家族と
温泉から上がった後。
ジンは宿の部屋へ戻っていた。
髪はまだ少し濡れている。
湯で温まった身体からは僅かに湯気が立っていた。
そして。
「動かないでください」
フィリスの声。
「まだ終わってませんから」
ミーナの声。
ジンは椅子へ座らされていた。
肩には大きなタオル。
左右からフィリスとミーナが身体を拭いている。
「いや、その……」
ジンは困ったように笑う。
「自分で拭けますよ?」
返事は無い。
フィリスは無言で白髪を拭いている。
ミーナも肩や背中の水気を取っていた。
「フィリスさん?」
無視。
「ミーナ?」
無視。
二人とも作業を止めない。
まるで聞こえていないかのようだった。
ジンは助けを求めるように部屋を見る。
ベッドの横にはアリア。
腕を組んで座っている。
当然のように何も言わない。
むしろフィリス達の味方だった。
「本当に大丈夫なんですが……」
「駄目です」
フィリスが即答する。
眼鏡を押し上げながら。
「左目を失ったばかりです」
「肩も完全には治っていません」
「転倒の危険もあります」
淡々とした説明。
だが有無を言わせない。
ミーナも頷く。
「そうですよ」
そして少しだけ頬を膨らませた。
「ジン君、自分が思ってるより重傷なんですから」
ジンは苦笑する。
確かに反論は出来ない。
左目を失ってから距離感は狂う。
立ち上がる時にふらつく事もある。
まだ完全には慣れていない。
「でも……」
「でもじゃありません」
今度はミーナだった。
「患者さんは大人しくしてください」
ジンは観念する。
「……はい」
その返事を聞いて。
ミーナが少しだけ笑う。
そして。
タオルで白髪を拭きながら小さく呟いた。
「なんだか昔みたいですね」
部屋が静かになる。
アリアも。
フィリスも。
その言葉の意味を理解していた。
戦場から帰ってきた日。
怪我だらけで戻ってきた少年。
皆で世話を焼いた日々。
あの頃と同じだった。
違うのは。
ジンの髪が白くなっている事。
そして。
失われたものが増えてしまった事だけだった。
フィリスは一瞬だけ白い髪を見る。
そして静かにタオルを動かした。
今はまだ。
こうして世話を焼ける事が。
何より大切だった。
その日の夜。
宿の部屋は静かだった。
窓の外では雪が降っている。
暖炉の火が小さく揺れ。
部屋を優しく照らしていた。
ジンはベッドへ寝かされていた。
本人は一人で眠るつもりだった。
本当にそのつもりだった。
だが。
誰もそれを許さなかった。
アリアがいた。
気付けばベッドの端に座っていた。
そして。
気付けばそのまま眠っていた。
ジンのすぐ隣で。
さらに。
フィリスもいた。
本を読んでいる途中だったのだろう。
眼鏡を掛けたまま。
ベッドへ突っ伏すように眠っている。
そして。
ミーナも。
最初は椅子に座っていた。
だがいつの間にかベッドへ寄り掛かり。
そのまま眠ってしまっていた。
ジンは目を覚ました時。
その光景を見て困ったように笑った。
「……」
何も言わない。
言えなかった。
アリアの寝顔を見る。
フィリスを見る。
ミーナを見る。
皆。
疲れていた。
ここ数日。
ほとんど眠れていなかったのだろう。
自分のせいだ。
そう思う。
だが。
少しだけ嬉しくもあった。
だから。
起こさなかった。
静かに目を閉じる。
そのまま眠りへ落ちていく。
しばらくして。
コンコン。
控えめなノック。
返事は無い。
ベリアリアがそっと扉を開ける。
暖かな光が漏れる。
そして。
部屋の中を見た。
思わず足が止まる。
ベッド。
その中央で眠るジン。
そして。
左右にはアリアとミーナ。
ベッドへ寄り掛かるフィリス。
皆。
眠っていた。
まるで誰一人離れたくないと言うように。
まるで。
二度といなくならないように見張っているように。
ベリアリアは静かに微笑む。
懐かしかった。
戦争の頃。
ジンが熱を出した時も。
怪我をした時も。
似たような光景があった。
誰かが看病して。
誰かが眠ってしまって。
最後には皆がその場で寝てしまう。
そんな日々。
失ったと思っていた時間。
二度と戻らないと思っていた光景。
それが今。
目の前にあった。
ベリアリアはそっと近付く。
起こさないように。
静かに。
アリアの肩へ毛布を掛ける。
ミーナにも。
フィリスにも。
そして最後に。
ジンの布団を整える。
白い髪が暖炉の光に照らされていた。
失われた左腕。
失われた左目。
痛々しい姿だった。
それでも。
今は眠っている。
穏やかな顔で。
ベリアリアは小さく微笑む。
そして。
誰にも聞こえない声で呟いた。
「本当に……」
その瞳が少し潤む。
「昔みたいですねぇ」
暖炉の火が揺れる。
雪は降り続いている。
けれどその夜だけは。
誰も悪夢を見なかった。
少なくとも。
ベリアリアにはそう見えた。




