの羽根ペンが止まらない。
さらさらさらさら。
「ふむふむ」
「なるほど」
「面白い」
完全に研究者だった。
そして。
一通り西方魔術が終わる。
「他には?」
ネフェリアが聞く。
「南方魔術も少し」
その言葉に。
ネフェリアの眉が上がる。
「へぇ?」
少し興味を示した。
ジンは収納魔術を発動する。
空間へ魔力を流し込む。
収納。
取り出し。
どちらも滑らかだった。
以前よりも引っ掛かりが無い。
「なるほど」
ネフェリアが頷く。
「空間系も問題なし」
そして。
さらにジンは続ける。
地面へ魔力を流した。
すると。
土がもぞりと動く。
「ん?」
ネフェリアが首を傾げる。
次の瞬間。
一本の蔦が顔を出した。
うにょん。
「……何それ」
ネフェリアが固まる。
さらに。
もう一本。
うにょん。
もう一本。
うにょん。
蔦は次々と姿を現す。
そして。
うにょうにょとジンの周りへ集まり始めた。
「なにそれ」
「初めて見た」
ネフェリアの目が輝く。
完全に食い付いた。
一本が義手へ巻き付く。
もう一本が肩へ絡む。
さらに一本が頭の上で揺れる。
うにょん。
うにょん。
「……元気ですね」
ジンが苦笑する。
蔦達は明らかに以前より元気だった。
葉は瑞々しく。
動きも軽やか。
魔力も安定している。
まるで。
主人の回復を喜んでいるようだった。
「植物系の魔術って」
ネフェリアがメモを取りながら言う。
「術者の状態が結構反映されるのよ」
グリムヴァルドが腕を組む。
「つまり」
「かなり調子が良いという事か」
ネフェリアは頷いた。
「ええ」
「それもかなりね」
その間にも。
蔦は元気に揺れている。
一本は義手へ。
一本は肩へ。
一本は頬へ伸びてくる。
まるで。
長い間会えなかった主人を歓迎するように。
あるいは。
失われていた何かを取り戻した事を祝福するように。
うにょん。
と。
一本の蔦がジンの頬を軽く突いた。
ジンは思わず笑う。
そして。
それを見たアリア達もまた。
少しだけ安心したような顔をしていた。
蔦達ですら。
今のジンが以前より良い状態だと分かっているようだった。
そして。
ふとレヴィアナの言葉を思い出した。
――ソラウって子はね。
――花弁を刃にして飛ばす魔術を使うのよ。
以前。
それを聞いた時も試した事があった。
結果は。
花になった。
綺麗な花の形を作って終わった。
それだけだった。
だが。
今は違う。
魔眼を得た。
魔力操作も向上している。
義手だって作れるようになった。
なら。
今なら出来るかもしれない。
「……もう一回」
ぽつりと呟く。
「何が?」
ミーナが聞く。
「昔失敗したやつです」
ジンはそう答えると。
蔦達へ意識を向ける。
花。
花弁。
刃。
曖昧なイメージを思い浮かべながら魔力を流し込む。
すると。
蔦達がぴたりと止まった。
「お?」
ミーナが身を乗り出す。
次の瞬間。
シュピン!
蔦達が勢いよく動く。
そして。
空中で絡まり。
曲がり。
綺麗な花の形を作った。
「……」
全員が黙る。
以前と全く同じだった。
蔦達は満足そうだった。
どう見ても満足そうだった。
ジンはしばらくその花を見上げる。
そして。
小さく息を吐いた。
「まぁ……」
蔦達が揺れる。
うにょん。
うにょん。
「お前は蔦だもんな」
その言葉に。
蔦達は何故か嬉しそうに揺れた。
うにょうにょと。
まるで褒められたと思ったかのように。
「褒めてないんだけどな」
ジンは苦笑する。
一本の蔦が肩へ巻き付く。
もう一本が義手へ絡む。
うにょん。
うにょん。
まるで。
『それで良いじゃないか』
そう言っているようだった。
アリアが小さく笑う。
ミーナも吹き出していた。
フィリスも僅かに口元を緩める。
ネフェリアは必死に何かを書いていた。
「植物系魔術に人格的反応あり……」
「書かなくていいです」
ジンが即座に突っ込む。
その間も。
花の形を作った蔦達は。
どこか誇らしげに揺れていた。
その間も。
花の形を作った蔦達は。
どこか誇らしげに揺れていた。
ジンは苦笑しながらそれを眺める。
そして。
ふと義手へ視線を落とした。
浅黒い魔力の腕。
以前とは比べ物にならないほど自然な腕。
指も動く。
関節もある。
なら。
「……そういえば」
ぽつりと呟く。
「ん?」
ネフェリアが顔を上げる。
「義手の方でも試してみます」
アリア達も視線を向ける。
ジンは義手を前へ突き出した。
魔力を流す。
風刃。
慣れた魔術だった。
義手から魔術を放つ事自体は初めてではない。
左腕を失ってから。
何度も使ってきた。
普通の腕で放つより。
威力が増す。
代わりに。
禍々しい魔力が混じる。
そんな特徴があった。
ひゅるり。
風が集まり始める。
その瞬間だった。
ネフェリアの手が止まる。
グリムヴァルドも眉をひそめる。
二人の目には見えていた。
義手から滲み出る紫色の魔力。
どろりとした。
不気味な魔力。
空気そのものが重くなるような感覚。
ネフェリアの背筋に寒気が走る。
「それ……」
思わず声が漏れる。
だが。
ジンは慣れた様子だった。
そして。
義手を振る。
風刃が放たれる。
だが。
それは普通の風刃ではなかった。
赤黒い。
血の色にも似た刃。
黒い魔力を纏った風刃が飛ぶ。
轟音。
標的へ着弾する。
いや。
貫通した。
木製の標的を引き裂き。
そのまま後方へ突き進む。
柵を断ち。
さらに木々へ到達する。
ずばん。
ずばん。
ずばん。
木々が次々と倒れていく。
そしてようやく。
風刃は消滅した。
静寂。
ネフェリアが固まっている。
グリムヴァルドも黙っていた。
ジンは倒れた木々を見る。
そして。
義手を見た。
「……前より強いな」
小さく呟く。
以前から強化される事は知っていた。
だが。
ここまでではなかった。
義手そのものの完成度が上がった影響なのか。
あるいは。
魔眼の影響なのか。
ジンには分からない。
ただ一つ分かるのは。
義手の中に流れるあの禍々しい力もまた。
以前より濃くなっているという事だった。
そして。
ネフェリアはようやく口を開く。
「……ねぇ」
「はい?」
「それ」
「昔から?」
ジンは首を傾げる。
「そうですけど」
ネフェリアは頭を抱えた。
その横で。
グリムヴァルドだけが険しい表情で義手を見つめていた。




