朝霧源蔵
結局。
一行はそのまま街道を進む事になった。
水蓮達も同じ方向だった。
互いに警戒は解いていない。
だが。
敵対もしていない。
微妙な距離感のまま。
二つの集団は街道を進んでいた。
そして。
夜が明ける。
東の空が白む。
森の向こうから朝日が顔を出した。
馬車は今日も街道を進む。
御者台にはグリムヴァルド。
その後ろにはアリア。
変わらない配置だった。
そして。
幌の中。
ザインは暇だった。
非常に暇だった。
理由は単純だった。
気になる。
ものすごく気になる。
水蓮達の事が。
東方の服。
東方の剣。
そして。
黒い髪。
自分と同じ色。
今まで見た事が無かった。
聖王国でも。
辺境街でも。
温泉街でも。
黒髪の人間などほとんどいなかった。
だから気になる。
どうしても気になる。
「あの人達って――」
幌の外へ顔を出そうとする。
だが。
その瞬間。
ぐいっ。
襟首を掴まれた。
「戻る」
アリアだった。
「え」
「戻る」
「でも」
「戻る」
有無を言わせない。
そのまま幌の中へ押し込まれる。
ぽすっ。
ザインは荷物の上へ座り込んだ。
「……」
理不尽だった。
フィリスが眼鏡を押し上げる。
「何回目ですか?」
「三回目です」
「学習してください」
「気になるじゃないですか」
素直な本音だった。
ミーナが笑う。
「まぁ分かるけどね」
「黒髪だもんなぁ」
ザインは頷く。
「初めて見ました」
本当に初めてだった。
自分以外の黒髪。
しかも東方出身らしい人間。
興味を持たない方が難しい。
だが。
アリアは許さない。
幌の外から声が飛んでくる。
「聞こえてるわよ」
「はい」
「顔出さない」
「はい」
「約束」
「はい」
完全に保護者だった。
フィリスが小さく笑う。
ミーナも肩を震わせている。
そして。
ザインは少しだけ不満そうに幌の天井を見上げた。
街道の向こうでは。
水蓮達が歩いている。
聞きたい事は沢山あった。
東方の話。
剣の話。
黒髪の話。
けれど。
今のところ。
それらは全てアリアという高い壁に阻まれていたのであった。
翌朝。
一行は再び街道を進んでいた。
昨夜の戦闘が嘘のように空は晴れている。
潮風も感じられるようになっていた。
港町は近い。
水蓮達の言葉通りだった。
昼が近付く頃。
街道の先に高い建物が見え始める。
港の櫓。
倉庫。
そして多くの帆船の帆。
「見えてきたわ」
アリアが呟く。
やがて一行は港町へ到着した。
人で溢れていた。
商人。
船乗り。
冒険者。
荷運び人。
様々な人間が行き交う。
辺境街とも温泉街とも違う。
活気に満ちた街だった。
水蓮達は迷う事なく街の奥へ進んでいく。
一行もその後を追った。
商店街を抜ける。
市場を抜ける。
やがて人通りが少なくなってきた。
そして。
高い塀が見えてくる。
「……大きいな」
グリムヴァルドが思わず呟く。
その先にあったのは大きな屋敷だった。
広い敷地。
立派な門。
整えられた庭木。
まるで貴族の屋敷のようだった。
馬車が門の前で止まる。
門番が二人近付いてくる。
だが。
水蓮の姿を見た瞬間。
二人は姿勢を正した。
「お帰りなさいませ」
その態度に。
フィリスが眼鏡を押し上げる。
ミーナも少し驚いた顔になる。
水蓮は小さく頷き。
門番へ告げた。
「お客様です」
穏やかな声だった。
「私達を野盗から助けてくださった方々です」
門番達の視線が一行へ向く。
そして。
水蓮は続けた。
「御礼をしたくて連れて参りました」
門番達は深く頭を下げた。
「承知致しました」
重い門がゆっくりと開いていく。
その向こうには。
広大な庭園と立派な屋敷が広がっていた。
アリアの耳がぴくりと動く。
フィリスは少し緊張した表情になる。
ミーナは完全に圧倒されていた。
そして。
水蓮は振り返る。
その視線は。
また一瞬だけザインへ向いたのだった。
馬車を降りる。
港町の喧騒が少し遠くなる。
代わりに聞こえるのは風の音と木々の葉擦れだった。
水蓮が先頭を歩く。
「どうぞ」
穏やかに微笑む。
一行はその後に続いた。
門を抜ける。
広い庭園。
整えられた植木。
小さな池。
石畳の道。
西方の屋敷とはどこか違う。
そして屋敷へ入る。
ザインは思わず周囲を見回した。
見た事が無い造りだった。
木が多い。
壁も。
柱も。
床も。
磨き上げられた木材で作られている。
天井も高い。
廊下も広い。
西方の石造りの建物とは全く違う。
「すごい……」
思わず声が漏れる。
水蓮が少し笑った。
「珍しいですか?」
「はい」
ザインは素直に頷く。
「初めて見ました」
東方の建築。
それはザインにとって未知の世界だった。
一行はそのまま屋敷の中を進む。
すると。
遠くから声が聞こえてきた。
「せいっ!」
「まだ甘い!」
木と木がぶつかる音。
掛け声。
何かを打ち合う音。
アリアが耳を動かす。
「道場?」
「ええ」
水蓮が頷く。
「宜しければ見ていきますか?」
一行は足を止めた。
視線の先。
大きな建物がある。
正面は開放されていた。
その中では何十人もの者達が剣の修行をしていた。
「おお……」
ミーナが思わず呟く。
木刀。
竹刀。
片刃の長剣。
様々な武器が見える。
だが。
それ以上に驚いたのは。
そこにいる者達だった。
人間。
それだけではない。
大柄な狼獣人。
猫獣人。
狐獣人。
熊獣人。
さらには。
リザードマンまでいる。
種族が入り混じっていた。
そして。
全員が同じように汗を流している。
同じように剣を振っている。
「珍しいですね」
フィリスが呟く。
聖王国ではあまり見ない光景だった。
獣人もいる。
人間もいる。
そして。
上下関係も見えない。
皆が同じ門下生のように見えた。
水蓮はそれを見ながら説明する。
「この道場は種族を問いません」
「強くなりたい者は誰でも受け入れています」
その言葉に。
グリムヴァルドが少し感心したように頷く。
「なるほど」
確かに。
それだけの人数が集まる理由も分かる。
その時だった。
ザインの視線が止まる。
道場の奥。
木刀を振るうリザードマン。
そして。
片刃の長剣を使う人間達。
どこか。
懐かしい感覚があった。
理由は分からない。
だが。
胸の奥が少しざわつく。
水蓮はそんなザインを横目で見ていた。
そして。
ほんの僅かに口元を緩めたのだった。
道場を後にし。
一行はさらに屋敷の奥へ案内された。
広い廊下。
磨き上げられた木の床。
壁には見た事の無い東方風の絵画や書が飾られている。
やがて。
一つの部屋の前で水蓮が足を止めた。
「こちらになります」
襖を開ける。
中は広い客間だった。
床には畳が敷かれている。
低い机。
座布団。
窓の向こうには庭園も見えた。
ミーナが少し戸惑う。
「椅子が無い……」
「床に座るんですよ」
フィリスが言うが。
本人も少し困惑していた。
グリムヴァルドは平然としている。
アリアは警戒を解いていない。
そしてザインは部屋のあちこちを見回していた。
何もかもが珍しい。
見慣れない物ばかりだった。
水蓮はそんな一行を見て小さく微笑む。
「少々お待ちください」
静かな声だった。
「屋敷の主人を呼んで参りますので」
そう言って一礼する。
そして。
部屋を出ようとした。
だが。
その直前だった。
水蓮の視線が動く。
まただった。
自然な仕草。
ほんの一瞬。
本当に一瞬だけ。
その目がザインへ向く。
仮面。
白髪。
フード。
まるで確認するように。
見失わないように。
あるいは。
何かを確信するように。
そんな視線だった。
ザインはその視線に気付く。
「?」
思わず首を傾げる。
まただ。
港町へ来るまで。
何度も感じていた視線。
だが。
理由が分からない。
知り合いなのだろうか。
いや。
会った記憶は無い。
少なくとも思い出せない。
水蓮はそんなザインを見て。
ほんの僅かに目を細めた。
だが。
次の瞬間には穏やかな笑顔へ戻っている。
「すぐ戻ります」
そう言い残し。
静かに襖を閉めた。
部屋には沈黙が残る。
そして。
襖が閉まった瞬間。
アリアがぽつりと言った。
「……あの人」
蒼い瞳が扉を見る。
「ずっとザイン見てるわよね」
フィリスも頷く。
どうやら気付いていたらしい。
ミーナも困ったように笑う。
「気になるよねぇ」
グリムヴァルドだけは腕を組んだまま黙っていた。
その表情はどこか考え込んでいる。
一方。
ザイン本人だけが理由が分からない。
「何なんでしょうね」
素直な感想だった。
そして誰も。
その問いに答えられなかったのである。
客間で待つことしばらく。
湯気の立つ茶が運ばれてきていた。
香りは良い。
だが。
一行の意識はそちらには向いていなかった。
水蓮の視線。
この屋敷。
東方の道場。
そして主人。
様々な疑問が頭を巡っていた。
やがて。
廊下から足音が聞こえてくる。
重い。
だが無駄の無い足音だった。
襖が開く。
現れたのは大柄な男だった。
背が高い。
肩幅も広い。
年齢は五十代ほどだろうか。
白髪混じりの黒髪を後ろで束ねている。
腕は丸太のように太い。
着物姿ではあるが。
その上からでも分かる。
鍛え上げられた肉体だった。
そして。
何より。
只者ではない空気を纏っていた。
男は客間へ入る。
一行を見回す。
その視線は鋭い。
だが。
敵意は無かった。
そして。
ゆっくりと口を開く。
「娘が助けてもろうたと聞いておる」
低い声だった。
よく通る。
男はその場へ腰を下ろした。
胡座をかく。
それだけなのに妙な威圧感があった。
「この屋敷の主人」
一拍。
「朝霧源蔵だ」
そう名乗った。
東方風の名。
その瞬間。
フィリスとミーナが軽く頭を下げる。
グリムヴァルドも頷いた。
「グリムヴァルドだ」
簡潔な自己紹介だった。
源蔵は頷く。
そして。
一人一人を見る。
アリア。
フィリス。
ミーナ。
グリムヴァルド。
そして。
最後に。
ザインで視線が止まった。
ほんの僅かに。
本当に僅かにだけ。
目が見開かれる。
だが。
それも一瞬だった。
すぐに普段の表情へ戻る。
「……ほう」
小さく呟く。
その言葉の意味は分からない。
だが。
何かに気付いたようにも見えた。
そして源蔵は改めて姿勢を正す。
「まずは礼を言わせてもらおう」
深く頭を下げた。
屋敷の主人自ら。
それも自然な動作だった。
「娘達を助けてくれて感謝する」
その言葉に嘘は無い。
真っ直ぐな礼だった。
だが。
源蔵もまた。
時折。
ちらりとザインを見ていた。
まるで。
何かを確かめるように。




