旅立ち
その日の昼。
宿の食堂。
ジンは皆を集めていた。
リザリア。
ベリアリア。
フィリス。
ミーナ。
アリア。
そして金級パーティ。
レヴィアナ。
ヴァレル。
シオン。
ルドヴィカ。
全員が揃っている。
いつもなら賑やかな空気になるはずだった。
だが。
今日は違う。
誰もが何となく察していた。
ジンが皆を集めた理由を。
ジンはゆっくり立ち上がる。
少し緊張した様子だった。
そして静かに口を開く。
「皆さん」
その声に全員の視線が集まる。
「話があります」
短い沈黙。
ジンは深呼吸する。
そして。
「僕はグリムヴァルドさんと一緒に南方へ行こうと思います」
部屋が静まり返る。
誰も驚かなかった。
予想していたからだ。
それでも。
本人の口から聞くと重い。
ジンは続ける。
「左目の治療です」
「治る保証は無いそうです」
「でも」
左肩を見る。
「可能性があるなら試したいと思いました」
誰も口を挟まない。
レヴィアナも黙って聞いている。
義手を維持出来ない事。
魔術にも影響が出ている事。
誰よりも理解しているからだ。
ジンは少しだけ笑う。
「だから」
「しばらく留守にします」
その言葉に。
リザリアが目を伏せる。
ベリアリアも静かに俯いた。
フィリスは眼鏡を押し上げる。
ミーナも唇を噛んでいた。
皆。
覚悟していた。
それでも寂しかった。
長い沈黙。
そして。
椅子が動く音。
アリアだった。
彼女は迷いなく立ち上がる。
そして当然のように言った。
「そう」
静かな声。
「なら私も行くわ」
ジンが固まる。
部屋も静まる。
アリアは続ける。
「貴方の側をもう離れない」
蒼い瞳が真っ直ぐジンを見る。
迷いは無い。
「今度こそ」
小さく息を吐く。
「絶対に」
その声は静かだった。
だが。
誰よりも強かった。
崖の上で失ったと思った。
今回も失ったと思った。
だからもう繰り返さない。
そんな決意が滲んでいた。
ジンは困ったような顔になる。
だがアリアは視線を逸らさない。
その時。
今度はミーナが立ち上がる。
「私も行きます」
即答だった。
ジンが振り返る。
ミーナは少しだけ笑う。
「だって」
「ジン君、一人じゃ絶対無茶するもん」
優しい声だった。
「誰かがお世話しないと」
フィリスが小さくため息を吐く。
そして眼鏡を押し上げた。
「私も同行します」
淡々とした声。
だが。
決意は固い。
「今のジン君を一人で送り出す気はありません」
静かな言葉だった。
それだけで十分だった。
ジンは言葉を失う。
アリア。
ミーナ。
フィリス。
三人とも。
最初から決めていたような顔をしていた。
グリムヴァルドはその様子を見ている。
そして小さく息を吐く。
予想していた。
特にアリアだけは。
何があっても来ると思っていた。
ジンは困ったように笑う。
本当に困った顔だった。
「皆さん……」
何と言えばいいか分からない。
だが。
胸の奥は温かかった。
一人で行くつもりだった。
皆を置いて行くつもりだった。
けれど違った。
誰も離れる気が無かった。
その光景を見て。
ベリアリアは静かに微笑む。
リザリアは腕を組んだまま黙っている。
レヴィアナ達も静かに見守っていた。
旅立ちは近い。
それは変わらない。
だが。
どうやらジンは一人ではないらしかった。
しばらく沈黙が続いていた。
アリア。
ミーナ。
フィリス。
三人は既に同行する気でいる。
グリムヴァルドもそれを止めなかった。
だが。
一人だけ黙っている者がいた。
リザリアだった。
腕を組んだまま。
視線を落としている。
ジンはその様子に気付く。
「リザリアさん?」
呼ばれて。
リザリアは小さく息を吐いた。
そして。
珍しく困ったように笑う。
「……悪ぃな」
低い声。
ジンが首を傾げる。
リザリアは視線を逸らした。
「本当は俺も行きてぇ」
その言葉に。
部屋が静まる。
誰も口を挟まない。
リザリアは続けた。
「相棒を一人で行かせたくねぇ」
「守りてぇ」
「何かあったら助けてぇ」
拳が握られる。
「でも無理なんだ」
ジンは黙って聞いている。
リザリアは苦笑した。
「南方エルフの里には入れねぇ」
その言葉に。
ジンは初めて驚いた顔をする。
「そうなんですか?」
グリムヴァルドが頷く。
「ああ」
静かな声。
「断交している」
部屋が静まり返る。
ジンはグリムヴァルドを見る。
「断交……?」
グリムヴァルドは腕を組んだ。
少し言いにくそうだった。
「昔の話だ」
「我々南方エルフとリザードマンはな」
そこで言葉を切る。
そして静かに続けた。
「大きな争いをしている」
リザリアも黙っている。
グリムヴァルドは遠くを見るような目をした。
「もう何代も前の話だ」
「今を生きる者達には関係無い」
「だが」
その声は重かった。
「里はそう簡単に忘れん」
沈黙。
フィリスも静かに聞いている。
アリアも。
ミーナも。
誰も口を挟まない。
「双方に死人が出た」
「失った者も多い」
「今では戦争は終わっている」
「だが交流も無い」
グリムヴァルドはそう言った。
リザリアは鼻を鳴らす。
「馬鹿らしい話だ」
その声には苛立ちが混じっていた。
「俺はその戦争なんか知らねぇ」
「俺の親も知らねぇ」
「なのに里には入れねぇ」
悔しそうだった。
本当に。
悔しそうだった。
グリムヴァルドも否定しない。
出来なかった。
それは彼女自身も思っている事だったからだ。
「すまんな」
静かな声。
リザリアへ向けられた言葉だった。
「私個人なら通したい」
「だが里は違う」
リザリアは何も言わない。
分かっている。
グリムヴァルドが悪い訳ではない。
だから余計にやるせなかった。
そして。
そんな二人を見ていたジンが静かに言う。
「そうだったんですね」
優しい声だった。
責める気配は無い。
リザリアは顔を上げる。
ジンは少しだけ笑った。
「リザリアさん」
「ん?」
「気持ちだけで十分嬉しいですよ」
その言葉に。
リザリアは目を細める。
だが。
嬉しくはなかった。
相棒が旅立つ。
また危険な場所へ向かう。
それなのに。
自分は一緒に行けない。
それが何より悔しかった。
リザリアはしばらく黙っていた。
やがて。
小さく呟く。
「……ちゃんと帰ってこいよ」
低い声。
真剣な声。
「今度は絶対だ」
ジンは静かに頷いた。
「はい」
短い返事。
だが。
その約束は。
誰よりも重かった。
夕方になる前だった。
温泉街の門前に、旅支度を終えた五人が並んでいた。
グリムヴァルド。
ザイン。
アリア。
フィリス。
ミーナ。
荷物は最低限だった。
それでも、これから遠くへ向かうには十分な量でもあった。
見送りには、リザリアやベリアリア、金級パーティの面々も来ている。
雪は止んでいた。
白く染まった街道だけが、静かに南へ伸びている。
出発の直前。
グリムヴァルドは同行する四人へ向き直った。
「一つ言っておく」
声は低く、厳しかった。
アリア。
フィリス。
ミーナ。
そしてザイン。
全員が顔を上げる。
「外では、こいつをジンと呼ぶな」
グリムヴァルドの視線がザインへ向く。
「必ずザインと呼べ」
沈黙。
アリアが静かに頷く。
「分かったわ」
フィリスも眼鏡を押し上げる。
「承知しました」
ミーナも小さく頷いた。
「気をつけます」
ザインは何も言わなかった。
普段から外ではザインと名乗っている。
だから、その指示自体に違和感は無い。
ただ。
今ここにいる者達にとっては違った。
アリアも。
ミーナも。
フィリスも。
彼をジンとして知っている。
だからこそ。
改めて言い聞かせる必要があった。
グリムヴァルドは続ける。
「ジンという名を知っている者は限られている」
「だが、敵側にその名が伝わっている可能性はある」
「どこに耳があるか分からん」
温泉街。
ギルド。
街道。
森。
どこに潜んでいるか分からない。
「だから外ではザインだ」
「徹底しろ」
誰も反論しなかった。
それは単なる呼び名ではない。
彼を守るための線引きだった。
やがて、グリムヴァルドは前を向く。
「行くぞ」
五人は歩き出した。
ザインは一度だけ振り返る。
リザリアが見ていた。
ベリアリアも。
レヴィアナ達も。
皆がそこにいた。
ザインは小さく頭を下げる。
「行ってきます」
夕暮れの風が吹く。
南へ向かう旅が始まった。




