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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
138/197

遅すぎた再会

一時間後。


医務室には誰も言葉を発していなかった。


時計の針だけが進んでいく。


雪はまだ降り続いている。


窓の外は真っ白だった。


老医務官は何度も脈を確認していた。


薬も使った。


処置もした。


レヴィアナも限界まで魔術を使った。


出来る事は全てやった。


それでも。


ジンの脈は弱くなり続けていた。


少しずつ。


本当に少しずつ。


命の火が消えていくように。


フィリスはベッドの傍らに座っていた。


両手を握り締めながら。


リザリアは俯いていた。


大きな身体が小さく見える。


カティアも静かだった。


レヴィアナは目を閉じている。


エルカは腕を組んだまま壁に寄り掛かっていた。


誰もが。


結果を理解していた。


理解したくなくても。


分かってしまっていた。


そして。


ミーナ。


白鼠獣人の少女は。


ジンの傍らにいた。


小さな手で。


ジンの手を握っていた。


冷たくなり始めた手を。


離すまいとするように。


ずっと。


ずっと。


握っていた。


まるで。


彼女の到着を待っていたかのように。


ジンの呼吸が少しだけ穏やかになる。


老医務官が顔を上げた。


誰も気付いていない。


だが。


彼だけは分かった。


終わりが近い事を。


ミーナは涙で滲む視界のまま。


ジンを見つめる。


「ジン君……」


小さな声だった。


返事は無い。


けれど。


ほんの一瞬だけ。


本当に一瞬だけ。


ジンの表情が和らいだように見えた。


苦しみが消えたように。


安心したように。


そして。


静かに。


本当に静かに。


呼吸が止まる。


誰も気付かなかった。


いや。


気付きたくなかった。


だから。


数秒。


誰も動けなかった。


老医務官が手首へ触れる。


脈を探る。


もう一度。


そして。


ゆっくりと目を閉じた。


部屋の空気が凍り付く。


誰も声を出さない。


誰も動かない。


ただ。


ミーナだけが。


ジンの手を握ったまま。


震える声で呟いた。


「……ジン君?」


返事は無い。


もう。


返ってこない。


「ジン君……?」


声が崩れる。


フィリスが俯く。


リザリアが拳を握り締める。


アリアの瞳から涙が零れ落ちる。


レヴィアナは唇を噛む。


老医務官は静かに頭を下げた。


深夜。


雪降る温泉街で。


一人の少年の命は。


静かに尽きた。


静寂。


誰も動かなかった。


誰も。


その現実を受け入れられなかった。


老医務官が静かに首を横へ振る。


それだけだった。


言葉は無い。


必要も無かった。


全員が理解してしまったからだ。


ジンの手を握っていたミーナの指先が震える。


「……うそ」


掠れた声。


小さな声だった。


「うそだよね……?」


返事は無い。


いつもなら。


「何言ってるんですか」


と困ったように笑うはずだった。


クッキーを差し出せば。


嬉しそうに食べるはずだった。


また会えると思っていた。


ようやく会えたと思った。


それなのに。


「やだ……」


涙が零れる。


「やだよぉ……」


声が崩れる。


握った手を離さない。


離せる訳がない。


「起きてよ……」


肩が震える。


「ジン君……」


そして。


ミーナはベッドへ縋り付くように泣き崩れた。


小さな身体を震わせながら。


声を押し殺しながら。


ただ泣いた。


その隣。


フィリスも俯いていた。


眼鏡の奥から涙が落ちる。


ぽたり。


ぽたりと。


床へ落ちる。


記録係だった。


ずっと見てきた。


ジンがどれだけ苦しんでいたか。


どれだけ消耗していたか。


どれだけ無理をしていたか。


知っていた。


なのに。


守れなかった。


「ごめんなさい……」


小さく呟く。


誰へ向けた言葉か分からない。


ジンか。


自分自身か。


それとも。


あの日の聖騎士団か。


フィリスは顔を覆う。


肩が震えていた。


そして。


アリア。


彼女はしばらく動かなかった。


いや。


動けなかった。


理解が追い付いていなかった。


目の前にいる。


ジンがいる。


ようやく会えた。


生きていた。


ずっと探していた。


ずっと謝りたかった。


ずっと。


会いたかった。


なのに。


その時間は。


ほんの数時間しか無かった。


そして。


終わった。


自分の手で。


アリアの手が震える。


血の付いたままの手。


引き金を引いた手。


その手を見た瞬間。


何かが壊れた。


「……私」


声が漏れる。


「私が……」


誰も見ていない。


誰も責めていない。


それでも。


アリアは自分を許せなかった。


「また……」


呼吸が乱れる。


涙が溢れる。


「またジンを撃った……」


崖の上。


雪。


雷撃。


落下する背中。


全部が蘇る。


忘れた事なんて無かった。


毎晩夢に見た。


毎晩後悔した。


だから。


生きていて欲しかった。


もう一度会いたかった。


謝りたかった。


それだけだった。


それなのに。


「やっと……」


涙が止まらない。


「やっと会えたのに……」


声が震える。


「私……また……」


そこから先は言葉にならなかった。


膝から崩れ落ちる。


床へ両手を付く。


そして。


泣いた。


子供のように。


みっともなく。


声を上げて。


「ごめんなさい……!」


誰よりも。


誰よりも大きな後悔を抱えながら。


「ごめんなさい……ジン……!」


医務室には泣き声だけが響いていた。


雪は静かに降り続いている。


誰も。


誰一人として。


その夜の終わりを受け入れられなかった。


医務室の泣き声を背に。


レヴィアナは静かに立ち上がった。


誰も止めない。


止められない。


レヴィアナ自身も何も言わなかった。


ただ。


一度だけ。


ベッドに横たわるジンを見た。


白い髪。


安らかな寝顔。


まるで眠っているだけのようだった。


雪山で転がっていた少年。


蔦で遊んでいた少年。


花弁の魔術が出来ずに落ち込んでいた少年。


そんな光景が脳裏を過る。


レヴィアナは目を閉じた。


そして。


踵を返す。


医務室の扉が静かに閉まった。


廊下。


そこで待機していたヴァレル達が顔を上げる。


ルドヴィカ。


シオン。


ヴァレル。


三人とも言葉を発しない。


レヴィアナも何も言わない。


ただ。


その表情だけで十分だった。


誰もが理解する。


あの少年は。


もう戻らない。


「……そうか」


最初に呟いたのはヴァレルだった。


掠れた声だった。


いつもの軽薄さは欠片も無い。


シオンは眼鏡を外す。


そして目を伏せた。


何も言えなかった。


ルドヴィカも黙ったまま拳を握る。


白熊獣人の大きな手が僅かに震えていた。


誰も泣かない。


だが。


誰も平静ではいられなかった。


レヴィアナはそのまま歩き去る。


足音だけが静かに響く。


そして。


ギルド酒場。


深夜になり人も減っていた。


薄暗い灯り。


静かな空間。


そこにリザリアとカティアがいた。


二人の前には酒が置かれている。


だが。


ほとんど減っていない。


リザリアは黙って酒を飲んでいた。


カティアも何も言わない。


言葉が見付からなかった。


しばらくして。


レヴィアナが酒場へ入ってくる。


その顔を見た瞬間だった。


リザリアの身体が僅かに強張る。


何も聞かない。


聞けない。


だが。


分かってしまった。


レヴィアナは何も言わなかった。


ただ。


空いている席へ腰を下ろした。


それだけだった。


沈黙。


長い沈黙。


リザリアは酒を口へ運ぶ。


味などしない。


喉へ流し込む。


それでも何も変わらない。


昨夜の事を思い出す。


『目の届くところにいてくれよ、相棒』


『お前がいなくなったら、俺は寂しいぞ』


笑っていた。


困ったように。


少し照れながら。


ちゃんと返事もしていた。


なのに。


もういない。


金色の瞳が揺れる。


酒の入った杯を握る手に力が入る。


ぽたり。


雫が落ちた。


酒ではない。


涙だった。


リザリアは顔を伏せる。


肩が小さく震える。


止めようとしても止まらない。


「……馬鹿野郎」


掠れた声だった。


怒りでもない。


恨みでもない。


ただ。


どうしようもない喪失感だった。


「勝手にいなくなるなよ……」


誰に届く訳でもない。


それでも。


そう呟かずにはいられなかった。


隣ではカティアが静かに座っている。


何も言わない。


ただ。


友人の肩が震えているのを見守っていた。


雪は降り続いている。


温泉街の夜は静かだった。


あまりにも静かだった。

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