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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
120/197

帝国兵詰め所、補給管理室

元聖王国。


かつて聖騎士団補給班執務室だった場所。


今では。


帝国兵詰め所の補給管理室へ変わっていた。


壁に掛かっていた聖王国旗は無い。


代わりに、帝国の紋章。


机の配置も少し変わった。


だが。


漂う空気だけは、どこか昔のままだった。


カタカタ、と。


書類を整理する音が響く。


そこに居たのは。


小柄な鼠獣人の女性。


白鼠系の耳。


柔らかな灰色の毛並み。


ミーナだった。


帝国兵用の補給服を着ている。


だが。


やっている事は昔と殆ど変わらない。


物資管理。


食料配分。


補給記録。


戦争は終わった。


所属も変わった。


けれど。


結局、ミーナはまた“誰かのご飯を用意する仕事”へ戻っていた。


机の上には、焼き菓子の包みが置いてある。


小さなクッキー。


ミーナは、ぼんやりそれを見る。


それから。


小さく呟いた。


「……また一個多く焼いちゃった」


癖だった。


もう居ないのに。


つい、一人分多く作ってしまう。


その時。


廊下から帝国兵達の笑い声が聞こえた。


平和だ。


少なくとも、ここだけ見れば。


だけど。


ミーナの胸の奥には、ずっと引っ掛かっているものがあった。


黒髪。


静かな黒い瞳。


無理して笑う少年。


あの日。


雪の中へ消えていった後ろ姿。


「……ジンくん」


小さな声。


誰にも聞こえないくらい弱い声だった。


その瞬間。


コンコン、と扉がノックされる。


ミーナが顔を上げた。


「は、はいっ」


扉の向こうから声がする。


「補給班長、北方温泉街から連絡です」


ミーナの耳が、ぴくりと動いた。


帝国兵は、封筒をミーナへ差し出した。


「こちらを」


ミーナは、小さく頭を下げて受け取る。


封蝋。


見慣れた筆跡。


その瞬間。


鼠耳がぴくりと動いた。


「……フィリスちゃん」


帝国兵が去る。


扉が閉まる。


静かになった補給室で、ミーナはゆっくり封を開けた。


フィリスとは、今でも時々手紙のやり取りをしていた。


内容は基本、他愛も無いもの。


天気。


仕事。


最近の街の様子。


食べ物の話。


そんな日常。


けれど。


その中には、必ず暗号が混ぜられていた。


――ジンを探している。


――まだ諦めていない。


それを、お互いだけ分かる形で。


ずっと続けていた。


ミーナは、いつものように文を読んでいく。


最初は普通だった。


温泉街の話。


雪。


宿。


色々な冒険者。


だが。


途中。


ミーナの手が止まった。


暗号文。


そこに書かれていた言葉。


『ジンみつけた』


ミーナの呼吸が止まる。


震える指で、続きを読む。


『生きている』


その瞬間。


手紙が、かさりと震えた。


ミーナの瞳が、大きく見開かれる。


「……え」


掠れた声。


信じられなかった。


何度も。


何度も読み返す。


間違いじゃない。


フィリスの暗号。


これは。


本当だ。


ジンは生きている。


ミーナの目に、一気に涙が溢れた。


「っ……!」


口元を押さえる。


涙がぽろぽろ落ちる。


黒髪の少年。


クッキーを美味しそうに食べてくれた子。


無理して笑っていた子。


もう二度と会えないと思っていた。


ミーナは、震える手で手紙を抱き締めた。


そして。


誰も居ない補給室で、小さく泣いた。


「……よかったぁ……」


そんな時だった。


詰所の空気が、少し変わる。


帝国兵達が、自然と道を空けていく。


足音。


静か。


だが張り詰めている。


ミーナが顔を上げる。


そして。


耳がぴくりと震えた。


入ってきたのは、猫獣人の女。


アリア・エルレイン。


黒に近い外套。


帝国猟兵の装備。


腰には短剣。


背には弓。


その姿は、もう聖騎士団時代とはかなり違っていた。


かつては感情豊かだった。


怒り。


笑い。


嫉妬。


全部表へ出る人だった。


だが今は違う。


静か過ぎる。


冷たい。


目だけが鋭い。


しかも。


明らかに、自分から危険任務へ飛び込んでいる空気があった。


帝国猟兵。


その中でも、かなり危険な任務ばかり受けていると噂されていた。


ミーナは小さく声を漏らす。


「……アリアさん」


アリアは視線だけ向ける。


その猫の瞳は、少し疲れていた。


だが。


ミーナを見るなり、わずかに表情が緩む。


「……久しぶりね」


低い声。


昔より、かなり落ち着いてしまっていた。


ミーナは少し安心したように笑う。


「補給の申請?」


「ええ」


アリアは短く答える。


「北方巡回が長引きそうなの」


「携行食と保存水を追加で欲しい」


「分かった」


ミーナは書類を取り出し始める。


アリアはその間、黙って待っていた。


その視線が、ふと机の上へ向く。


そこには開封済みの手紙。


そして。


どこか落ち着かない様子のミーナ。


アリアの耳が、ぴくりと動く。


「……何かあったの?」


ミーナの手が止まる。


「え?」


「様子がおかしい」


短い言葉だった。


昔からそうだった。


アリアは意外と人を見ている。


ミーナは慌てて首を振る。


「な、なんでもないよ!」


だが。


その返答が不自然だった。


アリアは黙ったまま机を見る。


手紙。


震える手。


少し赤い目元。


何かがあったのは明らかだった。


「……その手紙」


静かな声。


「誰から?」


ミーナの耳が伏せられる。


少し迷ってから答えた。


「フィリスちゃん」


その名前に。


アリアの目が僅かに細くなる。


「そう」


それだけだった。


だが。


どこか考えるような顔をする。


ミーナは慌てて話題を変えようとした。


「温泉街に行ってるみたいでね!」


「雪が凄いとか、お風呂が気持ちいいとか……」


アリアは黙って聞いていた。


そして。


ぽつりと呟く。


「フィリス」


「戦争が終わってすぐ辞めたわよね」


ミーナの耳がぴくりと動く。


アリアは視線を落としたまま続ける。


「……元気そうならいいわ」


そう言って。


補給申請書へ目を落とした。


だが。


その時。


ミーナは気付かなかった。


アリアの指先が、僅かに震えていた事に。


ミーナは、書類を整理しながら考えていた。


だから。


思わず口を開く。


「あのね、アリアさん」


アリアは書類へ目を落としたまま答える。


「何?」


ミーナは少し迷う。


それでも言おうとした。


「ジン君の事なんだけど――」


その瞬間だった。


空気が凍る。


ぞわり。


ミーナの全身の毛が逆立つ。


帝国兵達の会話も止まる。


アリアが顔を上げていた。


猫の瞳が細くなっている。


「……その名前を出すな」


低い声。


ミーナは息を呑む。


アリアは続ける。


「何度言わせるの」


静かだった。


だが。


怒りが滲んでいる。


「ジンは死んだ」


即答だった。


迷いが無い。


「私が撃った」


「ルシャさんが斬った」


「崖から落ちた」


アリアの尾が苛立たしげに揺れる。


「死んだのよ」


その言葉は。


ミーナへ言っているようで。


自分自身へ言い聞かせているようでもあった。


補給室が静まり返る。


アリアは目を伏せる。


そして低く続けた。


「……だから」


「その名前を軽々しく出さないで」


拳が震えている。


「私は今でも」


少しだけ声が掠れる。


「夢を見るの」


「撃った瞬間の夢を」


それだけ言うと。


アリアは再び無表情へ戻ろうとした。


だが。


戻りきれていなかった。


怒りでも悲しみでもない。


もっと深い場所にある傷が、まだ塞がっていなかった。


しばらくして――


補給室にいた帝国兵達は、気まずそうに席を立っていた。


誰も何も言わない。


ただ。


これは聞いていて気持ちの良い話ではない。


そう判断したのだろう。


扉が閉まる。


部屋に残ったのは。


ミーナとアリアだけだった。


静寂。


重苦しい沈黙。


アリアは机へ視線を落としたまま動かない。


だが。


殺気だけが止まらなかった。


むしろ。


先ほどより濃くなっている。


ミーナは何も言えない。


アリアはぽつりと呟いた。


「あの夜……」


低い声。


「誰かが」


拳が握られる。


「ジンを逃がそうと唆したわ」


ミーナの耳が震える。


アリアは続けた。


「片腕を切断されたばかりだった」


「高熱も出ていた」


「まともに歩ける状態じゃなかった」


声が少しずつ大きくなる。


怒りが滲む。


「そんな子が」


「一人で雪山を越えられる訳ないじゃない」


ぎり、と机が鳴る。


アリアの爪が食い込んでいた。


「なのに逃げた」


「逃げる事を選んだ」


猫の瞳が細められる。


「つまり」


「誰かが背中を押した」


補給室の空気が軋む。


アリアは顔を上げた。


その瞳は鋭かった。


猟兵の目。


獲物を追う目。


「……それって」


低い声。


「事が大きくなる前に」


「内部で処分しようとしたって事じゃない」


ミーナは息を呑む。


アリアは止まらない。


何年も考え続けてきたのだろう。


「女王派」


「軍上層部」


「聖騎士団」


「記録係」


「医療班」


「補給班」


淡々と名前を並べる。


その全てを疑ったのだ。


「誰かがいた」


断言だった。


「私達を利用して」


「ジンを消した人間が」


そして。


その時だった。


アリアの視線が。


机の上の手紙へ向く。


フィリスからの手紙。


アリアはしばらくそれを見ていた。


やがて。


低い声で呟く。


「……だから私は」


「今も探してる」


その目には。


怒りしか無かった。


「そいつだけは」


「絶対に許さない」


補給室の温度が下がった気がした。

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