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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
133/197

猟兵は獲物を逃さない

路地裏の静寂が続いていた。


雪が舞う。


夜風が吹く。


ザインは壁へ背を預けながら考えていた。


相手は誰なのか。


何を使ったのか。


そして。


まだ近くにいるのか。


胸騒ぎが消えない。


だから。


ザインは慎重に路地の角へ近付いた。


「ザイン君」


フィリスが小さく声を掛ける。


だが。


ザインは右手を上げる。


大丈夫。


そういう合図だった。


ゆっくりと顔だけを出す。


大通りを見る。


静かだった。


先程まで歩いていた通り。


人影は見えない。


足音も無い。


殺気も感じない。


屋根の上。


窓。


路地。


一つ一つ確認する。


注意深く。


慎重に。


確認した。


――つもりだった。


その瞬間。


轟音。


夜の空気が弾け飛ぶ。


「っ!?」


反応するより早かった。


左脚に衝撃が走る。


凄まじい衝撃だった。


まるで巨大な槌で殴られたような。


骨まで揺さぶる衝撃。


次の瞬間。


激痛。


「がっ――!!」


ザインの身体が吹き飛ぶ。


路地裏へ叩き込まれる。


石畳を転がる。


何が起きたのか分からない。


理解より先に痛みが来る。


左脚。


左脚だった。


そこから熱いものが流れている。


視線を落とす。


そして。


息が止まる。


左脚が貫かれていた。


太腿の外側。


肉を抉りながら何かが通過している。


鮮血が雪へ落ちる。


白い雪が赤く染まった。


「ザイン君!!」


フィリスの悲鳴が響く。


だが。


ザインにはそれどころではなかった。


痛い。


熱い。


力が入らない。


そして。


理解する。


今の攻撃は。


さっきより正確だった。


逃げた。


隠れた。


警戒した。


それでも。


撃ち抜かれた。


つまり。


相手はまだ見ている。


今も。


どこかから。


こちらを。


「伏せてください!!」


ザインが叫ぶ。


声が掠れる。


フィリスが咄嗟に身を低くする。


その瞬間。


ザインは血の付いた手で脚を押さえた。


呼吸を整える。


痛みで視界が揺れる。


だが。


意識だけは手放さない。


戦場で学んだ。


倒れるのはまだ早い。


相手は。


まだ撃てる。


そして。


こちらもまだ生きている。


仮面の奥で。


ザインの瞳が鋭く細められた。



屋根の上。


アリアは静かに息を吐いた。


魔導歩兵銃の銃身から白い煙が漂う。


照準の先。


路地裏へ転がり込んだ仮面の男。


確かに当たった。


今度は外していない。


左脚を貫いた感触もあった。


だが。


アリアの表情は険しいままだった。


「……何なの」


小さく呟く。


最初の一撃。


あれは確実だった。


脚を撃ち抜けるはずだった。


にも関わらず。


あの男は反応した。


撃った瞬間だった。


殺気を察知したのか。


勘で動いたのか。


それとも。


戦場で培われた経験か。


分からない。


だが。


普通ではない。


あの距離。


あの速度。


あれを避ける人間などそうはいない。


アリアはゆっくりと再装填を行う。


慣れた手付きだった。


帝国猟兵として幾度も繰り返した動作。


だが。


胸の奥では別の感情が渦巻いていた。


畏怖。


認めたくはない。


だが。


確かに感じていた。


あの仮面の男は危険だ。


暗部。


もし本当に暗部なら。


偵察兵二名の件も説明が付く。


そして。


フィリスと共に行動している事も。


アリアの瞳が細くなる。


路地裏へ視線を向ける。


フィリス。


あの記録係。


もし生きて捕らえれば話は聞ける。


何故温泉街にいるのか。


何故仮面の男と行動しているのか。


聞き出せる。


だが。


仮面の男は違う。


もう甘く見るべきではない。


最初は拘束するつもりだった。


話を聞くつもりだった。


だが。


考えが変わった。


あの反応速度。


あの判断力。


生かしておけば必ず反撃してくる。


次は躊躇しない。


アリアは銃を構え直した。


照準器へ片目を合わせる。


呼吸が静かになる。


感情が薄れていく。


猟兵としての顔だけが残る。


「……もう容赦しない」


低い声だった。


冷たい声だった。


雪が降る。


夜風が吹く。


そしてアリアは。


再び路地裏へ銃口を向けた。



激痛が左脚を焼く。


血が流れる。


雪へ赤い染みが広がっていく。


だが。


ザインは倒れなかった。


「フィリスさん!」


声を押し殺すように叫ぶ。


「伏せてください!」


フィリスは即座に身を低くした。


石畳へ伏せる。


その判断は正しかった。


今は少しでも姿を晒せば危険だった。


ザインは痛む脚を押さえる。


呼吸を整える。


痛みで意識が揺れる。


だが。


まだ動ける。


右手へ魔力を集めた。


慣れた感覚。


何度も使ってきた魔術。


地面から緑の蔦が伸びる。


雪を押しのけ。


石畳の隙間を縫うように現れる。


蔦は生き物のように蠢いた。


ザインの意思へ応えるように。


「……行け」


小さく呟く。


次の瞬間。


蔦が二人の身体へ巻き付いた。


強くではない。


支えるように。


引っ張るように。


そして。


一気に路地裏の奥へ滑らせる。


雪が舞う。


木箱の影。


積まれた荷物。


古い樽。


視線を遮る障害物の向こう側へ。


二人の姿が消える。


ザインは歯を食いしばった。


左脚が悲鳴を上げている。


それでも止まらない。


蔦をさらに伸ばす。


箱の影。


荷車の裏。


より深い場所へ。


ようやく。


二人は身を隠した。


木箱の陰。


外からは見えにくい位置だった。


ザインは壁へ背を預ける。


呼吸が荒い。


脚からはまだ血が流れている。


だが。


今は止血より先に確認が必要だった。


耳を澄ませる。


周囲の音を聞く。


足音は無い。


だが。


安心も出来ない。


相手は遠距離から撃ってくる。


どこから狙われているか分からない。


フィリスが息を呑む。


「ザイン君……その脚……」


視線が傷へ向く。


血が止まらない。


だが。


ザインは首を横に振った。


「大丈夫です」


全然大丈夫ではなかった。


それでも。


今はそう言うしかない。


仮面の下で冷や汗が流れる。


胸の奥では警鐘が鳴り続けていた。


相手はまだ諦めていない。


そんな予感がしていた。


木箱の影。


人気の無い路地裏。


フィリスは素早く膝をついていた。


記録係だった頃から持ち歩いている小さな医療用品入れ。


その中から包帯を取り出す。


震える手ではなかった。


戦争を経験した。


負傷者も見てきた。


だからこそ。


今やるべき事を理解している。


「少し失礼します」


フィリスは傷口を確認する。


左脚。


貫通している。


幸い骨は砕かれていないように見える。


だが出血が酷い。


このままでは危険だった。


包帯を巻く。


きつく。


しっかりと。


血流を抑えるように。


ザインは歯を食いしばった。


「っ……」


痛い。


だが声は出さない。


フィリスは作業を続ける。


やがて。


包帯が巻き終わる。


流れ出る血は多少落ち着いた。


止まった訳ではない。


それでも先程よりはずっとマシだった。


フィリスは小さく息を吐く。


そして顔を上げた。


眼鏡の奥の瞳には焦りが浮かんでいる。


「ザイン君」


低い声だった。


「はい」


「今は逃げないと」


少し言葉が詰まる。


そして。


はっきりと言った。


「死んでしまいます」


路地裏へ静寂が落ちる。


遠くでは温泉街の賑わいがまだ聞こえる。


だが。


ここだけは別世界だった。


ザインは傷口へ視線を落とす。


血で赤く染まった包帯。


鈍い痛み。


そして。


先程の攻撃。


あれは明確な殺意だった。


偶然でも警告でもない。


自分を殺すための一撃。


仮面の下でザインはゆっくり息を吐く。


「そうですね」


小さく答えた。


否定出来ない。


戦場で何度も見てきた。


今の状況がどれほど危険なのか。


嫌というほど分かる。


フィリスは続ける。


「相手はこちらの位置を把握しています」


「しかもあの攻撃速度です」


「正面から対応するのは危険です」


フィリスの声は冷静だった。


だが。


その奥には恐怖もあった。


ザインを失うかもしれないという恐怖が。


ザインは静かに頷く。


そして。


右手を地面へ置いた。


雪の下。


石畳の隙間。


そこへ魔力を流し込む。


緑の蔦が静かに現れる。


まるで主人を守ろうとするように。


ザインの周囲を這う。


フィリスはその様子を見る。


そして少しだけ安心したように息を吐いた。


まだ戦える。


まだ動ける。


だから。


生き残れるかもしれない。


その希望だけは残っていた。


路地裏の冷たい空気の中。


二人は次の行動を考え始めていた。

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