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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
121/197

アリアは…

その時だった。


コンコン、と。


補給室の扉が叩かれる。


外から帝国兵の声。


「エルレイン様!報告があります!」


アリアは振り向きもしない。


苛立ち混じりの声が飛ぶ。


「後になさい」


即答だった。


補給室には先ほどから重苦しい空気が流れている。


今は誰にも邪魔されたくなかった。


だが。


扉の向こうの兵士は続けた。


「……例の件の報告なんですが」


その瞬間。


アリアの目が細まる。


補給室が静まり返った。


数秒の沈黙。


やがてアリアは低く言った。


「……続けなさい」


扉の向こうから報告が始まる。


「例の暗部と思われる人物が、温泉街に出没した模様です」


ミーナの耳がぴくりと動く。


温泉街。


机の上の手紙。


フィリス。


嫌な予感が胸をよぎった。


帝国兵は続ける。


「目撃者によると、男は仮面を着用していた模様です」


アリアは無言。


だが視線が鋭くなる。


「現地では死者が二名確認されています」


「身元は帝国偵察兵です」


補給室が静まり返る。


「二名とも急所への一撃による即死」


「発見時には既に死亡していました」


アリアは黙る。


その瞳がゆっくり細くなる。


帝国兵はさらに続けた。


「また、現地の金級冒険者パーティが犯人と思われる人物と交戦」


「銀級冒険者一名が負傷」


「犯人は逃走した模様です」


報告が終わる。


しばらく誰も喋らない。


やがて。


アリアがぽつりと呟いた。


「帝国偵察兵を二人……」


低い声。


「しかも気付かれずに殺した」


尾がゆっくり揺れる。


それは彼女が何かを考えている時の癖だった。


「仮面を付けている……」


小さな呟き。


そして。


「ただの殺人犯じゃないわね」


その声は冷たかった。


「訓練を受けてる」


「しかも相当な手練れ」


帝国兵は黙って聞いている。


アリアはゆっくり立ち上がった。


椅子が小さく音を立てる。


窓の外を見る。


北方。


温泉街のある方向。


そして。


ぽつりと呟く。


「温泉街……」


その言葉に。


ミーナの心臓が大きく跳ねた。


アリアはしばらく考え込む。


そして帝国兵へ命じた。


「現地の報告書は全部私の所へ回しなさい」


「はっ!」


敬礼する兵士。


アリアは続ける。


「温泉街周辺にいる猟兵にも伝達」


「単独で追うな」


「相手は偵察兵二名を殺している」


「実力が分からない以上、無駄死にはさせない」


帝国兵が再び敬礼する。


「了解しました」


扉が閉まる。


補給室に静寂が戻る。


だが。


ミーナには分かっていた。


アリアはこの件を追う。


必ず。


そして。


もし温泉街へ向かえば。


フィリスと出会うかもしれない。


ミーナは机の上の手紙を見た。


そこには。


フィリスからの何気ない近況報告。


そして。


自分だけが知っている暗号。


震える手で、そっと封筒を握り締めた。


アリアは、しばらく動かなかった。


窓の外。


北方。


温泉街のある方角を見つめている。


補給室には重い沈黙だけが残っていた。


やがて。


アリアは踵を返す。


そのまま部屋の壁際へ向かった。


そこには帝国猟兵用の武器棚がある。


アリアは迷いなく一本の武器を手に取った。


帝国の新型兵器。


魔導歩兵銃。


最近になって帝国が実用化したばかりの兵器だ。


魔力を利用して特殊弾を撃ち出す。


まだ正式配備数も少ない。


アリアは慣れた手付きで弾倉を確認する。


カチリ。


無機質な音。


弾を装填する。


補給室の空気がさらに冷えた気がした。


ミーナは何も言えない。


アリアの様子が明らかにおかしかった。


殺気。


怒り。


執念。


それらが抑え切れず漏れ出している。


帝国兵ですら近寄れない空気だった。


アリアは銃を肩へ掛ける。


腰の短剣。


背中の弓。


そして魔導歩兵銃。


完全武装だった。


そのまま扉へ向かう。


ミーナは小さく声を出す。


「アリアさん……」


だが。


アリアは振り返らない。


扉の前で立ち止まる。


長い尾が静かに揺れる。


そして。


低く呟いた。


「私が……」


声には感情が無かった。


だからこそ恐ろしい。


「殺すわ」


誰を。


とは言わない。


だが。


ミーナには分かった。


温泉街に現れた犯人を。


そして。


ジンを死へ追いやったと思っている“誰か”を。


アリアは本気だった。


次の瞬間。


扉が開く。


凄まじい殺気だけを残して。


アリアは補給室を後にした。


バタン――


扉が閉まる。


ようやく空気が戻る。


ミーナは椅子へ座り込んだ。


身体が震えている。


止まらない。


先ほどまでのアリアは。


まるで獲物を見つけた猛獣だった。


ミーナは机の上の手紙を見る。


フィリス。


温泉街。


そしてジン。


震える手で封筒を握り締める。


「……フィリスちゃん」


小さな声。


「早く……逃げて……」


ミーナは知らなかった。


その温泉街にいるのが。


フィリスだけではなく。


アリアが死んだと思い込んでいる少年本人でもある事を。


アリアが去った後。


補給室には静寂が戻っていた。


先ほどまで充満していた殺気の残滓だけが、まだ空気に残っている気がする。


ミーナは椅子に座ったまま動けなかった。


震える手。


机の上の手紙。


フィリスからの手紙。


そして。


その中に隠された暗号。


『ジンみつけた』


『生きている』


何度見ても変わらない。


フィリスの筆跡だった。


ミーナは唇を噛む。


「……だめ」


小さな声。


「だめだよ……」


アリアは本気だった。


温泉街へ向かう。


犯人を追うために。


そしてもし。


もしそこでフィリスと会ったら。


フィリスはきっと話す。


ジンが生きている事を。


その瞬間何が起きるか。


ミーナには分からなかった。


だが。


良い事にはならない気がした。


机の上のクッキーを見る。


ジンの事を思い出す。


静かに笑う少年。


クッキーを食べながら、


「美味しいです」


と笑ってくれたあの顔。


そして。


ミーナは突然立ち上がった。


ガタンッ!!


椅子が倒れる。


周囲の補給兵達が驚いて振り返る。


ミーナは叫んだ。


「し、しばらく休暇をもらいます!!」


補給兵達がぽかんとする。


「は?」


「急に?」


「え?」


だが。


ミーナはもう聞いていない。


引き出しを開ける。


荷物をまとめる。


保存食。


着替え。


毛布。


最低限の旅装。


慌ただしく準備していく。


周囲は完全に置いていかれていた。


「ちょ、班長!?」


「どこ行くんですか!?」


ミーナは振り返る。


その目は真剣だった。


「温泉街!」


周囲が更に固まる。


ミーナは荷物を抱える。


そして。


小さく呟いた。


「アリアさんを止めなきゃ……」


震える声。


「ジン君は生きてるんだって……」


誰にも聞こえないくらい小さな声だった。


だが。


その言葉には強い決意があった。


ミーナは駆け出す。


補給室を飛び出す。


帝国の詰所を抜ける。


冬の空気が頬を刺す。


北方。


温泉街。


だが。


ミーナの足が少し止まる。


アリアは帝国猟兵だ。


しかも最精鋭。


移動手段も。


装備も。


身体能力も。


全部が違う。


普通に考えれば追いつけない。


それでも。


ミーナは拳を握る。


「……追いつかなきゃ」


誰に言うでもなく呟く。


そして。


雪の中へ走り出した。


温泉街へ。


家族を守るために。

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