フィリスとグリムヴァルド
グリムヴァルドは、しばらくフィリスを見下ろしていた。
雪の中で泣き崩れる鳥獣人。
敵意は無い。
あるのは、疲弊と安堵だけだった。
やがて。
褐色のエルフは小さく息を吐く。
「……とりあえず入れ」
低い声。
フィリスが、はっと顔を上げる。
グリムヴァルドは続けた。
「そんな顔で外に立っておると凍えるぞ」
そう言って、家の中へ背を向けた。
暖炉の熱が、外へ漏れる。
フィリスは慌てて頭を下げる。
「す、すみません……!」
声がまだ震えていた。
家の中へ入ると、暖かかった。
木の匂い。
火の音。
静かな空気。
グリムヴァルドは椅子へ座ると、無言でお茶を淹れる。
それをフィリスへ差し出した。
「飲め」
フィリスは両手で受け取る。
冷え切っていた指へ、熱が戻っていく。
そこでようやく。
少しだけ呼吸が落ち着いた。
グリムヴァルドは細い目でフィリスを見る。
「……話せ」
静かな声だった。
フィリスはカップを握ったまま、小さく頷く。
そして。
ぽつぽつと説明し始めた。
「……ずっと、ジン君を探していました」
掠れた声。
だが、その言葉には執念みたいなものが滲んでいた。
「崖下へ落ちた後……」
「川へ流された可能性があると思って」
「地図を調べて……」
眼鏡の奥の瞳が、少し疲れたように伏せられる。
「下流域を、しらみ潰しに探しました」
グリムヴァルドは黙って聞いている。
フィリスは続けた。
「でも、見つからなくて……」
「それで」
少しだけ顔を上げる。
「辺境街で、“仮面の少年”の話を聞いたんです」
暖炉の火が、小さく鳴る。
「白髪で」
「顔に傷があって」
「左腕を隠してる、変な少年が居るって……」
グリムヴァルドの目が、僅かに細められる。
フィリスは続けた。
「街の女の子から聞きました」
「いつも仮面を付けてて」
「グリムヴァルドさんの家に住んでるって……」
そこまで言って。
フィリスは、ぎゅっとカップを握り締めた。
「だから……」
掠れた声。
「もしかしてって……」
「もしかしたら、ジン君なんじゃないかって……!」
その声には。
ずっと希望を捨て切れなかった人間の重さがあった。
フィリスは、両手でカップを握ったまま俯いていた。
暖炉の火が、静かに揺れている。
眼鏡の奥の瞳は赤い。
ずっと泣くのを我慢していた顔だった。
「……終戦後」
掠れた声。
「私は、ジン君の記録を全部隠して保管していました」
グリムヴァルドの目が、僅かに細められる。
フィリスは続けた。
「戦後処理で……資料が整理されるって聞いて」
「このままだと、ジン君が完全に“兵器”として扱われる気がして……」
羽毛混じりの髪が、小さく揺れる。
「だから、持ち出したんです」
「記録も」
「識別番号も」
「実験資料も……」
その声音には、静かな怒りが滲んでいた。
記録係だった彼女だからこそ。
どれだけ異常だったか知っている。
だから。
消せなかった。
フィリスは、小さく息を吐く。
「……それで」
眼鏡の奥の瞳が、ゆっくり伏せられる。
「ジン君は、まだ生きてるんじゃないかって……」
「ずっと思ってました」
グリムヴァルドは何も言わない。
ただ静かに聞いている。
フィリスの指先が、小さく震えた。
「……あの日」
掠れた声。
「本当は、ジン君と一緒に逃げる予定だったんです」
暖炉の火が、ぱちりと鳴る。
フィリスは唇を噛む。
「でも……」
声が震える。
「ジン君が、“1人で逃げる”って……」
眼鏡の奥の瞳から、また涙が落ちた。
「あの子……」
「私達を巻き込みたくないって……」
「笑って……」
そこから先が続かない。
フィリスは俯いた。
肩が震えている。
「……1人で行かせた事を」
涙が、ぽたりと落ちる。
「ずっと後悔してました……」
その声は。
長い間、自分を責め続けてきた人間の声だった。
グリムヴァルドは、静かにフィリスを見ていた。
暖炉の火が揺れる。
涙を零しながら俯く鳥獣人。
そこにあったのは、敵意ではない。
後悔。
罪悪感。
そして。
“生きていてほしかった”という願いだけだった。
グリムヴァルドは、小さく息を吐く。
張っていた警戒を、少しだけ緩めた。
「……そうか」
低い声。
だが先ほどより、柔らかい。
「お主……大変だったな」
その言葉に。
フィリスの肩が、ぴくりと震える。
優しい言葉を掛けられると思っていなかったのだろう。
グリムヴァルドは続けた。
「ジンは生きておる」
フィリスが、はっと顔を上げる。
涙で濡れた眼鏡の奥の瞳が揺れていた。
グリムヴァルドは静かに言う。
「……だが、ここにはおらんよ」
フィリスの呼吸が止まりそうになる。
グリムヴァルドは、ふっと小さく笑った。
「まぁ、ここはあやつの家でもあるがな」
暖炉の火が、静かに揺れる。
「あやつは今」
「ここから南、山の麓にある温泉街へ滞在しておる」
その瞬間。
フィリスの瞳が、大きく見開かれた。
温泉街。
生きている。
ちゃんと居場所がある。
その事実が、一気に胸へ流れ込んでくる。
グリムヴァルドは酒杯を持ちながら続ける。
「のんびりしておるだろうて」
達観したような声だった。
「会いに行っておやり」
静かな言葉。
けれど。
そこには確かな優しさがあった。
フィリスの瞳から、また涙が溢れる。
今度は。
絶望じゃない。
安堵の涙だった。
「……はい」
震える声。
けれど。
先ほどより、ずっと温かい声だった。




