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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
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眠るはずの少年

夜は更けていた。


温泉街は静まり返っている。


酒場の灯りも落とされ始めていた。


リザリア。


カティア。


レヴィアナ。


ヴァレル。


シオン。


ルドヴィカ。


誰も部屋へ戻らなかった。


戻れなかった。


酒を飲み続け。


言葉を失い。


いつの間にかその場で眠りに落ちていた。


杯は倒れている。


酒も零れている。


それでも誰も気にしなかった。


疲れ果てていた。


心が。


限界だった。


――――――


医務室。


静かな部屋だった。


窓の外では雪が降っている。


老医務官だけが起きていた。


椅子へ腰掛け。


ベッドを見つめている。


白い布が掛けられた少年。


ジン。


老医務官は懐から小さな薬瓶を取り出した。


透明な液体。


慎重に注射器へ移す。


そして。


ジンの腕を取った。


「さて……」


小さく呟く。


「若いの」


針が刺さる。


薬液が流れ込む。


静かに。


ゆっくりと。


老医務官はそれを見届ける。


そして。


しばらく待った。


時計の音だけが響く。


数分。


あるいは十数分。


やがて。


変化が訪れる。


ぴくり。


ジンの指先が動いた。


老医務官の目が細まる。


再び。


ぴくり。


今度は肩が僅かに動く。


呼吸が変わる。


深くなる。


そして。


閉じられていた瞼が震えた。


ゆっくり。


本当にゆっくりと。


瞳が開く。


ぼやけた視界。


見慣れない天井。


薬の匂い。


身体は重い。


鉛のようだった。


「……」


声が出ない。


喉が乾いている。


老医務官が静かに立ち上がった。


そして。


優しく笑う。


「おはよう」


穏やかな声だった。


「死にかけの坊主」


ジンは瞬きを繰り返す。


意識がはっきりしない。


何が起きたのか分からない。


ただ。


最後の記憶だけは残っていた。


銃声。


アリア。


砕けた仮面。


そして。


泣きそうな顔。


「……あ」


掠れた声が漏れる。


老医務官は椅子へ座り直した。


「安心せい」


そう言って湯飲みを差し出す。


「まだ生きとる」


外では雪が降り続いている。


誰も知らない。


宿舎で眠るフィリスも。


ミーナも。


泣き疲れて眠ったアリアも。


酒場で突っ伏しているリザリア達も。


誰も知らない。


温泉街の深夜。


死んだはずの少年が。


再び目を覚ました事を。


深夜。


酒場の灯りはほとんど落とされていた。


静かな室内に、寝息だけが残っている。


リザリアは机へ突っ伏して眠っていた。


ヴァレルも。


シオンも。


ルドヴィカも。


疲労と酒に沈むようにして、その場で眠っている。


そんな中。


カティアだけは目を開けていた。


眠れなかった。


机に置かれた酒へ視線を落とす。


ほとんど減っていない。


飲む気になれなかった。


「……そういえば」


小さく呟く。


ザインの顔をまともに見たのは、狼魔獣の襲撃の時だけだった。


あの日。


自分は死ぬと思った。


狼魔獣の群れに囲まれ、逃げ場も失い、身体が動かなくなっていた。


その時。


飛び込んできたのがザインだった。


白髪。


仮面。


異様なほど戦い慣れた動き。


そして戦闘の最中。


仮面が砕けた。


ほんの一瞬だけ見えた横顔。


火傷跡。


年齢に似合わない目。


あの顔を見たのは、それきりだった。


温泉街で再会してからも、ザインはずっと仮面を付けていた。


だから。


ちゃんと顔を見た事は無い。


カティアは静かに立ち上がる。


椅子が小さく鳴る。


誰も起きない。


少し考えた後。


小さく息を吐いた。


最後に、命の恩人の顔を見ておこう。


そう思った。


カティアは酒場を後にする。


静かな廊下。


灯りは少ない。


足音だけが響く。


やがて。


医務室の前へ辿り着く。


扉は閉じられていた。


中から物音は聞こえない。


カティアは少しだけ躊躇する。


そして。


音を立てないように。


そっと扉へ手を掛けた。


カティアは扉へ手を掛けたまま固まっていた。


中から声が聞こえる。


老医務官の声。


そして。


もう一人。


「……あの、これは一体……?」


ザインの声だった。


カティアは目を見開く。


聞き間違いではない。


確かにザインだ。


死んだはずの少年が。


医務室の中で会話している。


生きている。


生きているじゃないか。


胸の奥が大きく脈打つ。


リザリア達に知らせなければ。


フィリス達にも。


そう思い。


扉へ手を掛けた。


その瞬間。


「困るんですよねぇ」


背後から気の抜けた声が聞こえた。


女性の声。


どこか聞き覚えがある。


カティアは振り返ろうとする。


だが。


首筋に冷たい感触が触れた。


ぴたり。


刃物だった。


細く鋭い短剣。


ほんの少しでも動けば皮膚が裂ける距離。


カティアの身体が硬直する。


そして。


その声の主を見て。


目を見開いた。


「……あなたは」


温泉街ギルドの受付嬢だった。


いつも柔らかく笑っている女性。


冒険者相手に愛想よく対応している受付嬢。


その彼女が。


いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべながら短剣を持っていた。


「いやぁ」


受付嬢は困ったように笑う。


「起きちゃったのは予定外だったんですけどねぇ」


まるで仕事の失敗を愚痴るような口調。


だが。


その瞳は笑っていなかった。


冷たい。


底知れないほど冷たい。


カティアは直感する。


危険だ。


この女は。


冒険者でもない。


受付嬢でもない。


別の何かだ。


「静かにしてくれません?」


受付嬢は微笑む。


「今、とっても大事なところなんですよぉ」


医務室の中からはまだ会話が聞こえる。


ザインは何も知らない。


老医務官も。


気付いているのかどうか分からない。


カティアの額を冷や汗が流れる。


受付嬢はそんな様子を見て。


くすりと笑った。


「安心してください」


優しい声だった。


普段の受付と同じ声。


だからこそ不気味だった。


「すぐ終わりますから」


短剣の刃先が。


ほんの少しだけ首筋へ押し付けられた。

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