王蜜のダンジョン、深層
王蜜のダンジョン、深層。
そこへ辿り着いた瞬間。
ザインは思わず足を止めた。
「……大きい」
ぽつりと漏れる。
視界の先。
巨大空洞。
その中心に。
“建物”みたいな蜂の巣が存在していた。
琥珀色の巨大巣。
何層にも積み重なり。
まるで塔だった。
壁面には蜜が流れている。
黄金色の液体が、ゆっくり垂れ落ちていた。
そして。
その周囲。
無数の蜂型魔獣が飛び回っている。
羽音。
低い振動音。
空気そのものが震えていた。
しかも浅層の個体とは違う。
大きい。
鋭い。
明らかに上位種。
ヴァレルが槍を肩へ担ぎながら呟く。
「相変わらず気色悪ぃ場所だな」
シオンは静かに周囲を観察している。
「蜂系上位個体が多いですね」
「しかも統率されてます」
レヴィアナの青い瞳が細められる。
「居るわね」
その視線の先。
最奥。
巨大巣の中心。
そこに。
一際巨大な蜂型魔獣が鎮座していた。
女王蜂。
明らかに格が違う。
人間より遥かに大きい体躯。
黄金色の甲殻。
王冠みたいな頭部。
巨大な翅。
そして。
異様な魔力。
空洞全体の羽音が、その個体を中心に動いているようだった。
ザインの黒い瞳が、静かに細められる。
「……あれが?」
レヴィアナが頷く。
「王蜜の女王個体」
青い瞳が、静かに鋭くなる。
「今回の目標よ」
その瞬間。
巨大女王蜂の複眼が。
ゆっくりこちらを向いた。
空気が変わる。
羽音が、一斉に止んだ。
次の瞬間。
ヴァレルが地面を蹴った。
「行くぞォッ!!」
轟音。
長槍が唸りを上げる。
空中へ殺到してきた蜂型魔獣が、一撃で数体まとめて吹き飛んだ。
同時。
ルドヴィカも前へ出る。
巨大斧が振り下ろされる度、甲殻ごと蜂型魔獣が叩き潰されていく。
だが。
数が多い。
深層の蜂達は、一斉に群れで襲い掛かってきた。
羽音が爆音みたいに響く。
シオンの矢が飛ぶ。
高速。
正確。
蜂の眼球や羽根の付け根だけを撃ち抜いていく。
「左上!」
「了解!」
レヴィアナが即座に反応した。
青い瞳が細められる。
その周囲へ、複数の魔法陣が同時展開された。
ザインの目が僅かに見開かれる。
――速い。
しかも。
構築数が異常だった。
「穿ちなさい」
次の瞬間。
無数の氷槍が空中へ射出される。
同時。
薄青色の風刃が幾重にも展開。
蜂群へ突き刺さった。
轟ッ!!
蜂型魔獣がまとめて裂断される。
氷槍が羽を貫き。
風刃が甲殻の隙間を切り裂く。
しかも。
全部、“巣を避けていた”。
巨大な蜂の巣だけは、一切傷付けていない。
ザインの黒い瞳が細められる。
精密。
しかも高火力。
レヴィアナは炎だけの魔術師じゃない。
むしろ。
属性制御そのものが異常だった。
しかも速度。
術式展開速度が、ザインとは比べ物にならない。
次から次へ魔法陣が生まれている。
ヴァレルが笑いながら蜂を吹き飛ばす。
「おらおら!巣は壊すなよレヴィアナー!」
「分かってるわよ!」
レヴィアナが即座に返す。
その間にも、風刃が蜂群を切り裂いていく。
ザインは、その光景を静かに見ていた。
――強い。
単純に。
金級という領域の強さだった。
ただ強いだけじゃない。
連携。
判断。
制圧速度。
全部が完成されている。
その時。
一体の大型蜂が、横合いからレヴィアナへ突撃した。
だが。
ザインの杖が先に動く。
薄緑色の風刃。
一閃。
大型蜂の首が飛んだ。
レヴィアナがちらりとザインを見る。
そして。
少しだけ笑った。
「ナイス援護」
戦闘は、そのまま激化していった。
羽音。
爆炎。
金属音。
巨大空洞全体が震えている。
細かな蜂型魔獣達は、未だ大量に飛び回っていた。
だが。
レヴィアナの魔術と、シオンの弓がそれを許さない。
「右上、三体!」
「見えてるわ!」
青い魔法陣が展開される。
次の瞬間。
風刃が高速回転しながら蜂群を切り裂いた。
同時。
シオンの矢が、魔術の隙間を縫うように飛ぶ。
正確。
無駄が無い。
羽を撃ち抜かれた蜂達が、次々落下していく。
一方。
最前線。
ヴァレルとルドヴィカは、女王蜂と対峙していた。
「ッッ!!」
轟音。
巨大な毒針が突き出される。
ヴァレルが槍で受け流した。
火花。
衝撃。
「図体の癖に早ぇんだよコイツ!!」
長身の馬獣人が舌打ちする。
女王蜂は巨大だ。
だが。
異様に速い。
大型個体とは思えない機動力で空中を滑る。
その隙を狙い。
ルドヴィカの巨大斧が叩き込まれる。
轟ッ!!
だが。
当たらない。
女王蜂は翅を震わせ、瞬時に回避した。
「……速い」
ルドヴィカが低く呟く。
その時だった。
後方。
ザインが静かに杖を構える。
黒い瞳が細められる。
魔力集中。
南方系統術式。
短い詠唱。
「――絡め」
次の瞬間。
地面から蔦が伸びた。
高速。
女王蜂へ向かって走る。
だが。
女王蜂は瞬時に飛翔。
蔦を回避する。
「……っ」
ザインの目が細まる。
普通の拘束では追い付かない。
そこで。
ザインは左腕の義手へ魔力を集中させた。
空気が変わる。
レヴィアナの青い瞳が、僅かに動く。
――その魔力。
ザインは静かに再詠唱する。
低く。
短く。
だが先ほどより深い。
次の瞬間。
紫色の巨大な蔦が、空間を裂くように出現した。
禍々しい色。
異様な密度。
女王蜂が反応する。
回避しようと翅を震わせる。
だが遅い。
紫蔦が、一瞬で女王蜂へ巻き付いた。
「ギィィィッッ!!」
女王蜂が暴れる。
だが。
今度は外れない。
異常な力で拘束されている。
ヴァレルの目が見開かれる。
「――今だァ!!」
地面を蹴る。
長槍が唸る。
そして。
一直線に。
女王蜂の胸部を貫いた。
轟音。
紫色の体液が飛び散る。
女王蜂の動きが止まった。
女王蜂が、重々しい音を立てて崩れ落ちた。
巨大な翅が痙攣し。
やがて完全に動かなくなる。
静寂。
残っていた蜂型魔獣達も、一斉に逃げ始めていた。
女王を失ったのだ。
統率が消えた。
ヴァレルは槍を引き抜くと、大きく息を吐いた。
「っしゃあ……終わり!」
そのまま振り返る。
長い馬耳が揺れる。
そして。
にっと笑った。
「よくやった坊主!」
ザインの黒い瞳が少し瞬く。
ヴァレルは笑いながら続ける。
「最後の拘束、完璧だったぞ」
「あれ無かったら、まだ追い回されてた」
ルドヴィカも静かに近付いてくる。
金色の瞳がザインを見る。
それから。
小さく頷いた。
「……良い援護だった」
かなり満足そうだった。
シオンも感心した顔をしている。
「拘束術式としては、かなり異質でしたね……」
「普通の蔦魔術ではありませんでした」
その瞬間。
レヴィアナが、じっとザインを見た。
青い瞳。
魔術師の目。
ザインは静かに視線を返す。
レヴィアナは小さく息を吐いた。
「……貴方」
少し笑う。
「もう“自衛できる荷物持ち”どころじゃ無いわね」
「いい援護だったわ」
ザインは少し困ったように答える。
「……ありがとうございます」
だが。
レヴィアナは、そのまま真顔になった。
青い瞳が、静かに細められる。
「だけど」
空気が少し変わる。
「……あまり、人前でその魔力使っちゃ駄目よ」
ザインの黒い瞳が、静かに揺れる。
レヴィアナは続けた。
「やっぱり……」
少しだけ眉を寄せる。
「その魔力、禍々し過ぎるわ」
静かな声だった。
恐怖ではない。
純粋な警戒。
先ほどの紫蔦。
あれは普通の魔力ではない。
空気そのものが歪んでいた。
シオンも、静かに頷く。
「……正直、少し背筋が冷えました」
ヴァレルだけは首を傾げる。
「そこまでか?」
「ヴァレルは魔力感知鈍いからよ」
「おい」
レヴィアナは、再びザインを見る。
青い瞳が少し柔らかくなる。
「今のは、信用してる私達だから良い」
「でも他の冒険者相手には、出来るだけ隠しなさい」
「下手すると……面倒な事になるわよ」
ザインは、しばらく黙っていた。
それから。
静かに左腕を見る。
義手。
その奥にあるもの。
やがて。
小さく頷いた。
「……気を付けます」
その返答を聞いて。
レヴィアナは、少しだけ安心したように息を吐いた。
戦闘が終わった後。
一行は、巨大な蜂の巣の最奥部へ進んでいた。
そこだけ空気が違う。
暖かく。
甘い香りが満ちている。
そして。
中央。
巨大な蜜溜まりが存在していた。
「……綺麗」
ザインが思わず呟く。
黄金色。
いや。
ほとんど発光しているような蜜だった。
琥珀色の液体が、ゆっくり揺れている。
魔力を帯びているのが、目に見えて分かる。
シオンが静かに頷いた。
「これが“王蜜”です」
「今回の依頼の目当てですね」
ヴァレルは、さっさと巨大容器を取り出している。
「これ一瓶で家買えるって噂あるよな」
「盛り過ぎよ」
レヴィアナが即答する。
だが否定し切れていない辺り、本当に高価なのだろう。
ザインは、静かに蜜を見る。
甘い匂い。
だが。
普通の蜂蜜とは違う。
もっと濃密な魔力を感じる。
シオンが採取しながら説明する。
「貴族様からの依頼なんですけど……」
「この蜂蜜、色々使えるんですよね」
「高級菓子」
「回復薬」
「魔力活性剤」
「美容用途にも使われます」
ヴァレルが笑う。
「最後のが一番高ぇんだよなぁ」
「黙っててください」
シオンが呆れたように返す。
その時。
シオンが、ふとザインを見た。
「そうだ」
少し笑う。
「ザイン君、舐めてみますか?」
ザインが少し目を瞬かせる。
シオンは小さな採取匙へ蜜を掬った。
とろり、と黄金色が垂れる。
甘い香りが広がった。
「折角ですし」
「深層産の王蜜なんて、普通はまず食べられませんよ」
ザインは、少しだけ周囲を見た後。
静かに仮面を外した。
白い髪が、淡い蜜光へ照らされる。
シオンが差し出した小匙を受け取り。
黄金色の王蜜を、一口掬う。
とろり、と糸を引いた。
そして。
そのまま口へ運ぶ。
次の瞬間。
ザインの黒い瞳が、大きく見開かれた。
「……っ」
甘い。
ただ甘いだけじゃない。
濃厚。
深い。
花の香りみたいな甘味が、一気に口いっぱいへ広がる。
まるで脳髄へ直接流れ込んでくるみたいな甘さだった。
今まで食べた事がない。
そんな味。
ザインは思わず固まる。
ヴァレルが、その反応を見て笑った。
「だろ?」
「深層産は別格なんだよ」
だが。
ザインは返事をしなかった。
夢中になっていた。
もう一口。
また掬う。
口へ運ぶ。
甘い。
美味しい。
疲労が溶けるみたいだった。
レヴィアナが少し吹き出す。
「ちょっと貴方、気に入り過ぎじゃない?」
ザインは聞いていない。
さらにもう一口。
夢中だった。
その結果。
気付けば。
口元が、王蜜でべたべたになっていた。
白い肌へ、黄金色の蜜が付いている。
ヴァレルが耐え切れず吹き出した。
「ぶっははは!!」
「坊主、食い方下手過ぎるだろ!!」
シオンも眼鏡を押し上げながら笑いを堪えている。
レヴィアナは肩を震わせた。
「ちょ、ちょっと待って……」
「子供じゃないんだから……!」
ルドヴィカだけは静かだった。
無言で布を差し出してくる。
ザインはそこでようやく気付いたらしい。
黒い瞳が少し見開かれる。
「……あ」
そして。
少しだけ恥ずかしそうに、口元を拭った。
ルドヴィカは、差し出した布を見たまま固まっているザインを静かに見ていた。
それから。
無言のまま、一歩近付く。
「……動くな」
低い声。
次の瞬間。
ルドヴィカは、そのままザインの口元を布で拭い始めた。
「っ」
ザインの肩が跳ねる。
白熊獣人の大きな手。
だが動きは妙に丁寧だった。
口元へ付いた黄金色の蜜を、優しく拭き取っていく。
ヴァレルがまた吹き出す。
「ははっ、完全に餌付けされてるじゃねぇか坊主!」
「ヴァレル、うるさい」
レヴィアナは笑いを堪えながらザインを見る。
仮面を外した白髪の少年。
口周りをべたべたにして蜜を食べている。
しかも今、ルドヴィカに拭われている。
その光景を見て。
レヴィアナは、ふっと笑った。
「……そう言えば」
青い瞳が細められる。
「貴方、子供だったわよね」
ザインがぴたりと止まる。
ヴァレルが笑う。
「今更かよ」
「いやだって、普段妙に落ち着いてるから忘れるのよ!」
シオンも少し苦笑している。
「確かに……」
「戦場慣れし過ぎて感覚が狂いますね」
ルドヴィカは無言のまま、最後にザインの口元を軽く拭った。
それから。
小さく頷く。
「……綺麗になった」
ザインは完全に気まずそうだった。
白い髪の隙間から耳が少し赤い。
「……すみません」
ヴァレルがまた笑う。
「なんで謝るんだよ!」
レヴィアナは肩を竦める。
「まぁでも、年相応の顔見れて安心したわ」
ザインは少しだけ視線を逸らした。
けれど。
その空気は、不思議と嫌じゃなかった。




