お兄様の願い
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「お嬢様、パークス様がお見えです」
扉越しから聞こえる婆やの言葉に、手のひらの血を拭ってからこの寝室の唯一の出入り口である扉へと向かう。
扉を抜けた先……隣室は、『メルリス』用の応接間だ。
さっと視線を滑らせると、そこには私の見張り役の使用人が三人並んでいる。
流石に寝室での常時の監視はどうかということで、通常ばあやと見張り役の使用人たちはこの部屋で待機しているのだ。
結局唯一の出入り口の先と窓の外を抑えられている以上、寝室にいようが逃げ出さないか見張られ続けていることには変わりがないのだが。
廊下へと続く応接間の出口近くに佇む婆やに視線で了承すると、ばあやが内側から扉を開いた。
「……久しぶりだね、メリー」
「お元気そうで、何よりです。学園はいかがですか?」
「楽しませてもらっているよ。メリーは……少し、顔色が悪いね」
お兄様の言葉に、そっと顔を伏せた。
今更取り繕っても、仕方のないことだが。
「……話は、聞いている」
「そうでしょうね」
苛立ちを抑えるように、思わず笑った。
「あと、見合いまで三日か。……まだ、逃げ出したいか?」
相手がお兄様だからこそ、その問いには素直に頷くことはできない。
「逆に伺いますが……何故、お父様は急に私の見合いを決めたのでしょうか」
「その真意は、私も知らない。……けれども、余程の理由があるのだとは思っている」
「……アンダーソン侯爵家のため、ですか」
「さあ、断言はできないけれども……多分そうじゃないと思うよ」
「なら、一体……」
「それは、分からない。あくまで、私の憶測だからね。……けれども今までの父上の言動から、メリーよりもアンダーソン侯爵家を取るとは私には思えないんだ」
ジッと真意を問うように、お兄様の表情を伺い見る。
その視線に、お兄様は微笑みを浮かべつつ強いそれを返してくれた。
「メリーの剣の才を誰よりも認め、誇りに思っていたのは、父上だ。……だからこそ、今回のこの行動にはそれなりの理由があるのだと私は思っている」
その言葉を、頭の中で反芻する。
「……何らかの理由があるのだとしても、その理由を私が知らなければ意味はないでしょう?現に、私は全く納得していません」
尤も、理由を聞いたところで簡単には納得できないだろう。
「……そういえば、お兄様。最近、私は暇で暇で本を読んでいるんですよ」
突然変わった話の内容に、お兄様は一瞬戸惑いを見せた。
「その中で、一冊興味深い本がございましたの。主人公はとある村の村長の娘なのですが、幼い頃から針子の真似事をしていて、次第にドレスデザイナーになり店を持つことを夢みるようになりますの。その過程で知り合った商人と恋に落ち結婚しようとしたところ、村のためになるような別の縁談を勧めていた親に反対されまして。結局主人公はその商人と駆け落ちをし、別の国でデザイナーとして成功する話ですわ。お兄様はこの物語について、どう思われますか?」
私が口に出した物語は、実在するものである。
貴族の子女が読むようなものではないかもしれないが、『女性らしさを養ってほしい』との思惑で、巷で流行しているものを手当たり次第集められた結果混ざっていたものだった。
「なるほど……女の子が好きそうな物語だね」
私の問いかけに、お兄様は苦笑を漏らした。
「率直に言うのであれば、自分の人生なのだから、どのような道を選択しても良いと思うよ。その選択に、『覚悟と誠意』があるのならば」
「……『覚悟と誠意』、ですか」
胸に響いたその言葉を、つい口にする。
……『覚悟と誠意』それは、私の戦いの信条。
殺される覚悟と、殺す覚悟。
そして……取り戻すことが叶わぬからこそ、犠牲になった者たちを忘れぬ誠意。
自分の中に通じるものがあるからこそ、お兄様の言葉は重く胸に響いた。
「そうだよ。主人公は望むとも望まざるとも、村を治める家に生まれていたんだ。村の描写が無い分当てはまるか分からないが……その家に生まれたということは、それなりに村の中でも生活面で優遇されていたのではないか? 仮にそうだとしたら、それは将来村の発展のために身を捧げるという義務があるからこその対価なのだろう。それらを、そこまで積み上げられてきたものを全て捨て去るならば、自ら選んだ選択には責任を持たなければならないだろう。そして、その犠牲になったものを忘れぬ誠意も。……それらを持たずして道を選択しようとすることは、子どもの我儘以下……論外だろう」
「犠牲とは、また面白い表現をなさいますね」
「そうか? ……人は、何かを得るには何かを犠牲にしなければならない。犠牲を出さずにして得ることを最初から諦めるのは愚行だが……かと言って、どうしようもないことがあるのが世の常だ。その物語で言うのであれば、家族との絆、村人たちが払ってきた対価、そしてそれから相手の商人の未来」
「……相手の商人の未来、ですか?」
「そうだよ。その主人公を選ぶのに商人だとて当然何らかの犠牲は払っているだろうさ。主人公と同じように。例えば……大店の跡取りであれば、同じように婚約者がいた可能性がある。その婚約を蹴って、主人公と手を取り合ったのであれば、継ぐはずだった店には戻れないだろうね。他にも……新天地に向かったのであれば、それまで築き上げてきた商人として必要な人脈を失ったかもしれない。まあ、全てメルからの話で考えた憶測だから、実際どういう設定なのかは分からないが」
お兄様の言葉には少なからず衝撃を私に与えた。
これまで、自らの行動への責任は自分が持てば良いことだと思っていた。
けれども、確かに……アンダーソン侯爵家から逃げ出した私が、仮に彼と思いを通じ合わせることができたとしても、彼の重荷にしかならない。
それだけ、アンダーソン侯爵家の名は大きいのだから。
果たして……理想を掲げその理想に到達すべく努力をしている彼の枷となることを、私は許容できるのか。
……答えは、否だ。
だって、私は知っている。
その口から語られたそれを、聞いたのだから。
どれだけ彼が時を費やして、自らの責務を全うし目標へと邁進しているかを。
それなのに、他ならぬ私がその道を閉ざさせるのか。
それは……それだけは嫌だ。
「……メリー?」
黙って眉間にシワを寄せる私に、心配げにお兄様が問いかけてきた。
「なんでもありません。少し、考え事をしておりました」
「そうか……?」
「はい」
納得していなさそうながらも、固く口を閉ざした私にそれ以上の問いかけは無駄だと察したようだ。
「……お前が、どのような道を選んだとしても私は責めまいよ」
問いかけの代わりに呟かれたそれに、私はハッと顔を上げる。
「けれども、後悔だけはしてくれるな。自分が誇れぬ自分にだけは、なるな。それらに反した時始めて……それまで培ってきたもの全てを捨て去ることになるのだと、私は思うよ」
「お兄様……」
「お前が武の道を邁進している姿は、私にはとても輝いて見えた。きっと、お前の中に確固とした芯があるからなのだろうな。私はそんなお前の姿に、ずっと憧れを抱いていたよ」
意外な言葉に、咄嗟に反応ができなかった。
ただ、ポカンと馬鹿みたいに口を開いているだけ。
「当たり前だろう? 一応、これでも私は武の名門のアンダーソン侯爵家の跡取りだぞ?お前の才に憧れない訳がない」
知らなかった。……そんな風に、お兄様が私のことを思っていたなんて。
「お兄様は……その、侯爵家を継ぐことを重荷に感じたことはないですか? 放り出したいと、逃げ出して……自分の興味のあること、例えば軍の戦略立案に携わるような職に就きたいと思ったことはないのですか?」
「……ない、と言ったら嘘になるな」
私の問いに、お兄様は苦笑を漏らした。
「けれども、本気でそう思ったこともないな。……私はやがて大きな責務をこの身に背負う。けれどもそれは逆に、それだけ大きな権限を持つことができるということだ。私はもう二度とあのような形で大切なモノを失いたくないし、それを他の者にも味あわせたくない。その願いが少しでも形になるように動くならば、権限が大きくて悪いことはないだろう?」
……同じだった。
お兄様の願いは、私のずっと胸に抱いてきたそれと。
ふと、胸に言いようのない後悔が過る。
私は、突然道を阻まれた衝撃から夢に固執して……視野が狭くなっていたのではないかと。
そもそも、私の根底にある願いを忘れていたのではないか……と。
『例えば……そうだな。そもそも、お前は何で国軍に入ろうと志した? まずは、そこから考えてみろ。広い視点で、自分のことを振り返る良い機会なんじゃないか?国軍に入るのは目的だったのか、それとも、手段だったのか』
……そうね、そうだったわね。
そんな風に、過去の彼の言葉に応えるように独り言を内心呟く。
「ありがとうございます、お兄様」
唐突な私の礼に、お兄様はそっと手を伸ばして私の頭を撫でた。
久しぶりのその感触に、胸が温かくなった心地がする。
「……さっき言った言葉は、嘘じゃない。私はお前がどのような道を選ぼうとも、お前が後悔しないのであればそれで良いと思っているよ」
そう言い残して、お兄様は部屋を退出された。




