家族、あの頃と同じ様に
ベリアリアは、胸元へ顔を埋めるジンの白い髪を優しく撫でていた。
大きな手。
暖かな体温。
昔と同じだった。
しばらく静かな時間が流れる。
暖炉の火が、小さく鳴っている。
やがて。
ベリアリアは、ふと思い出したように小さく笑った。
「……そういえば」
柔らかな声。
ジンが少しだけ顔を上げる。
ベリアリアは、昔と変わらない口調で言った。
「お風呂には、もう入ったの?」
その言葉に。
ジンの黒い瞳が、少し瞬く。
懐かしかった。
怪我をして帰る度。
泥だらけで医務室へ来る度。
ベリアリアは、いつも最初にそう言っていた。
ジンは少しだけ目を伏せる。
「……今日は、まだ入ってないです」
掠れた声。
すると。
ベリアリアは、ふわりと笑った。
本当に。
昔と同じ笑い方で。
「じゃあ、お風呂入っちゃいなさい」
優しい声だった。
叱るでもなく。
命令でもなく。
ただ。
“帰って来た子供へ言う言葉”みたいに。
ジンの黒い瞳が、ゆっくり揺れる。
懐かしい。
胸の奥が、じんわり熱くなる。
ベリアリアは続ける。
「そんなに冷えた顔して」
「ちゃんと温まらないと駄目ですよぉ」
そして。
少し悪戯っぽく笑った。
「湯冷めしたら、また看病する事になっちゃいますからねぇ」
その言い方まで、昔と変わらない。
ジンはしばらく黙っていた。
それから。
本当に小さく笑う。
「……はい」
その返事は。
昔、医務室で返していた頃と同じ声だった。
◇
湯気が、静かに浴室へ満ちていた。
個室風呂。
木造りの浴槽。
淡い灯り。
雪見窓の向こうでは、静かに雪が降っている。
ジンは、湯へ肩まで浸かっていた。
白い髪が濡れている。
失われた左肩。
細い身体。
戦場で刻まれた無数の傷。
けれど今は。
久しぶりに、少しだけ力が抜けていた。
湯気の中で、小さく息を吐く。
その時だった。
ガラリ、と扉が開く音。
「背中、流しますよぉ〜」
聞こえた瞬間。
ジンの身体が跳ねた。
「!?」
勢いよく振り返る。
そこには。
髪を結い上げたベリアリアが居た。
白と灰色の長髪。
湯気で少し赤くなった頬。
大きな身体へ薄布を軽く羽織っている。
そして。
昔と変わらない、柔らかな笑顔。
ジンの顔が一気に熱くなる。
「べ、ベリアリアさん!?」
黒い瞳が見開かれる。
「な、何してるんですか!?」
ベリアリアはきょとんとした顔をした。
「何って、お背中流しに?」
当たり前みたいに言う。
ジンはさらに狼狽えた。
「も、もう子供じゃないんですよ!?」
湯気の中で、白い髪がばさりと揺れる。
耳まで真っ赤だった。
だが。
ベリアリアは、ふわりと笑う。
昔と同じ笑顔。
そして。
優しい声で言った。
「私にとっては、まだ子供です」
その言葉に。
ジンの動きが、ぴたりと止まる。
ベリアリアは、ゆっくり浴場へ入ってくる。
湯気の中。
大きな身体が、すぐ隣へ腰を下ろした。
「ほらほら」
「ちゃんと洗わないと駄目ですよぉ」
柔らかな布を湯へ浸しながら、ベリアリアは昔みたいに笑う。
ジンは、完全に困った顔をしていた。
けれど。
不思議と、嫌ではなかった。
むしろ。
懐かしくて。
少しだけ、安心してしまっている自分が居た。
ベリアリアは、静かにジンの身体を見ていた。
湯気の中。
濡れた白い髪。
細い背中。
そして。
無数の傷跡。
戦場が、そのまま刻み付けられているみたいだった。
ベリアリアの瞳が、ゆっくり伏せられる。
大きな手が、そっとジンの脚へ触れた。
そこには。
雷撃が焼いた痕が残っている。
脚から。
脇腹。
胸。
そして顔まで。
一本の雷が走ったみたいな、痛々しい火傷痕。
ベリアリアは、その傷を優しく撫でる。
震えるくらい丁寧に。
まるで。
少しでも痛みを減らしたいみたいに。
ジンは静かに息を呑んだ。
次に。
ベリアリアの手が、胸の大きな傷跡へ触れる。
崖際で受けた斬撃。
深く。
致命傷だった傷。
白い皮膚へ、今も残っている。
ベリアリアは、苦しそうに目を細めた。
「……酷い傷」
掠れた声。
それから。
彼女は静かに両手を添える。
ぽぅ――。
優しい光が、浴室へ広がった。
淡い回復魔術。
昔と同じ光。
暖かく。
柔らかく。
包み込むような癒し。
ジンの身体が、その光に包まれる。
けれど。
傷跡は消えない。
深過ぎる。
古過ぎる。
身体へ刻み込まれてしまった傷だった。
それでも。
ジンは、ゆっくり目を閉じる。
暖かい。
懐かしい。
昔、何度も感じた光だった。
怪我をして帰る度。
眠れない夜。
悪夢で震えた時。
いつもベリアリアが、この光で包んでくれた。
だから。
傷は消えなくても。
胸の奥の何かが、少しずつ解けていく。
ジンは小さく息を吐いた。
「……安心します」
ぽつりと零れた声。
ベリアリアは、その言葉を聞いて優しく微笑む。
そして。
昔と同じように。
ジンの白い髪を、そっと撫でた。
その夜。
ジンは、ベリアリアの部屋で眠る事になった。
昔と同じように。
大きなベッド。
暖かな毛布。
窓の外では雪が降っている。
静かな温泉街の夜だった。
ジンは、ベッドへ横になっていた。
白い髪が枕へ広がる。
隣にはベリアリア。
白と灰色の長髪が、柔らかく揺れていた。
昔なら逆だった。
戦場で傷付き。
悪夢で眠れなくなって。
震えるジンを、ベリアリアが抱き締めていた。
いつも癒される側だったのは、ベリアリアだった。
けれど今日は違う。
今。
癒されているのは、ジンの方だった。
ベリアリアの大きな腕が、優しくジンを包んでいる。
暖かい。
安心する温もりだった。
昔と変わらない匂い。
心臓の音。
柔らかな体温。
それだけで。
張り詰めていた何かが、少しずつ解けていく。
ベリアリアは、静かにジンの白い髪を撫でていた。
「……おやすみなさい、ジン」
優しい声。
母親みたいな声だった。
ジンは、うとうとしながら小さく返す。
「……おやすみなさい……ベリアリアさん……」
掠れた声。
でも。
どこか安心した響きだった。
そして。
しばらくして。
ジンの呼吸が、ゆっくり深くなっていく。
眠ったのだ。
ベリアリアは、その寝顔を静かに見つめる。
そして。
目を細めた。
そこに居たのは、“黒髪の悪魔”ではない。
戦場の怪物でもない。
ただ。
昔、自分が守りたかった弟分の顔だった。
ジンは眠っていた。
ベリアリアの温もりへ包まれながら。
まるで昔へ戻ったみたいに。
穏やかな顔で。
少しだけ幼い、昔の笑顔を浮かべながら。




