水蓮とジン
「それでは」
水蓮が楽しそうに立ち上がる。
武器棚へ向かう。
「もうひと勝負――」
何か別の武器を取ろうとしたその時だった。
「これ」
低い声が飛ぶ。
水蓮の動きが止まる。
源蔵だった。
いつの間にか道場の中まで入って来ている。
腕を組み。
静かにこちらを見ていた。
「水蓮」
「はい」
「客人相手にやり過ぎるな」
水蓮は少し頬を膨らませる。
「まだ始まったばかりですよ?」
「始まったばかりだからじゃ」
源蔵は淡々と言う。
「お主は手合わせになると周りが見えん」
門下生達の何人かが視線を逸らした。
反論する者はいない。
どうやら身に覚えがあるらしい。
「そんな事ありません」
「ある」
即座に返された。
水蓮がむぅと唸る。
源蔵は構わず続ける。
「客人を引っ張り回すでない」
「ジン殿も嫌なら断って良いのですよ」
と水蓮。
するとジンは少し困った顔になる。
「いや……」
棒を見下ろす。
確かに楽しかった。
不思議なくらいに。
だが。
頭もまだ少し痛い。
石突の一撃は思った以上に効いていた。
その様子を見ていた源蔵が小さく鼻を鳴らす。
「ほれ見ろ」
「むぅ……」
水蓮は不満そうだった。
だが。
やがて諦めたように薙刀を武器棚へ戻す。
「分かりました」
そう言いながらも。
まだ少し名残惜しそうだった。
源蔵はそんな娘を見て肩を竦める。
そしてジンへ視線を向けた。
「すまんな」
「いや」
ジンは苦笑する。
「面白かったです」
その言葉に。
水蓮の顔がぱっと明るくなる。
源蔵はそれを見るなり。
今度は少し深いため息を吐いた。
どうやら。
その一言は言わない方が良かったらしい。
客間へ戻る。
襖を開けると。
アリアが真っ先にこちらを見た。
そして。
ジンの顔を見る。
少し汗をかいている。
頭にはうっすらと石突を受けた跡が残っている。
だが。
その表情は明るかった。
どこか晴れやかだった。
アリアの耳がぴくりと動く。
そして。
ほんの少しだけ表情が柔らかくなった。
「楽しそうじゃない」
「え?」
ジンは首を傾げる。
「そうですか?」
「そうよ」
アリアは小さく笑う。
聖騎士団を出てから。
ジンがああいう顔をする事はあまり無かった。
旅の途中でも。
笑う事はある。
冗談も言う。
だが。
今の顔は少し違った。
年相応というか。
少年らしい顔だった。
だから。
アリアも少し嬉しくなる。
その時だった。
後ろから人影が現れる。
水蓮だった。
当然のようについて来ている。
「お邪魔します」
にこやかだった。
アリアの表情が止まる。
耳がぴくりと動く。
先程までの柔らかな空気が少し消える。
「……何でいるの?」
「何でと言われましても」
水蓮は首を傾げる。
「ジン殿と話の途中でしたので」
「へぇ」
短い返事だった。
ジンは嫌な予感がした。
フィリスが眼鏡の奥から様子を窺う。
ミーナは茶を飲みながら苦笑していた。
グリムヴァルドだけは何も言わない。
アリアは水蓮を見る。
水蓮もアリアを見る。
しばらく視線がぶつかる。
そして。
水蓮がふと口を開く。
「アリア殿」
「何?」
「何故そんなに警戒されているのでしょう」
「別に」
即答だった。
「そうですか?」
「そうよ」
再び即答。
水蓮は少し考える。
そして。
ジンを見る。
アリアもジンを見る。
ジンは視線を逸らした。
何故か自分が原因な気がしたからだ。
客間には。
先程までとは別の意味で妙な緊張感が漂い始めていた。
しばらくして。
屋敷の使用人が客間を訪れた。
「お食事の準備が整いました」
丁寧な一礼。
源蔵からの招待らしい。
一行は席を立つ。
長い廊下を進み。
案内された先は大広間だった。
襖が開かれる。
その瞬間。
ジンは思わず足を止めた。
「わぁ……」
広い。
客間とは比べ物にならない。
長い卓。
並ぶ料理。
焼き魚。
煮物。
汁物。
香草の香り。
東方独特の料理が所狭しと並んでいる。
そして。
人も多かった。
先程道場で見た門下生達も集まっている。
若い者から年配者まで。
獣人もいる。
人間もいる。
数十人はいるだろう。
かなり賑やかだった。
「おお」
「来たぞ」
「白髪の兄ちゃんだ」
「水蓮様と手合わせしてた奴だな」
門下生達の視線が集まる。
ジンは少し居心地が悪そうだった。
すると。
「こちらです」
水蓮が当然のように案内する。
アリアの耳がぴくりと動く。
だが何も言わない。
広間の上座には源蔵が座っていた。
その隣に水蓮。
その向かいへ。
ジン達が案内される。
皆が席へ着く。
やがて。
源蔵が静かに立ち上がった。
広間が静まる。
先程まで賑やかだった門下生達も口を閉じる。
「今日は客人がおる」
低い声が広間へ響く。
「野盗から水蓮達を助けてくれた恩人じゃ」
門下生達が頷く。
何人かがジン達へ頭を下げる。
「堅苦しい話は無しじゃ」
源蔵はそう言うと。
盃を持ち上げた。
「飯が冷める」
広間に笑いが起きる。
「食え」
その一言で宴が始まった。
途端に賑やかになる。
門下生達の笑い声。
料理を運ぶ音。
酒を注ぐ音。
東方の屋敷らしい活気だった。
ジンは少し周囲を見回す。
そして。
気付く。
こういう食卓は久しぶりだった。
聖騎士団の食堂に少し似ている。
皆で囲む食事。
笑い声。
他愛もない会話。
胸の奥が少し温かくなる。
その時だった。
「ジン殿」
隣から声がする。
水蓮だった。
料理を取りながら。
当然のように隣へ座っている。
アリアの耳が再びぴくりと動いた。
「何ですか?」
「その話の続きを」
水蓮が言う。
「食事しながら聞かせてください」
「まだ聞くんですか……」
ジンが苦笑する。
広間の賑やかさの中。
どうやら水蓮の興味はまだ尽きていないらしかった。
宴は賑やかだった。
門下生達の笑い声。
酒を酌み交わす音。
料理の香り。
広間には活気が満ちている。
その中でも。
水蓮は相変わらずジンの隣にいた。
「ジン殿」
「はい」
「剣術はどこで覚えたのです?」
「聖騎士団ですね」
「誰から?」
「主にはルシャさんです」
水蓮は頷く。
「なるほど」
そしてまた次の質問が飛ぶ。
「以前は何を?」
「訓練したり」
「雑用したり」
「戦場行ったりですね」
「戦場にも?」
「はい」
話は続く。
だが。
途中から水蓮は違和感を覚えていた。
ジンの話と。
道場で見た剣が噛み合わない。
聖騎士団式の剣術。
それは理解出来る。
だが。
あの構え。
あの踏み込み。
あの間合い。
東方の武人に近かった。
「ですが」
水蓮が首を傾げる。
「先程の剣は少し違いました」
ジンも首を傾げる。
「違いました?」
「ええ」
水蓮は頷く。
「東方の癖が残っています」
「そうなんですか?」
「そうです」
即答だった。
だが。
ジンは困った顔になる。
「僕には分かりません」
正直な答えだった。
「気付いたら出来ていた感じなので」
水蓮はしばらく黙る。
やはりそうか。
そんな顔だった。
そして。
ふと視線を落とす。
そこにあるのは。
失われた左腕。
袖だけが揺れている。
水蓮は静かに尋ねた。
「では」
ジンが顔を上げる。
「はい?」
「何故左腕が無いのです?」
広間の喧騒が遠くなる。
少なくとも。
その卓だけは静かになった。
アリアの耳が止まる。
フィリスの手も止まる。
ミーナも笑顔を消した。
水蓮は続ける。
「左目も」
仮面を見る。
「戦場での傷ですか?」
沈黙。
ジンは答えない。
ただ。
杯の中を見る。
しばらく。
黙っていた。
その間。
水蓮は見ていた。
アリアが目を伏せる。
フィリスが視線を逸らす。
ミーナも俯いている。
先程まで賑やかだった三人が。
まるで別人のようだった。
何かある。
そう思った。
ジンはようやく口を開く。
「まぁ……」
少し笑う。
いつものように。
「色々ありまして」
それだけだった。
水蓮は待つ。
続きを。
だが。
続かない。
「戦争中ですから」
「怪我くらいしますよ」
そう言って話を終わらせてしまう。
はぐらかされた。
水蓮にも分かった。
そして。
アリア達も何も言わない。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ黙っている。
その沈黙が。
むしろ答えのようだった。
水蓮はそれ以上聞かなかった。
今は。
だが。
心の中では別だった。
左腕。
左目。
首の傷。
背中の傷。
そして。
聖騎士団の話になる度に変わる空気。
何かを隠している。
いや。
正確には。
誰も口に出来ない何かがある。
水蓮は杯を口へ運ぶ。
視線だけが。
静かにジンへ向いていた。




