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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
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不穏な…

ベリアリアと再会してから。


温泉街での日々は、穏やかに流れていた。


朝は雪景色を眺めながら湯へ浸かり。


昼は軽い依頼をこなし。


夜は暖かな宿へ帰る。


時にはベリアリアと一緒に食事を取り。


時にはレヴィアナ達に捕まり、甘味処へ連れて行かれる。


そんな、静かな時間。


まるで。


戦争なんて遠い昔だったみたいに。


ジン――ザインは、少しずつこの生活へ慣れ始めていた。


その日も。


ザインは温泉街の通りを歩いていた。


湯煙。


観光客。


露店。


雪の積もった瓦屋根。


平和な景色だった。


だが。


ふと。


視線を感じた。


黒い瞳が、僅かに細められる。


――見られている。


反射みたいに周囲を確認する。


すると。


少し離れた通りの端。


二人組が居た。


厚手の外套。


雪避けのフード。


武器は隠しているが、歩き方が素人じゃない。


何かを探している。


そんな目だった。


ザインの身体が、無意識に強張る。


だが。


すぐに仮面へ触れた。


ちゃんと付けている。


白い髪も隠れている。


左腕の義手も展開済み。


確認してから、静かに二人を見る。


その瞬間。


片方と目が合った。


空気が、一瞬止まる。


ジンの心臓が跳ねた。


だが。


二人組はザインを数秒見た後。


まるで。


「違う」


そう判断したみたいに、視線を外した。


「……居ないな」


低い声。


「情報違いか?」


「いや、まだ街のどこかに――」


二人は、また別方向へ視線を向け始める。


まるで“別の誰か”を探しているみたいに。


ザインは静かに立ち尽くしていた。


黒い瞳だけが、ゆっくり揺れている。


冷たい汗が背中を流れる。


今。


確かに。


“何か”が、この街へ来ている。


一方その頃


辺境街近くの森の中


雪混じりの風が、静かに吹いていた。


グリムヴァルドの家では、暖炉の火がゆっくり揺れている。


褐色肌の南方エルフは、椅子へ深く腰掛けながら酒を飲んでいた。


静かな夜だった。


その時。


コンコン――。


家の扉を叩く音。


グリムヴァルドの耳が、僅かに動く。


来客。


こんな時間に。


細い目が、ゆっくり細められた。


酒杯を置く。


そして低い声で答えた。


「……誰だ?」


数秒の沈黙。


外は雪が降っている。


やがて。


扉越しに、女の声が聞こえた。


「あの……!」


少し焦ったような声。


「こちらに、黒髪で片腕の少年は来ていませんか!?」


その瞬間。


グリムヴァルドの空気が変わった。


暖炉の火が、ぱちりと鳴る。


細められていた目が、静かに開かれる。


黒髪。


片腕。


その条件で、思い浮かぶ人物は一人しか居ない。


グリムヴァルドは、ゆっくり立ち上がった。


達観した空気は消えていない。


だが。


警戒だけは、確実に強まっていた。


外套へ手を掛ける。


「……誰から聞いた」


静かな声。


だが。


先ほどまでとは違う。


明確に相手を測る声音だった。


扉の向こうで、僅かに息を呑む気配。


雪の夜。


暖炉の熱。


その中で。


グリムヴァルドは静かに考える。


――追手か。


それとも。


扉の向こうの女は、縋るみたいな声で続けた。


「何か知っているなら……教えてください!」


必死だった。


雪の夜だというのに。


声が震えている。


まるで。


長い間、探し続けてきた人間の声だった。


グリムヴァルドは黙ったまま扉を見つめる。


外套へ掛けた手は下ろさない。


相手の呼吸音だけが聞こえる。


そして。


女は、しどろもどろに言葉を続けた。


「私は……その……」


「ずっと、あの子を探していました……」


息を呑む音。


言葉を選べていない。


冷静さを失っている。


「その……黒髪で……片腕で……」


「白い髪になってるかもしれなくて……!」


その瞬間。


グリムヴァルドの目が、僅かに細められた。


――白髪。


そこまで知っている。


ただの追跡者ではない。


グリムヴァルドは静かに口を開く。


「……お主、何者だ?」


低い声。


扉越しの空気が張る。


数秒の沈黙。


そして。


女は、小さく震える声で答えた。


「……聖騎士団の者、でした」


“でした”。


過去形。


グリムヴァルドは黙って聞いている。


女は続けた。


「私は……あの子の家族、でした……」


掠れた声だった。


雪の降る夜。


暖炉の火だけが、静かに揺れていた。


グリムヴァルドは、しばらく黙ったまま扉を見つめていた。


暖炉の火が静かに揺れる。


雪混じりの風の音。


外に居る相手の荒い呼吸。


そして。


ゆっくりと、扉へ手を掛ける。


警戒は解かない。


いつでも動けるよう、重心を落としたまま。


ギィ――。


扉が静かに開く。


冷たい外気が流れ込んできた。


そこに立っていたのは。


鳥獣人の女だった。


暗い紫色の羽毛混じりの髪。


眼鏡。


細身の身体。


几帳面そうな服装。


だが今は、その全てが乱れている。


雪が肩へ積もっていた。


長距離を移動してきたのだろう。


そして何より。


その顔。


酷く必死だった。


眼鏡の奥の瞳が、縋るようにグリムヴァルドを見る。


グリムヴァルドの目が、僅かに細められる。


――鳥獣人。


記録係。


話に聞いていた。


ジンが時折口にしていた名前。


フィリス。


グリムヴァルドは、すぐには何も言わない。


相手を観察する。


敵意は無い。


だが。


追い詰められている。


そんな空気だった。


フィリスは、息を乱しながら口を開いた。


「お願い……します……!」


震える声。


「何か知っているなら……!」


「ジン君が……どこに居るのか……!」


その声は。


ずっと眠れていない人間の声だった。


グリムヴァルドは静かにフィリスを見つめる。


そして。


低い声で、ぽつりと言った。


「……お主」


細い目が、静かに鋭くなる。


「本当に、“家族”か?」


フィリスは、完全に取り乱していた。


普段は冷静なのだろう。


几帳面そうな服装。


整えられた言葉遣い。


眼鏡の奥の理知的な瞳。


本来なら、もっと落ち着いた人物の筈だった。


だが今は違う。


全部崩れている。


「い、いえ……!」


雪の中で、フィリスは慌てたように首を振る。


「正確には家族ではないんですけど……!」


「その……家族みたいなもので……!」


言葉がまとまらない。


焦り過ぎて、自分でも何を言っているのか分からなくなっている。


グリムヴァルドは静かに見ていた。


フィリスはさらに続ける。


「なんと言ったらいいか……その……!」


羽毛混じりの髪が乱れる。


眼鏡も少しずれていた。


長い間、まともに休んでいない顔だった。


そして。


堪え切れなくなったみたいに。


フィリスは叫ぶ。


「とりあえず……!」


息が乱れる。


「ジンは……!」


眼鏡の奥の瞳が、必死に揺れる。


「ジンはここにいるんですか!?!?」


雪の夜へ、その声が響いた。


暖炉の火が、ぱちりと鳴る。


グリムヴァルドは、しばらく答えなかった。


細い目で、フィリスを見ている。


観察している。


測っている。


そして。


ゆっくり口を開いた。


「……お主」


低い声。


「随分、追い詰められた顔をしておるな」


フィリスの肩が震える。


グリムヴァルドは続けた。


「眠れておらんのか?」


その言葉に。


フィリスの顔が、一瞬で崩れた。


図星だった。


彼女は唇を震わせる。


「……眠れる訳、ないじゃないですか……」


掠れた声。


今にも泣きそうだった。


「だって……」


眼鏡の奥の瞳へ、涙が滲む。


「死んだと思ってたんですよ……!」


フィリスの声は、もう震えていた。


雪が降っている。


肩にも髪にも積もっていた。


それでも彼女は拭おうともしない。


ただ。


必死にグリムヴァルドを見ている。


「……生きてるんですよね!?」


掠れた声。


けれど。


その中に、必死な希望が混ざっていた。


「ジンは……!」


眼鏡の奥の瞳が揺れる。


「生きてるんですよね!?」


グリムヴァルドは、静かにフィリスを見ていた。


その姿は。


まるで長い間、水の中で息を止めていた人間みたいだった。


今にも壊れそうだ。


グリムヴァルドは、小さく息を吐く。


そして。


静かに答えた。


「……生きておる」


その瞬間。


フィリスの呼吸が止まる。


眼鏡の奥の瞳が、大きく見開かれた。


「……っ」


声にならない。


雪の夜。


暖炉の熱。


その中で。


フィリスの身体から、一気に力が抜けた。


がくり、と膝が落ちる。


「お、おい」


グリムヴァルドが咄嗟に支える。


だがフィリスは、それどころではなかった。


涙が溢れていた。


ぼろぼろと。


止まらない。


「よかった……」


掠れた声。


「よかったぁ……!!」


ずっと張り詰めていたものが、全部崩れたみたいだった。


フィリスは泣いていた。


眼鏡を濡らしながら。


雪の中で。


子供みたいに。

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