旅路二日目、蔦
街道を歩く。
空は晴れていた。
雪もかなり少なくなっている。
とはいえ風はまだ冷たい。
北方の名残は残っていた。
そんな中。
ザインは歩きながら右手を前へ出していた。
真剣な顔だった。
「……」
集中する。
収納空間を探る。
以前なら呼吸のように出来た魔術。
今は違う。
少しずつ。
感覚を取り戻している最中だった。
やがて。
淡い光が揺れる。
ぽん。
小さな音と共に何かが現れた。
りんごだった。
ザインが落とさないように慌てて受け止める。
「お」
アリアが振り返る。
「成功したのね」
「はい」
ザインが少し嬉しそうに頷く。
温泉街で貰ったりんごだった。
まだ瑞々しい。
収納魔術のおかげで傷んでもいない。
ザインはそのままりんごをミーナへ渡した。
「どうぞ」
「ありがとう」
ミーナが受け取る。
そして。
またザインは集中を始めた。
今度は少し時間が掛かる。
収納空間の感覚を探る。
魔力を整える。
そして。
ぽん。
今度はオレンジだった。
少し斜めに飛び出したそれを。
アリアが空中で受け取る。
「危ないわね」
「すみません」
「前よりは良くなってるわ」
アリアはそう言ってオレンジを眺める。
少なくとも。
頭へ落ちてくるよりは遥かに進歩していた。
グリムヴァルドも歩きながら見ている。
何も言わない。
だが。
以前より術式の乱れが減っている事には気付いていた。
ザインは再び集中する。
りんご。
オレンジ。
干し果実。
木苺。
次々と小さな物を取り出していく。
まるで子供が宝箱を漁るようだった。
フィリスが眼鏡を押し上げる。
「収納魔術の訓練ですか?」
「はい」
ザインは頷く。
「大きな物はまだ怖いので」
それは事実だった。
鍋や木箱を出そうとして失敗したら危険だ。
だから。
まずは小さな物。
確実に制御出来る物から。
少しずつ感覚を取り戻している。
「真面目ですね」
フィリスが言う。
すると。
グリムヴァルドがぼそりと呟いた。
「暇だからだ」
ザインが振り返る。
「違いますよ」
「暇だからだ」
「違います」
「暇だからだ」
即答だった。
アリアが肩を震わせる。
ミーナも少し笑っている。
ザインだけが不満そうだった。
だが。
その後も。
街道を歩きながら。
りんごが出て。
オレンジが出て。
干し果実が出て。
時折失敗しながらも。
少しずつ。
収納魔術の感覚を取り戻していくのだった。
「あ」
不意に。
ザインが何かを思い出したような顔をした。
歩きながら右手を上げる。
「そうだ」
「今度は何よ」
アリアが若干警戒した声を出す。
先程から収納魔術の訓練をしていたせいだろう。
ザインは少し考える。
そして。
「蔦の魔術を試してみます」
その言葉に。
グリムヴァルドが嫌な予感を覚えた。
「やめろ」
即答だった。
だが。
一歩遅い。
ザインは既に詠唱を始めていた。
地面へ魔力が流れ込む。
本来なら。
狙った場所から。
狙った方向へ。
蔦が伸びる。
そういう魔術だった。
だが。
今のザインは左目を失っている。
魔術の照準も狂っている。
結果。
ぼこっ。
街道脇の地面から蔦が飛び出した。
「お」
ザインが見る。
思った場所ではない。
三メートルほど横だった。
「ずれてますね」
冷静だった。
だが。
問題はそこではない。
蔦はそのまま伸びる。
伸びる。
伸びる。
そして。
ミーナの足首へ絡み付いた。
「きゃっ」
ミーナが転びそうになる。
慌ててフィリスが支える。
「危ないです」
「ご、ごめんなさい!」
ザインが慌てる。
蔦を解除しようとする。
だが。
今度は別の場所から蔦が生えた。
ぼこっ。
アリアのすぐ横。
「っ!?」
反射的にアリアが飛び退く。
猫獣人らしい俊敏さだった。
蔦は空しく空を掴む。
「ザイン」
アリアの声が少し低い。
「はい」
「歩きながら訓練するのやめなさい」
「すみません」
即座に謝る。
グリムヴァルドは額を押さえていた。
予想通りだった。
いや。
予想以上だった。
フィリスが冷静に分析する。
「収納魔術より酷いですね」
「そうですね……」
ザインも否定出来ない。
本来。
蔦の魔術は得意分野だった。
左腕を失った後。
何度も使った。
戦闘にも。
日常にも。
移動にも。
だが。
今は駄目だった。
照準が合わない。
距離感も狂っている。
狙った場所へ出せない。
「なるほど」
グリムヴァルドが呟く。
「収納より症状が重いな」
ザインも頷く。
魔術そのものは発動する。
威力も問題無い。
だが。
狙えない。
それは魔術師としてかなり致命的だった。
少しだけ。
ザインの表情が曇る。
そんな様子を見て。
アリアが前へ出た。
そして。
ぽん。
頭を軽く叩く。
「焦らない」
蒼い瞳がザインを見る。
「昨日より収納魔術は上手くなったでしょう?」
「……はい」
「なら少しずつよ」
優しい声だった。
ザインは少しだけ笑う。
そして。
地面から生えている蔦を見る。
その蔦はなぜか。
街道脇の木へぐるぐる巻きに絡まっていた。
誰も狙っていない場所だった。
グリムヴァルドが一言。
「才能あるな」
「馬鹿にしてます?」
「している」
即答だった。
アリアが吹き出す。
ミーナも笑う。
フィリスも口元を押さえていた。
そして。
少しだけ明るい空気の中。
五人は再び南へ向かって歩き出した。
その日の夕方。
五人は街道から少し離れた林の中で野営を行う事にした。
周囲に魔獣の痕跡は無い。
見通しも悪くない。
水場も近い。
グリムヴァルドが問題無いと判断した場所だった。
「ここにする」
短い一言。
それで決まった。
グリムヴァルドは杖を持ち上げる。
収納魔術。
淡い緑色の光が広がる。
次の瞬間。
光の中から大きな荷物が現れた。
三人用テント。
そして二人用テント。
続いて寝袋。
毛布。
鍋。
薪。
野営道具一式。
慣れた手つきで次々と取り出されていく。
「便利ですねぇ」
ミーナが感心したように呟く。
「便利だ」
グリムヴァルドは当然のように答えた。
それ以上の感想は無いらしい。
やがて。
テントの設営も終わる。
焚き火も起こされる。
食事の準備も始まった。
その間。
グリムヴァルドだけは少し離れた場所へ歩いていった。
ザインがそれに気付く。
「あ」
何をするのか分かっていた。
昨夜も見たからだ。
グリムヴァルドは杖を地面へ突く。
静かに詠唱を始めた。
夜風に溶けるような言葉。
南方の言葉。
北方とも西方とも違う。
柔らかく。
どこか自然へ語り掛けるような響きだった。
やがて。
杖の先が淡く光る。
緑色の魔力が草木へ溶けていく。
木々へ。
地面へ。
夜の森へ。
静かに広がっていった。
派手な魔術ではない。
だが。
周囲の空気が変わる。
自然そのものが目となり耳となる。
そんな感覚。
詠唱が終わる。
グリムヴァルドはゆっくり目を開いた。
「よし」
短く呟く。
ザインが近付く。
「どうですか?」
「静かだ」
グリムヴァルドは森を見渡した。
「魔獣は遠い」
「人もいない」
「少なくとも今夜は問題無い」
それだけで十分だった。
アリアも少し安心したように息を吐く。
フィリスも周囲を見回す。
「本当に便利ですね」
記録係らしい感想だった。
グリムヴァルドは肩を竦める。
「旅人向けの術だ」
「南方では割と使われている」
相変わらずだった。
どう考えても便利過ぎる魔術なのだが。
本人は全くそう思っていないらしい。
焚き火の炎が揺れる。
夜が近付いていた。
五人の旅はまだ始まったばかりだった。
だが。
少なくとも今夜も。
安心して眠れそうだった。
夕食を終えた後だった。
ミーナは片付けをしている。
フィリスは記録帳を広げている。
アリアは焚き火の近くで弓の手入れをしていた。
グリムヴァルドは少し離れた場所で周囲を警戒している。
そんな中。
ザインだけは一人で林の外れへ向かっていた。
「……」
右手を見つめる。
今の自分は弱い。
それは理解していた。
左目を失った。
距離感が狂った。
魔術の照準も狂った。
収納魔術は少しずつ戻り始めている。
だが。
戦闘用の魔術はまだ危険だった。
火球を放てば。
どこへ飛ぶか分からない。
風の刃を撃てば。
仲間へ飛ぶかもしれない。
だから。
攻撃魔術の訓練はやめた。
今はまだ。
危険過ぎる。
「なら」
ザインは静かに呟く。
「蔦ですね」
幸い。
蔦の魔術は直接破壊する術ではない。
多少狙いがずれても致命的にはなりにくい。
訓練には丁度良かった。
ザインは木を一つ見つめる。
距離は十歩ほど。
以前なら簡単だった。
右手を前へ出す。
魔力を流す。
術式を構築する。
そして。
地面へ意識を向ける。
「――伸びろ」
ぼこっ。
地面が盛り上がる。
蔦が飛び出した。
だが。
狙った場所ではなかった。
木から二メートルほど横。
全く関係ない場所から生えている。
「うーん……」
ザインは頭を掻く。
予想通りだった。
もう一度。
今度はもっと慎重に。
魔力を整える。
距離を測る。
木を見る。
そして発動。
ぼこっ。
今度は惜しかった。
木の根元から少しずれた場所。
それでも先程よりは良い。
「もう少しですね」
三回。
四回。
五回。
何度も繰り返す。
その度に。
少しずつ誤差が減っていく。
だが。
まだ駄目だ。
以前なら指先のように扱えた。
今は違う。
どうしてもずれる。
ほんの少し。
だが戦闘では致命的な差だった。
ザインは小さく息を吐く。
そして再び構える。
何度でもやる。
戻らないなら。
慣れるしかない。
失った目は戻らない。
なら。
残った目で戦えるようになるしかない。
そう考えていた。
その様子を。
少し離れた場所からアリアが見ていた。
声は掛けない。
止めもしない。
ただ静かに見守る。
ザインは気付いていなかった。
蔦の魔術を繰り返す。
一歩ずつ。
本当に少しずつだったが。
確かに昨日よりは上手くなっていた。
「そういえば……」
何度目かの失敗の後だった。
ザインはふと思い出したように呟く。
目の前には一本の蔦。
先程発動した魔術だった。
地面から生えたまま揺れている。
ザインはその蔦を見つめる。
そして。
ごく自然に話しかけた。
「すみません」
蔦がふるりと揺れる。
もちろん返事は無い。
だがザインは気にしない。
「向こうの木に絡まってくれませんか?」
少し離れた木を指差す。
「出来ればあの辺りで」
幹の中ほどを指差す。
「お願いします」
数秒。
沈黙。
そして。
蔦が。
うにょん。
と動いた。
「お」
ザインが目を丸くする。
うにょん。
うにょん。
蔦が地面を這い始める。
まるで生き物みたいだった。
いや。
どう見ても生き物だった。
うにょうにょと進み。
やがて木へ辿り着く。
そして。
くるり。
くるり。
と幹へ絡み付いた。
「出来ました」
ザインが感心したように呟く。
少し嬉しそうだった。
その様子を。
後ろから見ていたアリアとフィリスは沈黙していた。
「……」
「……」
しばらくして。
フィリスが口を開く。
「ザイン」
「はい?」
「今のは何ですか?」
真面目な質問だった。
ザインは首を傾げる。
「蔦の魔術です」
「そこではありません」
フィリスが眼鏡を押し上げる。
「何故話しかけたんです?」
ザインは少し考える。
そして。
当たり前のように答えた。
「お願いした方が動いてくれるので」
沈黙。
アリアが額を押さえる。
「それ魔術なの?」
「魔術です」
「本当に?」
「本当です」
本人は真面目だった。
すると。
木に絡み付いていた蔦が。
うにょん。
と動いた。
全員が見る。
蔦は満足そうに木へ絡み付き直した。
「……」
「……」
「……」
アリアが呟く。
「返事したわよね今」
「しましたね」
フィリスも否定しない。
少し離れた場所からグリムヴァルドの声が聞こえた。
「昔からそうだ」
全員が振り返る。
グリムヴァルドは腕を組んでいた。
「植物系統の魔術だけ妙に相性が良い」
「理屈は知らん」
「だが話しかけると成功率が上がる」
本人も慣れているらしい。
アリアがザインを見る。
蔦を見る。
またザインを見る。
「……気持ち悪いわね」
「酷くないですか?」
「蔦が返事したのよ?」
「良い子ですよ」
ザインが言う。
すると。
木に絡み付いた蔦が。
うにょん。
と揺れた。
まるで同意するように。
アリアは顔を覆った。
フィリスは記録帳を取り出している。
完全に観察対象になったらしい。
グリムヴァルドだけは平然としていた。
「だから言っただろう」
「植物系統だけは昔から妙に上手い」
「褒めてます?」
「褒めていない」
即答だった。
その横で。
蔦だけが。
うにょうにょと機嫌良さそうに揺れていた。




