ザインの決断
次の日。
朝。
雪は止んでいた。
窓の外には、白く染まった温泉街が広がっている。
宿の一室。
ジンは窓際に座っていた。
右目だけで見る景色には、まだ慣れない。
窓枠までの距離。
机の上の茶器。
差し込む朝日の角度。
どれも以前とは少し違って見えた。
身体は少しずつ回復している。
左肩の傷も。
脚の傷も。
日常生活に支障が無い程度には落ち着いてきた。
だが。
失われたものは戻らない。
ジンは左肩へ視線を落とす。
そこには何も無い。
何度か義手を構築しようとした。
だが、うまくいかなかった。
形は作れる。
指先も、腕の輪郭も、ほんの一瞬なら現れる。
けれど維持出来ない。
すぐに崩れる。
霧のように。
砂のように。
自分の魔力が、自分の思う形を保ってくれない。
左目を失ってから。
魔術の感覚そのものが変わってしまっていた。
「……」
ジンは静かに息を吐く。
その向かいに、グリムヴァルドが座っていた。
褐色肌の南方エルフ。
落ち着いた雰囲気を持つ女性。
そして、魔術師。
机の上には湯気の立つ茶が置かれている。
だが、二人ともほとんど手を付けていなかった。
長い沈黙の後。
ジンが口を開く。
「グリムヴァルドさん」
「ああ」
「本当に……治る可能性はあるんですか?」
問いは静かだった。
期待し過ぎないように。
それでも、期待を捨て切れないように。
グリムヴァルドはすぐには答えなかった。
軽々しく頷ける話ではない。
だからこそ。
少し間を置いてから、静かに言った。
「ある」
短い返答だった。
ジンが顔を上げる。
グリムヴァルドは続けた。
「少なくとも、私はそう考えている」
その声は落ち着いていた。
だが、安易な慰めではなかった。
魔術師として。
傷を診て。
魔力の流れを見て。
その上での言葉だった。
「私も魔術師だ」
グリムヴァルドはジンの左目へ視線を向ける。
「傷も診た」
「魔力の流れも見た」
「お前の中に残っている異質な魔力もな」
ジンは黙って聞いている。
グリムヴァルドは誤魔化さない。
「保証は出来ん」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ沈む。
「治らない可能性もある」
「元通りには戻らないかもしれん」
「むしろ、普通に考えれば難しい」
正直な言葉だった。
だからこそ重かった。
けれど。
グリムヴァルドはそこで言葉を止めなかった。
「だが、試す価値はある」
ジンの右目が揺れる。
「南方には、西方に無い術が残っている」
「古い精霊術」
「再生術」
「失われかけた治療体系」
「お前の魔力構造に干渉できる者も、探せばいるかもしれん」
静かな声。
「ここにいるよりは、可能性がある」
ジンは左目へ手を伸ばしかけて、途中で止めた。
触れても何も変わらない。
そこにはもう、視界は無い。
そして左肩を見る。
義手も維持出来ない。
左目が無い事は、単に視界が欠けたという話ではなかった。
魔力を見る力。
距離を測る感覚。
術式を保つ精度。
その全てに影響している。
「……このままだと」
ジンはぽつりと言った。
「義手は、難しいですよね」
グリムヴァルドは頷く。
「今のままではな」
「普通の魔術も?」
「以前と同じにはいかん」
嘘の無い答えだった。
ジンは小さく笑った。
困ったような。
少しだけ寂しそうな笑み。
「参りましたね」
窓の外を見る。
温泉街。
ここで過ごした日々。
リザリア。
ベリアリア。
フィリス。
ミーナ。
アリア。
レヴィアナ達。
ようやく見つけた居場所だった。
ようやく、自分がいてもいいと思えた場所だった。
離れたくなかった。
本当は。
ずっとここにいたかった。
だが。
このままではいられない事も分かっていた。
ジンは長く息を吐く。
そして、静かに言った。
「試してみたいです」
グリムヴァルドは何も言わない。
ただ、ジンを見ている。
「治るか分からなくても」
「元に戻らないかもしれなくても」
「可能性があるなら」
ジンは左肩を見る。
何も無い場所。
「もう一度、義手を使えるようになりたいです」
そして。
残った右手を握る。
「もう一度、ちゃんと魔術を使えるようになりたい」
声は弱くない。
はっきりしていた。
「皆の隣に立てるようになりたいです」
沈黙。
その言葉を聞いて。
グリムヴァルドの表情が少しだけ揺れた。
ジンは彼女を見る。
そして。
いつものように少し困った顔で笑う。
「だから」
小さく頭を下げた。
「連れて行ってください」
部屋が静まる。
窓の外。
雪解けの雫が軒先から落ちる音がした。
グリムヴァルドはしばらく何も言わなかった。
ただ。
目の前の少年を見ていた。
ようやく。
彼が自分の未来のために手を伸ばした。
その事が。
彼女には何より重く感じられた。
やがて。
グリムヴァルドは静かに頷く。
「ああ」
短い返事だった。
「必ず連れて行く」
ジンは小さく頷いた。
その朝。
温泉街を離れる事が決まった。




