義手を…
翌朝。
ジンは早朝から叩き起こされていた。
正確には。
ネフェリアに捕まった。
「おはよう!」
元気だった。
朝からやたら元気だった。
ジンはまだ眠い。
アリアも眠そうだった。
ミーナも欠伸をしている。
フィリスだけは慣れているのか平然としていた。
そして。
気付けば研究所の診察室らしき場所へ連行されていた。
「じゃあ検査するわね」
ネフェリアが言う。
机の上には大量の紙。
羽根ペン。
見た事もない魔道具。
嫌な予感しかしない。
「まず視界」
即座に始まった。
「何が見える?」
「どこまで見える?」
「色は?」
「熱は?」
「暗闇では?」
「疲れる?」
「どれくらいで切れる?」
質問が止まらない。
ジンは一つずつ答えていく。
ネフェリアは猛烈な勢いでメモを取る。
さらさらさらさら。
紙がどんどん埋まっていく。
「次」
休む暇も無い。
「痛みは?」
「まだ少し」
「どんな痛み?」
「奥が熱い感じです」
「なるほど」
さらさらさら。
「痒みは?」
「無いです」
「目の周りの腫れは?」
ネフェリアが顔を近付ける。
ぐいっと瞼を持ち上げる。
「んー」
右から見る。
左から見る。
上から見る。
下から見る。
完全に研究対象を見る目だった。
「腫れは少ないわね」
「良好良好」
さらに。
瞳孔反応。
視力検査。
距離感の確認。
魔力循環測定。
果ては。
「採血するわ」
「え?」
ジンが固まる。
「血液検査」
「なんでですか?」
「魔眼移植後だから」
当然のように返された。
反論出来る空気ではない。
しばらくして。
ジンは腕を押さえていた。
採血された。
普通に採血された。
「必要なんですかこれ……」
「必要よ」
ネフェリアは即答する。
「拒絶反応」
「魔力変質」
「血液組成変化」
「全部確認しないと」
そして。
血の入った試験管を光に透かす。
「ふむ」
真面目な顔になる。
研究者の顔だった。
ジンはぐったりしていた。
朝から戦闘した方が楽なのではないか。
そんな事を思い始めていた。
アリアが苦笑する。
「お疲れ様」
「ありがとうございます……」
ミーナも同情するような顔をしていた。
フィリスは小さく頷く。
「順調そうで何よりだ」
その言葉だけが救いだった。
だが。
ネフェリアはまだ終わっていなかった。
「よし」
満足そうに頷く。
「午前の検査終了」
ジンは安堵する。
終わった。
そう思った。
だが。
次の瞬間。
ネフェリアは紙束をめくる。
「じゃあ午後の検査予定だけど」
ジンは天井を見上げた。
まだあるのか。
そう思いながら。
静かに目を閉じた。
午後。
ジンは再び研究所の一室から連れ出されていた。
午前中だけで既に疲れている。
視力検査。
採血。
魔力測定。
質問攻め。
戦闘訓練の方が楽だったかもしれない。
そんな事を考えている横で。
ネフェリアは上機嫌だった。
「ふふふーん」
鼻歌まで歌っている。
「さて」
ネフェリアが手を叩く。
「午後は魔術の検査ね」
「魔術ですか?」
「ええ」
眼鏡を押し上げる。
「魔眼が魔力循環に影響していないか」
「照準に変化があるか」
「距離感は改善したか」
「その辺りを見るわ」
一行は研究所の裏庭へ移動した。
そこには小さな訓練場があった。
木人。
的。
魔術用の標的。
簡易的な防御結界。
派手な設備ではない。
だが。
魔術の確認や簡単な訓練が出来るよう、綺麗に整理されていた。
「まずは簡単な魔術から」
ネフェリアが言う。
ジンは頷く。
右手を前へ出した。
指先へ魔力を集める。
ひゅるり。
空気が渦を巻く。
ジンにとって扱い慣れた魔術。
風の刃だった。
左目で標的を見る。
距離。
輪郭。
位置。
不思議な感覚だった。
まるで。
標的との間にあった僅かな隔たりが消えたような。
今まで無意識に行っていた距離の補正が必要ない。
そんな感覚。
「行きます」
指を振る。
風刃が放たれた。
空気を裂きながら飛ぶ。
そして――
ぱしん。
風刃は迷いなく。
標的の中心へ突き刺さった。
ジンが目を見開く。
「え……?」
思わず声が漏れた。
今のは偶然ではない。
手応えがあった。
狙った場所へ。
当たり前のように飛んでいった。
以前なら。
ほんの僅かにずれた。
片目になってからは特にそうだった。
距離感を補うため。
感覚で修正しながら戦っていた。
だが。
今は違う。
驚くほど自然だった。
「もう一回」
ネフェリアが即座に言う。
ジンは頷く。
再び風刃を形成する。
放つ。
ぱしん。
中心。
もう一発。
ぱしん。
中心。
さらにもう一発。
ぱしん。
中心。
ジンは完全に驚いていた。
「……当たる」
ぽつりと漏れる。
「当たり前のように」
その声には戸惑いすら混じっていた。
ネフェリアの羽根ペンが凄まじい勢いで走る。
さらさらさらさら。
「なるほど」
「面白いわね」
グリムヴァルドも腕を組んだまま頷く。
「距離感も戻ってきているのか」
フィリスも感心したように標的を見る。
アリアは少し嬉しそうだった。
ジン自身が一番分かっている。
今まで失われていたもの。
諦めていたもの。
それが。
確かに少し戻ってきていた。
ネフェリアが猛烈な勢いで記録を書き続ける中。
グリムヴァルドは腕を組みながらジンを見ていた。
風刃は正確に標的へ命中している。
以前より明らかに安定していた。
そして。
ふと口を開く。
「ザイン」
「はい?」
「義手を展開してみろ」
ジンは一瞬動きを止めた。
義手。
その言葉に。
自然と左肩へ視線が向く。
「あ……」
左目を失ってから。
一度も出来なくなったものだった。
形が崩れる以前の問題。
魔力が集まらない。
輪郭を作れない。
左腕として認識出来ない。
だから。
構築そのものが不可能だった。
「……やってみます」
ジンは左肩へ意識を向ける。
魔力を流す。
以前なら。
ここで途切れていた。
だが。
今は違った。
魔力が肩口へ集まる。
ゆっくりと形を取り始める。
肩。
上腕。
肘。
前腕。
手首。
そして指。
魔力は途中で霧散しない。
崩れない。
まるで最初からそこに設計図があったかのように。
滑らかに形を成していく。
やがて。
そこに現れたのは。
ジンも見た事のない義手だった。
浅黒い色をした腕。
肩から指先まで自然に繋がる輪郭。
肘の関節。
手首の曲線。
筋肉の流れを思わせる凹凸。
人間の腕だった。
完全ではない。
近くで見れば魔力で構築されたものだと分かる。
それでも。
以前とは全く違った。
今まで構築出来ていたとしても。
それは真っ黒で。
のっぺりとしていて。
どこか異形だった。
腕というより。
腕の形をした何か。
そんな代物だった。
だが。
今そこにあるものは違う。
人の腕に見えた。
失う前の左腕を。
どこか思い出させるほどに。
「……」
ジンは言葉を失う。
恐る恐る指を曲げる。
握る。
開く。
手首を回す。
動く。
驚くほど自然に。
そして。
思わず笑みが漏れた。
「できた……」
小さな声だった。
だが。
そこには驚きだけではない。
確かな喜びがあった。
失った腕は戻らない。
それは分かっている。
だが。
ずっと異物のようだった義手が。
初めて自分の身体の一部に見えた。
そんな気がした。
アリアも目を見開いていた。
ミーナは口元を押さえる。
フィリスも静かにその腕を見つめている。
そして。
ネフェリアが勢いよく立ち上がった。
「ちょっと待って!」
眼鏡がずれるのも気にしていない。
「何それ!?」
「朝の記録に無いんだけど!?」
慌てて新しい紙を取り出す。
羽根ペンが再び走り始める。
グリムヴァルドはそんな様子を見ながら静かに頷いた。
「やはりな」
そして。
黄金の左目へ視線を向ける。
「魔眼の恩恵じゃろう」
「恩恵……?」
ジンが義手を見つめたまま呟く。
「視界だけではない」
グリムヴァルドは続けた。
「魔力操作そのものが一段階上がっておる」
「以前のお主なら出来た事も」
「左目を失った事で出来なくなっておった」
「今はその制御を取り戻しつつあるのだろう」
ジンは何も言わなかった。
ただ。
新たに構築された左腕を見つめる。
ゆっくりと拳を握る。
そして開く。
その動きを何度も繰り返した。
失われたはずの感覚。
もう戻らないと思っていたもの。
それが今。
確かに戻り始めていた。




