優男
その晩も。
温泉街で死体が出たらしい。
翌朝。
冒険者ギルドは、かなり騒がしくなっていた。
「またかよ……」
「今度はどこだ?」
「夜道歩けねぇじゃねぇか……」
受付嬢達も明らかに疲れた顔をしている。
ザインも、その話は耳に入った。
黒い瞳が少しだけ細まる。
だが。
そこまで深刻には考えなかった。
――まぁ、強盗の類だろう。
温泉街は人も多い。
金回りも良い。
治安が崩れる事くらいはある。
それに。
今は街中に金級冒険者も大量に居る。
すぐ解決するだろう。
そう考えていた。
だから。
ザインは今日も普通に依頼掲示板を見ていた。
その中から。
一枚を、そそくさと取る。
『オレンジ農園周辺魔獣駆除依頼』
その瞬間。
後ろから深いため息。
「……坊主」
ザインは振り返る。
案の定。
ヴァレルだった。
馬耳が呆れたみたいに垂れている。
「お前また果物目的だろ」
ザインは少し視線を逸らす。
「……オレンジ、美味しいですし」
「認めやがった」
ヴァレルが吹き出す。
「昨日リンゴだったろ!?」
「今日はオレンジです」
「そういう問題じゃねぇんだよ!」
ギルドの空気が物騒な中。
この会話だけ妙に平和だった。
ヴァレルは頭を掻きながら、ザインの依頼書を見る。
「つーかお前、完全に農園のおっちゃん達から人気者になってんぞ」
「銀級が来てくれるって毎回大騒ぎらしい」
ザインは少し困ったように答える。
「皆さん、果物くれるので……」
「やっぱそれ目的じゃねぇか!!」
ヴァレルが笑う。
だが。
その笑いは少しだけ浅かった。
長い馬耳が、周囲の会話を拾っている。
死体。
夜間巡回。
金級待機。
空気は確実に悪くなっていた。
ヴァレルは、小さく息を吐く。
「……まぁ坊主も」
少し真面目な声。
「夜は気を付けろよ」
ザインは少し首を傾げる。
ヴァレルは視線を逸らしたまま続けた。
「今回の死体、ちょっと妙なんだと」
「妙?」
「……全員、一撃で急所やられてるらしい」
その瞬間。
ザインの黒い瞳が、僅かに細まった。
ヴァレルは低く続ける。
「無駄な傷がほとんど無ぇ」
「綺麗に、一発で殺されてる」
「だからギルドも、“普通の強盗じゃねぇ”って騒いでんだよ」
ギルドの空気が、少し冷たく感じた。
その晩。
ザインは依頼を終え、温泉街への帰路を歩いていた。
両手には、大量のオレンジ。
袋いっぱいだ。
農園主にまた大量に持たされたのである。
白い息が夜へ溶ける。
雪が静かに降っていた。
ザインは、少し機嫌が良かった。
――昨日は。
ベリアリアが、リンゴと王蜜でアップルパイを焼いてくれた。
信じられないくらい美味しかった。
外はサクサク。
中は甘く。
王蜜の香りが凄かった。
だから今回は。
オレンジで何を作ってもらおうか。
そんな事を考えていた。
平和だった。
完全に気が抜けていた。
その時。
後ろから声がした。
「こんばんは」
柔らかな声。
ザインの足が止まる。
振り返る。
そこには。
長身の男が立っていた。
整った顔立ち。
優しそうな笑み。
柔らかな雰囲気。
どこにでも居そうな優男。
だが。
ザインは少し首を傾げる。
――はて。
――知り合いだっただろうか?
男は、穏やかな笑みのまま続けた。
「初めまして」
柔らかな声。
そして。
「……暁ジンくん?」
その瞬間。
ザインの黒い瞳が、見開かれた。
反射だった。
距離を取る。
オレンジ袋が地面へ落ちる。
杖展開。
風が巻く。
完全な戦闘態勢。
男は、それを見て小さく笑った。
「やっぱり」
柔らかな目。
だが。
そこには確かな確信があった。
「当たりですか」
「かまをかけてみて正解でした」
その瞬間。
空気が変わる。
ぞわり、と。
優男から殺気が溢れた。
雪の夜。
温泉街の裏路地。
さっきまで穏やかだった空気が、一瞬で凍り付く。
ザインの全身から、戦場時代の感覚が蘇る。
逃げろ。
危険。
目の前の男は――強い。




