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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
134/197

うそ

路地裏の空気が張り詰める。


ザインは木箱の陰から僅かに外を窺った。


敵はどこだ。


屋根か。


窓か。


それとも別の場所か。


見つけなければならない。


そう思った瞬間だった。


ぞわり。


背筋を冷たいものが走る。


殺気。


反射だった。


考えるより早く身体が動く。


「伏せて!」


ザインが叫ぶ。


自らも地面へ飛び込む。


次の瞬間。


轟音。


石壁が弾け飛んだ。


木片。


石片。


雪。


全部が吹き飛ぶ。


先程までザインの頭があった場所。


そこへ魔導弾が叩き込まれていた。


「っ……!」


フィリスが息を呑む。


今のは間違いなく致命傷だった。


少しでも反応が遅れていたら。


頭部を吹き飛ばされていた。


ザインは歯を食いしばる。


冷や汗が流れる。


見えている。


向こうはこちらを見失っていない。


いや。


見失わせる気が無い。


逃げても。


隠れても。


追い込まれている。


「居場所が……」


フィリスの声が震える。


「把握されています……!」


ザインも同じ結論だった。


逃げ場が無い。


少なくともこの路地裏には。


「走ります!」


即断だった。


ここに留まれば死ぬ。


それだけは分かる。


フィリスも頷く。


次の瞬間。


二人は飛び出した。


雪を蹴る。


路地を駆ける。


背後を振り返らない。


ただ前へ。


生き残るために。


だが。


ザインの表情が歪む。


左脚。


痛みが酷い。


包帯を巻いても出血は止まっていない。


踏み込む度に激痛が走る。


速度が出ない。


どうしても。


遅くなる。


フィリスも気付いていた。


ザインが必死に隠している事を。


左脚が限界に近い事を。


それでも。


ザインは走る。


歯を食いしばりながら。


一歩。


また一歩。


その時だった。


再び。


背筋へ嫌な感覚が走る。


殺気。


今度は先程より近い。


そして。


鋭かった。


ザインの表情が変わる。


来る。


そう理解した瞬間だった。


轟音。


夜の温泉街へ再び銃声が響く。


速い。


あまりにも速い。


視認する暇すら無い。


次の瞬間。


「――っ!!」


左肩を何かが貫いた。


肉が裂ける。


骨まで響く衝撃。


身体が大きく揺れる。


激痛。


呼吸が止まる。


視界が白く染まった。


「がぁっ!!」


声にならない悲鳴が漏れる。


血飛沫が雪へ散った。


フィリスが目を見開く。


「ザイン君!!」


左肩。


銃弾は完全に貫通していた。


大量の血が流れ出る。


脚の傷とは比べ物にならない。


意識が揺れる。


膝が折れそうになる。


そして。


その瞬間だった。


維持していた魔力が乱れる。


「っ……!」


左側で光が弾けた。


義手。


魔術で形成していた左腕。


肩を撃ち抜かれた衝撃で制御が崩壊する。


指先から。


肘から。


腕全体が砕けるように光へ変わる。


青白い魔力の粒子が夜空へ舞った。


雪の上へ何かが落ちる事は無い。


最初から実体ではない。


ただ。


そこにあった左腕が消えた。


フィリスの顔が青ざめる。


「そんな……」


だが。


ザインには返事をする余裕が無かった。


肩が熱い。


脚が痛い。


視界が揺れる。


それでも。


まだ倒れない。


倒れれば終わる。


戦場で嫌というほど学んだ。


だから。


右手だけは動いた。


生き残るために。


右手へ魔力を集中する。


意識が霞む。


それでも魔術を発動する。


地面が蠢く。


石畳の隙間から緑の蔦が噴き出した。


何本も。


何十本も。


雪を巻き上げながら。


木箱へ絡み付き。


壁を覆い。


路地裏全体へ広がる。


蔦が暴れる。


雪煙が舞う。


視界が白く染まる。


目眩まし。


攻撃ではない。


逃げるためだけの魔術。


生き残るためだけの魔術だった。


ザインは荒い呼吸を繰り返す。


肩を押さえる。


温かい血が指の隙間から流れ続けていた。


フィリスがすぐ横へ駆け寄る。


だが。


ザインは震える声で言った。


「まだ……止まらないでください……」


仮面の奥で息を吐く。


肩。


脚。


どちらも重傷だった。


それでも。


まだ生きている。


だから。


まだ諦めない。


蔦と雪煙の向こう側。


狙撃手の姿は見えない。


だが。


殺意だけは確かにそこにあった。



屋根の上。


アリアは歯を食いしばった。


確かに当てた。


脚を撃った。


肩も撃った。


どちらも致命傷になってもおかしくない。


少なくとも。


まともに動ける状態ではないはずだった。


それなのに。


仮面の男はまだ逃げている。


まだ立っている。


まだ戦っている。


「何なのよ……!」


思わず声が漏れる。


理解出来なかった。


魔導歩兵銃。


帝国が誇る新兵器。


人体へ命中すれば骨ごと砕く威力を持つ。


その銃弾を二発受けて。


まだ動く。


あり得ない。


だが。


現実だった。


アリアは銃を構え直す。


照準を合わせようとした。


その時だった。


路地裏から何かが噴き出す。


緑色。


植物。


蔦。


「……は?」


アリアは目を見開いた。


蔦だった。


無数の蔦。


石畳を突き破り。


木箱へ絡み付き。


路地全体を覆い始める。


雪煙も混じる。


視界が悪い。


狙いが付けられない。


そして何より。


道そのものが塞がれていく。


アリアは舌打ちした。


「チッ」


隠蔽。


目眩まし。


逃走用の魔術。


そこまでは分かる。


だが。


植物魔術。


それもこれほどの規模。


暗部が使うような魔術ではない。


一瞬だけ違和感が過る。


だが。


今は考えている場合ではなかった。


逃がせば終わりだ。


アリアは魔導歩兵銃を背へ戻す。


そして腰のナイフを抜いた。


屋根から飛び降りる。


雪を蹴る。


着地。


そのまま路地へ飛び込む。


目の前には蔦の壁。


生き物のように蠢いている。


アリアは躊躇しなかった。


一閃。


ナイフが振るわれる。


蔦が切断される。


さらにもう一閃。


二閃。


三閃。


次々と道を塞ぐ植物を斬り払う。


切られた蔦が雪へ落ちる。


だが。


数が多い。


それでも止まらない。


アリアの瞳は獲物を追う猟兵のものだった。


仮面の男。


フィリス。


二人とも逃がさない。


あの日の答えを聞くまでは。


いや。


今は違う。


まずはあの男だ。


あの異常な反応速度。


二発受けても倒れない生命力。


そして。


この植物魔術。


危険だ。


危険過ぎる。


だからこそ。


逃がせない。


アリアは蔦を斬り払いながら路地の奥へ駆ける。


雪が舞う。


冷たい夜風が吹く。


そして。


追撃が始まった。


ザインは壁へ身体を預けた。


呼吸が荒い。


左脚。


左肩。


どちらも血が流れている。


まともに戦える状態ではない。


だが。


追手は確実に近付いている。


逃げ切れない。


ならば。


先に仕掛ける。


右手へ魔力を集める。


冷たい夜風が指先へ集まった。


慣れた感覚だった。


何度も使ってきた。


ずっと頼ってきた魔術。


風の刃。


圧縮された風が幾重にも重なる。


ザインは路地裏の出口を見る。


蔦。


雪煙。


その向こう。


確実に誰かが来ている。


「……!」


右手を振る。


次の瞬間。


風の刃が放たれた。


轟ッ――


空気を裂く音。


雪が舞う。


蔦が揺れる。


白い雪煙が巻き上がる。


出口へ向かって一直線に飛ぶ。


そして。


その奥。


雪煙の向こう。


何かが動いた。


人影。


気配。


確かにそこにいる。


ザインの瞳が細まる。


追手だ。


間違いなく。


こちらを追って来ている。



路地裏の入口付近。


アリアは咄嗟に身を伏せていた。


次の瞬間。


風が唸りを上げる。


風の刃。


圧縮された空気が雪を巻き上げながら通り過ぎる。


建物の壁へ深い傷が刻まれた。


雪煙が舞う。


静寂。


アリアは物陰へ身体を押し付けたまま動かない。


だが。


その瞳は大きく見開かれていた。


「……嘘」


小さく呟く。


自分は隠れていた。


足音も立てていない。


視界も通っていない。


それなのに。


攻撃が飛んできた。


偶然か。


いや。


違う。


あの風の刃は明らかにこちらを牽制していた。


アリアは歯を食いしばる。


冷や汗が頬を伝う。


二発。


確かに命中した。


脚。


肩。


普通なら動けなくなる。


それなのに。


反撃してきた。


しかも。


こちらの接近に反応して。


「私の気配に反応した……?」


信じられなかった。


あの距離で。


あの状態で。


だが現実だった。


あの仮面の男は危険だ。


今まで戦ってきた相手とは違う。


負傷してなお。


狩られる側ではなく。


こちらを狩ろうとしている。


アリアはゆっくり息を吐く。


感情を押し込める。


迷いを消す。


もう捕縛ではない。


尋問でもない。


最初の一撃で脚を狙った時とは違う。


今ははっきり理解していた。


生かしておけば危険だ。


フィリスから話を聞けばいい。


情報はそこから得られる。


ならば。


優先すべきは。


あの仮面の男を仕留める事。


アリアは静かに魔導歩兵銃を構え直す。


雪が降る。


夜風が吹く。


照準の先には蔦の壁。


雪煙。


その向こうにいるであろう仮面の男。


アリアの瞳から迷いが消えた。


「……次で終わらせる」


低く呟く。


そして。


再びゆっくりと狙撃位置を変え始めた。



路地裏の奥。


ザインは荒い呼吸を繰り返していた。


左脚。


左肩。


どちらも痛む。


血も止まっていない。


それでも。


立っていた。


倒れれば終わる。


それだけは分かっていた。


右手へ魔力を集める。


風が集まる。


そして。


再び放つ。


風の刃。


轟ッ――


圧縮された風が雪を巻き上げながら飛ぶ。


路地裏の出口。


蔦の隙間。


雪煙の向こう。


だが。


反応が無い。


何も。


避けた気配も。


動く気配も。


返ってこない。


「……?」


ザインの眉が僅かに動く。


おかしい。


先程までは確かにいた。


殺気もあった。


気配もあった。


それなのに。


今は静か過ぎる。


その瞬間だった。


路地裏の出口。


雪煙を突き破るように人影が飛び出してくる。


速い。


迷いが無い。


一直線。


ザインは反射的に視線を向ける。


そして。


固まった。


「――――」


息が止まる。


知っている。


その姿を。


その毛並みを。


その瞳を。


忘れるはずがない。


青い毛並み。


猫獣人。


そして。


見慣れた顔。


アリア。


アリア・エルレインだった。


時間が止まったように感じた。


どうして。


何故ここに。


そんな言葉が頭をよぎる。


だが。


その間にも。


アリアは止まらない。


飛び出した勢いのまま。


魔導歩兵銃を構える。


迷いの無い動作。


戦場で何度も見た動きだった。


「っ……!」


ザインの身体が反応しようとする。


だが遅い。


傷が深過ぎる。


そして何より。


目の前に現れた人物に意識を奪われていた。


次の瞬間。


轟音。


銃声が夜へ響く。


魔導弾が一直線に飛ぶ。


回避は間に合わない。


衝撃。


仮面へ命中する。


凄まじい音。


仮面が砕ける。


吹き飛ぶ。


破片が夜空へ散る。


「がっ――!」


ザインの身体が後方へ吹き飛ばされた。


背中から雪へ叩き付けられる。


視界が揺れる。


頭部へ激痛が走る。


額から頬へ。


鋭い裂傷。


血が流れる。


白い雪へ赤が落ちる。


そして。


仮面は無かった。


長い間隠してきた顔。


火傷跡。


白い髪。


その全てが。


雪明かりの下へ晒される。


静寂。


ほんの一瞬。


誰も動かなかった。


その場の時間だけが止まったかのように。


砕け散った仮面の破片が雪の上へ降り注ぐ。


静寂。


誰も動かなかった。


ザインは雪の上へ倒れている。


頭部から血が流れる。


白い髪が赤く染まる。


額には裂傷。


呼吸は荒い。


左肩は撃ち抜かれ。


左脚も貫かれている。


満身創痍だった。


そして。


隠し続けていた顔が露わになっていた。


フィリスの顔から血の気が引く。


その瞬間。


考えるより先に声が出ていた。


「ジン君!!!!!」


悲鳴にも似た叫び。


温泉街の夜へ響く。


フィリス自身。


口にしてから気付いた。


隠していた名前だった。


誰にも知られてはいけない名前だった。


だが。


そんな事を考える余裕は無かった。


フィリスは転がるザインへ駆け寄る。


震える手で肩を支える。


「ジン君!」


「ジン君!!」


返事は無い。


意識はある。


だが朦朧としていた。


そして。


少し離れた場所。


銃を構えたままのアリアは。


その光景を見ていた。


動けない。


呼吸すら忘れていた。


耳に残る。


今の叫び。


聞き間違えるはずがない。


ジン君。


そう呼んだ。


フィリスは。


確かにそう呼んだ。


アリアの視線がゆっくりと動く。


雪の上へ倒れる少年を見る。


白い髪。


火傷跡。


失われた左腕。


そして。


その顔。


ずっと探していた。


何度も夢に見た。


忘れた事など一度も無かった。


「……うそ」


声が漏れる。


小さく。


震えながら。


信じられなかった。


あり得ない。


だって。


ジンは。


あの日。


崖から落ちた。


自分が撃った。


ルシャが斬った。


血だらけになって。


雪の中へ消えた。


だから。


死んだと思っていた。


ずっと。


ずっと。


そう思っていた。


なのに。


そこにいる。


雪の上に。


血だらけになって。


自分が撃った相手として。


そこにいる。


アリアの手から力が抜ける。


魔導歩兵銃が僅かに下がる。


視界が揺れる。


心臓が痛い。


呼吸が苦しい。


頭が真っ白になる。


「うそ……」


もう一度。


同じ言葉が漏れた。


それしか言えなかった。


目の前の現実を。


まだ受け入れられなかった。

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