野盗
翌日。
五人は再び南へ向かって街道を歩いていた。
空は晴れている。
雪もかなり少なくなっていた。
街道脇には草も見え始めている。
冬の終わりが近付いていた。
そんな時だった。
「止まって」
先頭近くを歩いていたアリアが不意に口を開く。
蒼い瞳が街道の先を見ていた。
全員が足を止める。
「どうした?」
グリムヴァルドが尋ねる。
アリアは少し先を指差した。
「馬車」
ザイン達も目を凝らす。
かなり遠い。
しばらくして。
ようやくザインにも見えた。
街道の脇。
一台の馬車が止まっている。
「本当ですね」
フィリスも頷く。
ミーナも目を細めた。
「御者がいるみたい」
アリアは頷く。
「一人だけ」
馬車は壊れている様子も無い。
馬も落ち着いている。
御者台には男が一人。
それだけだった。
だが。
アリアは視線を逸らさない。
「少し変なのよね」
「何がだ?」
グリムヴァルドが聞く。
「分からない」
正直な答えだった。
「でも嫌な感じがする」
猟兵としての勘だった。
それに。
もう二日。
温泉街を出てから歩き続けている。
街道とはいえ安全ではない。
盗賊も出る。
魔獣も出る。
護衛を雇った商人もいる。
逆に。
護衛を装った盗賊もいる。
だから。
五人とも自然と警戒していた。
グリムヴァルドはしばらく馬車を見ていたが。
やがて杖を握る。
「少し見てみるか」
南方の言葉が紡がれる。
静かな詠唱。
緑色の魔力が地面へ染み込む。
木々へ。
草花へ。
風へ。
自然へ広がっていく。
探知の南方魔術だった。
しばらくして。
グリムヴァルドの表情が僅かに変わる。
「……なるほど」
低い声だった。
アリアが振り返る。
「何かいた?」
「ああ」
グリムヴァルドはゆっくり目を開く。
そして。
馬車を見た。
「御者は一人だ」
「だが」
一拍置く。
「馬車の中に六人いる」
沈黙。
フィリスが眉をひそめる。
「六人?」
「隠れているな」
グリムヴァルドは頷く。
「気配を殺している」
空気が変わった。
普通の旅人なら。
普通に座る。
普通に休憩する。
だが。
六人全員が馬車の中にいる。
しかも。
気配を隠している。
それは少し不自然だった。
アリアも馬車を見つめる。
蒼い瞳が細くなる。
「護衛か」
「待ち伏せか」
「あるいはその両方かもしれないわね」
誰も軽々しく近付こうとは言わなかった。
街道には街道の危険がある。
それを知っている者達ばかりだったからだ。
冷たい風が吹く。
遠く。
街道脇の馬車は静かに止まったままだった。
遠く。
街道脇に止まる馬車。
御者は一人。
だが。
馬車の中には六人。
しかも気配を殺している。
普通ではない。
アリアはしばらく馬車を見つめていた。
そして。
視線をグリムヴァルドへ向ける。
「どうする?」
短い問いだった。
グリムヴァルドはすぐには答えなかった。
杖を持ったまま。
馬車を見る。
探知魔術はまだ続いている。
御者。
馬車の中の六人。
誰も動かない。
こちらへ敵意を向けている訳でもない。
だが。
警戒はしている。
そんな気配だった。
しばらく考えた後。
グリムヴァルドは静かに言った。
「避けて行こう」
誰も驚かなかった。
むしろ。
予想していた答えだった。
「いいの?」
アリアが尋ねる。
「ああ」
グリムヴァルドは頷く。
「何にせよ妙だ」
馬車を見る。
「商人かもしれん」
「護衛かもしれん」
「盗賊かもしれん」
そこで肩を竦めた。
「どれでも構わん」
「だが」
少しだけ声が低くなる。
「関わる理由も無い」
その言葉に。
フィリスも頷く。
「確かに」
ミーナも同意した。
「私達は旅の途中だもんね」
目的は南方だ。
馬車ではない。
ましてや。
正体も分からない集団へ近付く理由も無い。
ザインも馬車を見る。
そして小さく頷いた。
「そうですね」
今の自分達は五人。
そのうち二人は戦闘専門ではない。
自分も本調子ではない。
わざわざ危険へ近付く必要は無かった。
グリムヴァルドは杖を軽く振る。
「街道を外れる」
「少し森側を迂回するぞ」
全員が頷いた。
そして。
五人は静かに進路を変える。
街道から離れる。
馬車からも離れる。
関わらないために。
だが。
その時だった。
アリアが最後に一度だけ馬車を見る。
御者は相変わらず前を向いている。
動かない。
馬車の中の六人も。
気配を潜めたままだった。
まるで。
何かを待っているように。
その姿が。
少しだけ気になった。
結局。
何も起きなかった。
五人は街道を外れ。
森側を大きく迂回した。
グリムヴァルドの探知魔術を頼りに。
馬車の集団とは十分な距離を取る。
そして。
しばらく進んだ後。
再び街道へ戻った。
誰も追って来ない。
誰も襲って来ない。
馬車の連中とも再び会う事は無かった。
それだけだった。
旅は続く。
空は青い。
風は冷たい。
だが。
穏やかだった。
盗賊もいない。
魔獣も現れない。
ただ歩く。
それだけの時間。
ミーナは道端で見つけた草を眺めている。
フィリスは記録帳へ何かを書いていた。
グリムヴァルドは先頭を歩く。
そして。
アリアは少し後ろからザインを見ていた。
白い髪。
風に揺れている。
昔は違った。
黒かった。
あの頃は。
まだ。
普通の少年だった。
少なくとも。
今よりは。
アリアは知っている。
崖の上で見たからだ。
雪の夜。
雷撃の光の中。
白く変わっていく髪を。
あの日を境に。
何もかも変わってしまった。
左腕を失った。
左目も失った。
そして。
髪まで白くなった。
今のザインは。
黙って歩いているだけでも。
どこか痛々しく見える。
本人は気にしていない。
いや。
気付かないようにしているのかもしれない。
収納魔術の練習をして。
蔦の魔術を練習して。
前を向こうとしている。
それは分かる。
だから余計に。
アリアは胸が痛かった。
「……」
気付けば。
手が伸びていた。
白い髪へ。
ふわりと触れる。
「?」
ザインが振り返る。
残った右目が瞬く。
「どうしました?」
アリアはすぐには答えなかった。
白い髪を見る。
そして。
少しだけ目を伏せた。
「何でもない」
小さな声だった。
ザインは首を傾げる。
だが。
それ以上は聞かなかった。
アリアも説明しない。
説明出来なかった。
ごめんなさい。
その言葉が。
今でも胸の奥に残っていたからだ。
だから。
代わりに。
ぽん。
と一度だけ頭を撫でる。
「……?」
ザインはますます困惑していた。
アリアは視線を逸らす。
そして。
何事も無かったように前を向いた。
旅は続く。
平和な時間だった。
少なくとも今は。
ただ風だけが。
白くなった髪を静かに揺らしていた。
夜だった。
街道から少し離れた林の中。
五人は小さな焚き火を囲んでいた。
パチパチと薪が爆ぜる。
ミーナが作った簡単なスープの匂いが漂う。
穏やかな時間だった。
昼間の馬車の事もあり。
街道からは距離を取っている。
見つかりにくい場所だった。
だから。
誰もが少し気を緩め始めていた。
その時だった。
グリムヴァルドの表情が変わる。
ほんの僅かだった。
だが。
ザインは気付いた。
「グリムヴァルドさん?」
グリムヴァルドは返事をしない。
探知魔術を維持したまま。
じっと夜の闇を見つめている。
そして。
低く言った。
「警戒しろ」
空気が変わる。
アリアが即座に立ち上がる。
短弓を手に取る。
ミーナもショートソードへ手を伸ばした。
フィリスも剣を抜く。
ザインも杖を握る。
焚き火の周囲から緊張が消える。
代わりに。
静かな戦闘態勢が出来上がった。
「何人?」
アリアが尋ねる。
「七」
即答だった。
グリムヴァルドは目を閉じている。
探知魔術越しに感じているのだ。
「武装している」
「こちらへ向かって来ている訳ではない」
そこで言葉を切る。
そして。
僅かに眉をひそめた。
「……いや」
「何かを探している」
その時だった。
遠くから音が聞こえた。
ガラガラ。
車輪の音。
馬の足音。
街道だ。
夜の街道を馬車が走っている。
やがて。
その音が止まる。
近い。
かなり近い。
林を挟んだ向こう側。
街道沿いだ。
アリアが木へ飛び乗る。
枝の上から様子を窺う。
数秒後。
小さく舌打ちした。
「昼間の馬車」
その一言で全員が理解する。
グリムヴァルドも頷いた。
探知魔術の気配と一致していた。
馬車は一台。
そして。
七人。
気配が散る。
林の周囲へ。
街道沿いへ。
少しずつ広がっていく。
まるで。
何かを探すように。
いや。
実際に探しているのだろう。
探知魔術越しにも分かる。
焦り。
緊張。
警戒。
その感情がはっきりと伝わってくる。
「……私達か?」
ミーナが小さく呟く。
誰も答えない。
分からないからだ。
だが。
少なくとも。
七人は何かを探している。
そして。
その捜索範囲は。
少しずつ。
この林へ近付いていた。
焚き火の火が小さく揺れる。
誰も動かない。
誰も声を上げない。
ただ。
武器を握ったまま。
闇の向こうの気配を見守っていた。
気配が近付いてくる。
一つ。
二つ。
三つ。
そして七つ。
ゆっくりと。
だが確実に。
林の中へ入って来ていた。
アリアが木の上から小さく呟く。
「来る」
グリムヴァルドも頷いた。
探知魔術越しにも分かる。
一直線だ。
迷いが無い。
まるで。
最初からこちらの位置が分かっていたかのように。
「焚き火だな」
グリムヴァルドが低く言う。
杖を振る。
南方魔術。
風が吹く。
焚き火の炎が揺れる。
そして。
ふっ。
火が消えた。
林を照らしていた明かりが消失する。
辺りは月明かりだけになった。
だが。
遅かった。
火は消せても。
匂いまでは消せない。
料理の匂い。
煙の匂い。
人の匂い。
夜の林では十分な目印だった。
気配が止まる。
そして。
次の瞬間。
男の声が響いた。
「いたぞ!!」
怒鳴り声。
その直後だった。
七つの気配が一斉に動く。
走る。
木々を掻き分ける音。
足音。
武器の音。
一直線にこちらへ向かって来る。
「っ!」
ミーナが剣を抜く。
フィリスも前へ出る。
アリアは木の上から矢を番えた。
ザインも杖を握る。
そして。
男達が姿を現した。
月明かりに照らされる。
その顔を見た瞬間。
アリアの表情が険しくなる。
野盗だった。
革鎧。
汚れた服。
欠けた剣。
斧。
棍棒。
まともな装備ではない。
そして何より。
顔だった。
全員が笑っている。
下卑た笑み。
獲物を見つけた肉食獣のような笑み。
「おいおい」
先頭の男が笑う。
「女ばっかじゃねぇか」
別の男も笑った。
「当たりだな」
「売ってもいい」
「遊んでからでもいいぞ」
下品な笑い声。
月明かりの下。
七人の野盗が武器を握る。
そして。
その視線は。
アリア。
フィリス。
ミーナ。
三人へ向いていた。
グリムヴァルドの目が細くなる。
ザインも杖を握る手へ力を込めた。
野盗達はまだ気付いていない。
目の前にいる相手が。
ただの旅人ではない事に。
「殺しちまえ!!」
先頭の男が怒鳴る。
汚れた歯を見せながら笑っていた。
「女は後だ!」
「生け捕りにしろ!!」
その声と同時だった。
野盗達が一斉に動く。
七人。
散開。
剣。
斧。
棍棒。
そして。
後方の二人が弓を構えた。
アリアの目が見開かれる。
「ザイン!!」
ヒュッ!!
ヒュッ!!
二本の矢。
真っ直ぐ。
ザインへ向かう。
咄嗟だった。
ザインは身体を捻る。
左目を失ってから狂った距離感。
それでも。
聖騎士団時代に叩き込まれた反射は残っている。
一本目。
頬の横を掠める。
そして。
二本目。
避け切れない。
「っ!」
ザシュッ!!
肩口へ鋭い痛みが走る。
矢尻が服を裂く。
血が飛ぶ。
だが。
深くは刺さらない。
身体を捻ったおかげで。
肩を掠めただけだった。
それでも痛い。
焼けるような痛みだった。
「ザイン!」
アリアが叫ぶ。
蒼い瞳が怒りに染まる。
だが。
ザインは倒れない。
肩を押さえながら杖を構える。
痛みはある。
血も流れている。
だが。
動ける。
まだ動ける。
その時だった。
グリムヴァルドの周囲の空気が変わる。
探知魔術は既に切っている。
今度は別だ。
純粋な戦闘魔術。
風が巻く。
草が揺れる。
木々が軋む。
「……」
グリムヴァルドは何も言わない。
ただ。
杖を持ち上げた。
その姿を見た瞬間。
先頭の野盗だけが気付く。
「あ……?」
嫌な予感。
本能的な恐怖。
だが。
遅かった。
アリアは矢を番える。
フィリスは剣を抜く。
ミーナもショートソードを構える。
そして。
ザインも痛む肩を押さえながら。
杖を前へ向けた。
野盗達は知らない。
自分達が襲った相手が。
金級冒険者上位の魔術師。
元帝国猟兵隊長。
元聖騎士団員。
そして。
長い旅を生き抜いてきた者達である事を。
その瞬間。
野盗達にとって最悪の戦いが始まった。
「ザイン!」
アリアの声が響く。
肩口から血が流れる。
掠っただけ。
だが。
それで十分だった。
アリアの表情から迷いが消える。
短弓を引く。
帝国猟兵隊長だった頃の動き。
速い。
あまりにも速い。
野盗達は気付く事すら出来なかった。
ヒュッ!!
一射。
矢が飛ぶ。
弓を構えていた男の喉へ突き刺さる。
男は声も出せず倒れた。
そして。
次の矢は既に放たれている。
ヒュッ!!
二射目。
もう一人の弓兵の胸へ。
男は後ろへ吹き飛び。
そのまま動かなくなった。
二人。
終了だった。
「なっ――」
野盗達の顔色が変わる。
残り五人。
その時だった。
先頭を走っていた男がグリムヴァルドへ飛び掛かる。
剣を振り上げる。
だが。
グリムヴァルドは動かない。
杖を僅かに振るだけだった。
ゴォッ!!
突風。
男の身体が浮く。
まるで見えない巨人に殴られたようだった。
「ぎゃああっ!?」
男は木へ叩き付けられる。
鈍い音。
そのまま動かなくなった。
残り四人。
ここでようやく理解する。
相手がおかしい。
旅人ではない。
護衛でもない。
化け物だ。
逃げようとする者もいた。
だが。
グリムヴァルドは既に杖を構えていた。
「遅い」
静かな声だった。
風が集まる。
圧縮される。
刃になる。
四つ。
いや。
それ以上。
月明かりに薄く輝く風の刃。
そして。
放たれる。
ヒュンッ!!
一瞬だった。
風が走る。
男達の身体を通り過ぎる。
次の瞬間。
四人が同時に倒れた。
武器が落ちる。
地面へ転がる。
誰一人として立ち上がらない。
静寂。
風だけが吹いている。
戦闘開始から。
ほんの数十秒。
野盗七人。
全滅だった。
アリアはゆっくり弓を下ろす。
フィリスも剣を収めた。
ミーナに至っては剣を抜く暇すら無かった。
ザインは肩を押さえながら呆然としている。
グリムヴァルドは杖を下ろした。
表情は変わらない。
ただ。
倒れた野盗達を見て一言だけ呟く。
「だから関わるなと言ったんだ」
それは野盗へ向けた言葉だったのか。
それとも別の誰かへ向けた言葉だったのか。
誰にも分からなかった。
ただ一つだけ確かなのは。
この程度の野盗では。
この五人を止める事など出来なかったという事だった。




