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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
155/197

旅路二日目、蔦

街道を歩く。


空は晴れていた。


雪もかなり少なくなっている。


とはいえ風はまだ冷たい。


北方の名残は残っていた。


そんな中。


ザインは歩きながら右手を前へ出していた。


真剣な顔だった。


「……」


集中する。


収納空間を探る。


以前なら呼吸のように出来た魔術。


今は違う。


少しずつ。


感覚を取り戻している最中だった。


やがて。


淡い光が揺れる。


ぽん。


小さな音と共に何かが現れた。


りんごだった。


ザインが落とさないように慌てて受け止める。


「お」


アリアが振り返る。


「成功したのね」


「はい」


ザインが少し嬉しそうに頷く。


温泉街で貰ったりんごだった。


まだ瑞々しい。


収納魔術のおかげで傷んでもいない。


ザインはそのままりんごをミーナへ渡した。


「どうぞ」


「ありがとう」


ミーナが受け取る。


そして。


またザインは集中を始めた。


今度は少し時間が掛かる。


収納空間の感覚を探る。


魔力を整える。


そして。


ぽん。


今度はオレンジだった。


少し斜めに飛び出したそれを。


アリアが空中で受け取る。


「危ないわね」


「すみません」


「前よりは良くなってるわ」


アリアはそう言ってオレンジを眺める。


少なくとも。


頭へ落ちてくるよりは遥かに進歩していた。


グリムヴァルドも歩きながら見ている。


何も言わない。


だが。


以前より術式の乱れが減っている事には気付いていた。


ザインは再び集中する。


りんご。


オレンジ。


干し果実。


木苺。


次々と小さな物を取り出していく。


まるで子供が宝箱を漁るようだった。


フィリスが眼鏡を押し上げる。


「収納魔術の訓練ですか?」


「はい」


ザインは頷く。


「大きな物はまだ怖いので」


それは事実だった。


鍋や木箱を出そうとして失敗したら危険だ。


だから。


まずは小さな物。


確実に制御出来る物から。


少しずつ感覚を取り戻している。


「真面目ですね」


フィリスが言う。


すると。


グリムヴァルドがぼそりと呟いた。


「暇だからだ」


ザインが振り返る。


「違いますよ」


「暇だからだ」


「違います」


「暇だからだ」


即答だった。


アリアが肩を震わせる。


ミーナも少し笑っている。


ザインだけが不満そうだった。


だが。


その後も。


街道を歩きながら。


りんごが出て。


オレンジが出て。


干し果実が出て。


時折失敗しながらも。


少しずつ。


収納魔術の感覚を取り戻していくのだった。


「あ」


不意に。


ザインが何かを思い出したような顔をした。


歩きながら右手を上げる。


「そうだ」


「今度は何よ」


アリアが若干警戒した声を出す。


先程から収納魔術の訓練をしていたせいだろう。


ザインは少し考える。


そして。


「蔦の魔術を試してみます」


その言葉に。


グリムヴァルドが嫌な予感を覚えた。


「やめろ」


即答だった。


だが。


一歩遅い。


ザインは既に詠唱を始めていた。


地面へ魔力が流れ込む。


本来なら。


狙った場所から。


狙った方向へ。


蔦が伸びる。


そういう魔術だった。


だが。


今のザインは左目を失っている。


魔術の照準も狂っている。


結果。


ぼこっ。


街道脇の地面から蔦が飛び出した。


「お」


ザインが見る。


思った場所ではない。


三メートルほど横だった。


「ずれてますね」


冷静だった。


だが。


問題はそこではない。


蔦はそのまま伸びる。


伸びる。


伸びる。


そして。


ミーナの足首へ絡み付いた。


「きゃっ」


ミーナが転びそうになる。


慌ててフィリスが支える。


「危ないです」


「ご、ごめんなさい!」


ザインが慌てる。


蔦を解除しようとする。


だが。


今度は別の場所から蔦が生えた。


ぼこっ。


アリアのすぐ横。


「っ!?」


反射的にアリアが飛び退く。


猫獣人らしい俊敏さだった。


蔦は空しく空を掴む。


「ザイン」


アリアの声が少し低い。


「はい」


「歩きながら訓練するのやめなさい」


「すみません」


即座に謝る。


グリムヴァルドは額を押さえていた。


予想通りだった。


いや。


予想以上だった。


フィリスが冷静に分析する。


「収納魔術より酷いですね」


「そうですね……」


ザインも否定出来ない。


本来。


蔦の魔術は得意分野だった。


左腕を失った後。


何度も使った。


戦闘にも。


日常にも。


移動にも。


だが。


今は駄目だった。


照準が合わない。


距離感も狂っている。


狙った場所へ出せない。


「なるほど」


グリムヴァルドが呟く。


「収納より症状が重いな」


ザインも頷く。


魔術そのものは発動する。


威力も問題無い。


だが。


狙えない。


それは魔術師としてかなり致命的だった。


少しだけ。


ザインの表情が曇る。


そんな様子を見て。


アリアが前へ出た。


そして。


ぽん。


頭を軽く叩く。


「焦らない」


蒼い瞳がザインを見る。


「昨日より収納魔術は上手くなったでしょう?」


「……はい」


「なら少しずつよ」


優しい声だった。


ザインは少しだけ笑う。


そして。


地面から生えている蔦を見る。


その蔦はなぜか。


街道脇の木へぐるぐる巻きに絡まっていた。


誰も狙っていない場所だった。


グリムヴァルドが一言。


「才能あるな」


「馬鹿にしてます?」


「している」


即答だった。


アリアが吹き出す。


ミーナも笑う。


フィリスも口元を押さえていた。


そして。


少しだけ明るい空気の中。


五人は再び南へ向かって歩き出した。


その日の夕方。


五人は街道から少し離れた林の中で野営を行う事にした。


周囲に魔獣の痕跡は無い。


見通しも悪くない。


水場も近い。


グリムヴァルドが問題無いと判断した場所だった。


「ここにする」


短い一言。


それで決まった。


グリムヴァルドは杖を持ち上げる。


収納魔術。


淡い緑色の光が広がる。


次の瞬間。


光の中から大きな荷物が現れた。


三人用テント。


そして二人用テント。


続いて寝袋。


毛布。


鍋。


薪。


野営道具一式。


慣れた手つきで次々と取り出されていく。


「便利ですねぇ」


ミーナが感心したように呟く。


「便利だ」


グリムヴァルドは当然のように答えた。


それ以上の感想は無いらしい。


やがて。


テントの設営も終わる。


焚き火も起こされる。


食事の準備も始まった。


その間。


グリムヴァルドだけは少し離れた場所へ歩いていった。


ザインがそれに気付く。


「あ」


何をするのか分かっていた。


昨夜も見たからだ。


グリムヴァルドは杖を地面へ突く。


静かに詠唱を始めた。


夜風に溶けるような言葉。


南方の言葉。


北方とも西方とも違う。


柔らかく。


どこか自然へ語り掛けるような響きだった。


やがて。


杖の先が淡く光る。


緑色の魔力が草木へ溶けていく。


木々へ。


地面へ。


夜の森へ。


静かに広がっていった。


派手な魔術ではない。


だが。


周囲の空気が変わる。


自然そのものが目となり耳となる。


そんな感覚。


詠唱が終わる。


グリムヴァルドはゆっくり目を開いた。


「よし」


短く呟く。


ザインが近付く。


「どうですか?」


「静かだ」


グリムヴァルドは森を見渡した。


「魔獣は遠い」


「人もいない」


「少なくとも今夜は問題無い」


それだけで十分だった。


アリアも少し安心したように息を吐く。


フィリスも周囲を見回す。


「本当に便利ですね」


記録係らしい感想だった。


グリムヴァルドは肩を竦める。


「旅人向けの術だ」


「南方では割と使われている」


相変わらずだった。


どう考えても便利過ぎる魔術なのだが。


本人は全くそう思っていないらしい。


焚き火の炎が揺れる。


夜が近付いていた。


五人の旅はまだ始まったばかりだった。


だが。


少なくとも今夜も。


安心して眠れそうだった。


夕食を終えた後だった。


ミーナは片付けをしている。


フィリスは記録帳を広げている。


アリアは焚き火の近くで弓の手入れをしていた。


グリムヴァルドは少し離れた場所で周囲を警戒している。


そんな中。


ザインだけは一人で林の外れへ向かっていた。


「……」


右手を見つめる。


今の自分は弱い。


それは理解していた。


左目を失った。


距離感が狂った。


魔術の照準も狂った。


収納魔術は少しずつ戻り始めている。


だが。


戦闘用の魔術はまだ危険だった。


火球を放てば。


どこへ飛ぶか分からない。


風の刃を撃てば。


仲間へ飛ぶかもしれない。


だから。


攻撃魔術の訓練はやめた。


今はまだ。


危険過ぎる。


「なら」


ザインは静かに呟く。


「蔦ですね」


幸い。


蔦の魔術は直接破壊する術ではない。


多少狙いがずれても致命的にはなりにくい。


訓練には丁度良かった。


ザインは木を一つ見つめる。


距離は十歩ほど。


以前なら簡単だった。


右手を前へ出す。


魔力を流す。


術式を構築する。


そして。


地面へ意識を向ける。


「――伸びろ」


ぼこっ。


地面が盛り上がる。


蔦が飛び出した。


だが。


狙った場所ではなかった。


木から二メートルほど横。


全く関係ない場所から生えている。


「うーん……」


ザインは頭を掻く。


予想通りだった。


もう一度。


今度はもっと慎重に。


魔力を整える。


距離を測る。


木を見る。


そして発動。


ぼこっ。


今度は惜しかった。


木の根元から少しずれた場所。


それでも先程よりは良い。


「もう少しですね」


三回。


四回。


五回。


何度も繰り返す。


その度に。


少しずつ誤差が減っていく。


だが。


まだ駄目だ。


以前なら指先のように扱えた。


今は違う。


どうしてもずれる。


ほんの少し。


だが戦闘では致命的な差だった。


ザインは小さく息を吐く。


そして再び構える。


何度でもやる。


戻らないなら。


慣れるしかない。


失った目は戻らない。


なら。


残った目で戦えるようになるしかない。


そう考えていた。


その様子を。


少し離れた場所からアリアが見ていた。


声は掛けない。


止めもしない。


ただ静かに見守る。


ザインは気付いていなかった。


蔦の魔術を繰り返す。


一歩ずつ。


本当に少しずつだったが。


確かに昨日よりは上手くなっていた。


「そういえば……」


何度目かの失敗の後だった。


ザインはふと思い出したように呟く。


目の前には一本の蔦。


先程発動した魔術だった。


地面から生えたまま揺れている。


ザインはその蔦を見つめる。


そして。


ごく自然に話しかけた。


「すみません」


蔦がふるりと揺れる。


もちろん返事は無い。


だがザインは気にしない。


「向こうの木に絡まってくれませんか?」


少し離れた木を指差す。


「出来ればあの辺りで」


幹の中ほどを指差す。


「お願いします」


数秒。


沈黙。


そして。


蔦が。


うにょん。


と動いた。


「お」


ザインが目を丸くする。


うにょん。


うにょん。


蔦が地面を這い始める。


まるで生き物みたいだった。


いや。


どう見ても生き物だった。


うにょうにょと進み。


やがて木へ辿り着く。


そして。


くるり。


くるり。


と幹へ絡み付いた。


「出来ました」


ザインが感心したように呟く。


少し嬉しそうだった。


その様子を。


後ろから見ていたアリアとフィリスは沈黙していた。


「……」


「……」


しばらくして。


フィリスが口を開く。


「ザイン」


「はい?」


「今のは何ですか?」


真面目な質問だった。


ザインは首を傾げる。


「蔦の魔術です」


「そこではありません」


フィリスが眼鏡を押し上げる。


「何故話しかけたんです?」


ザインは少し考える。


そして。


当たり前のように答えた。


「お願いした方が動いてくれるので」


沈黙。


アリアが額を押さえる。


「それ魔術なの?」


「魔術です」


「本当に?」


「本当です」


本人は真面目だった。


すると。


木に絡み付いていた蔦が。


うにょん。


と動いた。


全員が見る。


蔦は満足そうに木へ絡み付き直した。


「……」


「……」


「……」


アリアが呟く。


「返事したわよね今」


「しましたね」


フィリスも否定しない。


少し離れた場所からグリムヴァルドの声が聞こえた。


「昔からそうだ」


全員が振り返る。


グリムヴァルドは腕を組んでいた。


「植物系統の魔術だけ妙に相性が良い」


「理屈は知らん」


「だが話しかけると成功率が上がる」


本人も慣れているらしい。


アリアがザインを見る。


蔦を見る。


またザインを見る。


「……気持ち悪いわね」


「酷くないですか?」


「蔦が返事したのよ?」


「良い子ですよ」


ザインが言う。


すると。


木に絡み付いた蔦が。


うにょん。


と揺れた。


まるで同意するように。


アリアは顔を覆った。


フィリスは記録帳を取り出している。


完全に観察対象になったらしい。


グリムヴァルドだけは平然としていた。


「だから言っただろう」


「植物系統だけは昔から妙に上手い」


「褒めてます?」


「褒めていない」


即答だった。


その横で。


蔦だけが。


うにょうにょと機嫌良さそうに揺れていた。

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