ナディア・グリムヴァルド
里の道を進む。
やがて一行は海岸沿いの高台へ辿り着いた。
潮風が強い。
眼下には青い海が広がっている。
その丘の上には。
周囲の建物より一回りも二回りも大きな建物が建っていた。
木と石で造られた荘厳な建築。
長い年月を感じさせる佇まいだった。
ジンは思わず見上げる。
「大きいですね……」
「長老達の館じゃ」
グリムヴァルドが答える。
どうやら里の中心らしい。
その時だった。
「あら」
女性の声が響く。
「ナディアじゃない」
グリムヴァルドの足が止まる。
ジン達も振り返る。
グリムヴァルド――いや。
ナディアと呼ばれた彼女も振り返った。
そこには一人の南方エルフが立っていた。
褐色の肌。
少し丸みのある体格。
胸には何冊もの本を抱えている。
細い銀縁の眼鏡。
知的な印象を受ける女性だった。
年齢は分からない。
エルフだから尚更だ。
だが。
どこか柔らかな雰囲気を纏っている。
「ネフェリアか」
グリムヴァルドの表情が少し緩む。
「久しいな」
ネフェリアも微笑んだ。
「本当に久しぶりね」
「何十年振りかしら?」
「数えておらん」
「相変わらずね」
ネフェリアはくすりと笑う。
そして。
改めてグリムヴァルドを見る。
旅装束。
長旅の汚れ。
以前より少し痩せた顔。
その姿を見て。
笑顔が少し柔らかくなった。
「無事で良かったわ」
「そうか?」
「そうよ」
ネフェリアは頷く。
「皆心配していたんだから」
グリムヴァルドは少しだけ気まずそうに咳払いした。
どうやらその辺りは苦手らしい。
ネフェリアはそんな旧友の様子にまた笑う。
そして。
視線がジン達へ向いた。
アリア。
フィリス。
ミーナ。
そして。
最後に。
仮面を被ったジンへ。
「こちらは?」
興味深そうだった。
グリムヴァルドは振り返る。
「私の客人達じゃ」
短い紹介だった。
ネフェリアは目を細める。
特にジンを見ている。
仮面。
白い髪。
左腕の無い身体。
そして。
何処か見覚えのある黒い瞳。
ネフェリアの表情が僅かに変わった。
だが。
それは一瞬だった。
すぐに微笑みへ戻る。
「そう」
そして。
抱えていた本を少し持ち直した。
「長老達なら今館の中よ」
「きっと大騒ぎになってるわ」
「お主が帰ってきたとな」
グリムヴァルドは深いため息を吐く。
その反応だけで。
ネフェリアの言葉が冗談ではない事が伝わってきた。
「面倒じゃな……」
「諦めなさい」
ネフェリアは楽しそうだった。
久しぶりに帰ってきた友人を見つけたのだから当然だった。
「ナディアって……?」
ジンが首を傾げる。
聞き慣れない名前だった。
ネフェリアは目を瞬かせる。
そして。
グリムヴァルドを見る。
グリムヴァルドは少しだけ眉間を押さえた。
「お主……」
「はい?」
「私の本名じゃ」
ジンが固まる。
アリアも目を瞬かせる。
ミーナもぽかんとしていた。
フィリスだけは納得したように頷く。
「ああ、そういう事ですか」
「え?」
ジンはグリムヴァルドを見る。
「じゃあグリムヴァルドさんじゃないんですか?」
「グリムヴァルドじゃ」
即答だった。
「姓じゃ」
「あ」
ようやく理解する。
つまり。
グリムヴァルドは家名。
ナディアは名前。
そういう事だった。
ネフェリアはくすくす笑う。
「まさか説明してなかったの?」
「必要無かったからな」
「必要あると思うけど」
ジンも頷く。
「あると思います」
グリムヴァルドは少し気まずそうだった。
ネフェリアは楽しそうに続ける。
「ナディア・グリムヴァルド」
「昔から有名人だったのよ」
「やめろ」
即座に返される。
だが。
ネフェリアは気にしない。
「弓も魔術も優秀」
「剣も強い」
「勉強も出来る」
「やめろと言っておる」
「長老達のお気に入り」
「ネフェリア」
「里の若者達の憧れ」
「ネフェリア」
ジン達が思わずグリムヴァルドを見る。
当の本人は頭を抱えていた。
珍しい姿だった。
アリアが小さく笑う。
「へぇ」
「何じゃその反応は」
「いえ?」
面白そうだった。
ミーナも頷く。
「人気者だったんだぁ」
「昔の話じゃ」
グリムヴァルドはため息を吐く。
ネフェリアは眼鏡を押し上げた。
そして。
少しだけ懐かしそうに言う。
「昔の話でもないわ」
「ナディアが帰ってきたって聞いたら」
「今日中に里中へ広まるわよ」
その言葉に。
グリムヴァルドは空を見上げた。
どうやら。
長老達との再会より。
そちらの方が面倒そうだった。
ネフェリアは楽しそうに笑っていた。
久しぶりに帰ってきた旧友。
その隣で困惑している旅人達。
なかなか面白い光景だった。
抱えていた本を持ち直す。
そして。
改めてジン達へ向き直った。
「そういえばまだだったわね」
眼鏡を押し上げる。
「ネフェリアよ」
柔らかな笑みを浮かべる。
「魔術研究者をやってるの」
「よろしくね」
ジン達も軽く頭を下げた。
ネフェリアはそこで少し目を輝かせる。
どうやら興味が湧いたらしい。
「それで」
視線が一行を順番に移る。
「貴方達は誰なの?」
真っ先にジンへ向く。
仮面。
白い髪。
片腕。
目立ちすぎる。
研究者らしい好奇心が隠せていない。
グリムヴァルドが小さくため息を吐く。
「まずは自己紹介じゃな」
そう言ってジンを見る。
ジンは一歩前に出た。
「ザインです」
少し頭を下げる。
「ザイン・グリムヴァルドです」
その瞬間。
ネフェリアが固まった。
数秒。
眼鏡の奥の目が丸くなる。
「……グリムヴァルド?」
「はい」
ジンが頷く。
ネフェリアはゆっくりとグリムヴァルドを見る。
グリムヴァルドは静かに答えた。
「息子みたいなものじゃ」
その言葉に。
ネフェリアの表情が止まる。
本当に一瞬だけだった。
だが。
確かに。
悲しそうな顔をした。
懐かしいものを思い出したような。
あるいは。
失われた何かを見たような。
そんな表情だった。
ジンはその表情を見て不思議思う。
だが。
グリムヴァルドだけは見ていた。
ネフェリアはすぐに微笑む。
いつもの柔らかな笑顔へ戻った。
「そうなのね……」
静かな声だった。
どこか納得したような。
少し安心したような。
そんな響きがあった。
そして。
何事も無かったかのように話を続ける。
「素敵な息子さんじゃない」
「そうじゃろう」
グリムヴァルドが即答する。
ジンが困惑する。
「いや、あの……」
ミーナが吹き出した。
アリアも少し笑う。
ネフェリアも口元を押さえる。
どうやら。
グリムヴァルドは本気でそう思っているらしかった。
続いてアリアが前に出る。
「アリアよ」
猫耳がぴくりと動く。
「よろしく」
「獣人さんなのね」
「そうよ」
フィリスも続く。
「フィリスです」
ネフェリアの目が少し光る。
「魔術師?」
「その…剣と魔術は使いますが…」
「あとで話しましょう」
「え?」
フィリスが少し警戒した。
研究者特有の目になっていたからだ。
そしてミーナ。
「ミーナだよぉ!」
元気よく手を振る。
ネフェリアも思わず笑った。
「元気ねぇ」
「よく言われる!」
そのやり取りを見ながら。
ネフェリアは改めて一行を見る。
不思議な旅人達だった。
そして。
その中心にいる白髪の少年。
グリムヴァルドが息子と呼んだ存在。
ネフェリアは再び微笑む。
「なるほどね」
小さく呟く。
「だから帰ってきたのね、ナディア」
その言葉に。
グリムヴァルドは何も答えなかった。




