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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
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旅路は続く

翌朝。


森には鳥の鳴き声が響いていた。


小川の水は今日も変わらず流れている。


朝日が木々の隙間から差し込み。


昨夜の野営地を照らしていた。


一行は出発の準備を進めていた。


焚き火の跡を消す。


荷物を纏める。


馬の様子を確認する。


そして。


ザインは少し離れた場所に立っていた。


視線の先には樽がある。


昨夜。


全員を幸せにした樽風呂。


今は静かに置かれていた。


「置いていくんですね」


ザインが言う。


グリムヴァルドは頷いた。


「ああ」


それだけだった。


収納魔術がある。


だからといって。


何でも持ち歩ける訳ではない。


収納にも限界がある。


容量にも。


維持にも。


取り出しやすさにも。


余計な荷物は増やさない方が良い。


旅人の基本だった。


まして。


今のザインは収納魔術が不完全だ。


取り出す事は出来る。


だが。


収納が出来ない。


そんな状態で大きな樽など持って歩けるはずもない。


「名残惜しいですが……」


ザインは樽を見る。


昨夜の暖かさを思い出す。


温泉ではなかった。


だが。


十分に気持ち良かった。


「良い風呂だったな」


珍しくグリムヴァルドも同意した。


ミーナも頷く。


「うん」


フィリスも眼鏡を押し上げる。


「旅の途中で湯船に入れるとは思いませんでした」


アリアだけは腕を組む。


「私は別に冷たい水でも平気だけど」


そう言いながら。


昨夜一番長く入っていたのは彼女だった。


誰も指摘しなかった。


そして。


最後にもう一度だけ樽を見る。


森の中。


小川のほとり。


次に誰かがここを通る頃には。


また別の旅人が風呂として使うのかもしれない。


そう思うと少し面白かった。


「行くぞ」


グリムヴァルドが御者台へ乗る。


馬が小さく鼻を鳴らした。


ザインも馬車へ乗り込む。


幌の中へ。


フィリスとミーナも続く。


アリアは最後に周囲を確認してから飛び乗った。


やがて。


馬車が動き出す。


車輪が回る。


樽は少しずつ遠ざかっていく。


ザインは幌の隙間からそれを見送った。


昨夜の暖かな思い出を置いていくような気がした。


けれど。


旅は続く。


馬車は森の街道を進む。


南へ。


さらに南へ。


五人を乗せた幌馬車は。


朝日に照らされながら静かに走り始めた。



森へ入ってから数日。


旅は続いていた。


だが。


周囲の様子は少しずつ変わり始めていた。


魔獣は減った。


全くいない訳ではない。


狼。


大猪。


時折危険な個体も現れる。


だが。


数はそれほど多くない。


代わりに増えたものがあった。


人間だ。


正確には。


野盗だった。


「またか」


御者台のグリムヴァルドが呟く。


街道の先。


三人組の男達が立っている。


こちらを見るなり森へ逃げていった。


アリアがため息を吐く。


「今日だけで三組目よ」


実際。


異常な頻度だった。


街道を進めば野盗。


森へ入れば野盗。


野営地を探せば野盗の痕跡。


どこへ行っても現れる。


「増えましたね」


フィリスが記録帳を閉じる。


グリムヴァルドは頷いた。


「ああ」


静かな声だった。


「戦後だからな」


その一言で大体説明がつく。


長い戦争。


終戦。


そして帰る場所を失った人間達。


全員が平和に戻れる訳ではない。


農民へ戻れない者もいる。


故郷が無くなった者もいる。


仕事を失った者もいる。


特に多いのは。


傭兵崩れ。


そして。


逃亡兵だった。


「剣しか振れない者は多い」


グリムヴァルドが言う。


「だが戦争が終われば剣を振る仕事は減る」


馬車が揺れる。


森の街道を進みながら。


彼女は続けた。


「結果として野盗になる者も出る」


ミーナは少し複雑そうな顔をした。


補給班だった頃。


そういう人間を何人も見てきた。


戦争が終われば皆幸せになる。


現実はそんな単純な話ではない。


「嫌な話だねぇ」


ぽつりと呟く。


「嫌な話だ」


グリムヴァルドも否定しなかった。


ザインは幌の隙間から外を見る。


最近遭遇した野盗達を思い出す。


装備はバラバラ。


軍の剣を持つ者。


傭兵風の鎧を着る者。


中には軍服の一部をそのまま着ている者までいた。


訓練された動きも見えた。


だからこそ厄介だった。


ただの山賊ではない。


戦争を生き延びた人間達なのだ。


アリアは腕を組む。


「正直、魔獣の方が楽ね」


その言葉に。


誰も反論しなかった。


魔獣は単純だ。


襲うか。


逃げるか。


それだけ。


だが人間は違う。


待ち伏せもする。


騙しもする。


降伏した振りもする。


そして。


追い詰められた人間ほど危険だった。


馬車は進む。


森の奥へ。


南へ。


そして今日もまた。


どこかで野盗達が街道を見張っているのだった。 


馬車は森の街道を進んでいた。


木々はさらに増えている。


空は見えにくくなり。


木漏れ日が地面へ落ちていた。


御者台ではグリムヴァルドが手綱を握っている。


その後ろ。


幌の入口からザインが顔を出していた。


しばらく景色を眺めていたが。


ふと思い出したように口を開く。


「そういえば」


グリムヴァルドが視線だけを向ける。


「何だ?」


「道を外れれば小さな街や集落がありますよね」


「ああ」


「中央都市連合もあるはずです」


ザインは少し首を傾げる。


「そちらには寄らないんですか?」


純粋な疑問だった。


この一週間。


ほとんど街へ寄っていない。


補給も最低限。


宿にも泊まっていない。


中央都市連合まで行けば。


もっと安全に休めるはずだった。


グリムヴァルドは少し考えた。


そして。


静かに答える。


「今はあまり人が多い所にはいたくない」


風が吹く。


馬車の車輪が回る。


ザインはその言葉を聞いていた。


グリムヴァルドは続ける。


「理由はいくつかある」


「まず」


少しだけ後ろを見る。


白髪の少年。


仮面。


そして失われた左腕。


「お主だ」


ザインは苦笑した。


予想していた答えだった。


「やっぱりですか」


「ああ」


グリムヴァルドは頷く。


「目立つ」


否定出来なかった。


中央都市連合は人が多い。


冒険者。


商人。


傭兵。


旅人。


噂も広がりやすい。


白髪で仮面の少年など。


下手をすれば一日で街中へ知れ渡る。


「それに」


グリムヴァルドは少し表情を曇らせる。


「戦争が終わったばかりだ」


「中央都市連合には色々な人間が集まる」


逃亡兵。


傭兵。


商人。


元兵士。


情報屋。


そういった者達も当然いる。


「目立たぬ方が良い」


それが結論だった。


アリアも小さく頷く。


「私も賛成」


蒼い瞳が森を見る。


「今はまだ静かに旅したいわ」


フィリスも同意した。


「情報が流れるのは避けたいですね」


ミーナは苦笑する。


「私は久しぶりに宿のベッドで寝たいけどねぇ」


その言葉に。


全員が少し笑った。


グリムヴァルドも肩を竦める。


「それは私もだ」


珍しい本音だった。


そして。


少しだけ懐かしそうな顔になる。


「だが急ぐ旅でもない」


「南へ向かう途中で必要になれば寄る」


「今はその時ではない」


馬車は進む。


森の奥へ。


南へ。


人の少ない道を選びながら。


グリムヴァルドは前を見る。


今はまだ。


静かな旅の方が良かった。


少なくとも。


彼女はそう考えていた。


深い森を抜けたのは数日後だった。


長く続いていた木々が途切れる。


視界が開ける。


久しぶりに広い空が見えた。


「おお……」


ミーナが思わず声を漏らす。


フィリスも眼鏡を押し上げた。


森の圧迫感が無くなり。


景色が一気に広がっている。


街道は続いている。


だが。


そこでグリムヴァルドは手綱を操作した。


馬車がゆっくりと進路を変える。


南ではない。


東だ。


「?」


ザインは首を傾げた。


しばらく地図を思い浮かべる。


そして。


御者台へ顔を出した。


「あの」


「何だ」


「南へ向かうんじゃなかったんですか?」


素朴な疑問だった。


これまでずっと南を目指していた。


だから当然。


このまま南下するものだと思っていた。


グリムヴァルドは小さく笑う。


「そう思うだろうな」


そして前方を見る。


街道は東へ続いている。


「正確には真南ではない」


ザインはさらに首を傾げた。


グリムヴァルドは説明を続ける。


「エルフの里へは南から入れん」


「え?」


「南には獣王国がある」


その言葉にザインも思い出す。


大陸最南端。


獣人達の国家。


獣王国。


「エルフの里はその北側にある」


「なら南から行けば近いのでは?」


グリムヴァルドは首を振った。


「入れん」


即答だった。


「昔からな」


馬車が東へ進む。


風が吹く。


グリムヴァルドは続けた。


「南側は天然の要害だ」


「森も深い」


「結界もある」


「そして何より」


少しだけ苦笑した。


「歓迎されん」


「歓迎されない?」


「ああ」


グリムヴァルドは頷く。


「獣王国側から勝手に入ろうとすると追い返される」


実にエルフらしい話だった。


フィリスも納得したように頷く。


「閉鎖的なんですね」


「昔よりはマシだ」


グリムヴァルドは答える。


「だが今でも出入り口は限られている」


そして東を指差した。


「だから海沿いへ向かう」


「東海岸の港町を経由する」


「そこからエルフ領へ入るのが正式な道だ」


ザインはようやく理解した。


つまり。


目的地は南。


だが。


行き方が違う。


真っ直ぐ進めば良い訳ではないのだ。


アリアも頷く。


「だから最初から東へ曲がる予定だったのね」


「そういう事だ」


グリムヴァルドは手綱を軽く引く。


馬が歩みを進める。


東へ。


海へ。


その先にある港町へ。


そして。


さらにその先。


南方エルフの里へ。


ザインは進行方向を見る。


旅はまだ続く。


だが。


少しだけ。


目的地へ近付いた気がしていた。

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