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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
142/197

生き残った代償

――バンッ!!


医務室の扉が吹き飛ぶように開かれる。


最初に飛び込んできたのはリザリアだった。


長身のリザードマンの女戦士。


金色の瞳が室内を見渡す。


そして。


固まった。


ベッド。


拘束されたジン。


苦痛に歪んだ顔。


荒い呼吸。


血。


そして。


左側の顔。


そこから流れ落ちる赤。


リザリアの思考が止まる。


何を見ているのか理解したくなかった。


理解出来なかった。


だが。


現実は容赦なく目に飛び込んでくる。


「……」


次の瞬間。


リザリアの全身から殺気が溢れた。


続いてレヴィアナが飛び込んでくる。


そして。


彼女もまた言葉を失った。


拘束具。


血塗れのベッド。


老医務官。


受付嬢。


首筋へ刃を当てられたカティア。


そして。


苦痛に震えるジン。


レヴィアナの瞳が見開かれる。


「……何を」


声が止まる。


ジンがこちらを見る。


いや。


見ようとしている。


だが。


左側は見えていない。


見えるはずがない。


レヴィアナは理解してしまう。


何が起きたのか。


何をされたのか。


その瞬間。


医務室の空気が変わった。


魔力。


魔力が溢れ出す。


壁が軋む。


窓が震える。


レヴィアナは老医務官を見た。


受付嬢を見た。


そして。


静かに言った。


「説明してもらえるかしら」


その声は静かだった。


だが。


誰よりも怒っていた。


後ろからヴァレル。


シオン。


ルドヴィカも到着する。


全員が室内を見る。


そして。


誰も言葉を失う。


ジンはまだ生きていた。


だが。


今まさに。


何かを奪われた直後だった。


受付嬢はそんな一同を見回し。


困ったように笑う。


「いやぁ」


肩を竦める。


「本当に来るの早いですねぇ」


その笑顔を見た瞬間。


リザリアの拳から鈍い音が鳴った。


骨が軋む音だった。


「ザインに……」


リザリアの拳が震える。


全身の筋肉が膨れ上がる。


金色の瞳が血走る。


そして。


咆哮した。


「ザインに何をしやがったぁぁぁぁぁッ!!」


怒声が医務室を震わせる。


まるで魔獣の咆哮だった。


窓が震える。


空気が揺れる。


その怒りは本物だった。


昨夜。


ようやく本音を聞いた相棒。


死んだと思った相棒。


ようやく生きていたと分かった相棒。


その相棒が。


今。


血塗れになっている。


リザリアは一歩踏み出そうとする。


その瞬間だった。


受付嬢の表情から笑みが消える。


スッ――


ナイフが深く押し当てられる。


カティアの首筋に赤い線が走る。


一筋の血。


カティアが息を呑む。


「動かないでくださいよぉ」


気の抜けた声。


だが。


その瞳だけは冷たい。


絶対零度のように。


「今度はこちらの方を殺しちゃいますよ?」


医務室が静まり返る。


リザリアが止まる。


ヴァレルも。


ルドヴィカも。


シオンも。


誰も動けない。


そして。


レヴィアナ。


膨れ上がっていた魔力が止まる。


魔力が空中で揺れる。


彼女は理解していた。


今動けば。


カティアが死ぬ。


その一瞬の隙。


その一瞬だけを待っていた。


老医務官が動く。


懐から取り出した小瓶。


それを迷いなく床へ叩き付けた。


――パリンッ!!


ガラスが砕ける。


次の瞬間。


白い煙が噴き出した。


もくもくと。


一瞬で。


医務室全体を覆うほどの濃い煙。


「なっ!?」


ヴァレルが叫ぶ。


視界が消える。


リザリアが反射的に前へ出る。


だが。


もう遅い。


煙は瞬く間に広がっていく。


医務室が白一色になる。


ジンは拘束されたまま咳き込む。


カティアも視界を失う。


レヴィアナは魔力を展開しようとする。


しかし。


敵の気配が掴めない。


煙の向こうから。


受付嬢の笑い声だけが聞こえた。


「それでは皆さん」


いつもの受付の声。


あまりにも場違いな声。


「またお会いしましょうねぇ」


その声を最後に。


気配が消える。


老医務官の気配も。


受付嬢の気配も。


煙の向こうへ溶けるように。


消えていった。


そして。


残されたのは。


血塗れのジンと。


怒りと困惑に包まれた者達だけだった。


「ジン!」


リザリアがベッドへ駆け寄る。


拘束具を力任せに引き千切る。


革が弾け飛ぶ。


ジンは震えていた。


荒い呼吸。


全身から流れる汗。


そして。


左側の顔から絶えず流れ落ちる血。


「っ……!」


リザリアの表情が歪む。


昨夜。


ようやく見た相棒の素顔。


その顔が今。


見るも無惨な姿になっていた。


「相棒!」


肩を支える。


ジンの身体が小さく震える。


右目だけが辛うじて焦点を結ぶ。


「……リザ……リア……さん……」


掠れた声。


それだけで。


リザリアは奥歯を噛み締めた。


生きている。


生きている。


だからこそ許せなかった。


レヴィアナもベッドへ駆け寄る。


両手をかざす。


緑色の光。


止血魔術。


柔らかな光が傷口を覆う。


流れ出る血を押し留めるように。


命を繋ぎ止めるように。


「止まりなさい……!」


疲労など忘れていた。


魔力を注ぎ込む。


緑の光が強くなる。


ようやく。


血の勢いが弱まっていく。


フィリスとミーナも医務室へ飛び込んでくる。


そして。


その光景を見た瞬間。


固まった。


「ジン君……」


ミーナの声が震える。


フィリスは息を呑む。


何が起きたのか。


聞くまでもなかった。


二人とも顔から血の気が引く。


一方。


ヴァレル達は医務室を確認していた。


「いないな」


ヴァレルが低く呟く。


シオンが床を確認する。


砕けた薬瓶。


煙の残滓。


足跡。


逃走経路。


観察する。


そして。


険しい顔になる。


「計画的ですね」


静かな声だった。


「最初から逃げる準備をしていたようです」


ルドヴィカは窓を見る。


既に開かれている。


雪が吹き込んでいた。


追跡は難しい。


吹雪が痕跡を消している。


「逃げられた」


短く言う。


医務室に重い空気が流れる。


その時だった。


カティアが壁へ身体を預けながら口を開く。


首筋の傷を押さえたまま。


「奴ら……」


全員の視線が向く。


「ザインは死んでいないと最初から知っていた」


静寂。


「いや……違う」


カティアは首を振る。


あの会話を思い出す。


受付嬢。


老医務官。


そして。


あまりにも自然だったやり取り。


「死んだ事にした」


誰も喋らない。


カティアは続ける。


「そう言っていた」


リザリアの瞳が細まる。


レヴィアナも動きを止める。


シオンが眼鏡を押し上げた。


そして。


誰よりも先に理解した。


「つまり……」


静かな声。


「ジンの死亡は最初から偽装だった」


医務室が静まり返る。


フィリスが顔を上げる。


アリアも。


ミーナも。


全員が言葉を失った。


死んだと思った。


泣いた。


絶望した。


だが。


それすら。


誰かの計画だった。


ベッドの上。


ジンは薄く目を開ける。


激痛。


混乱。


そして。


老医務官の言葉。


『もう一つ頂きたいところじゃが』


その言葉だけが頭の中で響いていた。


次は何だったのか。


何を奪われるはずだったのか。


誰も分からない。


だが。


一つだけ確かな事がある。


敵はまだ生きている。


そして。


ジンを狙っている。


医務室の空気が張り詰める。


温泉街の平穏は。


今この瞬間に終わったのだった。


夜は明けていた。


窓の外。


降り続いていた雪はいつの間にか弱くなっている。


淡い朝日が医務室へ差し込んでいた。


暖かな光。


それなのに。


医務室の空気は重かった。


誰も眠っていない。


リザリアは壁際に座り込んでいた。


腕を組んだまま目を閉じている。


だが眠ってはいない。


ヴァレルも。


シオンも。


ルドヴィカも。


誰も帰らなかった。


レヴィアナは椅子へ腰掛けていた。


疲労は限界に近い。


それでも医務室を離れようとはしなかった。


フィリスとミーナも同じだった。


時折うとうとする事はあっても。


完全に眠る事は出来ない。


そして。


アリア。


彼女だけは。


本当に一時もジンの側を離れなかった。


ベッドの横。


椅子へ座り続けている。


ずっと。


何時間も。


ジンの右手を握ったまま。


離さない。


離せない。


赤く腫れた目。


眠っていない。


眠れるはずがない。


昨夜の事が頭から離れない。


銃声。


仮面。


血。


そして。


医務室で見た光景。


もし。


あと少し遅かったら。


もし。


リザリア達が来なかったら。


今度こそ。


本当に失っていた。


アリアはジンを見る。


白い髪。


青白い顔。


左目には応急処置の包帯。


呼吸はまだ浅い。


それでも。


生きている。


確かに。


ここにいる。


アリアは握る手に少し力を込めた。


「……ごめん」


小さな声。


誰にも聞こえないほど。


「ごめんね……」


俯く。


涙が落ちる。


ぽたり。


ジンの手へ落ちる。


昨夜から何度謝ったか分からない。


それでも足りない。


許されるとも思っていない。


それでも。


口にせずにはいられなかった。


アリアは震える声で続ける。


「もう……」


喉が詰まる。


それでも言う。


「もう失わないから」


右手を握る。


強く。


強く。


まるで離したら消えてしまうかのように。


「絶対に……」


窓から差し込む朝日が二人を照らす。


ジンはまだ眠っている。


返事は無い。


だが。


アリアはその場を離れない。


二度も失いかけた。


二度も自分の手で傷付けた。


だからこそ。


今度だけは。


何があっても。


側にいると決めていた。

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