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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
135/197

血濡れの青猫

音が遠い。


雪が降っている。


誰かが叫んでいる。


何かを言っている。


けれど。


上手く聞こえなかった。


ジンの意識は薄れ始めていた。


身体が重い。


左脚。


左肩。


頭。


どこも痛い。


それなのに。


不思議と寒さは感じなかった。


視界が滲む。


白い雪。


黒い夜空。


その中を。


二つの人影が駆けてくる。


一人は知っている。


フィリス。


眼鏡を掛けた鳥獣人。


いつも冷静な記録係。


今は何かを叫んでいた。


必死な顔をしている。


そして。


もう一人。


青い毛並み。


猫獣人。


見慣れた姿。


何度も見てきた背中。


何度も一緒に戦った。


遠い記憶の中の人。


「……あ」


声にならない。


霞む視界の向こう。


その姿を見つめる。


「アリ……ア……?」


掠れた声だった。


呼んだつもりだった。


ちゃんと聞こえたかも分からない。


だが。


その名を呼ばれた瞬間。


アリアの身体が止まる。


呼吸が止まる。


心臓が止まりそうになる。


ジンが。


自分を見ている。


そして。


名前を呼んだ。


間違いない。


覚えている。


自分の事を。


アリアは一歩。


また一歩。


ふらつきながら近付いていく。


銃はもう手から離れていた。


雪の上へ落ちている。


そんな事にも気付いていない。


ただ。


ジンを見ていた。


血塗れの姿。


白い髪。


失われた左腕。


額から流れる血。


全部が現実だった。


夢じゃない。


幻でもない。


アリアの唇が震える。


「……私が」


声が掠れる。


「私が……」


膝が震える。


息が苦しい。


目の前が滲む。


そして。


震える声で呟いた。


「私が……また……」


喉が詰まる。


言葉が出ない。


認めたくなかった。


けれど。


現実は変わらない。


自分が撃った。


自分の手で。


また。


「ジンを……撃った……?」


その言葉と共に。


涙が零れた。


ぽたり。


雪の上へ落ちる。


アリアは呆然と立ち尽くしていた。


何年も。


何年も。


会いたかった。


謝りたかった。


生きていて欲しかった。


その相手を。


再び自分の手で傷付けてしまった。


そんな事があるのか。


そんな事が許されるのか。


アリアには分からなかった。


ただ。


目の前のジンから目を離せなかった。


雪の上へ血が広がっていく。


赤い。


あまりにも赤かった。


フィリスは震える手で傷口を押さえていた。


左肩。


銃弾が貫いた傷。


頭部の裂傷。


そして左脚。


どこからも血が流れている。


包帯では足りない。


手で押さえても足りない。


止まらない。


「ジン君!」


フィリスが叫ぶ。


声が震えていた。


普段冷静な記録係とは思えないほど。


「ジン君!」


返事は無い。


ジンの瞼が重そうに下がる。


呼吸も浅い。


焦点も合わなくなり始めていた。


フィリスは必死に肩を揺する。


「だめです!」


「眠っちゃだめです!」


血だらけの手で。


必死に。


何度も。


「ジン君!」


「起きてください!」


「お願いです!」


だが。


流れる血は止まらない。


温かい血が指の隙間から零れていく。


フィリスの顔が青ざめる。


理解していた。


このままでは危ない。


本当に。


危ない。


「だめですって……」


声が掠れる。


「だめですって……」


もう祈るような声だった。


その時だった。


隣で呆然としていたアリアが。


ようやく現実へ引き戻される。


血。


傷。


ジン。


そして。


自分。


全部が繋がる。


アリアの顔から血の気が引いた。


「……っ!」


膝をつく。


ジンの傍へ飛び込む。


震える手で傷口を押さえる。


「止まって……!」


声が震える。


涙で視界が滲む。


「止まってよ……!」


必死だった。


肩を押さえる。


血が溢れる。


押さえる。


それでも溢れる。


指が赤く染まる。


腕が赤く染まる。


雪が赤く染まる。


「なんで……!」


アリアの呼吸が乱れる。


「なんで止まらないのよ……!」


涙が零れる。


ぽたぽたと。


ジンの服へ落ちる。


「お願いだから……」


もう猟兵ではなかった。


狙撃手でもなかった。


そこにいたのは。


かつて弟のように思っていた少年を。


自分の手で二度も傷付けてしまった少女だった。


「お願いだから……!」


アリアは血塗れの手で傷口を押さえ続ける。


フィリスも押さえる。


二人とも手が真っ赤だった。


それでも。


血は止まらない。


ジンの意識はさらに遠のいていく。


雪が降る。


静かに。


残酷なほど静かに。


白い雪だけが。


三人へ降り積もっていた。


「止まって……!」


アリアは血だらけの手で傷口を押さえる。


だが。


血は止まらない。


肩から。


脚から。


頭から。


ジンの命が零れ落ちるようだった。


アリアの顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。


「フィリス!」


震える声だった。


「どこか!」


「どこか治療できるところは無いの!?」


フィリスは即座に答えた。


迷う余裕など無い。


「ギルドです!」


「ギルドの医務室です!」


その言葉を聞いた瞬間。


アリアは動いていた。


ジンの身体を抱き上げる。


「っ……!」


重い。


昔よりずっと。


小さかった少年は。


いつの間にか大きくなっていた。


それでも。


アリアは離さない。


腕に力を込める。


血が服を濡らす。


温かい。


だがその温もりが失われていくのが分かる。


「死なないで……」


小さく呟く。


そして走り出した。


雪を蹴る。


夜の温泉街を全力で駆ける。


フィリスも後を追う。


息が切れる。


脚が悲鳴を上げる。


それでも止まらない。


止まれば。


間に合わない。


アリアの胸にはその思いしか無かった。


やがて。


ギルドの建物が見える。


灯りが漏れている。


まだ人もいる。


アリアは減速しない。


そのまま入口へ突っ込んだ。


そして。


――ドンッ!!


勢いよく扉を蹴り開ける。


轟音が響いた。


ギルド内の視線が一斉に集まる。


受付嬢。


冒険者達。


そして。


金級冒険者達。


全員が言葉を失った。


まず目に入ったのはアリアだった。


青い毛並みの猫獣人。


涙で濡れた顔。


血塗れの手。


その異様な姿。


だが。


次の瞬間。


全員の視線はアリアが抱える人物へ向く。


白髪。


血塗れの身体。


失われた左腕。


意識の薄れた少年。


その姿を見た瞬間。


空気が凍り付いた。


誰も言葉を発しない。


数秒。


長い沈黙。


そして。


アリアが叫ぶ。


今にも泣き崩れそうな声で。


「誰か!!」


息を切らしながら。


「誰か助けて!!」


抱き締める腕に力が入る。


震えていた。


「お願いだから!!」


声が裏返る。


「ジンを助けて!!」


その叫びが。


静まり返ったギルドへ響き渡った。

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