第8話 怖がらない人、怖がられない人
王立学院の入学式の朝は、よく晴れていた。
校門の前で馬車を降りると、白い石造りの校舎が朝日を受けて輝いていた。
尖塔の並ぶ姿は、どこか王宮を思わせる。
馬車を降りて門をくぐっていく新入生たちは、みな白色の制服に紺の刺繍の入った襟章をつけていた。
「忘れ物はないか」
「ない」
「髪留めは」
「つけてる」
「ハンカチは」
「お父様、もう私十六歳だよ」
馬車の窓越しに、ベルファルグはまだ何か言いたそうだった。
結局、「……無理はするな」とだけ言って、名残惜しそうに馬車を出させた。
ミラースト公爵家の紋章入りの馬車から、まさか公爵本人が顔を出したとあって、学院前はすでに少々騒がしかった。
しかし、ルシェルは特に気にすることもなく、校門をくぐった。
ルシェルは最近、ベルファルグにはどうやら過保護の気があると感じていた。
わざわざ公爵自ら娘の入学式に出向いてくるだなんて。
家族が見送りに来ている者などどこにもいない。
公爵という立場は実は相当暇なんじゃないだろうかとさえルシェルは思い始めていた。
――お父様もそろそろ子離れするべきだな。帰ったらそれとなく伝えようか。
* * *
入学式は豪華で煌びやかな講堂で行われた。
国内有数の貴族子女たちが集まり、さらには他国の貴族子女たちまで集まっている。
その様子は、まるで小さなパーティーのよう。
ルシェルは後方の端へ陣取り、教師の長い挨拶を半分聞き流していた。
「続きまして、新入生代表挨拶。レオナルド・アインハルト殿下」
講堂が、一瞬ざわめいた。
壇上に上がったのは、プラチナブロンドの髪に、ルシェルと同じ紫の瞳の青年だった。
すらりと背が伸びた立ち姿には、もう幼さの欠片も残っていなかった。
ここミレアレイス王立学院では代々、入学式の新入生代表挨拶というのは、身分が一番高い者が務めるが務める伝統があるのだとか。
学院内では身分の差はなく、皆が平等な立場で学べると聞いていたが、とはいえここにも小さな貴族社会は形成されていた。
そんな中、ルシェルは心底助かったと胸をなでおろしていた。
この代にもし『彼』がいなかったのならば、今年の新入生代表挨拶は自分になっていたかもしれないからだ。
それだけ、ミラースト公爵家の家格がこの国で高いということは、ルシェルも既に理解していた。
「この王立学院で、僕たちは、多くのことを学ぶでしょう。知識だけでなく、立場を越えて語り合える友人も――」
堂々とした、よく通る声だった。
壇上から、レオナルドの視線が、ふっと会場を巡る。
そして、後方の端で止まった。
ほんの一瞬、彼は、小さく微笑んだ。
「……今、殿下、こちらを見ませんでした?」
「やっぱり、あの噂は本当なのね」
「ミラースト公爵令嬢があちらにいらっしゃるのでは?」
「いらっしゃいましたわ。ほら、あそこ……」
ひそひそと周囲が囁きあう。
数々の視線が、後方にひっそり陣取っていたルシェルへと集まる。
けれどルシェルは、そんな視線には全く気にも留めなかった。
――代表挨拶、よく噛まないな。
ただ、そう感心していただけだった。
* * *
教室は、貴族の子女ばかりが集まる広い部屋だった。
席は自由。
ルシェルは、窓際の後ろの席を選んだ。
日当たりが良くて、静かに本が読みやすそうだったからだ。
「あの……すみません!」
隣の席に、一人の少女が勢いよく座った。
栗色のくせ毛を、二つに結んでいる。
大きな瞳が、きらきらと好奇心に満ちていた。
「ミラースト公爵令嬢、ですよね? 私、キセラ・クレアセントといいます! 男爵家の、えっと、末っ子で」
「ルシェル・ミラーストですわ。よろしくお願いいたします」
本来、貴族社会では公の場において身分の低い者から高い者へ勝手に話しかけるのは、本来重大なマナー違反とされている。
しかし、一応、この学院内ではみな平等な立場で学び生活することが許されていた。
なので、この場において彼女の行いが公に咎められることはない。
とはいえ、みな平等と言っても、やはりここでも小さな貴族社会が形成されているわけで。
さすがに相手が王族や公爵令嬢ともなれば、誰もが話しかけることを躊躇ってしまう。
そんな中で、彼女キセラは勇気を持ってルシェルに声をかけてくれたのだ。
「あの、失礼なことを聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「魔法が使えないって、本当ですか?」
前置きも遠慮も、何もなかった。
周りの生徒たちが、一斉に息を呑む気配がした。
けれど、ルシェルはむしろ少し感心した。
――回りくどくなくていいな。
「本当のことですわ」
「わあ、すごい! 堂々と言うんですね!」
「事実ですから。隠しても仕方がありません」
「かっこいい……!」
「……かっこいい?」
キセラは目を輝かせて、身を乗り出した。
あまりにも、悪意のない反応だった。
ルシェルは、少し、返答に困った。
「実は、私は、逆なんです」
「逆?」
「魔力はすごくたくさんあるって言われるんですけど、制御が下手で……。昨日も、実家の台所を半分吹き飛ばしちゃって」
キセラの言葉で、ルシェルの目が意味ありげに細められる。
「だから、先生たちも私のこと危険物扱いなんです」
キセラはどこか悲しそうに「へへ……」と笑った。
ルシェルは、そこで初めて本気で身を乗り出したのである。
「台所は、どんなふうに?」
「え?」
「吹き飛んだとき。魔力はどの方向に、どのくらいの速さで広がりました? 発動の直前に、何か感じました?」
「え、え、えっと……」
「興味があります。もしよろしければ教えてくださいな」
キセラは、ぱちぱちと瞬きをした。
それから、ぱあっと顔を輝かせた。
「私のこと怖がらない人、初めて会いました!」
「怖い? 面白くはありますが、怖くなんてありませんわ」
ルシェルの本心だった。
「……ルシェル様、変わってるって言われませんか?」
「……さあ、どうでしょう。たまに言われなくもないですが」
その日、ルシェルはレオナルドに次いで二人目の友達ができることとなったのだった。
――強大な魔力を持ち、しかしそれを制御しきれない娘か……。素直そうだし、扱いやすそうだ……うまく関わればもっと魔力や魔法について知れるかもしれない。
しかし、未だ”友人”というものを理解していないルシェルは、静かにそんなことをぼんやりと考えていたのだった。
* * *
昼休み。
ルシェルは、誰と関わることもなく真っ先に図書館へ向かった。
学院の図書館は、王宮の書庫に匹敵するほど広かった。
吹き抜けの天井。
三層に重なる書架。
ガラス窓から降り注ぐ光。
「……これなら三年間飽きはしなさそうだ」
思わず、声が漏れた。
そのとき、背後から聞き慣れた声がした。
「やっと来た」
振り向くと、レオナルドが本を抱えて立っていた。
制服姿の彼は、手紙の中の彼より、少しだけ大人びて見えた。
「昨日は眠れましたか?」
「眠れなかったよ」
「……相変わらず子供みたいな人ですね」
「だって、これからルシェルと毎日会って同じ場所で学べるって考えたら楽しみすぎて寝られなかったんだ」
目をキラキラと輝かせながらレオナルドが話すと、ルシェルは呆れた様子でため息をこぼす。
そんなルシェルの態度を見て、レオナルドは堪えきれないように笑った。
そのレオナルドの雰囲気は、朝の代表挨拶の時とは大きく違っていた。
ルシェルの前ではただの十六歳の男の子になってしまうレオナルドは、ああいった場面ではしっかり王子様然とした振る舞いを見せるのだ。その様子には、ルシェルも流石だと感心していた。
「代表挨拶、見てた?」
「見てましたよ。噛まずにあれだけ話せるなんて流石ですね」
「え、感想そこなの?」
「……他に何か重要な点でもありました?」
「……いや。君らしいなって」
レオナルドは、嬉しそうに目を細めた。
周囲の生徒たちが、遠巻きにこちらをちらちらと見ている。
ルシェルは気にせず、すでに本の背表紙に視線を移していた。
やがて、書庫の奥。
一番隅へ歩いていくと、重々しい鉄の扉が目に入った。
扉には、古い錠前がかかっている。
『立入禁止』と、札が下がっていた。
「……あの扉の向こう、何があるんですか?」
「なんでも、貴重な古い蔵書が保管されているらしい」
「入れないんですか?」
「許可がないと、ね。僕でも無理なんだ」
この国の王子でも、入れない。
ルシェルは、その言葉に小さく眉を寄せた。
――わざわざ仰々しい鍵をつけ、そのうえ魔法まで施して簡単には開けられないようにしている。これは、この奥にはなにか面白そうなものが眠っているに違いない。
鉄の扉の向こうへ視線をずらし、ルシェルは密かに笑みを浮かべた。
――隠されると見たくなるのが人間の性だ。
「……ルシェル?」
「……いえ。何でもありません」
不思議そうにこちらを見つめるレオナルドの声で、ルシェルはようやく扉から視線を外した。
けれど、頭の片隅にその鉄の扉の姿がいつまでも残っていた。
「そうだ。君のところのクラスはどうだった?」
「どう、というのは?」
「仲のいい友人と同じクラスだったとか、あるだろう?」
「ああ……そういうことであれば、特になにもありませんね。そもそも仲のいい貴族子女も特にいませんから」
互いに興味のある本を手に取り、日当たりのいい一角に二人並んで席に着く。
ルシェルはすぐに本を開き、レオナルドに視線を向けることなく片手間のようにレオナルドからの問いに答えた。
「いつかのパーティーでも言ってたな。特に仲のいい者はいないって」
「ええ、まあ」
「友人が欲しいとか、寂しいとか君は思ったりしないのか?」
「そうですね。一人でいることに特別なにか思うことはありませんね」
そもそも、ルシェルは一人でいることに慣れきっていた。
今の状況のほうがむしろ珍しく、前世では周りに誰もいないことのほうが当たり前だった。
皆、ルシェルの力を恐れて距離を置き、誰もルシェルと本音で話そうとも議論しようともしなかった。
間違っていることを間違っていると正してくれる者もいなかった。
前世のあの日、彼女を倒しにヒーローが現れるまでは。
「まあ、僕としてはこうして君との時間を独り占めできるから幸福でもあるんだけどさ」
隣でなにやらボソッとつぶやいたレオナルド。
その言葉はしっかりとルシェルにも届いていたし聞こえてはいたが、ルシェルは聞こえていないふりをして、ふと本を開く自分の手へと視線を向けた。
――怖がらない人と初めて出会った、か……。
先ほどのキセラとの会話を思い出し、そういえば、とルシェルはレオナルドと出会った日のことを思い出す。
王城の書庫で力を使っていたところを見られてしまったあの日。
『気のせい』ということでレオナルドに押し通したあの日。
レオナルドはルシェルの力をみても、怖がることはしなかった。
むしろ、心底不思議そうに、どこか興味をもったような様子でルシェルを見つめていた。
さらには、それからもルシェルを恐れることも気持ち悪がることもなく、ずっと今日まで隣にいてくれている。
僅かに顔を上げ、ルシェルは手元に落としていた視線をレオナルドへと向けた。
書庫へと差し込む陽の光に照らされて、レオナルドのプラチナブロンドの髪がキラキラと輝いている。
色素の薄い髪色に、真っ白な肌。
そして、自分と同じ紫色の瞳。
改めて見ると、随分と整った顔立ちをしているな、とルシェルは今更過ぎる感想を思い浮かべた。
「……ルシェル?」
しばらくじっと見つめていれば、ようやく見つめられていることに気が付いたレオナルドが顔を上げる。
同じ紫色の瞳が、ルシェルを捉えた。
――私の冷たい目とは全然違うな。同じ色……だけど、こうも違って見えるのか。
そういえば、前世での人生でしっかりと目を合わせて話した人間は、何人いただろうか。
そんなことをぼんやり考えながら、ルシェルはレオナルドの瞳を見つめ返した。
「一人でいることに思うことはありませんが、殿下といるのは苦ではありませんし、友人と過ごすのも存外悪くはありませんね」
「……そう。そっか……」
ルシェルの言葉に呆気にとられたレオナルドではあったが、一瞬だけ悲しそうに表情を曇らせたのち、すぐにやさしく微笑んだ。
「僕といる時間が悪くないのであれば、よかったよ。これからも学院にいる三年間、こうして一緒に本を読んで過ごそう」
「それは実に有意義な三年間になりそうですね」
レオナルドからの誘いに、ルシェルもふんわり微笑んで返すのであった。




