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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
聖騎士団
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まだ訓練生のままで

訓練場へ舞い落ちる雪片は、以前より明らかに少なくなっていた。


長い冬が終わりを迎えつつある。


だが北方情勢は逆だった。


帝国と聖王国。


両国の緊張は日を追うごとに高まり、聖都全体がゆっくりと戦時色へ染まり始めている。


そんな中でも、星影の聖騎士団は変わらず訓練を続けていた。


白銀の大地。


冷たい風。


その中央へ、黒髪の少年が立っている。


「本日の課題は槍術連携!」


ルシャの号令が雪原へ響いた。


紅髪を揺らしながら、第三小隊の騎士たちが素早く配置につく。


鳥獣人。

熊獣人。

猫獣人。


それぞれ異なる種族特性を持つ混成小隊。


翼を持つ者は空中支援。

巨躯の獣人は前衛突破。


その中で、最も小柄なのがジンだった。


黒髪を一本の簪でまとめ、訓練用の短槍を構えている。


二年前、武器を持つだけでふらついていた少年の姿は、もうそこにはない。


「開始!」


合図と同時に、鳥獣人の騎士が飛び立つ。


風魔法を纏った高速突撃。


雪煙が舞い上がる。


その瞬間――


「させません!」


ジンが踏み込んだ。


低い姿勢。


重心移動。


短槍の穂先が、空中騎士の右膝を正確に突き上げる。


「っ!?」


体勢が崩れる。


そこへルシャが一気に踏み込んだ。


木槍同士が激突する。


完璧な連携だった。


「止め!」


審判役のエルフ騎士が旗を掲げる。


「勝者――紅鬼隊!」


歓声が上がる。


騎士たちの熱気が、冷え切った空気を揺らしていた。


ジンは胸を押さえ、荒くなった呼吸を整える。


汗が額を伝っていた。


一年前までは槍の重さだけで腕が痺れていた。


だが今は違う。


短槍の重心。

踏み込み。

受け流し。


身体が自然と理解している。


記憶は戻らないまま。


それでも技術だけが、確実に肉体へ刻み込まれていた。


「やるじゃん!」


アリアが駆け寄ってくる。


水色の猫耳を嬉しそうに立てながら、ぱちぱちと拍手する。


「ほんと、その小さい身体でよく耐えるよね」


「ぜ、全然まだです……」


そう答えながらも、ジンの目尻にはうっすら涙が滲んでいた。


喜びではない。


純粋な疲労だ。


ミーナが慌てて駆け寄り、水筒を差し出してくる。


「はいっ、水!」


「ありがとう」


受け取りながら周囲を見る。


演習場の外縁。


そこには他兵団から派遣された傭兵たちが並んでいた。


ドワーフ。

獣人。

辺境兵。


様々な種族が雪の向こうから訓練を眺めている。


その中で、髭面のドワーフが露骨に鼻を鳴らした。


「あれが聖騎士団のお荷物か」


野太い声。


聞こえるように言っている。


ジンは反応しなかった。


記憶がない自分にとって、侮蔑は今さら珍しいものではない。


むしろ最近は――


(知らない人たちが増えてる)


その感覚の方が強かった。


戦争準備。


各地から流入する傭兵や兵士たち。


聖都全体の空気が、少しずつ変わっている。



昼食時の食堂。


騎士たちの喧騒の中で、ルシャだけが険しい顔をしていた。


「明日の合同訓練……厄介な連中が来る」


葡萄酒の入った杯を机へ置く。


紅髪が苛立ち混じりに揺れた。


「帝国系傭兵団だ。女騎士を露骨に見下している」


その視線が、ジンへ向く。


東方由来の黒髪。


黒い瞳。


異邦人の特徴は、この国ではあまりにも目立つ。


「お前も狙われる可能性が高い」


言葉を選ぶような声だった。


だがジンは静かに首を横へ振る。


「大丈夫です」


「僕はまだ訓練生ですし、正式な戦力じゃありませんから」


その返答に、ルシャが深くため息をついた。


「あのな……」


呆れ半分の声。


「お前、実技訓練の大半は既に基準超えてるんだぞ」


「え?」


「ベリアリアの治癒適性判定でも最高評価。模擬戦成績も上位」


ルシャは真っ直ぐジンを見る。


「少なくとも私は、戦力として数えてる」


その言葉に、ジンは僅かに目を見開いた。


自分が。


誰かの“戦力”として見られている。


その感覚はまだ慣れない。


空気を変えるように、アリアが勢いよく割り込んできた。


「見て見て!」


猫耳をぴんと立て、地図を広げる。


「帝国との境界線地帯! 解析官が“地形的に最悪”って言ってた!」


机へ広げられた地図。


山岳地帯。

細い渓谷。

天然の要害。


防衛向きではある。


だが一度崩れれば逃げ場がない。


「……嫌な地形ですね」


ジンが小さく呟く。


その横顔を見て、ルシャが少しだけ眉を動かした。


以前なら、戦略地図など興味を示さなかった。


今は違う。


戦況を考え。

仲間の位置を理解し。

生き残るために思考している。


確実に成長していた。


(記憶が無いのは不安だ)


ジンは内心で思う。


(でも……)


時折、胸の奥に奇妙な罪悪感が生まれる。


東方の血を持ちながら。

西方の騎士団で戦う自分。


何かを裏切っているような感覚。


それが何なのかは分からない。



宵闇の訓練場。


他の騎士たちが眠りについた後も、ジンだけは残っていた。


松明の火が夜風に揺れる。


その薄明かりの中で、短槍を振り続ける。


小柄な身体。


だが重心制御は鋭い。


無駄がない。


踏み込み。

旋回。

引き。


まるで身体そのものが槍術を知っているみたいだった。


ジンは最近、毎晩のように一人で訓練を続けていた。


(早く……)


槍を握る手に力が入る。


(皆の助けになりたい)


その願いだけが、今の彼を突き動かしていた。



翌朝。


合同訓練場には百名を超える兵士たちが集結していた。


帝国系傭兵団。


辺境兵。


各地の混成部隊。


その最前列に、人狼種の巨漢が立っている。


鋭い牙を見せながら、ジンを睨みつけた。


「異国のチビが混ざってるな」


周囲がどっと笑う。


黒髪黒目。


東方系の容姿は、この場では格好の標的だった。


ジンは何も言わず、短槍を握り直す。


(これも……)


胸の奥がざわつく。


(僕の記憶に関係してるんだろうか)


開始の喇叭が鳴る。


最初の相手は、褐色肌の巨漢戦士だった。


斧を構えるその姿は、ジンの倍近い体格がある。


「来い!」


挑発混じりの怒声。


だがジンは静かに踏み込んだ。


訓練場中央。


岩盤を削って作られた橋梁型の演習施設。


高さ五メートル近い不安定な足場。


そこで両者が激突する。


巨漢が斧を振り下ろした。


轟音。


石材が砕け散る。


ジンは紙一重で回避し、低姿勢のまま槍先を構える。


「終わりだ!」


巨漢が咆哮する。


次の瞬間、巨大な斧が投擲された。


空中から迫る凶器。


普通なら避ける。


だが――


ジンの身体が勝手に動いた。


短槍が水平に旋回する。


ギィイイン!!


金属音。


投げ斧が逸らされる。


周囲が息を呑んだ。


記憶はない。


それでも身体だけが技を知っていた。


「何だと……!?」


巨漢が目を見開く。


その隙だった。


ジンが一気に踏み込む。


鋭い突き。


槍先が巨漢の右腿を捉えた。


模擬槍ゆえ致命傷にはならない。


だが体勢を崩すには十分だった。


「そこまで!」


審判の声。


歓声が爆発する。


聖騎士団側の女騎士たちが大きく沸き立つ中、ルシャだけは静かに目を見開いていた。


「……よくやった」


その声が届いていたのか。


ジン自身は困惑していた。


なぜ技が出せたのか。


無意識の導き。


身体だけが知っている戦い方。


それは東方の記憶なのか。


あるいは――もっと別の何かなのか。



夜。


宿舎へ戻ったジンは、洗面台の鏡を見つめていた。


以前より精悍になった顔立ち。


鋭くなった眼差し。


それでも漆黒の髪と瞳だけは変わらない。


異邦人の証。


机の上には日誌が置かれていた。


ジンは椅子へ座り、静かにページをめくる。


今日の勝利を書く。


その文字は、昔より随分整っていた。


さらにページを遡る。


そこには、まだ幼い字でこう記されていた。


──「聖騎士団に入ってよかった」


ジンはしばらく、その文字を見つめ続けていた。

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