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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
聖騎士団
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開戦

開戦の報は春雷の如く王国全土を駆け抜けた。


ジンが聖騎士団へ保護されてから、既に三年近い月日が流れている。


黒髪の少年だった彼も、今では騎士見習いとして誰より早く訓練場へ立つ存在になっていた。


それでも――まだ正式な騎士ではない


まだ雪解けの名残が残る早春。


聖都アストレリアの街並みは、一夜にして戦時色へ染まり始めていた。


鍛冶場では昼夜を問わず槌音が鳴り響き、広場には徴募兵が溢れ、城壁上では見張りの数が倍増している。


それでもジンには、どこか現実味が薄かった。


聖王国の白い城壁が、敵軍に脅かされる光景を上手く想像できない。


自分が保護され、育ち、笑い合ってきた場所。


そこが戦火に晒されるなど、考えたくもなかった。


だが――


桜色の花弁が城門を染める今日。


聖騎士団へ正式な召集が下った時点で、全員が理解していた。


もう後戻りはできないのだと。



「訓練成果を証明しなさい」


早朝の整列式。


ルシャの声が、張り詰めた空気を震わせる。


紅髪は朝日に照らされ、まるで炎そのものだった。


以前よりも遥かに威厳が増している。


もはや“姉貴分”というより、一隊を率いる指揮官の顔だった。


整列する騎士たちの視線が真っ直ぐ前を向く。


緊張。


覚悟。


不安。


様々な感情が沈黙の中へ押し込められていた。


「我々は攻め手として、帝国領東境へ侵攻する」


次に口を開いたのはベリアリアだった。


牛獣人の大きな双角が朝靄の中へ浮かび上がる。


彼女の声は深く、静かで、それでいて不思議な安心感があった。


東境。


その名を聞き、ジンは無意識に地図を思い浮かべる。


谷間の隘路。


川中の島嶼地帯。


広大な湿地。


一年以上前、戦略訓練で叩き込まれた地形だった。


西方騎士には不向きな土地。


だからこそ、女性主体の聖騎士団が投入される。


柔軟な体捌き。


高精度魔術。


機動戦。


それら全てを活かすための戦場だ。


「出陣」


ハインリヒの静かな号令。


その一言で空気が変わった。


総勢百名弱。


星影の聖騎士団が、一斉に城門へ歩き出す。


背後から、街の人々の祈りが響いていた。


幼子。

街娘。

老婦人。


誰もが騎士たちへ祈りを向けている。


聖騎士団は単なる軍隊ではない。


聖王国における象徴であり、信仰であり、希望そのものだった。



──忘れられた記憶 守られた今

──炎の彼方に


早春の風が、訓練場の砂埃を巻き上げる。


ジンは城壁の陰へ立ち、出陣していく聖騎士団を見つめていた。


胸がざわつく。


高揚なのか。


恐怖なのか。


自分でも判別できない感情が渦巻いていた。


記憶の無い自分ですら理解できる。


今日という日が、これまでの日常と決定的に違うことを。


「しっかり見送りなさい」


隣へルシャが立つ。


紅髪が朝日に透け、炎のように揺れていた。


彼女は既に完全武装だった。


紅銀の鎧。

長槍。

外套。


その姿は、訓練場で木剣を振っていた頃とは別人のように見える。


「彼女たちは必ず帰ってくるわ」


ベリアリアが優しくジンの背を撫でた。


牛獣人の大きな手は、いつも温かい。


だが今日は、その温もりの奥に僅かな緊張が混じっていた。


「ジンくーん!」


アリアが勢いよく手を振る。


水色の毛並みを鎧へ包み、長弓を背負った姿は既に一人前の騎士そのものだった。


「私の弓で敵陣焼き払ってくるね!」


いつもの明るい声。


けれど瞳の奥には、確かな覚悟が宿っている。


補給班の馬車からミーナも顔を出した。


「戻ったら蜂蜜パン焼くからねー!」


白い鼠獣人の尻尾が不安そうに揺れている。


無理に明るく振る舞っているのが分かった。


ハインリヒは静かに兜のバイザーを下ろす。


銀髪も表情も、鉄の奥へ隠れていく。


「行ってくる」


それだけだった。


だが、その短い言葉には絶対的な重みがあった。


次の瞬間――


ゴウッ


ベリアリアの足元へ巨大な召喚陣が展開する。


緑光が空中へ幾重にも広がり、複雑な魔術式を描き出した。


「《清浄の庇》発動」


祈りのような詠唱。


空間が歪む。


やがて前方へ、巨大な障壁が形成された。


十メートル四方にも及ぶ防護結界。


淡い緑光が騎士たちを包み込む。


「さぁ、行くぞ!!」


ルシャの咆哮が響く。


紅髪が魔力に煽られ、大きく揺れた。


まるで烈火の化身だった。


聖騎士団が進軍を始める。


重厚な足音。


翻る外套。


春の草原へ、長い影が伸びていく。


ジンはただ、それを見つめていた。


戦場へ向かう仲間たち。


自分は残される側。


守られ。

育てられ。

それなのに、ここで見送ることしかできない。


胸の奥に、申し訳なさと無力感が入り混じる。


「ジン、こちらへ」


後方から声がかかった。


振り返ると、一人の老騎士が立っている。


カヴァルス。


退役騎士団長。


隻眼の女騎士だった。


二十年前、北方戦線で王国を救った英雄として今なお語られている。


「団長殿より命じられてな」


彼女はゆっくりジンへ歩み寄る。


鉄脚杖が石畳を鳴らした。


「君には“見届け役”が必要だそうだ」


老騎士は、ぽんと軽くジンの背を叩く。


「不安なら話せ」


隻眼が静かに細まる。


「戦いは、初めてじゃない」


その言葉に、ジンの胸が僅かにざわついた。


初めてではない。


何故そんな言い方をしたのか。


記憶の無い少年は曖昧に頷くことしかできない。


頭の中では、ルシャたちの顔が何度も巡っていた。


記憶はない。


故郷も知らない。


家族の顔も思い出せない。


それでも――


彼女たちが、自分にとって大切な人たちであることだけは、確かだった。



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