新しい仮面
温泉街を出て一日。
陽はすっかり落ちていた。
街道から少し外れた林の中。
五人は野営をしていた。
焚き火が静かに燃えている。
その傍ではミーナが鍋をかき混ぜていた。
湯気と共に優しい香りが漂う。
干し肉。
野菜。
香草。
旅慣れた補給兵らしい手際だった。
そして。
鍋の横には小さな木皿が並べられている。
そこには赤い木苺のような実が盛られていた。
「……いつの間に採ったんですか?」
ザインが不思議そうに尋ねる。
ミーナは振り返る。
「ん?」
そして木苺を見る。
「ああ、これ?」
少し笑った。
「途中で見つけたから」
まるで当たり前のように言う。
ザインは思わず苦笑する。
いつ採っていたのか全く気付かなかった。
「ミーナさんって凄いですよね」
「そうかな?」
「ええ」
本気だった。
旅をしながら食料を確保する。
補給を管理する。
野営の準備をする。
自分には到底真似出来ない。
ミーナは少し照れたように笑った。
「昔からやってただけだよ」
その声はどこか柔らかかった。
少し離れた場所では。
アリアとフィリスが周囲を警戒していた。
アリアは短弓を持って木の上にいる。
蒼い瞳が暗闇を見渡していた。
獣人らしい感覚も使っているのだろう。
フィリスは周囲を歩きながら痕跡を確認している。
時折眼鏡を押し上げては足跡や枝の折れ方を観察していた。
静かな夜だった。
今のところ魔獣の気配も無い。
そんな中。
ザインは焚き火の反対側を見る。
グリムヴァルドがいた。
何かをしている。
黙々と。
手を動かしている。
削る音が聞こえる。
しゃり。
しゃり。
小刀が何かを削る音。
ザインは首を傾げた。
「何をしているんですか?」
グリムヴァルドは顔を上げない。
手元を見たまま答える。
「見れば分かる」
相変わらずだった。
ザインは少し身を乗り出す。
そこでようやく気付く。
それは仮面だった。
白い仮面。
かつてグリムヴァルドが与えたもの。
自分がザインになった時から使っていたもの。
だが。
今は少し違う。
左側だけが削られている。
形を変えられている。
グリムヴァルドは黙々と作業を続ける。
「その仮面……」
ザインが呟く。
グリムヴァルドはようやく顔を上げた。
褐色の瞳がザインを見る。
そして。
静かに言った。
「お前の顔に合わなくなった」
ザインは一瞬言葉を失う。
グリムヴァルドは再び手元を見る。
「だから作り直している」
焚き火の火が仮面を照らす。
左側。
失われた左目を覆う部分だけが少し厚くなっていた。
以前とは違う。
今のザインのための仮面だった。
ザインは何も言えなかった。
ただ。
その仮面を見つめる。
グリムヴァルドは作業を続ける。
しゃり。
しゃり。
夜の林に小さな音だけが響いていた。
食事を終える頃には。
夜はすっかり深くなっていた。
焚き火の炎だけが周囲を照らしている。
ミーナは鍋を片付けている。
アリアは木にもたれながら周囲を警戒していた。
フィリスは旅の記録をまとめている。
そんな中。
グリムヴァルドが立ち上がった。
「ザイン」
呼ばれて。
ザインは顔を上げる。
「はい?」
グリムヴァルドは何も言わない。
ただ。
手に持っていた物を差し出した。
白い仮面だった。
ザインは目を見開く。
「完成したんですか」
「ああ」
短い返事。
ザインは仮面を受け取る。
見慣れた感触だった。
だが。
少し違う。
焚き火の光に照らして見る。
そして気付いた。
左側。
左目の部分。
そこには穴が無かった。
完全に覆われている。
以前の仮面は左右対称だった。
両目が見えるようになっていた。
だが。
今の仮面は違う。
右目だけが露出する。
左目側は白い仮面で閉じられていた。
ザインはしばらくそれを見つめる。
何となく。
理解してしまった。
グリムヴァルドは焚き火を見ながら言う。
「もう必要無いだろう」
静かな声だった。
「見えんのだからな」
ザインは苦笑する。
確かにその通りだった。
左目はもう無い。
穴を開けておく意味も無い。
グリムヴァルドは続ける。
「それに」
少しだけ視線を向ける。
「傷も隠せる」
ザインは仮面の左側を指でなぞる。
滑らかな感触。
丁寧に作られている。
分かってしまう。
どれだけ時間を掛けたのか。
どれだけ考えたのか。
グリムヴァルドはそれ以上何も言わなかった。
ただ焚き火を見ている。
ザインは静かに仮面を持ち上げる。
そして顔へ当てた。
かちり。
静かな音。
右目だけが外を見る。
以前とは少し違う視界。
だが。
不思議と違和感は無かった。
グリムヴァルドがじっと見ている。
ザインは少し困ったように笑った。
「どうですか?」
グリムヴァルドはしばらく答えない。
そして。
小さく頷いた。
「ああ」
短い言葉。
「似合っている」
それだけだった。
だが。
その声には少しだけ安堵が混じっていた。
ザインは焚き火の向こうを見る。
白い仮面。
白い髪。
旅用のマント。
失われた左腕。
失われた左目。
それでも。
前へ進くための姿だった。
仮面は変わった。
だが。
それは失った証ではない。
今のザインのために作られた新しい仮面だった。
アリアは焚き火の向こうを見る。
そこにはザインがいた。
いや。
正確には。
仮面の魔術師だった。
白髪。
左側を覆う白い仮面。
旅用のマント。
杖。
焚き火の明かりに照らされたその姿を見た瞬間。
アリアは僅かに目を伏せた。
思い出してしまったからだ。
温泉街。
自分が見た人影。
白髪。
仮面。
杖。
そして。
発砲音。
あの時の自分は。
暗部だと思った。
だから撃った。
迷わず。
躊躇なく。
結果。
撃ち抜いたのはザインだった。
アリアは小さく息を吐く。
「……やっぱり」
ぽつりと呟く。
ザインが顔を上げた。
「どうかしましたか?」
アリアはしばらくその姿を見ていた。
そして。
少しだけ困ったように言う。
「その格好」
「はい」
「本当に怪しいわ」
ザインが固まる。
フィリスが眼鏡を押し上げた。
「同感です」
「フィリスさんまで」
アリアは続ける。
「だって」
白い仮面。
白髪。
杖。
マント。
改めて見る。
「どう見ても放浪魔術師か」
一拍置く。
「暗部の工作員よ」
ザインが思わず肩を落とした。
「そんなにですか……」
「そんなによ」
アリアは即答する。
だが。
その声はどこか柔らかかった。
今だから言える。
あの時は本当に分からなかった。
分からなかったから撃った。
だからこそ。
今こうして目の前にいる事が。
少しだけ嬉しかった。
アリアは視線を逸らす。
「……でも」
小さな声。
「似合ってるわ」
ザインが驚いて顔を上げる。
アリアはもう焚き火を見ていた。
その横顔は少しだけ寂しそうだった。
昔のジンではない。
今のザインの姿だった。




