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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
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旅路1日目

その夜。


野営地は静かだった。


焚き火も小さくなり始めている。


ミーナは片付けを終え。


フィリスも記録帳を閉じていた。


アリアは木の上で周囲を見張っている。


そして。


ザインは少し離れた場所にいるグリムヴァルドを見ていた。


褐色の南方エルフは杖を持ち。


静かに何かを唱えている。


聞き慣れない言葉だった。


北方魔術とも違う。


西方魔術とも違う。


もっと柔らかい。


歌うような響き。


夜風に溶けるような詠唱だった。


やがて。


グリムヴァルドの杖の先が淡く光る。


淡い緑色の光。


その光は地面へ落ちるように広がり。


草木へ。


木々へ。


夜の森へ。


静かに溶け込んでいった。


派手さは無い。


だが。


何かが変わった。


ザインには分かった。


グリムヴァルドの魔力が周囲へ広がった訳ではない。


むしろ逆だった。


周囲の自然そのものが。


グリムヴァルドへ語りかけているような感覚。


詠唱が終わる。


グリムヴァルドはゆっくり息を吐いた。


「終わった」


ザインが近付く。


「何の魔術ですか?」


グリムヴァルドは杖を地面へ立てた。


「南方魔術だ」


短い答え。


「探知術の一種だな」


ザインは周囲を見る。


何も変わっていないように見える。


「探知……ですか?」


「ああ」


グリムヴァルドは静かに頷く。


そして。


夜の森へ視線を向けた。


「今なら分かる」


「何がです?」


「周囲の気配だ」


その言葉にザインは少し驚く。


グリムヴァルドは続けた。


「獣」


「人」


「魔獣」


「敵意」


「殺意」


「そういうものが近付けばすぐ分かる」


淡々とした口調だった。


だが。


かなり便利な魔術らしい。


「凄いですね」


ザインは素直に感心する。


グリムヴァルドは首を振った。


「戦場では役に立たん」


「そうなんですか?」


「ああ」


グリムヴァルドは頷く。


「大人数になると気配が多過ぎる」


「魔力も乱れる」


「だから野営向きだ」


なるほど。


確かに旅には便利そうだった。


グリムヴァルドは少しだけ笑う。


「南方では旅人がよく使う」


「魔獣に襲われて死にたくないからな」


実に実用的な理由だった。


ザインも思わず苦笑する。


派手な攻撃魔術ではない。


だが。


こういう魔術こそ。


長い旅では役に立つのかもしれない。


グリムヴァルドは焚き火へ視線を向ける。


「今夜は安心して寝ろ」


静かな声だった。


「何か近付けば私が起きる」


ザインはその言葉を聞きながら夜空を見上げる。


南方魔術。


それは聖騎士団でも。


辺境街でも。


見た事の無い魔術だった。


旅はまだ始まったばかりだった。


雪はかなり薄くなっていた。


街道脇に残る雪もところどころ地面が見え始めている。


だが。


夜は別だった。


吐く息は白い。


風も冷たい。


焚き火から少し離れるだけで体温が奪われていく。


北方の冬はまだ終わっていなかった。


ザインは肩へ掛けたマントを少し引き寄せる。


そしてテントへ入った。


旅用の簡素なものだ。


だが風を防ぐだけでも十分ありがたい。


荷物を脇へ置く。


杖。


短剣。


そして新しい仮面。


少しだけ迷ってから仮面を外す。


左目側を覆う白い仮面。


グリムヴァルドが作り直してくれたもの。


手に取る。


しばらく見つめる。


そして丁寧に畳んだマントの上へ置いた。


外からは焚き火の音が聞こえる。


誰かの話し声も聞こえた。


アリアだろうか。


ミーナかもしれない。


不思議と安心する音だった。


ザインは寝袋へ潜り込む。


右目を閉じる。


そういえば。


こんな風に野営をするのも久しぶりだった。


辺境街時代はよくやっていた。


リザリアと依頼へ向かった時も。


森の中で夜を明かした事がある。


少しだけ懐かしかった。


そして同時に思う。


グリムヴァルドがいてくれる事は大きかった。


あの南方魔術。


周囲の気配を探る術。


敵意や殺意に気付く術。


魔獣の襲撃も。


盗賊も。


少なくとも不意打ちは難しくなるだろう。


野営としてはかなり安全な部類だ。


もっとも。


グリムヴァルド本人は当たり前のように使っていたが。


ザインから見れば十分異常だった。


「……本当に便利ですね」


小さく呟く。


返事は無い。


当然だ。


もう皆それぞれ休み始めている。


それでも。


胸の奥にあった僅かな緊張は少し和らいでいた。


温泉街を出て一日。


まだ旅は始まったばかりだ。


南方までどれほど掛かるのか。


その先に何が待っているのか。


まだ何も分からない。


だが。


少なくとも今夜は眠れそうだった。


ザインはゆっくりと目を閉じる。


焚き火の音を聞きながら。


静かな夜が更けていった。


翌朝。


ザインはゆっくりと目を覚ました。


まだ外は薄暗い。


夜明け前だった。


テントの中は静かだった。


寝袋の中で少し身じろぎする。


冷たい空気。


吐く息は白い。


どうやら昨夜はよく眠れたらしい。


ぼんやりした頭で身体を起こそうとして。


ふと横を見る。


そこにはグリムヴァルドがいた。


静かな寝息を立てている。


長い黒髪が寝袋から零れていた。


普段は落ち着いていて隙など見せないが。


眠っている時だけは少し無防備だった。


「……」


ザインは少しだけ目を瞬かせた。


そして。


懐かしい気持ちになる。


昔もそうだった。


崖下から拾われて。


高熱で何日も寝込んでいた頃。


目を覚ますと。


近くにグリムヴァルドがいる事が多かった。


薬草を煎じていたり。


本を読んでいたり。


杖の手入れをしていたり。


そして。


いつの間にか寝てしまっていたり。


あの森の家。


川のせせらぎ。


暖炉の火。


まだ左腕の痛みにうなされていた頃。


毎日のように見ていた光景だった。


ザインは思わず小さく笑う。


何だか。


あまり変わっていない。


二年が過ぎても。


温泉街で色々な事が起きても。


グリムヴァルドは相変わらずだった。


ふと。


視線が杖へ向く。


昨夜の探知魔術。


恐らく夜通し警戒していたのだろう。


だからだろうか。


いつもより少し疲れて見えた。


「……ありがとうございます」


小さな声で呟く。


聞こえてはいないだろう。


それでも言いたくなった。


失った左目。


上手く動かない魔術。


不安だらけの旅。


それでも。


グリムヴァルドがいる。


アリアもいる。


フィリスも。


ミーナも。


一人ではない。


それだけで少し気持ちが軽くなった。


すると。


寝ているはずのグリムヴァルドがぽつりと言った。


「起きたなら朝飯の準備を手伝え」


目は閉じたままだった。


ザインが固まる。


「起きてたんですか」


「さっきからな」


「聞こえていたんですか」


「全部聞こえていた」


静かな声だった。


ザインは思わず肩を落とす。


グリムヴァルドは目を開けない。


だが。


口元だけ少し緩んでいた。


昔と同じだった。

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