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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
聖騎士団
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少年の居場所

翌日の奇襲は、想像を遥かに超える苛烈さだった。


まだ陽も昇り切らぬ早朝。


北方森林地帯から帝国軍本隊が雪崩れ込んでくる。


黒い波だった。


重装歩兵。

長槍兵。

騎馬隊。

後方には魔導砲兵まで見える。


当初の予測戦力を明らかに上回っていた。


「各員散開!! 遮蔽を利用しろ!!」


ハインリヒの怒声が戦場へ轟く。


魔力循環術によって強化された肉体が淡く発光し、まるで鋼鉄の巨人のような威圧感を放っていた。


聖騎士団も即座に散開する。


だが帝国側の圧力が強すぎる。


前線は既に半壊しかけていた。


ジンは灌木林を縫うように駆ける。


泥。

雪解け水。

血。


足場は最悪だった。


それでも身体は止まらない。


記憶はない。


だが戦場で生き残る術だけは、肉体へ深く刻み込まれていた。


木々の陰を利用し、敵視線を切りながら陣形を攪乱する。


まるで獣のような動きだった。


「いたぞ!!」


帝国兵の怒号。


「黒髪の悪魔だ!!」


次の瞬間、無数の短槍が飛来する。


ジンは地面を滑るように体勢を低くした。


東方武術特有の重心移動。


最小限の動きだけで投槍を回避していく。


一本。

二本。

三本。


髪を掠める鉄槍。


それでも一切止まらない。


「させるか!!」


突然、背後から紅い影が飛び出した。


ルシャだった。


紅蓮の髪を翻しながら長剣を振り抜く。


ザンッ!!


帝国兵の首が宙を舞う。


黄玉色の瞳が獰猛に輝いていた。


「下がれ!!」


怒鳴る。


「お前を守るのが私の使命だ!!」


「ルシャさんこそ――」


言い終わる前に、狼獣人の爪が別の敵兵の喉を裂いた。


鮮血が霧雨のように飛び散る。


戦場の臭いがさらに濃くなる。


「行くぞ!!」


ルシャに促され、ジンは再び森林奥へ走る。


途中何度も敵兵と遭遇する。


だが数が多すぎた。


そして――


「囲まれたか……」


ルシャが低く呟く。


周囲には帝国兵。


完全包囲。


狼獣人は即座にジンを背中へ庇い、剣を構える。


覚悟を決めた空気だった。


その時。


前方の帝国兵が突然吹き飛んだ。


「第四大隊!! 突破口を作れ!!」


凛とした号令。


蒼い髪が戦場を駆け抜ける。


リオーネだ。


瑠璃色の瞳が鋭く揺れている。


彼女率いる第四大隊が槍陣を突き破ってきたのだ。


長槍が閃く。


帝国兵が次々と倒れる。


「ジン!!」


リオーネが叫ぶ。


その声には明らかな焦燥が滲んでいた。


「生きてる!?」


「はい!!」


返答した瞬間、戦局が動く。


第四大隊が帝国第一線を強引に押し崩した。


包囲が一瞬だけ乱れる。


「退却する!!」


ルシャが吠える。


「殿は任せろ!!」


ジンの腕を掴もうとした――その時だった。


「待って!!」


ジンが突然振り返る。


視界の端。


倒れている騎士がいた。


右腕を失っている。


大量出血。


既に地面が真っ赤に染まっていた。


「危険だ!!」


ルシャが怒鳴る。


だがジンは止まらない。


「ミランダさん!!」


猪獣人の女性騎士。


訓練生時代、何度も面倒を見てくれた相手だった。


「ぐっ……ジン……か……」


掠れた声。


ミランダが震える左手を伸ばす。


「お願いだ……死にたくない……」


その言葉に、ジンの瞳が揺れた。


「助けます」


即答だった。


迷いが無い。


東方短剣を抜く。


すぐに止血位置を探り始めた。


血管。

筋肉。

神経。


戦場医療で叩き込まれた知識が脳内で高速回転する。


「よせ!!」


ルシャが叫ぶ。


だがリオーネが静かに彼女の肩を掴んだ。


「あの子を信じて」


その一言で、ルシャが言葉を失う。


周囲では戦闘音が続いていた。


怒号。

剣戟。

悲鳴。


だがジンだけは異様な集中を見せていた。


指先が白くなる。


血流を追う。


損傷部位を探る。


そして――


「ここだ……!!」


叫ぶ。


同時に、ジンの掌が淡い緑光を放った。


血管が微かに脈動する。


流れ出ていた血が、急速に止まり始めた。


「まさか……」


リオーネが目を見開く。


「止血術式……!?」


本来なら正式な治癒術師しか扱えない技術だった。


ジンは脂汗を流しながら肩で息をする。


顔色が悪い。


今にも倒れそうだった。


「間に……合いました……」


掠れた声。


それでもミランダへ視線を向ける。


「動けますか……? 血を止めただけですが……」


ミランダは呆然としていた。


失血で霞んでいた視界が少し戻っている。


「ああ……」


低い声。


「感謝する……」


口調が柔らかかった。


命を救われた重みを理解している声音だった。


「行こう!!」


第四大隊が周囲を制圧し始める。


撤退路が開いた。


団員たちが次々と後退を開始する。


ジンも合流した瞬間、周囲から歓声が飛んだ。


「よくやった!!」


「本当に成長したな!!」


「さすが黒髪小僧だ!!」


様々な声。


ジンは困ったように小さく笑う。


「みなさんのおかげです……」


その言葉は、決して謙遜ではなかった。


本当にそう思っていた。



前線基地へ戻った頃には、空は完全に夜へ沈んでいた。


仮設野営地の各所で篝火が燃えている。


だが、その灯火に安堵の空気は薄い。


負傷兵の呻き声。

治癒術式の光。

血臭。


医療テント周辺は休む暇すら無かった。


次々と運び込まれる傷兵。


止血。

縫合。

魔術治療。


疲弊した医療班たちが慌ただしく走り回っている。


その中心に、ジンの姿もあった。


「ジンくん、ありがとう!」


包帯を巻かれた騎士が笑顔を向ける。


肩を裂かれている。


それでも、その表情には生気が戻っていた。


「助かったよ、本当に」


以前なら、彼が戦場へ出ることへ反対していた騎士も多かった。


記憶喪失の子供。


東方出身の異邦人。


危険すぎる、と。


だが今は違う。


彼が何度も命を繋いできたことを、皆が知っていた。


「気にしないでください」


ジンは少し照れたように頬を掻く。


血に濡れた手袋。


疲労で震える指先。


それでも、その笑みだけは不思議と柔らかかった。


記憶は戻らない。


それでも。


人の心を温かくする方法だけは、身体が覚えていた。


「ジンくーん! こっちお願い!」


医療テント奥からアリアが手を振る。


肩へ矢傷を受けている。


包帯交換の途中らしかった。


「痛みますか?」


ジンが慎重に包帯を解いていく。


矢傷周辺は赤黒く腫れていた。


「平気平気!」


アリアが笑う。


明るすぎるくらいの声だった。


「これくらいで泣いてたら前線なんか立てないって!」


そう言いながらも、包帯が傷へ触れる度に耳がぴくぴく動いている。


完全に痩せ我慢だった。


周囲の団員たちが思わず吹き出す。


「強がるなよ」


「さっき半泣きだったくせに」


「うるさいなー!!」


アリアが顔を赤くする。


そのやり取りだけで、医療テントの空気が少し柔らかくなった。


戦場で恐怖を忘れる瞬間。


それは、案外こういう小さな時間だった。



夜半。


ようやく慌ただしさが落ち着いた頃。


ジンたちは焚き火を囲んでいた。


北方の夜空には無数の星が浮かんでいる。


風は冷たい。


だが炭火の熱が、その寒さを少しだけ和らげていた。


「……今日の件で、少し考えが変わった」


不意にルシャが口を開く。


紅蓮の髪が火の光を受けて揺れる。


彼女は焚き火を見つめたまま続けた。


「あのまま放置していれば死者一名」


低い声。


「だが助けたことで、部隊全体の士気が上がった」


一呼吸置く。


「……合理的な選択だった」


ぶっきらぼうな言い方。


けれど、それはルシャなりの最大級の評価だった。


ジンは少し目を丸くした後、静かに頭を下げる。


「ありがとうございます」


真っ直ぐな礼だった。


ルシャは少しだけ居心地悪そうに鼻を鳴らす。


「礼には及びません」


今度はベリアリアが咳払いした。


牛獣人の大きな角が焚き火に照らされる。


「私たち全員、あの場にいたら同じことをしていました」


穏やかな声。


その言葉へ、周囲の騎士たちも静かに頷く。


「そうそう!」


ミーナも勢いよく同調した。


白い鼠耳がぴこぴこ動く。


「ジンくんの優しさは、聖騎士団の宝なんだから!」


真っ直ぐな言葉だった。


戦場では、強さだけでは足りない。


誰かを助けようとする意志。


それこそが、壊れかけた人間を繋ぎ止める。


ジンは少し俯く。


胸の奥が温かかった。


記憶はない。


自分が何者だったのかも分からない。


それでも――


“ここに居ていい”


そう思える場所が、確かに存在していた。



深夜の野営地は静まり返っていた。


負傷兵たちの呻き声すら途絶え、篝火もほとんど灰になっている。遠くで見張り番の足音だけが一定の間隔で響いていた。


その中で、ジンはそっと毛布を抜け出す。


誰にも気づかれぬよう外套を羽織り、槍を抱えて森の方角へ歩き出した。


夜気は鋭い。


肺の奥まで冷気が入り込む。


だが、それが逆に頭を冴えさせた。


月明かりだけが差し込む森の空き地。


ジンは無言で槍を構える。


静かな呼吸。


重心を落とす。


そして――


シュッ……!


鋭い突き。


続けて横薙ぎ。


返しの一閃。


汗が飛び散る。


戦場で得た感覚を、身体へ刻み込む作業だった。


敵兵の間合い。

槍衾の圧力。

死角。

殺気。


忘れないように。


次、生き残るために。


記憶はなくとも、身体だけが戦場を学習していく。


何度も。

何度も。

何度も。


槍を振る。


やがて呼吸が白く乱れ始めた頃、不意に背後から声が響いた。


「相変わらず努力家ね」


ジンが驚いて振り返る。


そこに立っていたのはリオーネだった。


蒼い長髪が夜風に揺れている。


瑠璃色の瞳は月光を受けて静かに輝いていた。


「気づかれてたんですか……?」


ジンが少し恥ずかしそうに呟く。


リオーネは小さく笑った。


「当然です」


彼女は近くの倒木へ腰掛ける。


「野営地で槍を持ったまま居なくなる子なんて、あなたくらいよ」


少しからかうような声音。


だがそこに棘は無かった。


ジンも苦笑する。


「眠れなくて……」


「戦場の後は誰でもそうなるわ」


リオーネが静かに空を見上げる。


星空は驚くほど綺麗だった。


戦争中とは思えないほどに。


「私も昔はこんな感じだった」


ぽつりと呟く。


「夜中にひとりで鍛錬して、倒れるまで剣を振ってた」


「何でです?」


ジンが問い返す。


リオーネは少しだけ沈黙した。


その横顔に、一瞬だけ古傷のような陰が差す。


「……戦う理由があったからよ」


低い声だった。


「私の故郷は帝国に焼かれた」


風が吹く。


蒼髪が静かに揺れる。


「家族も、友人も、多くを失った」


焚き火の無い森はやけに静かだった。


「だから強くなるしかなかったの」


リオーネはそこでようやくジンを見る。


「あなたは?」


問い掛け。


ジンは答えに詰まる。


その瞬間――


頭の奥が微かに疼いた。


知らない景色。


燃える建物。


誰かの叫び声。


伸ばされた手。


断片的な映像が一瞬だけ脳裏を掠める。


家族だったのか。


故郷だったのか。


分からない。


けれど胸の奥だけが妙に痛んだ。


ジンはゆっくり目を伏せる。


「分からないけど……」


静かな声。


「守りたいって思ったものを、守るためにいる気がします」


それは飾りのない本音だった。


記憶は無い。


過去も知らない。


それでも、今ここにいる仲間たちだけは失いたくない。


リオーネは少し目を細めた。


「……素敵な答えね」


優しい笑みだった。


「なら、鍛錬を続けましょう」


彼女が立ち上がる。


長槍を拾い上げる動作は流れるように美しかった。


「共に未来を切り拓くために」


その言葉に、ジンは小さく頷く。


再び槍を構える。


夜の森に鋭い風切り音が響いた。


蒼髪の騎士と、黒髪の少年。


二つの槍影が月光の下で交差する。


記憶はなくとも。


積み重ねた時間と絆が、確かに少年を強くしていた。


遠く離れた野営地では、聖騎士団の篝火が今宵も静かに揺れていた。

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