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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
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消えゆく意識

「誰か助けて!!」


アリアの叫びがギルドへ響く。


静まり返っていた空間が一気に動いた。


最初に反応したのはレヴィアナだった。


椅子を倒す勢いで立ち上がる。


紫のローブを翻しながら駆け寄った。


そして。


アリアの腕の中にいる人物を見た瞬間。


顔色が変わる。


「ザイン!!」


思わず叫ぶ。


先日まで。


雪山で転がり。


蔦で遊び。


魔術の訓練をしていた少年。


それが今は血塗れだった。


左肩。


左脚。


頭部。


どこも傷だらけだった。


レヴィアナは息を呑む。


だが次の瞬間には表情を引き締めていた。


感情を押し込める。


今は驚いている場合ではない。


「……いえ」


小さく息を吐く。


そして鋭く言い放つ。


「今は医務室に!」


アリアが頷く。


涙で濡れた顔のまま。


ジンを抱え直す。


フィリスも後ろから駆け込んでくる。


血の跡が床へ落ちる。


周囲の冒険者達は言葉を失っていた。


リザリアも立ち上がっている。


カティアも。


ヴァレルも。


シオンも。


全員が血塗れのザインを見ていた。


レヴィアナは振り返る。


「リザリア!」


その声にリザリアが反応する。


「担架!」


「無ければ毛布でも何でもいい!」


「早く!」


珍しく怒鳴るような声だった。


それだけ状況が危険だった。


そして。


アリアはジンを抱えたまま。


レヴィアナの案内で医務室へ向かう。


その途中。


レヴィアナは一瞬だけザインを見る。


呼吸は浅い。


顔色も悪い。


それでも。


まだ生きている。


「死ぬんじゃないわよ……」


誰にも聞こえない声だった。


そして一行は医務室へ飛び込んだ。



ギルド医務室。


ベッドの上にはジンが横たわっている。


白いシーツが血で染まる。


左肩。


左脚。


頭部。


どの傷も深い。


レヴィアナは額に汗を浮かべながら止血魔術を展開していた。


淡い光が傷口を包む。


だが。


出血は簡単には止まらない。


「っ……!」


レヴィアナの表情が歪む。


魔力を流し込む。


それでも足りない。


傷が深すぎる。


ベッドの横ではフィリスが祈るような顔で見守っていた。


両手は血で真っ赤だった。


そして。


アリア。


アリアは全く落ち着いていなかった。


「ねぇ」


震える声だった。


「ねぇ……大丈夫よね?」


誰に聞いているのか分からない。


レヴィアナか。


フィリスか。


それとも自分自身か。


返事は無い。


アリアは一歩前へ出る。


ジンを見る。


顔色が悪い。


呼吸も浅い。


その姿を見た瞬間。


胸が締め付けられる。


「いや……」


首を横に振る。


認めたくなかった。


「違う……」


涙が零れる。


「そんなはずない……」


手が震える。


呼吸が乱れる。


頭の中では。


崖際の光景が蘇る。


雷撃。


雪。


血。


落下するジン。


そして今。


再び血塗れのジン。


全部が重なる。


「私が……」


声が掠れる。


「私が撃った……」


理解している。


誰のせいか。


分かっている。


だから余計に耐えられない。


アリアはベッドへ縋り付く。


震える手でシーツを握る。


「ごめん……」


小さく呟く。


「ごめん……ジン……」


何度も。


何度も。


同じ言葉を繰り返す。


まるでそれ以外の言葉を忘れてしまったように。


だが。


謝罪だけでは血は止まらない。


ジンの意識も戻らない。


それがアリアをさらに追い詰めていた。


「起きてよ……」


涙が落ちる。


「お願いだから……」


狼狽。


後悔。


恐怖。


全部が入り混じっていた。


今のアリアには。


猟兵としての冷静さなど一欠片も残っていなかった。


「起きてよ……」


アリアの声が震える。


「お願いだから……」


涙が止まらない。


だが。


ジンは答えない。


ベッドの上。


血に濡れた身体は微かに上下している。


呼吸はある。


まだ生きている。


それでも。


その意識はゆっくりと沈み始めていた。


レヴィアナは歯を食いしばる。


止血魔術を維持する。


光が傷口を包む。


流れ出る血は少しずつ減っている。


だが。


失われた血は戻らない。


フィリスはベッドの傍らで両手を握り締めていた。


祈る事しか出来ない。


何も出来ない自分が悔しかった。


その時。


ジンの瞼が僅かに動く。


全員の視線が集まる。


アリアが息を呑む。


「ジン……?」


小さな声だった。


ジンの視界は霞んでいた。


輪郭が曖昧だ。


声も遠い。


何が聞こえているのかも分からない。


ただ。


誰かが泣いている気がした。


誰かが名前を呼んでいる気がした。


暖かい。


不思議なほど暖かかった。


遠い昔。


聖騎士団の宿舎で眠った時みたいに。


誰かが近くにいる気がした。


「……」


唇が僅かに動く。


何かを言おうとした。


だが。


声にはならない。


視界が暗くなる。


重い。


眠い。


とても眠い。


抗おうとした。


けれど。


身体はもう言う事を聞かなかった。


意識が沈む。


ゆっくりと。


静かに。


深い水の底へ落ちていくように。


アリアの顔が歪む。


「ジン……!」


フィリスも身を乗り出す。


「ジン君!」


レヴィアナは魔術を維持したまま叫ぶ。


「寝るんじゃないわよ!」


だが。


その声は届かない。


ジンの瞼が閉じる。


呼吸だけを残して。


意識は完全に闇の中へ沈んでいった。


医務室には重い沈黙が落ちる。


誰も言葉を発せなかった。


ただ。


レヴィアナだけは手を止めない。


まだ呼吸はある。


まだ心臓は動いている。


だから。


諦めるには早すぎた。


ギルド医務室。


重苦しい空気が漂っていた。


レヴィアナは止血魔術を維持し続けている。


額から汗が滴る。


フィリスはベッドの傍らで祈るように立っていた。


アリアは震える手を握り締めている。


そして。


意識を失ったジンは静かに横たわっていた。


その時だった。


医務室の扉が開く。


足早な足音。


二人の人物が入ってくる。


一人は老齢の医務官。


白髪交じりの老人だった。


長年ギルド医務室を預かってきた男。


そしてもう一人。


温泉街ギルドを束ねるギルドマスター。


エルカだった。


エルカは部屋へ入った瞬間に異変を察する。


血の匂い。


緊張した空気。


そして。


ベッドの上の少年。


「……何事だ」


低い声だった。


周囲を見回す。


誰もすぐには答えない。


あまりにも状況が異常だったからだ。


エルカの視線がレヴィアナへ向く。


「説明しろ」


レヴィアナは止血魔術を維持したまま答える。


「狙撃されたのよ」


短かった。


だが。


その一言だけで十分だった。


エルカの眉が動く。


「狙撃?」


温泉街で。


しかもここまでの重傷。


普通ではない。


エルカはベッドへ近付く。


そして。


横たわるジンを見る。


白い髪。


失われた左腕。


血塗れの身体。


顔には見覚えがあった。


最近温泉街へ現れた仮面の少年。


レヴィアナ達と行動していた冒険者。


だが。


今はそんな事はどうでもいい。


「医務官」


エルカが振り返る。


老医務官は既に動いていた。


傷口を見る。


肩。


脚。


頭部。


そして顔色。


呼吸。


脈。


長年の経験で状況を判断する。


その表情が徐々に険しくなっていく。


部屋の空気がさらに重くなる。


アリアは思わず一歩前へ出た。


「た、助かるわよね……?」


震える声だった。


誰よりもその答えを聞きたかった。


老医務官は答えない。


まずは傷を診る。


それが医者だった。


静寂。


誰も息を呑んでいた。


しばらくして。


医務室には重い沈黙が漂っていた。


レヴィアナはようやく止血魔術を解除する。


その瞬間。


身体が大きく揺れた。


「っ……」


ベッドへ手を付く。


額から汗が滴る。


呼吸も荒い。


長時間に渡る精密な魔術行使。


失血を抑えるための繊細な制御。


流石の金級魔術師でも楽な仕事ではなかった。


その様子を見ていた老医務官が静かに頷く。


「ご苦労じゃったな」


穏やかな声だった。


レヴィアナは疲れ切った顔で苦笑する。


「慣れない事はするもんじゃないわね……」


老医務官は小さく笑った。


そして。


「後は私の仕事じゃ」


そう言った。


レヴィアナは黙って一歩下がる。


今は専門家へ任せるしかない。


老医務官は薬品を準備する。


透明な薬液。


細い管。


医療器具。


慣れた手付きで作業を進めていく。


やがて。


ジンの血管へ針を刺した。


薬液が少しずつ流れ始める。


医務室には誰も声を出さない。


フィリスはベッドの傍らに立っている。


血で汚れた手を握り締めながら。


アリアは少し離れた場所にいた。


泣き腫らした目。


震える身体。


ジンから視線を離せない。


リザリアは壁際に立っていた。


腕を組む事すら出来ない。


ただ真っ直ぐジンを見ている。


昨夜。


ようやく過去を聞いた。


ようやく本音を聞いた。


「勝手にどっか行くな」


そう言ったばかりだった。


なのに。


今はベッドの上だ。


血塗れで。


意識も無い。


金色の瞳が揺れる。


だが何も言えない。


カティアも静かだった。


普段の冷静な表情のまま。


それでも瞳だけは険しい。


何が起きたのか。


誰が撃ったのか。


聞きたい事は山ほどあった。


だが。


今はそれどころではなかった。


老医務官は診察を続ける。


脈。


呼吸。


瞳孔。


傷口。


一つ一つ確認する。


その顔が徐々に険しくなっていく。


エルカはその様子を黙って見ていた。


ギルドマスターとして。


そして長年多くの死線を見てきた一人として。


その表情の意味を理解していた。


やがて。


老医務官は小さく息を吐く。


静かな声だった。


「傷は深い」


誰も動かない。


「失った血も多い」


空気が重くなる。


アリアの肩が震える。


フィリスは唇を噛み締める。


リザリアは拳を握った。


老医務官は眠るように横たわるジンを見た。


そして。


ぽつりと呟いた。


「今夜が峠かもしれんのう」


沈黙。


誰も言葉を発しなかった。


アリアの顔から血の気が引く。


「そんな……」


掠れた声が漏れる。


フィリスは俯く。


レヴィアナは目を閉じた。


カティアも黙ったままだった。


そして。


リザリア。


長身の女戦士はベッドへ歩み寄る。


ゆっくりと。


震える足で。


そして。


眠るジンを見る。


白い髪。


青白い顔。


呼吸だけが辛うじて命を繋いでいる。


「……嘘だろ」


小さな声だった。


怒鳴る事も出来ない。


否定する事も出来ない。


ただ。


信じたくなかった。


昨夜の声が蘇る。


『お前がいなくなったら……俺は寂しいぞ』


そう言ったばかりだった。


なのに。


その相手は今。


返事すら出来ない。


リザリアは俯く。


肩が小さく震えていた。


窓の外では雪が降り続いている。


医務室には時計の音だけが響いていた。

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