魔眼
族長は煙管を置く。
そして。
ジンを見つめながら静かに口を開いた。
「暁家はな……」
部屋が静まる。
長老衆も耳を傾ける。
「それはもう頑丈な体質なんじゃよ」
ジンは首を傾げる。
族長は続けた。
「怪我に強い」
「病にも強い」
「生き汚いと言ってもよい」
長老衆の何人かが苦笑する。
どうやら昔から有名だったらしい。
「骨が折れても戻ってくる」
「腹を斬られても生きておる」
「死んだと思ったら翌日には歩いておる」
老弓士が頷く。
「昔からそうじゃったな」
「化け物みたいな連中じゃった」
祭祀長老の女性も小さく笑う。
「本人達は普通だと思っておったがの」
ジンは少し困った顔になる。
どこか聞き覚えがあった。
今まで何度も。
「なんで生きてるんだ?」
と聞かれてきたからだ。
族長はそんなジンを見ながら言う。
「おそらくじゃが」
その声が低くなる。
「魔石の魔族因子との繋がりを持ちながら」
「お主が生きておられる理由は」
「その暁の血にある」
部屋が静まる。
「普通の人間なら死んでおる」
老魔術師が断言した。
「間違いなくな」
族長も頷く。
「じゃが」
「お主は生き残った」
「魔族因子にも喰われず」
「身体も崩壊せず」
「今なお人間のままでおる」
そして。
族長は静かに結論を口にした。
「暁家の血が耐えたのじゃろうな」
ジンは黙る。
族長の言葉は不思議と納得できた。
今まで。
何度も死にかけた。
左腕を失った。
左目を失った。
崖から落ちた。
それでも生きている。
何故か分からなかった。
だが。
もし本当に。
暁家がそういう血筋なのだとしたら。
少しだけ。
納得できる気がした。
「なるほどな……」
グリムヴァルドが静かに呟く。
そして。
少しだけ優しげな目でジンを見る。
「確かに」
「しぶといからな、お主は」
その言葉に。
ジンは苦笑するしかなかった。
族長はしばらく考え込んでいた。
手元の水煙草から。
ごぽり、と静かな水音が響く。
甘い果実と香草の香りが部屋へ広がる。
長老衆も誰も口を挟まない。
族長が考え事をする時はいつもこうなのだろう。
しばらくして。
白い煙をゆっくり吐き出した。
そして。
ふと顔を上げる。
「そうそう」
族長が言った。
「本題は目じゃったな」
ジンが瞬きをする。
気付けば話は随分逸れていた。
暁家。
魔族因子。
聖王国。
失われた過去。
色々な話をしていたが。
元々の目的は目だった。
族長はジンの左目を見る。
空白となった眼窩。
そこに残る傷跡。
「目が無いと」
族長は静かに言う。
「魔術の制御も苦労するじゃろう」
ジンは小さく頷いた。
苦労するどころではない。
距離感は狂う。
標的との間合いもずれる。
魔術を放つ時の照準も。
剣を振るう時の感覚も。
片目を失う前と同じにはならなかった。
戦いの中で身体が補正してくれる事もある。
だが。
それでも時折。
あと少し届かない。
あと少し外れる。
そんな事が今でもある。
「はい」
ジンは静かに答えた。
「未だに時々ずれます」
族長は頷く。
「じゃろうな」
その返事はあまりにも自然だった。
まるで。
その苦労をよく知っているように。
「ましてお主の場合」
「剣も振るう」
「魔術も使う」
「片目の欠損は想像以上に大きい」
族長は目を細める。
「だからこそじゃ」
再び吸い口を口元へ運ぶ。
ごぽり。
静かな水音。
そして煙を吐き出す。
「本来ならな」
「易々と教えたり譲ったりする物ではないんじゃが」
その言葉に。
長老衆が反応した。
老魔術師が顔を上げる。
祭祀長老の女性も目を細めた。
どうやら。
ただ事ではないらしい。
族長は構わず続ける。
「グリムヴァルドを連れて帰ってきてくれた礼」
グリムヴァルドが眉をひそめる。
「族長」
「黙っておれ」
即座に返される。
長老衆から小さな笑いが漏れた。
族長はさらに続ける。
「それに」
視線がジンへ向く。
「暁の子が生きておった」
その言葉に。
ほんの少しだけ目を細める。
「嬉しいという気持ちもある」
そして。
小さく息を吐いた。
「救えなかったという不甲斐なさもあるがの」
部屋が静まる。
誰も否定しない。
誰も慰めない。
それだけ長い間。
心残りだったのだろう。
族長はゆっくり立ち上がる。
「それらを兼ねてじゃ」
吸い口を卓へ置く。
そして。
ジンへ手招きをした。
「南方エルフの里のとっておきを」
「お主に譲ろうかの」
その言葉に。
長老衆がざわつく。
老魔術師が思わず立ち上がりかける。
「族長……まさか」
祭祀長老の女性も驚いていた。
「本気なのですか」
「うむ」
族長は平然と頷く。
「本気じゃ」
ジンは状況が分からない。
アリアも首を傾げる。
ミーナも不思議そうな顔をしていた。
フィリスだけが興味深そうに目を細める。
そして。
グリムヴァルドは。
何か察したのか。
珍しく目を見開いていた。
「……まさか」
族長がニヤリと笑う。
「そのまさかじゃ」
そう言って背を向ける。
「ついて参れ」
族長は歩き出した。
館の奥へ。
長老衆ですら容易に立ち入らぬ場所へ。
ジンはアリア達と顔を見合わせる。
何があるのか分からない。
だが。
族長の足取りに迷いは無い。
グリムヴァルドも静かに後へ続く。
そして一行は。
南方エルフが代々守り続けてきた秘蔵の場所へと足を踏み入れた。
族長は地下室の最奥へ向かう。
そこには。
他の棚とは明らかに違う棚があった。
黒い木材で造られた巨大な棚。
幾重もの封印。
幾重もの魔術文字。
そして。
そこに並ぶ瓶は僅か数本しかない。
ジンは思わず息を呑む。
何故だろう。
近付くだけで。
胸の奥がざわつく。
族長も立ち止まった。
「ふむ……?」
その時だった。
カタッ。
小さな音が響く。
次の瞬間。
カタカタカタ……
棚の中の瓶が震え始めた。
一本。
また一本。
まるで何かに反応するように。
瓶の中の魔眼達が動き始める。
ぎょろり。
ぎょろり。
ぎょろり。
一斉に。
ジンを見る。
地下室の空気が張り詰める。
ミーナがジンのローブを掴む。
アリアも目を細めた。
フィリスは黙って観察している。
グリムヴァルドですら驚いた顔をしていた。
「これは……」
族長が小さく呟く。
そして。
最奥の棚の一角。
ひとつの瓶がゆっくりと揺れる。
カタ。
カタ。
カタ。
まるで。
中の魔眼が何かを訴えているように。
やがて。
コトン。
瓶が棚から落ちた。
割れない。
ころころと転がる。
まるで導かれるように。
真っ直ぐ。
ジンの足元まで。
そして。
ぴたりと止まった。
地下室が静まり返る。
誰も声を出さない。
族長だけが。
面白そうに目を細めていた。
「ほう……」
静かな声だった。
「魔眼自らお主を選ぶとはの」
長老衆がざわつく。
どうやら珍しい事らしい。
ジンは恐る恐る瓶を拾い上げた。
冷たいガラス。
その中に。
ひとつの眼球が浮かんでいた。
金色。
黄金の虹彩。
そして。
縦長の瞳孔。
まるで爬虫類のような目。
だが。
不思議と恐ろしさは感じなかった。
その眼球は。
じっと。
ジンを見ていた。
まるで。
ずっと前から知っている相手を見るように。
「……」
ジンは息を呑む。
その瞳に。
覚えがあった。
脳裏に浮かぶのは。
リザリアだった。
優しくこちらを見つめる黄金の瞳。
怒った時の瞳。
笑った時の瞳。
細かな違いはある。
だが。
どこか似ている。
懐かしさすら感じるほどに。
「……リザリアさん」
思わず名前が漏れる。
瓶の中の魔眼が。
ゆっくりと動く。
縦長の瞳孔が細くなる。
そして。
じっとジンを見つめ返した。
まるで。
その名を知っているかのように。
族長はその様子を見ていた。
そして。
小さく頷く。
「なるほどの」
そう言って瓶を覗き込む。
「派手な力を持つ目ではない」
ジンは顔を上げる。
族長は続けた。
「温度が見える」
「温度?」
「生き物の体温」
「火の熱」
「残った熱の痕跡」
「そういったものが見えるようになる」
フィリスが僅かに眉を上げた。
探索にも。
追跡にも。
戦闘にも使える。
実用的な能力だった。
族長はさらに続ける。
「それと暗闇に強い」
「夜でも見える」
「洞窟でも見える」
「月明かり程度あれば十分じゃろうな」
ジンは瓶の中の魔眼を見る。
確かに派手ではない。
雷を落とす訳でもない。
未来を見る訳でもない。
だが。
失った左目を補うには十分過ぎる。
族長は静かに頷く。
「お主は片目を失っておる」
「距離感も狂うじゃろう」
「標的との間合いも」
「魔術の照準も」
ジンは苦笑した。
その通りだった。
今では慣れている。
だが。
今でも時折ずれる。
あと少し届かない。
あと少し外れる。
そんな事は珍しくない。
族長はそんなジンを見る。
「この目なら多少は助けになる」
「何より」
「森や夜を歩く時には非常に便利じゃ」
そして。
再び瓶の中の黄金の瞳を見る。
「しかし」
「ワシが選んだのではない」
「その目がお主を選んだ」
族長は少しだけ笑った。
「ならば試してみる価値はあるじゃろう」
その言葉に。
黄金の魔眼が。
まるで同意するように。
ゆっくりと瞬いた気がした。




