南方エルフの長老達
ネフェリアと別れた一行は。
そのまま館の中へ案内される。
木造の長い廊下。
磨き上げられた床。
壁には古い絵画や彫刻が飾られていた。
どれも南方エルフ達の長い歴史を感じさせる。
途中。
何人ものエルフ達とすれ違う。
その度に。
皆がグリムヴァルドを見る。
驚く者。
安堵する者。
慌てて頭を下げる者。
反応は様々だった。
そして。
館の最奥。
重厚な扉の前へ辿り着く。
案内役のエルフが静かに頭を下げる。
「族長がお待ちです」
グリムヴァルドは小さく頷いた。
扉が開かれる。
広い部屋だった。
高い天井。
海へ面した大きな窓。
潮風が静かに吹き込んでいる。
その奥。
一段高い場所に置かれた大きな椅子。
そこへ一人の女性が腰掛けていた。
南方エルフの族長だった。
年老いている。
だが。
その瞳には衰えを感じさせない力がある。
長い耳。
褐色の肌。
銀にも見える白髪。
そして。
細い指先には見慣れない道具が握られていた。
ふぅ……
白い煙が吐き出される。
水煙草だった。
長い管を通して吸われた煙が。
ゆっくりと天井へ昇っていく。
甘い香りが漂う。
花蜜のような。
熟した果実のような。
不思議な香りだった。
だが。
部屋にいるのは族長だけではない。
その左右には数人のエルフ達が座していた。
男性も女性もいる。
皆年老いていた。
白髪の女性魔術師。
深い皺を刻んだ男性の戦士。
祭祀衣装を纏う老女。
長い髭を蓄えた老弓士。
学者然とした眼鏡の老エルフ。
その顔ぶれは様々だった。
だが。
誰もが只者ではない。
この里を支える重鎮達。
長老衆だった。
彼らの視線は一斉にグリムヴァルドへ向いていた。
懐かしむ者。
安堵する者。
呆れる者。
そして。
少し怒っている者もいる。
何十年も帰らなかった娘が。
ようやく故郷へ戻ってきたのだから。
ジンは思わず背筋を伸ばす。
アリアも自然と耳を伏せた。
ミーナは少しだけグリムヴァルドの後ろへ隠れる。
フィリスは長老達の装束や杖を興味深そうに見ていた。
やがて。
族長が煙を吐き出す。
白い煙がゆっくりと漂う。
「久しいのう」
静かな声だった。
その一言だけで。
部屋の空気が変わる。
グリムヴァルドは静かに頭を下げた。
「ただいま戻りました」
族長は目を細める。
そして。
長老衆もまた。
それぞれ違う表情を浮かべた。
誰も口にはしない。
だが。
帰ってきた事を喜んでいるのは伝わった。
そして。
族長の視線がゆっくりと動く。
グリムヴァルドの後ろ。
アリア。
フィリス。
ミーナ。
そして。
最後に。
仮面を被ったジンで止まる。
白い髪。
失われた左腕。
隠された左目。
その姿を見て。
族長の瞳が僅かに揺れた。
長老衆の何人かも眉をひそめる。
まるで。
何かを思い出したかのように。
だが。
誰もまだ何も言わない。
ただ。
水煙草の甘い香りだけが静かに部屋を満たしていた。
しばしの沈黙が流れる。
族長と長老衆の視線は。
グリムヴァルドの後ろに控える旅人達へ向いていた。
その時だった。
グリムヴァルドが静かに口を開く。
「ザイン」
「はい?」
「仮面を取れ」
部屋が静かになる。
アリアが僅かに反応する。
フィリスも顔を上げた。
ミーナは少し不安そうな顔になる。
ジン自身も少し驚いた。
だが。
グリムヴァルドは真っ直ぐ前を見ている。
隠す必要は無い。
そう言っているようだった。
「……分かりました」
ジンは頷く。
右手を顔へ伸ばす。
仮面の留め具を外す。
パチリ。
小さな音が響いた。
そして。
仮面が外される。
白い髪が揺れる。
露わになった顔。
まだ幼さの残る顔立ち。
だが。
その左側には痛々しい雷撃の痕が走っていた。
頬から額へ。
焼けるような傷跡。
そして。
そこにあるはずの左目は無い。
空白だった。
部屋の空気が変わる。
長老衆が息を呑む。
誰かが目を見開く。
誰かが顔をしかめる。
そして。
その顔立ち。
黒い瞳。
鼻筋。
骨格。
東方の人間特有の特徴。
それを見た瞬間。
部屋のあちこちでざわめきが起きた。
「東方の……」
「まさか」
「なんと……」
声が漏れる。
驚きではない。
もっと別の感情だった。
一人の老女が思わず口元を押さえる。
老弓士は目を閉じた。
そして。
小さな声が漏れる。
「若いのに……」
別の長老も呟く。
「なんという事じゃ……」
「酷い……」
哀れみだった。
誰も傷そのものに驚いてはいない。
長く生きていれば。
戦傷などいくらでも見る。
だが。
ジンは若過ぎた。
失われた左腕。
失われた左目。
雷撃の傷。
白く変わった髪。
まだ成人したばかりにも見える少年が負うには。
あまりにも重かった。
ジンは戸惑う。
何故そんな顔をされるのか分からない。
自分では慣れている。
鏡を見る度に見てきた顔だ。
だから。
余計に分からない。
だが。
アリアだけは知っていた。
フィリスも。
ミーナも。
今この部屋にいる長老達が。
傷を見ているのではない事を。
その傷へ至るまでの人生を想像しているのだと。
そして。
族長だけは何も言わなかった。
ただ静かに。
ジンの顔を見つめていた。
まるで。
遥か昔の誰かを重ねるように。
長老衆のざわめきが続いていた。
若いのに。
なんという傷だ。
そんな声が聞こえる。
ジンは少し居心地が悪そうだった。
だが。
その時だった。
グリムヴァルドが一歩前へ出る。
そして。
族長へ向かって頭を下げた。
「族長」
「うむ」
「こやつの目を」
グリムヴァルドは静かに言う。
「治す事はできませんか?」
部屋が静かになる。
アリアが顔を上げる。
フィリスも。
ミーナも。
皆族長を見る。
族長はしばらく煙を燻らせていた。
やがて。
長い煙を吐き出す。
「ふむ」
静かな声だった。
そして。
ジンへ視線を向ける。
「ザインとやら」
「はい」
「少し近くへ来てくれるかい」
ジンは素直に前へ出る。
族長の前まで歩く。
族長は椅子から立ち上がる事はしなかった。
代わりに。
しわの刻まれた手を伸ばす。
「少し触るぞ」
「はい」
ぺた。
頬へ触れる。
額へ触れる。
白い髪をかき分ける。
まるで診察する医者のようだった。
あるいは。
何かを確かめるように。
族長の指先が傷跡をなぞる。
雷撃の痕。
首筋。
顎。
そして。
左目の空白へ辿り着く。
部屋が静まる。
族長は何も言わない。
ただ見ている。
じっと。
観察するように。
時間が流れる。
やがて。
族長の指先が止まった。
「……?」
ジンは首を傾げる。
その瞬間だった。
ぴくり。
族長の眉が動く。
空気が変わる。
長老衆も気付いたらしい。
何人かが身を乗り出した。
族長は左目の傷へ顔を近付ける。
そして。
もう一度。
確かめるように見る。
「そうか……」
ぽつりと呟く。
「ふむ……」
その声は先程までと違った。
驚いている。
いや。
何かを理解した声だった。
「魔族の因子も混ざっておるのか……」
長老衆がざわつく。
アリア達も顔を見合わせた。
ジンだけが分かっていない。
族長はさらに観察する。
傷。
魔力の流れ。
身体の奥にある何か。
そして。
ふと目を細めた。
「なるほど……」
静かな声だった。
だが。
次の言葉に。
部屋の空気が凍り付く。
「ほう……」
族長の目が細くなる。
「そういう事か」
誰も口を挟まない。
族長はジンの顔を見つめたまま。
ゆっくりと言った。
「あの血の子か」
長老衆が息を呑む。
誰かが立ち上がりかける。
族長は構わず続けた。
「生き残っておったのか」
沈黙。
部屋が静まり返る。
ジンは意味が分からない。
アリアも。
フィリスも。
ミーナも。
グリムヴァルドだけが。
僅かに目を細めていた。
どうやら。
族長は何かに気付いたらしかった。
「あの血の子か」
族長がぽつりと呟く。
「生き残っておったのか」
部屋が静まり返る。
ジンは意味が分からなかった。
アリア達も顔を見合わせる。
グリムヴァルドだけが静かに族長を見ている。
族長はジンの顔を見つめたまま口を開いた。
「暁の子じゃな」
ジンの肩が僅かに揺れる。
朝霧家で聞いた話を思い出す。
暁家。
攫われた子供達。
そして。
自分の名前。
「ザインよ」
「はい」
「本当の名は何と言うのじゃ?」
部屋の空気が変わる。
長老衆も静かになる。
ジンは少し迷った。
だが。
隠す理由も無い。
朝霧源蔵にも話した事だ。
「……暁」
小さく息を吸う。
「暁ジンと申します」
その瞬間だった。
部屋がざわつく。
長老衆が顔を見合わせる。
老弓士が目を見開く。
祭祀衣装の老女が口元を押さえた。
「暁ジン……?」
「まさか……」
「生きておったのか……」
声が漏れる。
驚愕だった。
白髪の老魔術師が立ち上がりかける。
「馬鹿な……」
「子供達は全て……」
言葉を飲み込む。
別の長老が首を振る。
「死んだと聞いておった」
「攫われた子らは皆……」
「では……」
ざわめきが広がる。
ジンは戸惑う。
何故そんな反応をされるのか。
朝霧家でも似たような反応だった。
だが。
ここではさらに大きい。
まるで。
本当に死んだ者が目の前に立っているかのようだった。
族長は静かに煙を吐く。
甘い香りが部屋に広がる。
そして。
目を細めた。
「やはりのう」
静かな声だった。
「顔立ち」
「魔力の流れ」
「血の気配」
族長はゆっくり頷く。
「間違いない」
その言葉に。
再び部屋が静まる。
誰も口を挟まない。
族長はジンを見つめる。
まるで。
遠い昔に行方不明になった子供を見つけたかのように。
そして。
ぽつりと呟いた。
「そうか……」
その声には。
安堵が混じっていた。
「本当に生きておったのじゃな」
今度は誰も否定しなかった。
長老衆も。
ただ静かに。
白髪の少年を見つめていた。




