再会
ザインは、その後しばらく温泉街へ滞在した。
雪は深い。
吐く息は白い。
だが、この街は不思議と暖かかった。
湯煙。
灯り。
人の声。
辺境街とはまた違う賑わいがある。
ザインは時折、一日で終わるような簡単な依頼を受けた。
荷運び。
周辺魔獣の討伐。
護衛。
銀級になった今では、本気を出す必要すら無い仕事ばかりだった。
風の刃が一閃すれば終わる。
だから。
以前より、街を歩く時間の方が長かった。
甘味処へ寄ったり。
雪景色を眺めたり。
露店を覗いたり。
温かなパンを買ったり。
夜には宿へ戻り、個室風呂へ浸かる。
そんな生活を繰り返していた。
不思議だった。
こんな風に。
“次の戦場”を考えずに生きる時間が。
ジンには、ほとんど無かった。
だからだろうか。
少しずつ。
本当に少しずつ。
気が抜け始めていた。
まるで。
もう誰も追って来ないみたいに。
もう逃げなくても良いみたいに。
仮面を付けたままではある。
名前も“ザイン”のまま。
けれど。
以前ほど、周囲へ怯えなくなっていた。
宿の栗鼠獣人の受付嬢とも、普通に会話するようになった。
ギルドの受付嬢とも顔見知りになった。
エルカにも時折「働き過ぎるなよ」と笑われる。
レヴィアナ達とも、何度か顔を合わせた。
ヴァレルは相変わらず騒がしく。
シオンは妙に気を遣い。
ルドヴィカは無言で頭を撫でてくる。
レヴィアナは、やたら甘味処へ連れて行こうとしてきた。
そんな日々が、続いていた。
だから。
ザインは、気付いていなかった。
――少しずつ、“普通の生活”へ慣れ始めている事に。
◇
宿へ戻る頃には、外はすっかり夜になっていた。
雪が静かに降っている。
温泉街特有の湯煙が、橙色の街灯にぼんやり照らされていた。
ザインは宿の扉を開ける。
暖かな空気。
木の匂い。
穏やかな喧騒。
辺境街の荒っぽい宿とは違う、落ち着いた空気だった。
「おかえりなさいませ〜」
栗鼠獣人の受付嬢が、ぱたぱたと尻尾を揺らしながら顔を上げる。
丸い耳。
柔らかな茶色の髪。
相変わらず愛想が良い。
ザインは軽く会釈した。
「ただいま戻りました」
そのまま部屋へ戻ろうとした時。
受付嬢が、思い出したように声を上げた。
「あっ、ザインさん!」
ザインが振り返る。
受付嬢はにこっと笑った。
「そういえば、お茶はいかがですか?」
「本日、新しい茶葉が入ったんですよ〜」
ザインは少しだけ目を瞬かせる。
それから。
小さく頷いた。
「……頂きます」
「ありがとうございます〜!」
受付嬢は嬉しそうに笑う。
それから、少し声を潜めた。
「あ、それとですね」
「なにやら、宿のオーナーが直接ご挨拶させていただきますので、お部屋へお持ちしますね!」
ザインは少しだけ首を傾げる。
オーナー。
銀級。
個室離れ。
なるほど。
そういうものなのかもしれない。
辺境街では、ほとんどグリムヴァルドの家へ戻っていた。
こういう“ちゃんとした宿”の流儀には、まだ慣れていない。
「……分かりました」
ザインは静かに頷いた。
そのまま一階離れへ戻る。
広めの部屋。
武器手入れ用の机。
個室風呂。
暖かな灯り。
外套を脱ぎ、杖を壁へ立て掛ける。
それから椅子へ腰掛け、ふぅ、と小さく息を吐いた。
最近。
少しだけ気が抜けている気がする。
悪い意味ではなく。
ちゃんと休めている。
そんな感覚だった。
窓の外では雪が降っている。
静かな夜だった。
コンコン――。
静かなノック音が、部屋へ響いた。
雪の夜。
暖かな灯り。
静寂の中だったから、やけに大きく聞こえる。
「失礼致します」
扉越しに聞こえてきたのは、柔らかな女の声だった。
「お茶をお持ちしました」
優しい声。
穏やかな響き。
その瞬間。
ザインの身体が、ぴたりと止まる。
――聞き覚えがあった。
黒い瞳が僅かに揺れる。
呼吸が止まりそうになる。
だが。
すぐに、はっとしたように仮面へ触れる。
ちゃんと付けている。
白い髪も隠れている。
左腕の義手も展開済み。
確認してから。
ザインは静かに返した。
「……どうぞ」
ガチャリ。
ゆっくり扉が開く。
暖かな廊下の灯り。
そして。
「宿の主人の、ベリアリアでございます」
その声と共に現れた人物を見た瞬間。
ザインの思考が、止まった。
大きな身体。
白と灰色が混ざった柔らかな長髪。
牛獣人特有の角。
包み込むように穏やかな瞳。
白い宿衣。
そして。
優し過ぎるくらい柔らかな空気。
聖騎士団の癒術騎士。
ベリアリアだった。
ザインの黒い瞳が、見開かれる。
心臓が跳ねる。
頭が真っ白になる。
だが。
ベリアリアは、何も言わなかった。
驚いた様子も無い。
気付いていないのか。
それとも。
気付かない振りをしているのか。
分からない。
ベリアリアはザインの仮面を一瞥した後、静かに部屋へ入ってくる。
そして。
何事も無いように。
慣れた手付きで、テーブルへお茶を並べ始めた。
湯気。
茶葉の香り。
カップの触れ合う小さな音。
その全部が妙に現実感を失っていた。
「銀級の冒険者さんがお泊まりになるなんて、久しぶりなんですよ〜」
ベリアリアは穏やかに笑いながら、お茶を注いでいた。
白と灰色の長髪が、柔らかく揺れる。
湯気が立ち昇る。
部屋の空気は暖かい。
まるで昔と変わらない。
だからこそ。
ザインは動けなかった。
黒い瞳が、ただベリアリアを見ている。
頭が真っ白だった。
聖騎士団。
医務室。
暖かな大きな手。
眠る前に掛けられた毛布。
全部が、一瞬で蘇る。
ベリアリアは、そんなザインへ気付かず話を続ける。
「温泉街も最近は落ち着いてましたから」
「しかも銀級となると、やっぱりちょっと緊張しますねぇ」
柔らかな声。
優しい笑い方。
何も変わっていない。
ザインは、何も言えなかった。
喉が動かない。
声が出ない。
ただ固まっている。
やがて。
ベリアリアの手が止まった。
「あの……お客様?」
少し心配そうな声。
ザインは反応できない。
ベリアリアは、そっとザインを覗き込む。
仮面。
黒外套。
そして。
仮面の奥。
黒い瞳。
その瞬間。
ベリアリアの表情が、止まった。
呼吸が止まる。
黒い瞳。
見間違えるはずがない。
けれど。
あり得ない。
だって。
あの子は。
崖下へ――。
ベリアリアの瞳が揺れる。
「……え」
小さな声。
ザインと、目が合う。
その瞬間。
ザインの口から、自然に声が零れた。
掠れた声。
震える声。
「ベリ……アリア……さん?」
ベリアリアの瞳が、大きく見開かれる。
手から、かちゃり、とティーカップが鳴った。
揺れている。
白と灰色の長髪の奥で。
優しい瞳が、信じられないものを見るように震えていた。
今。
確かに聞こえた。
忘れるはずのない声。
何度も名前を呼んでくれた声。
眠る前に「おやすみ」と言ってくれた声。
怪我をして帰って来る度に、「大丈夫ですよ」と笑ってくれた声。
その子が。
今。
目の前に居る。
ベリアリアの喉が震える。
呼吸が浅くなる。
黒い瞳を見つめたまま、動けない。
あり得ない。
だって。
あの崖で。
あの雪の中で。
あの子は――。
「……っ」
唇が震える。
そして。
掠れた声が、零れた。
「ジン……?」
その名前が落ちた瞬間。
部屋の空気が止まる。
ザイン――いや、ジンの肩が小さく震えた。
ベリアリアは、一歩、ふらつくように近付く。
大きな手が、震えていた。
「……貴方、なの?」
信じたい。
でも信じるのが怖い。
そんな声だった。
「ジン……なの……?」
涙が滲み始めていた。
優しい癒術騎士の顔が、今にも崩れそうだった。
ザインは動けない。
椅子へ座ったまま。
ただ。
その光景を固まって見ていた。
ジンは、しばらく動かなかった。
黒い瞳が、ただベリアリアを見ている。
白と灰色の髪。
優しい瞳。
柔らかな声。
何も変わっていない。
変わってしまったのは、自分だけみたいだった。
やがて。
ジンは静かに手を伸ばす。
仮面へ触れる。
僅かに震える指。
ゆっくり。
本当にゆっくりと。
仮面を外した。
白い髪が零れる。
左側の雷傷。
幼さの残る顔。
そして。
黒い瞳。
全部、晒した。
ベリアリアの呼吸が止まる。
ジンは静かに口を開く。
「……お久しぶりです」
掠れた声。
少しだけ震えている。
「ベリアリアさん――」
言い切る前だった。
ガタンッ!!
椅子が大きく揺れる。
次の瞬間。
ベリアリアが、ジンへ抱き付いていた。
「――ッ!!」
凄い勢いだった。
大きな身体。
温かな腕。
強く。
壊れそうなくらい強く。
抱き締められる。
「ジン……!!」
涙声だった。
ベリアリアの肩が震えている。
「ジン……ジン……!!」
何度も名前を呼ぶ。
まるで。
本当に生きているか確かめるみたいに。
ジンの身体が硬直する。
何が起きたのか、一瞬分からなかった。
けれど。
胸元へ顔を押し付けられる。
温かい。
昔と同じ匂いだった。
医務室で。
眠る前に。
何度も感じた安心する匂い。
ベリアリアは泣いていた。
ぽろぽろと。
止まらないみたいに。
「良かった……!」
「生きて……っ、生きててぇ……!!」
声が崩れる。
ジンの黒い瞳が、ゆっくり見開かれる。
抱き締められている。
責められていない。
怯えられていない。
ただ。
“生きていて良かった”と泣かれている。
その事実が。
ジンには、信じられなかった。
ベリアリアは泣いていた。
ぽろぽろと。
大きな身体を震わせながら。
まるで。
いなくなった息子が、突然帰って来たみたいに。
ジンを抱き締める腕へ、さらに力が入る。
離したらまた消えてしまいそうで。
怖いみたいに。
「ジン……っ」
掠れた声。
涙で滲んでいる。
ジンは、まだ上手く動けなかった。
抱き締められたまま。
ただ、黒い瞳を揺らしている。
ベリアリアは震える声で続けた。
「貴方が……崖下に落ちたって聞いて……」
言葉が崩れる。
「探したのよ……」
白と灰色の髪が揺れる。
涙が、ジンの肩へ落ちていく。
「雪の中を……皆で……」
呼吸が乱れていた。
思い出すだけで苦しいのだろう。
「でも……」
抱き締める力が、少し強くなる。
「残ってたの……血の跡だけだった……」
ジンの瞳が、僅かに揺れる。
雪。
崖。
赤い血。
雷撃。
全部が一瞬で蘇る。
ベリアリアは泣きながら続けた。
「それで……」
声が震える。
「もう……死んじゃったんだって……思ってたぁ……!!」
堰を切ったように涙が溢れる。
ベリアリアは顔を伏せた。
大きな身体を小さく丸めながら、ジンへしがみ付いている。
ずっと。
抱え続けていたのだろう。
助けられなかった罪悪感を。
失った喪失感を。
ジンは、何も言えなかった。
ただ。
抱き締められたまま。
ゆっくり。
震える右手を持ち上げる。
そして。
昔みたいに。
ぎこちなく、ベリアリアの背中へ触れた。
しばらくして。
ベリアリアの涙は、ようやく少し落ち着いていた。
それでも目元は赤い。
白と灰色の長髪も、少し乱れている。
ジンは静かに椅子へ座り直していた。
仮面はもう外している。
黒い瞳。
左側の雷傷。
その全部を晒したまま。
テーブルには、少し冷め始めたお茶。
湯気がゆっくり揺れている。
ベリアリアは、ジンの隣へ座っていた。
距離が近い。
昔と同じだった。
医務室で怪我の治療をした後。
こうして隣へ座り、温かい飲み物を飲ませてくれた。
そんな記憶が蘇る。
ベリアリアはカップを両手で包み込みながら、ふわりと笑った。
優しい笑顔だった。
昔と何も変わらない。
「……ちゃんと、お茶飲めるくらい元気そうで良かったです」
ジンは少しだけ目を伏せる。
「……はい」
掠れた声。
でも。
さっきより、ずっと落ち着いていた。
ベリアリアは、ちらりとジンを見る。
白い髪。
痩せた身体。
失われた左腕。
見ているだけで胸が苦しくなる。
それでも。
生きている。
隣に居る。
その事実だけで、涙が出そうだった。
ベリアリアは、小さく笑う。
「白い髪も、似合ってますねぇ」
ジンが少し目を瞬かせる。
「……そうですか?」
「はい」
柔らかな声。
「でも私は、黒髪のジンも好きでしたよ」
その言葉に。
ジンの黒い瞳が、少しだけ揺れた。
懐かしい響きだった。
“好きでしたよ”。
昔からベリアリアは、そういう言い方をする。
優しく。
当たり前みたいに。
ジンは静かにカップへ口を付ける。
温かい。
胸の奥まで、少しずつ解けていくみたいだった。
窓の外では雪が降っている。
温泉街の夜は静かだった。
けれど今のジンには。
その静けさが、少しだけ心地良かった。
ベリアリアは、静かにジンを見つめていた。
黒い瞳。
白い髪。
そして。
顔の左側へ残る、痛々しい雷傷。
その傷を見た瞬間から。
彼女は、ずっと気付いていた。
ベリアリアの大きな手が、そっと伸びる。
まるで壊れ物に触れるみたいに。
指先が、ゆっくり傷跡を撫でた。
優しい手だった。
癒術騎士の手。
昔、何度もジンの怪我を治してくれた手。
「……これは」
掠れた声。
ベリアリアの瞳が、少しだけ揺れる。
「私の知らない傷ですねぇ……」
ジンの肩が、僅かに震える。
ベリアリアは、傷跡を撫でたまま静かに目を伏せた。
雷の焼痕。
鋭く抉れた傷。
見間違えるはずがない。
彼女は、あの雷弓を知っている。
よく知っている。
何度も隣で見てきた。
だから。
ぽつりと。
静かに呟いた。
「……アリアちゃんの弓、ね……」
その瞬間。
ジンの黒い瞳が、ゆっくり揺れる。
否定しなかった。
出来なかった。
ベリアリアは、少し苦しそうに笑う。
「そうですか……」
「本当に……あの子達……」
言葉が続かない。
責めたい訳じゃない。
きっと。
あの場に居た全員が壊れていた。
分かっている。
でも。
こうして実際に傷跡を見ると。
胸が苦しかった。
ベリアリアは、そっとジンの頬を包む。
「痛かったでしょう……」
優しい声だった。
母親みたいな声。
ジンはしばらく黙っていた。
それから。
小さく、小さく笑う。
「……結構、痛かったです」
少し冗談みたいに言う。
その笑い方が。
逆に痛々しかった。
ベリアリアは、また泣きそうな顔をした。
ベリアリアの手が、そっとジンの頬へ触れていた。
雷傷をなぞる指先は、ひどく優しい。
まるで。
壊れてしまったものを、必死に扱うみたいに。
ベリアリアは静かに目を伏せる。
白と灰色の長髪が、肩から流れ落ちた。
「……あの子達」
掠れた声だった。
「貴方を傷付けてから……相当、ショックだったみたいなのよ」
ジンの黒い瞳が、少し揺れる。
ベリアリアは続けた。
「本当に……貴方を傷付けるつもりじゃ、無かったみたいなの」
暖かな部屋。
静かな夜。
その中で、ベリアリアの声だけが静かに響く。
「ずっと、泣いてた子も居たし……」
「壊れたみたいに、何も喋れなくなった子も居た」
その言葉に。
ジンは、何も返せなかった。
崖。
雪。
雷。
斬撃。
全部を思い出しているのかもしれない。
ベリアリアは、そんなジンの頬を優しく撫でる。
「だから……」
少しだけ、困ったように笑った。
涙を堪えるみたいな笑み。
「もし……会えたとしたら」
優しい声だった。
本当に優しい声。
「責めないであげてちょうだいね」
ジンの黒い瞳が、ゆっくり伏せられる。
しばらく沈黙が続いた。
暖炉の火が、小さく鳴る。
やがて。
ジンは小さく息を吐いた。
「……責めて、ないですよ」
掠れた声。
でも。
嘘では無かった。
「皆……壊れてましたから」
静かな言葉だった。
怒りではなく。
諦めでもなく。
ただ。
本当にそう思っているみたいに。
ベリアリアは、その返答を聞いて目を細める。
そして。
泣きそうな顔で、少しだけ笑った。
「……貴方は、本当に優しい子ですねぇ」
「……そういえば」
ジンは、静かにカップを置いた。
黒い瞳が、少しだけ揺れる。
「ルシャさんや……アリアは、どうなったんですか?」
その名前が出た瞬間。
ベリアリアの表情が、少し曇る。
白と灰色の髪が、静かに揺れた。
しばらく。
彼女は答えなかった。
まるで。
言葉を探しているみたいに。
やがて。
ベリアリアは静かに首を横へ振る。
「……分からないわ」
掠れた声だった。
「私……あの後、すぐに聖騎士団を辞めちゃったから……」
ジンの黒い瞳が、静かに伏せられる。
ベリアリアは続けた。
「貴方が崖下へ落ちてから……皆、壊れちゃって」
「聖騎士団も、もうまともじゃなかったの」
暖炉の火が、小さく鳴る。
「私は……あそこに居られなくなって」
少し苦しそうに笑う。
「逃げるみたいに辞めちゃった」
ジンは静かに聞いていた。
ベリアリアはカップを両手で包み込む。
「最後に見た時は……」
そこまで言って、少し目を伏せた。
「皆、ちゃんと眠れてなかったわねぇ……」
優しい声だった。
責めるでもなく。
ただ、疲れ切った誰か達を思い出すみたいに。
ジンは何も言わない。
窓の外を見る。
雪が降っている。
しばらく沈黙が続いた後。
ベリアリアが、そっと笑った。
「でも」
優しい声。
「もし生きてるって知ったら……きっと皆、泣くわよ」
その言葉に。
ジンの黒い瞳が、ほんの少しだけ揺れた。
ジンは、しばらく何も言わなかった。
窓の外を見ている。
雪。
湯煙。
静かな温泉街の夜。
その横顔は、どこか幼かった。
やがて。
ぽつりと。
小さく言葉が零れる。
「……僕」
黒い瞳が、静かに伏せられる。
「家族に、殺されそうになったんだって……思ってました」
掠れた声だった。
感情を押し殺した声。
でも。
ずっと胸の奥へ刺さっていた言葉なのだと分かる。
ベリアリアは何も言わない。
ただ静かに聞いている。
ジンは続けた。
「崖に追い込まれて」
「脚を射抜かれて」
「斬られて」
指先が、少し震える。
「だから……嫌われたんだって」
「もう要らないんだって……」
そこまで言って。
ジンは、小さく息を吐いた。
そして。
少しだけ。
本当に少しだけ。
安心したみたいに笑った。
「……でも、違ったんですね」
黒い瞳が、ゆっくり細められる。
「それだけ知れて……良かった……」
その笑顔は。
ひどく儚かった。
怒りじゃない。
恨みでもない。
ただ。
ずっと怖かった事が、少しだけ解けたみたいな顔だった。
ベリアリアは、その表情を見た瞬間。
また泣きそうになる。
この子は。
最後まで。
“家族だったかどうか”を気にしていたのだ。
恨まれていたか。
捨てられたか。
そこばかり気にしていた。
ベリアリアは、静かにジンの頭を抱き寄せる。
大きな胸元へ。
優しく。
包み込むように。
「……当たり前でしょう?」
涙混じりの声だった。
「皆、貴方の事……大好きだったのよ」
「……良かった……」
ジンは、小さく呟いた。
本当に。
胸の奥から零れ落ちたみたいな声だった。
黒い瞳が、ゆっくり閉じられる。
張り詰めていたものが。
少しずつ。
少しずつ解けていく。
ベリアリアは何も言わず、ただ優しく抱き締めていた。
大きな腕。
暖かな体温。
昔と同じだった。
ジンは、ゆっくりその胸元へ顔を埋める。
白と灰色の髪から、懐かしい香りがした。
薬草。
温かい毛布。
医務室。
眠る前に聞こえた優しい声。
全部を思い出す。
ジンの肩が、小さく震える。
そして。
掠れた声で。
そっと言った。
「……ずっと」
言葉が詰まる。
まるで。
子供みたいに。
「……会いたかったです」
黒い瞳が、ゆっくり伏せられる。
「ベリアリアさん……」
その瞬間。
ベリアリアの瞳から、また涙が溢れた。
「……っ」
抱き締める力が、少し強くなる。
まるで。
もう二度と離さないみたいに。
ベリアリアは泣き笑いみたいな顔で、ジンの白い髪を撫でた。
「私もよぉ……」
震える声。
「私も……ずっと……会いたかったぁ……」
暖かな部屋。
雪の夜。
静かな温泉街。
その一室だけが。
まるで。
失くした家族を取り戻したみたいに、温かかった。




