夜に響く銃声
アリアの瞳が細くなる。
屋根の上。
夜風が外套を揺らした。
その視線の先には。
フィリスと、仮面の男。
二人は並んで歩いている。
どこか自然だった。
警戒している様子も無い。
まるで以前からの知り合いのように。
そこで。
アリアの脳裏に帝国兵の報告が蘇る。
――暗部と思われる人物。
――仮面を着用。
――温泉街で目撃。
――偵察兵二名死亡。
アリアの表情が変わった。
仮面。
そうだ。
仮面だ。
何故気付かなかった。
仮面を着けた男。
そして。
その男と一緒に歩いているフィリス。
戦争終結後。
誰よりも早く聖騎士団を去った記録係。
温泉街。
暗部。
仮面。
全部が一本の線で繋がる。
「……まさか」
小さく呟く。
だが。
その声には驚きが混じっていた。
フィリスが。
裏切った?
いや。
本当にそうなのか?
だが。
状況だけ見れば辻褄が合う。
フィリスは記録係だった。
団の内部事情にも詳しい。
逃亡経路だって把握出来たかもしれない。
あの夜。
ジンが砦から逃げ出した夜。
そして。
仮面の男。
アリアは無意識に拳を握る。
ぎりっ。
爪が掌へ食い込む。
呼吸が少し荒くなる。
胸の奥で。
長年燻り続けていた感情が揺れ動く。
怒り。
憎しみ。
後悔。
全部が混ざる。
あの夜。
誰かがジンを唆した。
誰かがジンを逃がした。
そして。
自分達は。
ジンを追った。
追い詰めた。
撃った。
斬った。
崖から落ちていく姿を見た。
だから。
アリアは今も探している。
あの日の元凶を。
自分達を利用した者を。
その視線が再びフィリスへ向く。
静かな横顔。
何も知らないような顔。
だが。
今のアリアにはそう見えなかった。
「フィリス……」
低い声だった。
怒りを押し殺した声。
そして。
ゆっくりと立ち上がる。
屋根の上の雪が僅かに崩れた。
アリアの瞳は。
仮面の男から離れない。
もし。
もし本当に。
その男が暗部なら。
そしてフィリスが繋がっているなら。
今夜。
全てを聞き出す。
その覚悟だけは決まっていた。
アリアの瞳から感情が消える。
怒りはある。
憎しみもある。
だが。
引き金を引く瞬間に必要なのは冷静さだった。
屋根の上。
夜風が吹く。
アリアは静かに膝をついた。
そして背負っていた武器を手に取る。
帝国の新兵器。
魔導歩兵銃。
木製の銃床。
金属と魔導回路で構成された銃身。
内部には圧縮魔力を利用した発射機構が組み込まれている。
まだ配備が始まったばかりの新兵器だった。
アリアは慣れた手付きで構える。
頬を銃床へ当てる。
呼吸を整える。
照準の先。
そこにはフィリスと仮面の男。
二人が歩いている。
アリアはフィリスを見つめた。
フィリスは記録係だった。
最低限の護身術は学んでいる。
だが。
本格的な戦闘要員ではない。
脅威ではない。
ならば。
先に潰すべきはもう一人。
仮面の男。
暗部と思われる人物。
偵察兵二名を殺害した可能性のある人物。
アリアは照準を下げる。
頭ではない。
胸でもない。
脚。
膝より少し上。
動きを奪う場所。
まずは拘束。
話を聞くのはその後だ。
指が引き金へ掛かる。
夜の温泉街。
誰もまだ気付いていない。
フィリスも。
仮面の男も。
屋根の上から狙われている事に。
アリアは息を止めた。
視界が静まる。
標的だけが見える。
そして。
引き金を引いた。
轟音。
夜の静寂を裂くように。
魔導歩兵銃が火を吹いた。
魔力光を纏った弾丸が一直線に走る。
空気を裂き。
雪を巻き上げ。
仮面の男へ向かって飛翔する。
その瞬間だった。
轟音。
夜の温泉街へ銃声が響く。
魔力光を纏った弾丸が一直線に飛ぶ。
フィリスが何かを言うより早く。
仮面の男が動いた。
ぞわり。
その瞬間。
空気が張り詰める。
仮面の男が顔を上げる。
何かを感じ取ったように。
殺気。
それだけで十分だった。
反射だった。
思考ではない。
戦場で積み重ねた生存本能。
右手が動く。
魔力が走る。
展開されたのは。
昨日レヴィアナから教わったばかりの魔術。
――逸らす魔術。
弾丸が空気へ触れる。
軌道が僅かに歪む。
次の瞬間。
弾丸は仮面の男の脚を外れた。
轟音と共に石畳を砕く。
火花。
破片。
雪煙が舞い上がる。
フィリスが目を見開いた。
「っ!?」
突然の銃撃。
理解が追い付かない。
だが。
仮面の男は違った。
即座に射線を読む。
視線が上へ向く。
屋根。
建物。
雪。
その先。
猫獣人の姿が見えた。
ほんの一瞬だけ。
そして。
「チッ」
小さな舌打ち。
アリアだった。
命中したと思った。
脚を撃ち抜いたと思った。
だが外れた。
いや。
外された。
あの一瞬で。
魔術によって。
アリアの瞳が鋭く細まる。
間違いない。
ただの一般人ではない。
仮面の男は危険だ。
そして。
次の瞬間には動いていた。
雪を蹴る。
屋根から屋根へ。
姿勢を低くする。
夜闇へ溶け込むように。
白い雪煙が舞う。
そして。
その姿は消えた。
屋根の上には誰もいない。
残されたのは銃声の余韻だけ。
冷たい夜風が吹き抜ける。
下ではフィリスが状況を理解しようとしていた。
そして仮面の男もまた。
銃弾が飛んできた方角を見つめていた。
静かに。
何も言わず。
ただ。
その視線だけが鋭くなっていた。
石畳が砕ける。
火花が散る。
銃弾が通り過ぎた場所には深い傷跡が残っていた。
ザインの背筋を冷たいものが走る。
今の一撃。
速かった。
速すぎた。
レヴィアナの魔術とも違う。
矢とも違う。
見えた頃には既に目の前だった。
もし。
ほんの少し反応が遅れていたら。
もし殺気を感じ取れなかったら。
右脚は吹き飛んでいたかもしれない。
いや。
脚で済んでいた保証も無い。
冷や汗が頬を伝う。
仮面の下で呼吸が荒くなる。
「なんだ……今の……」
思わず呟く。
その声は僅かに震えていた。
戦場を経験したザインだからこそ分かる。
あれは危険だ。
とてつもなく危険な攻撃だった。
フィリスも状況を把握し切れていない。
砕けた石畳。
銃声。
そして突然の殺気。
全てが一瞬だった。
だが。
ザインは既に動いていた。
フィリスの手首を掴む。
「フィリスさん!」
フィリスが目を見開く。
「ザイン君?」
「逃げなきゃ!」
即座に言った。
迷いは無い。
今の一撃は警告じゃない。
狙撃だ。
そして。
次が来る。
戦場の経験がそう告げていた。
フィリスもすぐに表情を引き締める。
状況は分からない。
だが。
ザインの声は本気だった。
だから。
フィリスも頷く。
「分かりました!」
その瞬間。
二人は同時に駆け出した。
雪を蹴る。
夜の温泉街を。
誰も知らないまま。
再び運命が動き始めていた。




