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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
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ザインの現状

朝食を終える頃には。


空はすっかり明るくなっていた。


ミーナが鍋を洗い終える。


フィリスが周囲を確認する。


アリアは街道の先を眺めていた。


出発の時間だった。


グリムヴァルドが杖を手に立ち上がる。


そして何の気負いもなく収納魔術を発動した。


淡い緑色の光。


寝袋。


鍋。


保存食。


水袋。


野営道具一式が順番に光へ溶けていく。


見慣れた光景だった。


ザインも昔はよく手伝わされていた。


森の家で暮らしていた頃は。


買い出しの荷物も。


薬草も。


薪も。


全部収納して運んでいた。


グリムヴァルドは面倒事が嫌いだった。


荷物を背負う事も例外ではない。


「ザイン」


「はい」


グリムヴァルドが視線を向ける。


その意味は分かった。


収納を手伝えという事だ。


昔からの流れだった。


ザインは頷く。


そして右手を前へ出した。


静かに詠唱を始める。


南方魔術。


見慣れた術式。


本来なら問題無い。


だが。


術式を組み上げた瞬間だった。


魔力が僅かにぶれる。


緑色の光が揺らいだ。


収納しようとした木箱が半透明になり。


また元へ戻る。


術式が崩れた。


「……」


ザインが黙る。


グリムヴァルドも黙る。


少しだけ気まずい沈黙。


ザインは再度術式を組み直そうとした。


だが。


「やめろ」


静かな声。


グリムヴァルドだった。


「しかし」


「やめろ」


もう一度言う。


有無を言わせない声だった。


ザインは口を閉じる。


グリムヴァルドは小さく息を吐く。


そして杖を振る。


緑色の光が広がる。


残っていた荷物が全て収納された。


あっという間だった。


「……すみません」


ザインが小さく言う。


グリムヴァルドは首を振る。


「謝るな」


短い返事。


そして続けた。


「左目を失ってまだ数日だ」


「出来なくて当たり前だ」


ザインは何も言えなかった。


分かっている。


分かっているのだ。


以前なら失敗しなかった。


収納魔術程度なら呼吸と変わらなかった。


だが。


今は違う。


魔術の照準だけではない。


術式構築そのものにも僅かなズレが生まれている。


左目を失った影響は想像以上だった。


グリムヴァルドはそんなザインを見て。


少しだけ声を和らげた。


「焦るな」


それだけだった。


ザインは黙って頷く。


やがて。


五人は再び歩き始める。


雪は昨日より少なくなっていた。


街道脇の地面も見え始めている。


温泉街はもう遥か後方。


目指すのは南。


南方エルフの地。


そして。


失われたものを取り戻せるかもしれない場所だった。


街道を歩きながら。


ミーナは何度もグリムヴァルドを見ていた。


正確には。


グリムヴァルドが持つ収納魔術だった。


「凄いなぁ……」


ぽつりと呟く。


隣を歩いていたフィリスが視線を向ける。


「何がです?」


「収納魔術」


即答だった。


ミーナは真剣な顔をしている。


「便利過ぎるよ」


補給兵らしい意見だった。


「荷車が要らないんだもん」


「確かに」


フィリスも頷く。


ミーナは続ける。


「補給班の仕事ってね」


「食料運んで」


「水運んで」


「予備武器運んで」


「薬運んで」


「毛布運んで」


「鍋運んで」


「また食料運んで」


少し疲れた顔になる。


「大変なんだよ」


実感がこもっていた。


帝国軍時代。


補給班長として何度も経験した事だった。


補給が止まれば軍は動けない。


だが。


補給そのものが大仕事なのだ。


「それが全部収納出来るんだよ?」


ミーナはグリムヴァルドを見る。


「反則じゃない?」


グリムヴァルドは前を向いたまま答えた。


「便利だからな」


「便利ってレベルかなぁ……」


ミーナは本気で悩んでいる。


そして。


少し考え込む。


「もし帝国軍に大量配備されたら」


「補給線が変わるかも」


今度はフィリスが反応した。


「それは確かに」


記録係らしい視点だった。


補給というものは軍の生命線だ。


大量の荷馬車。


補給拠点。


輸送部隊。


それらが収納魔術によって大きく変化する可能性がある。


ミーナは腕を組む。


「前線に直接運べる」


「荷車も減る」


「護衛も減る」


「行軍速度も上がる」


「……凄いな」


完全に補給班長の顔だった。


グリムヴァルドは少しだけ首を傾げる。


「南方では割と普通だぞ」


「南方怖い」


ミーナは真顔で言った。


フィリスも小さく頷く。


ザインは思わず苦笑する。


昔からそうだった。


グリムヴァルドにとっての常識は。


時々かなりおかしい。


だが。


ミーナはまだ考えていた。


真剣な顔で。


補給兵として。


軍人として。


収納魔術の価値を計算していた。


そして結論を出す。


「やっぱり反則だよ」


グリムヴァルドは平然としていた。


「便利だからな」


また同じ返事だった。


今度はフィリスまで少し笑っていた。


街道を歩きながら。


ミーナとフィリスの会話を聞いていたグリムヴァルドが。


ふと思い出したように口を開いた。


「そういえば」


全員の視線が向く。


グリムヴァルドは隣を歩くザインを見る。


「ザイン」


「はい?」


「以前収納した物は出せるのか?」


ザインが少し考える。


そして首を傾げた。


「試していませんね」


温泉街で左目を失ってから。


収納魔術を使う機会はほとんど無かった。


グリムヴァルドは頷く。


「やってみろ」


そして。


少し間を置いてから。


「いや」


真顔になる。


「待て」


「?」


「落ち着け」


ザインが首を傾げる。


グリムヴァルドは続ける。


「仕舞えないのだから大きな物は出そうとするな」


「手に持てる程度の物だけにしろ」


「ああ……」


ザインも納得した。


確かに。


今の状態で収納制御を誤れば何が飛び出すか分からない。


「分かりました」


ザインは立ち止まる。


右手を前へ出す。


静かに集中した。


収納空間の感覚を探る。


以前なら自然に出来た事。


今は少し遠い。


それでも。


慎重に魔力を伸ばす。


そして。


「あ」


次の瞬間だった。


ゴチッ。


「痛っ」


何かが頭へ落ちてきた。


ザインが思わず頭を押さえる。


足元へ転がったのは一本の瓶だった。


「……」


「……」


「……」


一瞬の沈黙。


ザインが瓶を拾い上げる。


琥珀色の液体が入っていた。


そして。


その瞬間。


ミーナの目が見開かれた。


「えっ」


珍しく大きな声だった。


ザインが振り返る。


「どうしました?」


「それ」


ミーナが瓶を指差す。


「王蜜じゃない!?」


今度はフィリスも気付いた。


「ああ」


記憶が繋がる。


レヴィアナ達と攻略したあのダンジョン。


大量の蜂型魔獣。


巨大な蜂の巣。


そして。


最奥で手に入れた希少素材。


王蜜。


瓶の中身は半分ほど減っていた。


だが。


間違いない。


本物だった。


「まだ残ってたんですね」


ザインが呟く。


ミーナは驚いた顔のままだった。


「いやいやいや」


「王蜜だよ?」


補給班長らしい反応だった。


「めちゃくちゃ高いんだよ?」


「薬師に持って行けば喜ばれるし」


「そのまま食べてもすごく甘いし」


「普通に売ってもかなりの値段になるよ?」


フィリスも頷く。


「希少素材ですね」


「ですよね!?」


ミーナは少し興奮していた。


一方。


グリムヴァルドは王蜜を見ても特に反応しなかった。


「食べ物か?」


「食べ物です!」


ミーナが即答する。


「高級食材です!」


「そうか」


興味が無くなったらしい。


グリムヴァルドは前を向いた。


ザインは苦笑する。


そして瓶を眺める。


レヴィアナ達と潜ったダンジョン。


あの頃の事を少し思い出した。


少なくとも。


収納魔術は完全に失われた訳ではないらしい。


頭は痛かったが。


それだけは少し嬉しかった。


「おやつですね」


ザインは何でもない事のように言った。


そして。


王蜜の瓶の蓋へ手を伸ばす。


開けようとした。


だが。


その瞬間だった。


「待て待て待て待て」


ミーナが慌てて飛び付いた。


ザインの手が止まる。


「え?」


何が起きたのか分からない顔だった。


ミーナは王蜜の瓶を見つめる。


そしてザインを見る。


また瓶を見る。


「何で開けようとしてるの?」


「おやつです」


即答だった。


「おやつじゃないよ!?」


思わず叫ぶ。


フィリスが眼鏡を押し上げる。


「分類上はおやつではありませんね」


「そういう問題じゃないよ!」


ミーナは頭を抱える。


ザインは首を傾げている。


本気で分かっていない。


「甘くて美味しいですよ?」


「知ってるよ!」


「疲れた時に食べると元気になりますし」


「知ってるよ!!」


ミーナが叫ぶ。


補給班長の魂が悲鳴を上げていた。


王蜜。


高級素材。


希少素材。


薬の材料。


高値で取引される貴重品。


それを。


この少年は。


おやつ感覚で食べようとしている。


「だって半分残ってますし」


「半分しか残ってないんだよ!」


「?」


ザインは本当に不思議そうだった。


ミーナは額を押さえる。


何となく分かった。


こいつ。


レヴィアナ達と王蜜のダンジョンを攻略した後。


絶対にちょこちょこ食べている。


だから感覚がおかしくなっている。


フィリスが口を開く。


「ザイン」


「はい」


「もし辺境街で売ったら普通のお菓子を大量に買えます」


「そんなにですか」


少し驚いた顔になる。


ようやく価値が伝わったらしい。


ミーナはほっとした。


だが。


次の瞬間。


「じゃあ一口くらいなら大丈夫ですね」


蓋へ手を伸ばす。


「駄目ぇぇぇ!!」


ミーナが再び止めた。


アリアが少し離れた場所で肩を震わせる。


フィリスも口元を押さえていた。


グリムヴァルドだけが真顔だった。


「食べ物なのだろう?」


「そうですけど!」


ミーナが即座に振り返る。


「高級食材なんです!」


「食べ物ではないか」


「そうですけど!」


話が通じない。


ミーナは天を仰いだ。


補給班長として。


金銭感覚の薄い魔術師二人を管理する苦労を。


少しだけ理解した気がした。


その横で。


ザインはまだ王蜜の瓶を見ていた。


どうやら本気で食べたいらしい。


ミーナは慌てて瓶を取り上げた。


「没収!」


「えぇ……」


珍しく不満そうな声だった。

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