水蓮
だが。
驚いたのは野盗達だけではなかった。
こちらが介入した事で。
包囲されていた五人の戦いぶりも見えるようになったのだ。
強い。
それもかなり。
一対一になった瞬間。
勝負が決まる。
野盗の剣が振るわれる。
避ける。
流す。
斬る。
それだけ。
まるで長年身体へ染み付いた動きだった。
「なんだあれ……」
ミーナが思わず呟く。
一人の戦士が野盗の懐へ踏み込む。
片刃の長剣が閃く。
首。
胸。
脇腹。
正確に急所だけを狙っている。
無駄が無い。
そして何より。
躊躇が無い。
戦場に慣れていた。
それも。
数度の戦いでは身に付かないほどに。
フィリスも敵を牽制しながらそちらを見る。
「熟練者ですね」
「ああ」
アリアも頷いた。
だが。
その中でも一人だけ。
明らかに格が違う者がいた。
「……え?」
アリアの動きが一瞬止まる。
月明かり。
その光が戦場を照らす。
そこで初めて見えた。
長い黒髪だった。
風に揺れる。
夜の闇に溶け込むような黒髪。
男ではない。
女性だった。
野盗が二人。
同時に斬り掛かる。
女性は振り返らない。
半歩だけ動く。
そして。
剣が走る。
一閃。
次の瞬間。
二人の野盗が同時に崩れ落ちた。
「なっ――」
近くの野盗が息を呑む。
女性は止まらない。
流れる。
歩くように進む。
そして。
剣を振るう。
誰かが倒れる。
また進む。
また誰かが倒れる。
まるで。
戦場そのものを歩いているようだった。
無理な力みも無い。
派手な技も無い。
ただ。
自然だった。
あまりにも自然だった。
その姿を見たザインも思わず息を呑む。
強い。
それは分かる。
だが。
上手く言葉に出来ない。
戦い方が綺麗だった。
洗練されていた。
何百回。
何千回と剣を振り続けた者だけが辿り着く領域。
そんな印象を受ける。
そして。
アリアだけは別の意味で驚いていた。
「黒髪……?」
思わず呟く。
この辺りでは珍しい。
まして。
あれほどの腕前を持つ剣士となれば尚更だった。
女性は何も言わない。
ただ静かに剣を振るう。
月明かりが黒髪を照らす。
銀色に光る刃が夜を裂く。
そしてまた一人。
野盗が倒れた。
戦場の流れは完全に変わっていた。
もはや野盗達は狩る側ではない。
狩られる側になり始めていた。
戦闘が終わったのはそれから間もなくだった。
もはや勝負は決していた。
野盗達は逃げ始める。
戦意を失っていた。
三十人近くいた集団も。
今や半数以上が地面へ倒れている。
そして。
逃げる者達も無事では済まなかった。
ヒュッ――
アリアの矢が飛ぶ。
夜空を裂く。
逃げ出した野盗の背へ突き刺さる。
男はそのまま地面へ転がった。
最後の一人だった。
そして。
もう一人。
黒髪の女性が前へ出る。
野盗は振り返る。
何かを叫ぼうとする。
だが。
言葉になる前だった。
片刃の長剣が閃く。
一閃。
野盗が崩れ落ちる。
静寂。
それで終わりだった。
夜風が吹く。
小さく血の匂いが漂う。
戦場を包んでいた怒号も。
悲鳴も。
剣戟も。
全て消えた。
残ったのは。
倒れた野盗達と。
立っている者達だけだった。
アリアは弓を下ろす。
フィリスも剣を収める。
ミーナは周囲を警戒する。
グリムヴァルドは探知魔術を広げた。
残敵はいない。
完全に終わった。
「終わったな」
グリムヴァルドが呟く。
誰も反論しない。
そして。
その時だった。
ザインは妙な視線を感じた。
戦場の向こう側。
五人組の中心。
あの黒髪の女性だった。
月明かりが長い黒髪を照らしている。
血に濡れた片刃の長剣。
静かな立ち姿。
その女性は。
他の仲間達が周囲を警戒している中。
ただ一人。
じっとこちらを見ていた。
いや。
違う。
こちらではない。
ザインだけを見ていた。
仮面。
深く被ったフード。
それでも。
彼女の視線は動かない。
まるで。
何かを確かめるように。
何かを思い出そうとするように。
静かに。
ただ静かに。
ザインを見つめていた。
「……?」
ザインは首を傾げる。
知り合いだっただろうか。
記憶を探る。
だが。
思い当たらない。
一方。
アリアもその視線に気付いていた。
蒼い瞳が細くなる。
女性の視線。
そして。
その先にいるザイン。
何となく。
嫌な予感がした。
戦闘は終わった。
だが。
別の何かが始まろうとしている。
そんな空気が。
夜の街道には流れていた。
戦場には静寂が戻っていた。
血の匂い。
倒れた野盗達。
夜風。
そして。
五人の剣士達。
その中心にいた黒髪の女性が歩いてくる。
ゆっくりと。
警戒を見せない足取りだった。
長い黒髪が月明かりを反射する。
手にしていた片刃の長剣を見下ろす。
そして。
静かに鞘へ納めた。
カチリ。
小さな音が響く。
近付くにつれ。
服装も見えてきた。
ザインは少し驚く。
見た事が無い。
少なくとも西方では見かけない服だった。
布を何枚も重ね合わせたような衣装。
上衣と袴のようなもの。
腰帯。
袖も独特な形をしている。
動きやすさと実用性を重視した服装だった。
どこか。
ザインの記憶の奥を刺激する。
懐かしいような。
見覚えがあるような。
そんな感覚だった。
女性は数歩手前で立ち止まる。
そして。
深々と頭を下げた。
「先ほどは助けて頂きありがとうございました」
落ち着いた声だった。
よく通る。
凛とした声。
敵意も警戒も感じられない。
純粋な礼だった。
グリムヴァルドが前へ出る。
「気にするな」
短く答える。
「こちらも野盗を放置する訳にはいかなかった」
女性は顔を上げる。
「それでもです」
静かな微笑み。
そして。
ちらりと視線が動く。
再び。
ザインへ。
仮面。
白髪。
フード。
その姿を見つめる。
だが。
今度はすぐに視線を逸らした。
まるで失礼だと思ったかのように。
「私は水蓮と申します」
その名を名乗る。
東方の響きだった。
同行していた四人も似たような服装をしている。
やはり西方の人間ではない。
フィリスが小さく呟く。
「東方の方々ですか」
水蓮は頷いた。
「はい」
「東方より参りました」
その答えに。
グリムヴァルドは納得したように頷く。
そして。
ザインは思わず水蓮の服を見ていた。
西方では見ない衣装。
片刃の長剣。
黒髪。
どこか懐かしい空気。
それは。
失われた記憶の奥底を微かに揺らしていた。
水蓮はそんなザインを見て。
ほんの一瞬だけ。
不思議そうな表情を浮かべたのだった。
「私は水蓮と申します」
女性はそう名乗った。
東方の名。
長い黒髪。
西方では見ない衣装。
片刃の長剣。
その全てが異質だった。
グリムヴァルドが軽く頷く。
フィリスも挨拶を返す。
ミーナもほっとした様子で武器を下ろした。
戦いは終わったのだ。
誰もがそう思っていた。
だが。
その時だった。
水蓮の視線が動く。
ゆっくりと。
自然な動きで。
仮面を被ったザインへ。
白髪。
仮面。
深く被ったフード。
普通なら目を引く。
それだけの特徴がある。
だから見る事自体は不自然ではない。
だが。
ほんの一瞬。
本当に一瞬だけ。
その目が変わった。
「――」
ザインは気付かない。
フィリスも。
ミーナも。
恐らくグリムヴァルドも。
だが。
アリアだけは見ていた。
戦場で人を見る目。
獣人特有の観察眼。
その一瞬を見逃さなかった。
まるで。
獲物を見つけたような目だった。
驚きではない。
警戒でもない。
興味とも少し違う。
もっと鋭い何か。
長い間探していた物を見つけた時のような。
そんな目。
だが。
それは本当に一瞬だった。
次の瞬間には消えている。
水蓮は穏やかな表情へ戻っていた。
何事も無かったかのように。
「皆様も旅の途中なのですか?」
落ち着いた声。
自然な問い。
違和感は無い。
だが。
アリアの耳がぴくりと動く。
蒼い瞳が細くなる。
視線は水蓮から離れない。
「……」
何だったのだろう。
見間違いだったのか。
そう思うには。
あまりにも鮮明だった。
一方。
ザインは全く気付いていない。
ただ。
どこか懐かしい服装だなと思いながら。
目の前の東方の剣士を見ていた。
夜風が吹く。
月明かりが黒髪を揺らす。
そして。
アリアだけが。
静かに警戒心を強めていた。
アリアが一歩前へ出る。
自然な動きだった。
まるで会話へ加わるためのようにも見える。
だが。
実際には違った。
ザインを隠す位置。
それを選んでいた。
水蓮の視線とザインの間へ入る。
誰にも分からない程度の動き。
だが。
水蓮は気付いたようだった。
黒い瞳が一瞬だけアリアを見る。
そして。
何も言わない。
グリムヴァルドはその様子を横目で見ていたが。
特に触れなかった。
代わりに。
水蓮の問いへ答える。
「一応……私の里帰りでな」
静かな声だった。
「南方へ向かっている」
水蓮は小さく目を見開く。
そして微笑んだ。
「あら」
「南方エルフの里へ行かれるのですね」
驚いた様子は無い。
むしろ納得したような顔だった。
グリムヴァルドも頷く。
「そういう事だ」
「なるほど」
水蓮は少し考える。
そして。
ふと思い出したように言った。
「でしたら港町には寄られますよね?」
その言葉に。
フィリスが反応する。
「港町?」
「はい」
水蓮は頷いた。
「東海岸の港町です」
「南方へ向かう者なら必ず通るはずです」
それは事実だった。
グリムヴァルドも否定しない。
「寄る予定だ」
「補給も必要ですし」
ミーナが言う。
馬車も手に入ったとはいえ。
食料は減る。
水も必要だ。
宿に泊まれるならそれに越した事は無い。
水蓮は少し嬉しそうに微笑む。
「でしたら良かった」
「私達も港町へ向かっているところなのです」
その言葉に。
アリアの耳がぴくりと動く。
嫌な予感がした。
非常に嫌な予感だった。
そして。
その予感はすぐに形になる。
水蓮は自然な笑顔のまま言った。
「もし宜しければ」
「港町まで同行しませんか?」
夜風が吹く。
沈黙。
アリアは即座に断りたかった。
「もし宜しければ」
水蓮は穏やかに微笑む。
「港町までご一緒しませんか?」
その笑みは柔らかい。
人当たりも良い。
だが。
アリアの警戒は解けなかった。
すると。
水蓮はさらに続けた。
「それと」
「宜しかったらお礼をしたいので」
少しだけ首を傾げる。
「私の家にも寄ってくださいな」
ミーナが少し驚く。
「家?」
「はい」
水蓮は頷いた。
「港町にございます」
「命を助けて頂いた恩がありますので」
自然な提案だった。
不自然な点は無い。
だが。
アリアは気付いていた。
水蓮の視線が。
会話の最中も。
何度も。
ザインへ向いている事に。
まるで。
確認するように。
見失わないように。
そんな視線だった。
そして。
当のザインは。
その理由が分からなかった。
アリアの背中に隠れていたが。
少しだけ身体をずらす。
「?」
何故そんなに見られているのだろう。
不思議だった。
その時。
アリアの肩越しに。
ザインが顔を出した。
ほんの少しだけ。
そして。
目が合った。
水蓮と。
黒い瞳。
静かな表情。
長い黒髪。
月明かり。
二人の視線が交差する。
その瞬間。
ザインは気付いた。
水蓮は。
ずっとこちらを見ていた。
戦闘が終わってから。
いや。
もしかすると。
もっと前から。
その視線には敵意は無い。
殺気も無い。
だが。
普通ではない。
初対面の人間へ向ける視線ではなかった。
まるで。
探していた何かを見つけたような。
そんな目だった。
「……?」
ザインは首を傾げる。
やはり思い出せない。
どこかで会っただろうか。
記憶を探る。
だが。
何も出てこない。
一方。
水蓮はその反応を見ていた。
そして。
ほんの僅かに。
本当に僅かにだけ。
目を細める。
何かを確信したように。
何かが繋がったように。
だが。
次の瞬間にはいつもの穏やかな笑みに戻っていた。
「どうかされましたか?」
柔らかな声だった。
ザインは慌てて首を振る。
「いえ」
それ以上は何も言えない。
言葉に出来なかった。
夜風が吹く。
月明かりが黒髪を揺らす。
そしてアリアは。
無意識のうちに。
さらに半歩だけ。
ザインの前へ出ていた。
フィリスは少し考えている。
ミーナは助けた相手だから悪い人では無さそうと思っている。
グリムヴァルドは表情を変えない。
そして。
水蓮は相変わらず穏やかに微笑んでいた。
ただ。
アリアだけは見逃していなかった。
その視線が。
一瞬だけ。
再びザインへ向いた事を。




