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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
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おかえり

夜は静かだった。


深い森。


小川のせせらぎ。


小さく燃える焚き火。


時折聞こえる虫の声。


それだけだった。


全員が眠っている。


グリムヴァルドも。


アリアも。


フィリスも。


今日は樽風呂のおかげで疲れが一気に出たのだろう。


すぐに寝てしまった。


だが。


ザインだけは違った。


風呂から上がった後。


そのまま寝てしまったのだ。


結果。


真夜中に目が覚めた。


「……」


しばらく天井代わりのテントを見る。


眠くない。


完全に目が冴えていた。


「困りましたね」


小さく呟く。


そして。


起こさないように静かにテントを出た。


夜風が頬を撫でる。


少し冷たい。


だが昼間よりはずっと過ごしやすい。


焚き火の方を見る。


誰かいる。


「ん?」


小さな背中だった。


ミーナだった。


焚き火の前に座っている。


小枝で火をつついていた。


補給班長時代からの癖なのかもしれない。


火加減を見ている姿が妙に様になっている。


「起きてたんですか」


ザインが声を掛ける。


ミーナが振り返る。


「あ」


少し驚いた顔。


だがすぐに笑った。


「ザインも起きたんだ」


「寝過ぎました」


「ふふっ」


ミーナは隣を軽く叩く。


「座る?」


ザインも頷いた。


焚き火の隣へ腰を下ろす。


火が暖かい。


ぱちり。


薪が爆ぜる。


しばらく二人とも何も言わなかった。


静かな時間だった。


やがて。


ミーナが口を開く。


「肩はどう?」


ザインは肩を回してみる。


「だいぶ良いです」


「痛くない?」


「少しだけ」


「なら大丈夫だね」


ミーナは安心したように頷く。


そして。


焚き火へ小枝を一本投げた。


「びっくりしたんだよ」


ぽつりと呟く。


ザインはミーナを見る。


「矢ですか?」


「うん」


ミーナは苦笑する。


「だって急に血が出るんだもん」


「そんなに大した怪我じゃ」


「それは結果論」


即答だった。


ザインは黙る。


ミーナは焚き火を見つめる。


「補給班だったからさ」


「怪我人はいっぱい見てきた」


炎が揺れる。


「でも知り合いが怪我するのは慣れない」


小さな声だった。


ザインは少し考える。


そして。


「すみません」


と言った。


ミーナは目を丸くする。


「何で謝るの」


「心配させたので」


その返事に。


ミーナはしばらくぽかんとしていた。


やがて。


ふっと笑う。


「変なところ真面目だよね」


「そうですか?」


「そうだよ」


焚き火が揺れる。


しばらく沈黙。


心地良い沈黙だった。


やがてミーナが空を見上げる。


木々の隙間から星が見える。


「ねぇザイン」


「何ですか?」


「旅、楽しい?」


突然だった。


ザインは少し考える。


辺境街。


温泉街。


馬車。


樽風呂。


収納魔術。


蔦の魔術。


色々な事があった。


そして。


今もこうして旅を続けている。


「楽しいです」


素直に答えた。


ミーナは少し嬉しそうに笑う。


「そっか」


その笑顔は。


どこか安心したようにも見えた。


焚き火の明かりが揺れる。


森の夜は静かだった。


見張り番の二人は。


もうしばらく他愛もない話を続けるのだった。


焚き火が静かに燃えている。


ミーナはしばらく炎を眺めていた。


何かを思い出しているようだった。


そして。


「あ、そうだ」


ぽんと手を叩く。


鞄へ手を突っ込む。


ごそごそと何かを探し始めた。


ザインは首を傾げる。


「何ですか?」


「ちょっと待って」


さらに探す。


やがて。


小さな布袋を取り出した。


「はい」


そのままザインへ差し出す。


ザインは受け取った。


少し重みがある。


「?」


袋を開く。


中を見る。


そして。


思わず目を瞬かせた。


「クッキー……」


小さな焼き菓子だった。


形も不揃い。


決して豪華ではない。


だが。


見覚えがあった。


ミーナがよく焼いていたものだ。


聖騎士団の補給班で。


休憩時間に配っていたもの。


ザインは一枚取り出す。


しばらく眺める。


そして。


口へ運んだ。


さくっ。


小さな音。


ゆっくり噛む。


甘い。


優しい甘さだった。


そして。


懐かしい。


「……」


ザインは何も言わなかった。


ただもう一口食べる。


昔と同じだった。


味も。


食感も。


少しだけ焦げているところまで。


何も変わっていない。


ミーナはその様子を見ていた。


少し不安そうに。


「どう?」


ザインはクッキーを見る。


そして。


小さく笑った。


「昔と同じ味です」


その瞬間。


ミーナの表情が緩む。


「そっか」


本当に嬉しそうだった。


「良かった」


焚き火が揺れる。


ザインはもう一枚取り出した。


昔を思い出す。


補給班。


焼き菓子の匂い。


訓練帰り。


疲れた身体。


そして。


ミーナのクッキー。


色々なものが変わった。


失ったものも多い。


だが。


今。


手の中にあるクッキーだけは。


あの頃と何も変わっていなかった。


「いっぱい作ったんですか?」


ザインが聞く。


ミーナは少しだけ視線を逸らした。


「まぁね」


「旅用ですか?」


少しの沈黙。


そして。


ミーナは苦笑した。


「……誰かが帰ってくるかもしれないと思って」


焚き火がぱちりと音を立てる。


ザインは何も言わなかった。


言えなかった。


ただ。


静かにクッキーを口へ運ぶ。


昔と変わらない味だった。


だからこそ。


少しだけ。


胸の奥が暖かくなったのだった。


ミーナは焚き火を見つめていた。


手の中には空になったクッキーの袋。


炎が揺れる。


その明かりが横顔を照らしていた。


しばらく黙っていたが。


やがて。


ぽつりと呟く。


「ずっと……心配してたんだよ」


ザインの手が止まる。


ミーナは炎から目を離さない。


「あなたを逃がした後」


小さな声だった。


「本当に逃げ切れたのかなって」


「どこかで倒れてないかなって」


「ちゃんと食べられてるかなって」


「寒くないかなって」


少しだけ笑う。


泣きそうな笑顔だった。


「いっぱい考えちゃった」


ザインは何も言えなかった。


あの夜。


フィリス。


ミーナ。


セレナ。


リオーネ。


四人が手を貸してくれた。


ジンを砦から逃がすために。


もう二度と戻れないと知りながら。


自分達も危険になると分かっていながら。


それでも逃がしてくれた。


ミーナは続ける。


「逃がしたのは私達なのにね」


「逃げてって言ったのも」


「行ってって背中を押したのも」


「私達なのに」


声が少し震える。


「それでも、いなくなった後は怖かった」


焚き火がぱちりと音を立てる。


「私達が送り出した先で」


「もし死んじゃってたらどうしようって」


「ずっと思ってた」


ザインは俯く。


胸の奥が詰まる。


ミーナは少し息を吸う。


そして。


柔らかく笑った。


「だから、フィリスちゃんから手紙が来た時はびっくりしちゃったんだぁ」


懐かしむような声。


「生きてるって」


「ジンが生きてるって」


「今はザインって名前で旅をしてるって」


「それを読んだ時」


ミーナは少しだけ目元を拭った。


「腰が抜けそうになった」


ザインは静かに聞いていた。


焚き火の音だけが間に挟まる。


ミーナはようやくザインを見る。


そして。


小さな声で言った。


「ジン」


その呼び方だった。


旅の間はザイン。


けれど。


今だけは。


焚き火の傍で二人だけの今だけは。


昔の名前だった。


「あなたが無事で本当に良かった」


その言葉に嘘は無かった。


心の底からの言葉だった。


ザインは何か言おうとする。


けれど。


上手く言葉にならない。


結局。


出てきたのは一言だけだった。


「……助けてくれて、ありがとうございました」


ミーナは首を振る。


「違うよ」


優しい声だった。


「私達が助けたかったの」


そして。


少しだけ笑う。


「生きててくれてありがとうって言ってるの」


焚き火が揺れる。


森の夜は静かだった。


ザインは手の中のクッキーを見る。


昔と変わらない味。


そして。


目の前には。


あの夜、自分を逃がしてくれた人がいる。


それが。


どうしようもなく温かかった。


だから。


今度はちゃんと答えた。


「……ただいま」


その言葉に。


ミーナは一瞬目を丸くした。


そして。


本当に嬉しそうに笑った。


「うん」


小さく頷く。


「おかえり」

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