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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
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まだ終わっていない

重たい沈黙が、個室へ落ちていた。


誰も、すぐには言葉を出せない。


暖炉の火だけが、小さく鳴っている。


ジンは俯いたままだった。


白い前髪が影を落とす。


まだ少し肩が震えている。


その時だった。


椅子が、静かに軋む。


ルドヴィカだった。


大柄な白熊獣人の女戦士。


重装鎧を纏ったまま、ゆっくり立ち上がる。


ヴァレルが少し目を向ける。


だが止めない。


ルドヴィカは無言のまま、ジンへ近付いていく。


足音は重い。


けれど不思議と威圧感は無かった。


ジンが僅かに肩を揺らす。


まだ少し怯えたように顔を上げた。


黒い瞳。


涙の跡が残っている。


ルドヴィカは、その前で止まった。


しばらく無言。


金色の瞳が、静かにジンを見る。


戦場で数え切れない死を見てきた目。


その瞳が今見ているのは、“黒髪の悪魔”ではなかった。


ただ。


酷く傷付いた子供だった。


やがて。


ルドヴィカは、大きな手をゆっくり伸ばす。


ジンが少しだけ身体を強張らせた。


だが。


振り下ろされる事は無い。


そのまま。


ぽふ、と。


優しく頭へ触れた。


大きな手。


硬い掌。


けれど。


驚くほど優しい撫で方だった。


まるで幼子をあやすみたいに。


ゆっくり。


静かに。


頭を撫でる。


ジンの黒い瞳が、僅かに見開かれる。


ルドヴィカは何も言わない。


ただ。


静かに撫で続けた。


その手つきだけで十分だった。


“もう敵じゃない”


そう伝えるみたいに。


ヴァレルは困ったように頭を掻いた。


長い馬耳が、少し落ち着かなさそうに揺れている。


普段みたいな軽口は出てこない。


けれど。


黙ったままにも出来なかった。


「えっと……」


少し迷う。


それから。


「ザイン……いや、ジン?だっけか」


その呼び方に。


ジンの黒い瞳が、少しだけ揺れる。


ヴァレルは続けた。


「とりあえず、俺らは敵じゃ無ぇよ」


真っ直ぐな声だった。


飾らない。


不器用なくらい率直な言葉。


「後、この事は他言なんか絶対しねぇ」


「約束する」


個室は静かだった。


ヴァレルは肩を竦める。


「帝国側で戦ったとはいえ、今はもう戦争終わってるんだしな」


「今更、お前を売った所で何になるって話だ」


少しだけ笑う。


無理に空気を軽くしようとしているのが分かる笑い方だった。


「むしろ俺ぁ、甘いもん食ってる坊主の方が印象強ぇよ」


その言葉に。


レヴィアナが小さく吹き出しそうになる。


シオンも、少しだけ肩の力を抜いた。


ルドヴィカは相変わらず無言のまま、ジンの頭を撫でている。


ジンはしばらく黙っていた。


それから。


小さく、小さく。


「……ありがとうございます」


掠れた声だった。


けれど。


さっきまでより、ほんの少しだけ。


呼吸が落ち着いていた。


シオンは、落ち着きを取り戻したジンを見ながら静かに続けた。


「……ですが、ジン君」


少し言葉を選ぶ。


それから。


「貴方は、これまで通り“ザイン”を名乗った方が良いかもしれません」


ジンの黒い瞳が、少しだけ揺れる。


ヴァレルが眉を寄せた。


「おいシオン」


だがシオンは首を横に振る。


「脅している訳じゃありません」


「むしろ逆です」


静かな声だった。


「実は」


眼鏡を押し上げる。


「聖王国の女王は、行方不明になっています」


その言葉に。


レヴィアナの青い瞳が細くなる。


ヴァレルも表情を変えた。


シオンは続ける。


「暗部の幹部達も、戦争終結前に失踪」


「現在、かなりの資料が消失しています」


暖炉の火が、小さく鳴る。


「そして」


シオンは、ゆっくりジンを見る。


「魔導砲関連資料」


「炉心資料」


「……つまり、君の記録も」


少し間。


「ほとんど残っていませんでした」


個室が静まり返る。


ジンの黒い瞳が、静かに揺れる。


シオンは続けた。


「だからこそ、逆に危険なんです」


「記録が無いという事は、“誰が何を知っているか分からない”」


「もし今後、女王派や暗部残党が動いた場合……」


そこまで言って、少しだけ口を閉じる。


ジンを怯えさせ過ぎないように。


慎重に言葉を選んでいた。


「……少なくとも、“暁ジン”という名前は表へ出さない方が良い」


静かな忠告だった。


ヴァレルが腕を組む。


「つまり、まだ完全には終わってねぇ可能性があるって事か」


「ええ」


シオンは頷いた。


レヴィアナは青い瞳を伏せる。


戦争は終わった。


だが。


“後始末”だけは、まだ終わっていないのかもしれなかった。


ジンの黒い瞳が、ゆっくり伏せられる。


その表情から、僅かに熱が消えた。


代わりに浮かんだのは。


暗い納得だった。


「……やっぱり」


掠れた声。


「まだ終わってなかったんですね」


個室は静かだった。


暖炉の火だけが、小さく鳴っている。


ジンは自分の仮面へ触れる。


白い指先。


微かに震えていた。


「なら……」


黒い瞳が、静かに細まる。


「素性を隠して動いてたのは、正解だったんだ……」


その声音には。


少しだけ。


本当に少しだけ。


安心が混ざっていた。


ヴァレルが苦い顔をする。


その“安心”が、あまりにも痛々しかった。


普通なら。


名前を隠さなくて済む事に安心する。


でもこの少年は違う。


“隠れていた判断が正しかった”


それに安堵している。


つまり。


今までずっと。


本気で追われる前提で生きていた。


レヴィアナは青い瞳を伏せる。


戦場で見た“黒髪の悪魔”。


その正体は。


戦争が終わった後も、逃げ続けている子供だった。


シオンは静かに言った。


「……少なくとも」


「今の君を知っている人間は、かなり少ない筈です」


「白髪になっている事も含めて」


ジンは小さく頷く。


「……崖から落ちた後、白くなりました」


ぽつりとした声。


ヴァレルが眉を寄せる。


レヴィアナは、その白髪を静かに見つめていた。


黒髪の悪魔。


そう呼ばれた少年の髪は、もう白かった。


まるで。


戦場へ全部置いてきたみたいに。

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