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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
聖騎士団
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長引く戦闘と負傷

二ヶ月前から続く帝国軍の波状攻撃は、この日も苛烈を極めていた。


砲煙が空を覆い、昼だというのに視界は灰色へ染まっている。


耳を劈く爆音。


焼けた鉄の臭い。


泥と血が混ざった地面。


北方戦線は、もはや消耗戦の様相を呈していた。


第四大隊指揮所。


簡易幕舎の中で、リオーネは険しい表情のまま戦況図を睨み続けていた。


「……また包囲網が狭まってる」


低い呟き。


瑠璃色の瞳が焦燥に揺れる。


彼女が羽織る竜鱗織りの外套は、既に何度も砲弾片を受けて裂けていた。蒼い髪にも煤が付着している。


疲労は限界に近い。


それでも、大隊長として立ち続けなければならなかった。


「後方支援に問い合わせています!」


副官ハリオスが駆け込んでくる。


額には脂汗。


呼吸も荒い。


「ですが……連絡線が断続的に途絶えています!」


「……最悪ね」


リオーネが小さく吐き捨てる。


帝国軍は完全に補給線を狙ってきていた。


兵糧。

医薬品。

矢弾。


どれも不足し始めている。


長期戦になれば聖王国側が圧倒的に不利だった。


リオーネは戦況図から目を離さないまま問い掛ける。


「……ジンは?」


その瞬間、副官の表情が露骨に曇った。


嫌な予感が走る。


「まだ前衛です」


「何ですって?」


「敵先遣隊の釣り出し役を買って出ました」


沈黙。


次の瞬間。


「あの子……また無茶して!」


リオーネが思わず吐き捨てる。


机へ拳を叩きつけた。


地図が震える。


最近のジンは明らかに前へ出過ぎていた。


負傷兵救助。

前線支援。

斥候任務。


どれも危険な役割ばかり自ら引き受ける。


未熟だ。


前衛としてはまだ荒削りで、危うさも多い。


それなのに――


誰よりも前を向いてしまう。


まるで、自分が傷つくことに頓着していないかのように。


「救護班との連携は?」


リオーネが再び尋ねる。


ハリオスは苦い顔のまま答えた。


「第三大隊の負傷率が七割を超えました」


その数字を聞いた瞬間、リオーネの喉が乾く。


七割。


もはや部隊として成立する限界値を超えている。


戦友たちが、次々と倒れていく。


名前を覚える暇もなく。


祈る時間すら無く。


そして、その地獄の最前線へ――


記憶喪失の少年ですら立たされている。


その現実が、胸を締め付けた。


「……よし」


リオーネがゆっくり拳を握る。


迷いを振り切るように。


「私が直接出る」


「閣下!?」


ハリオスが目を見開く。


「危険です!!」


「ハリオス、部隊を預かって」


リオーネは既に外套を翻していた。


槍を掴む。


その動作には一切の躊躇が無い。


「ですが前線は――」


「子供に戦わせておいて」


リオーネが振り返る。


瑠璃色の瞳が静かに燃えていた。


「大人が縮こまってちゃ駄目でしょう?」


冗談めかした口調。


けれど、その奥には強い決意があった。


もう誰も失いたくない。


特に――


あの黒髪の少年だけは。


そう思ってしまっている自分へ、リオーネ自身もまだ気づかないふりをしていた。


「後は頼むわ」


短く言い残し、彼女は幕舎を飛び出す。


外では再び砲撃音が轟いていた。


灰色の戦場へ。


蒼髪の騎士が駆けていく。



二ヶ月に及ぶ防衛戦は、既に限界へ達しつつあった。


北方戦線。


雪解け泥と血が混ざり合った大地には、無数の亡骸が転がっている。


帝国軍の猛攻は止まらない。


昼夜を問わず続く波状攻撃。


聖騎士団の誰もが疲弊していた。


その最前線。


ジンは、もはや孤軍奮闘と言っていい状態だった。


東方短剣が閃く。


ギィン!!


敵兵の槍が弾かれる。


反転。


踏み込み。


切り上げ。


まるで水流のように滑らかな連撃。


記憶は無い。


それでも戦い方だけは、骨の髄まで染み付いていた。


「くそっ……!」


息が乱れる。


肺が焼ける。


聖騎士団で何年鍛えても、実戦の消耗は別格だった。


視界の端では味方が倒れていく。


悲鳴。

怒号。

砲撃。


戦場全体が地獄だった。


その時。


背後から重い金属音が響く。


ジンが振り返る。


帝国重装歩兵隊。


巨大盾を前面へ構え、ジグザグ陣形で接近してくる。


完全に退路を断つ動きだった。


(まずい……!)


焦燥が走る。


だが逃げ道を探す余裕など無い。


ジンは短剣を逆手へ持ち替えた。


迎撃姿勢。


次の瞬間――


「退がれ!!」


怒声。


同時に、紅蓮の火焔のような斬撃が迸る。


ルシャだった。


狼獣人特有の爆発的瞬発力。


長剣が重装歩兵の大盾ごと敵兵を両断する。


「ルシャさん……!」


「喋るな!!」


黄玉色の瞳が鋭く光る。


「あと一撃、この場を凌ぐぞ!!」


言葉と同時。


空から紫電が落ちた。


バリィィン!!


雷鳴。


アリアの雷矢だった。


黄金色に輝く矢尻が敵兵頭上を貫き、周囲へ電流を撒き散らす。


「ジンくん!!」


水色毛並みが戦場の風で乱れる。


猫獣人特有の軽快な跳躍。


まるで戦場を駆ける守護精霊のようだった。


「ありがとう!!」


礼を言う暇もない。


重装歩兵の一人が巨大な鉄槌槍を振り下ろす。


(避け切れない――!)


その瞬間。


巨大な影が前へ飛び込んだ。


「させませんっ!!」


轟音。


ベリアリアの魔導楯が真正面から鉄槌槍を受け止める。


地面が砕けた。


衝撃波で泥と雪が吹き飛ぶ。


普段は穏やかな白衣姿の治癒師。


だが今の彼女は違う。


鬼神の形相だった。


「下がりなさい!!」


怒号。


次の瞬間、楯が反転する。


牛獣人特有の怪力。


重装歩兵がまとめて吹き飛ばされた。


「今のうち!!」


アリアが雷矢を連射する。


紫電が蜘蛛の巣状に広がり、敵兵を次々と痺れさせていく。


「みんな……」


ジンの視界が霞む。


疲労。


そして安堵。


脚が震えていた。


「立てるか!?」


ルシャが腕を掴む。


紅髪には血と煤が付着していた。


「まだ……やれます……」


無理な返答。


ルシャが深く溜め息を吐く。


「相変わらず根性だけは一人前だな」


その時だった。


遠方で鐘楼が鳴る。


警戒信号。


「主力が来てる!! 撤退だ!!」


リオーネの声。


蒼髪を振り乱しながら第四大隊が突入してくる。


「大隊長!!」


ベリアリアが即座に敬礼する。


「撤収経路を確保した!! 急げ!!」


だが、その直後。


前線の一角で悲鳴が上がった。


「橋が!!」


敵榴弾。


架橋が崩落したのだ。


撤退路が断たれる。


孤立する味方部隊。


「……行くしかない」


ジンが槍を拾い上げる。


最年少。


最軽装。


だからこそ殿へ回るべきだと判断した。


記憶は無い。


それでも守るべきものだけは分かる。


「待て!!」


リオーネが肩を掴む。


瑠璃色の瞳が真正面からジンを射抜く。


「私が行く」


「ダメです!!」


思わず叫ぶ。


だがリオーネは静かに首を振った。


「あなたは大事な戦力よ」


一呼吸。


そして小さく続ける。


「……それに、私たちにはそれ以上の意味があるんだから」


意味が分からない。


だが押し切られた。


リオーネは第四大隊を率いて先行する。


その背中を見送るしかなかった。


ジンは負傷者を担ぎ上げる。


アリアとルシャが殿で援護する。


「もうちょいだよ!!」


アリアが叫ぶ。


その瞬間。


地面が震えた。


「ワナか!!」


赤い魔法陣が地中から噴き出す。


次の瞬間、小規模爆裂。


タイミングが悪すぎた。


爆発がジンの右脚を直撃する。


「ぐあああっ!!」


肉が裂ける。


骨が軋む。


少年の身体が地面へ叩き付けられた。


「ジンくん!!」


アリアが駆け寄ろうとする。


だが帝国兵の大太刀が迫る。


「任せろ!!」


ルシャが迎撃へ跳ぶ。


しかし更に後方から槍衾が押し寄せる。


「このままじゃ全滅だ……」


ジンは理解する。


朦朧とした意識の中で。


(誰かを……助けないと……)


立ち上がる。


右脚は既にまともに動かない。


槍を杖代わりにして身体を支える。


左手には短剣。


血が滴る。


それでも――


「退けぇぇっ!!」


突撃。


不完全な姿勢。


それなのに。


その一撃は常識外だった。


東方武術――魂勁。


丹田へ集中した力が血管を巡り、全身を爆発的に加速させる。


短剣の速度が跳ね上がる。


「何だコイツは!?」


敵兵の胴が真っ二つに裂ける。


返り血が舞う。


ジンは止まらない。


本能が命じる。


戦え、と。


「バケモノめ!!」


敵将が大型弩砲を構える。


瘴気を帯びた魔法弾が形成される。


「させない!!」


アリアの雷矢。


魔砲内部を貫通。


暴発。


その隙をルシャが見逃さない。


紅閃。


敵将の首が飛ぶ。


静寂。


束の間の。


「ジンくん……!!」


アリアが振り返る。


ジンが片膝をついていた。


右足首から大量出血。


左脇腹も槍で貫かれている。


「もう……無理です……」


掠れた声。


瞳孔が徐々に濁っていく。


「いやだ……!!」


アリアが泣き叫ぶ。


涙が止まらない。


「待ってて!! 絶対助けるから!!」


必死に退路を探す。


だが周囲は敵だらけだった。


「大丈夫か!!」


ルシャが駆け戻る。


「急げ!! ベリアリアが治療点を――」


「間に合わない……かも……」


アリアの声が震える。


「バカ言うな!!」


その瞬間。


ルシャの背後へ黒い影。


帝国潜伏兵。


短剣が閃く。


「しまっ――」


間に合わない。


だが。


ガッッ!!


衝撃音。


潜伏兵の首が爆ぜ飛んだ。


紫煙の向こう。


長身の影。


「間に合ったわ」


リオーネだった。


蒼髪が揺れる。


瑠璃色の瞳が殺気に染まっていた。


「ジン……!?」


彼女が駆け寄る。


血溜まり。


低下する体温。


「意識消失ギリギリ……」


ベリアリアの声が震える。


「まだ生きてるか!?」


ルシャが吠える。


「肺活動正常。血管破綻あり……止血すれば……!」


ベリアリアの指先が光る。


高等治癒術。


止血術式。


翡翠色の光が血流を強引に繋ぎ止めていく。


「これで……暫くは……」


ベリアリアが深く息を吐く。


全身から汗が流れていた。


「撤退!!」


ルシャの号令。


部隊が一斉に動き出す。


ジンはアリアへ背負われながら、虚空を見つめていた。


生と死の狭間。


「連れて帰る……絶対!!」


アリアが泣きながら叫ぶ。


「当たり前だ」


リオーネが自らの蒼い外套を裂き、止血帯を作る。


そして、ジンの額へ触れながら小さく呟いた。


「この子には……まだ、たくさん教えたいことがあるんだから」



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