第6話 気のせいですわ
お茶会の朝。
ルシェルの部屋の前には、ドレスがずらりと並んでいた。
すべて、今日のお茶会のために、侍女たちからサイズや似合いそうな色合いなど下調べをした上で、ベルファルグ自ら手配したものだった。
「こちらの淡い青か、こちらの薄紫か……いや、やはりこちらの白も捨てがたい」
ドレスを両手に持って、真剣な顔で悩んでいるのは、公爵家当主のベルファルグだった。
侍女たちは、微笑ましそうに、けれど口を挟まずに見守っている。
あれやこれや様々なドレスを合わせられ、ルシェルはげんなりした表情で天を仰いでいた。
「お父様」
「なんだ?」
「どれでもいいんだけど」
「どれでもよくない」
即答だった。
ルシェルの目は完全に虚空を見つめてしまっていた。
「王宮は、人の目が多い。初めて公の場に出るのだから、一番似合うものを――」
「ポケットがあるのは、どれ?」
「ポケット?」
「本が入るかどうか」
ベルファルグは、一瞬、固まった。
それから、肩を揺らして笑い出した。
「……淡い青のドレスに、小さなポケットがついていたはずだが」
「じゃあ、それ」
「さすがに本は入らないだろうな……」
「……動きやすいならなんでもいいや」
淡い青のドレスに、白いリボン。
黒い髪を丁寧に梳かされ、仕上げに、淡い色の髪飾りが挿される。
鏡の中の自分を、ルシェルは、ぼんやりと眺めた。
「……似合っているぞ」
ベルファルグが言った。
「そう」
「本当だ」
「……ありがとう」
そのとき、扉の陰から、視線を感じた。
リディアだった。
小さな顔が、半分だけのぞいている。
「……お父様。わたしも行きたい」
「リディアには、まだ早い。早くても来年だ。そのときは連れていこう」
「……ふんだ」
リディアは、ぷいと顔を背け、廊下の向こうへ走っていった。
* * *
馬車の中。
向かいの席で、ベルファルグが、そっと口を開いた。
「ルシェル。もう一度だけ、言っておく」
「力のこと?」
「ああ。使いそうになったら、まず深呼吸だ」
「分かった。努力する」
「それと、もし使ってしまったときは、隠さずにすぐ私に言いなさい。怒らないから」
「……報告すればいいの?」
「ああ。それでいい」
努力する、とは言ったものの。
前世から付き合っているこの力を、今更制御できないわけがない。
とはいえ、三歳から目覚めた能力という説明をしているため、そんなこと言えるわけもなく。
ルシェルは素直にベルファルグとの約束に頷いて見せるのだった。
それにしたって、貴族というのは礼儀作法だとかダンスだとかお茶会だとか。
毎日やることが多いものだと、ルシェルはほとほと疲れ果てていた。
ルシェルとしては、せっかく魔法理論や貴重な本に目を通せるいい身分だと考えていたのだが、どうもそうやすやすと自由にはさせてもらえないらしい。
馬車の窓から外を眺めながら、ルシェルは小さくため息を吐く。
――こんな事よりも、もっと魔力について研究を進めていきたいんだけどな……。
しかし、そうこうしているうちに馬車の窓から、王宮が見えてきてしまった。
白い石造りの、巨大な建物。
尖塔が、空に突き刺さるように並んでいる。
公爵家の屋敷も大きいと思っていたが、桁が違う。
「……大きい」
「この国の中心だからな」
「書庫は、どのくらい大きいの?」
「……お茶会の前に、そればかり聞くな」
* * *
王宮の庭園には、白いテーブルがいくつも並んでいた。
花の香り。
紅茶の香り。
焼き菓子の甘い匂い。
着飾った同年代ほどの子供たちが、数十人ほど。
そのそばには、それぞれの親が控えている。
「ベルファルグ・ミラースト公爵。よく来てくださいました」
現れたのは、淡い色のドレスをまとった、美しい金髪に空色の瞳をした優雅な女性だった。
家庭教師から事前に教わっていた人物だ。
そう、この国の王妃様である。
ベルファルグが、深く礼をする。
ルシェルも、教えられた通りに、完璧な礼をした。
「……まあ」
王妃は、ルシェルの顔を見て、ほんの少し目を細めた。
「公爵と同じ、紫の瞳なのね。とても素晴らしいわ。それに、こんなに可愛らしいお嬢さんだったなんて」
「ありがとうございます」
「今日は、ゆっくり楽しんでいってね」
「はい」
王妃は微笑んで、別の客のところへ去っていった。
ベルファルグは、大人たちの席へ向かう前に、ルシェルの肩に手を置いた。
「私は向こうにいる。何かあれば、すぐに呼びなさい」
「うん」
そして、ルシェルは一人になった。
周りを見回す。
子供たちは、いくつかのグループに分かれて、楽しそうに話している。
ルシェルは、どのグループにも入らなかった。
正直、入り方が分からなかったし、グループに入るよりもルシェルの頭の中では何よりも書庫を見たいという欲望でいっぱいだった。
そのとき、ひそひそ声が聞こえた。
「あの子が、公爵様が隣国から連れてこられたっていう……」
「魔法が、使えないんですって」
「まあ。公爵家の娘なのに?」
「でも、あの瞳ごらんになりまして?あの紫の瞳……間違いなく『王族の瞳』ですわ」
聞こえている。
けれど、ルシェルは、特に何も思わなかった。
事実だからだ。
だが、事実ではあるものの、どこからその情報が漏れているのかは気になるところだった。
何故なら、ルシェルが魔法を使えないことはルシェルの家族や家庭教師、使用人たちは知っていることではあるが、確かベルファルグが全員に口止めをしていたはずなのだ。
なのに、ここまで情報が漏れているとなると、家の中に口を滑らした者がいるということ。
ルシェル自身はあまり気にしていないことではあるものの、ベルファルグがこのことを知れば間違いなく問題にはなるだろう。
「ねえ、あなた」
お茶会とは関係のないことへ思考をめぐらせていたところ、ルシェルは不意に声をかけられた。
振り向くと、金茶色の巻き髪の背の小さな少女が、数人の取り巻きを連れて立っていた。
赤いリボン。
つんと上げた顎。
「魔法が使えないって、本当ですの?」
唐突に声をかけてきた少女。
貴族の礼儀作法を学んだ際、家格が上の者へ下の者から直接話しかけないというのが大原則だと教わっていたルシェル。
ルシェルは少女の名前も家名も知らないが、今日、このお茶会にルシェル以上の、ミラースト公爵家以上の家格の者は、王族以外にいないと事前に聞いていたはず。
なのに、突如として話しかけてきた少女。
ルシェルの頭の中では、聞いていなかっただけでもしかして今日は他国の王族が来ていたり、知らない王族の女児が居たのだろうかと考えを巡らせていた。
そして、ルシェルは静かに何も言わずにじっと少女を見つめ、目に僅かに力を込めた。
「沈黙は肯定と捉えますわよ」
――侯爵家の私より目立つなんて許せませんわ……!『王族の瞳』を持ってるからって調子になんて乗らせないんだから!
頭の中に聞こえてきたのは、少女が実際に口にしたのとは全く違う言葉。
ベルファルグには言っていない、ルシェルの能力のうちのひとつ。
お茶会の直前に能力は使うなと約束させられているものの、ベルファルグに見つかっているのは念動のみ。
つまり、この心を読む能力はまだ見つかっていない能力のため、この能力を使うなとは約束していない。
約束していないものは使用を制限される言われはない。
そう考え、ルシェルは惜しむことなく、黙って能力を使っていた。
「貴族として、魔法のひとつも使えないだなんて……貴女に公爵家の娘を名乗る資格があると本気でお思いで?」
「……名乗るもなにも。お父様が私を娘と呼ぶのですもの。私が勝手に名乗ってるわけではありませんわ」
普段話す話し方ではなく、貴族令嬢として学んだ話し方でルシェルも言葉を返す。
すると、言い返されると思っていなかった少女の眉が、ぴくりと動く。
「恥ずかしいとは思いませんの? 貴族なのに、魔法が使えないなんて」
「恥ずかしい?」
ルシェルは、本気で首を傾げた。
「魔力がないのは背が低いのと同じで、私にはどうにもできませんもの。だから、恥ずかしいと思う理由なんてありませんわ」
「…………」
「それともあなたは、背が低いと恥ずかしいのかしら?」
少女は、絶句した。
取り巻きの一人が、小さく吹き出した。
「そ、そういうことじゃなくて……!」
「あら……じゃあ、どういうことでして?」
「だから……!」
「ごめんなさいね、よく分かりませんわ」
思わず言葉を返してしまったが、ルシェルはこれは絶好のチャンスだと閃いた。
「ただ……せっかくのお茶会だというのに、私がいたら皆様気持ちが落ち着かないご様子……私は一度、席を外した方が良いかしら」
ルシェルは少し悲しそうに視線を落とし、考え込むような素振りを見せる。
そして、目の前で少女が口をぱくぱくさせたまま、何も言えなくなっているのを尻目に、ルシェルはそっとその場を離れた。
結局、遠くのベルファルグの元へ駆け寄り、ルシェルは申し訳なさそうにベルファルグを見上げて言った。
「お父様、どうやら魔力のない私がいると、皆様お茶会を楽しめないようですわ」
「なに……?」
ルシェルの言葉を聞いたベルファルグの目が、一気に釣り上がる。
ついさっきまでベルファルグと話していたらしい大人たちは、そんなベルファルグの様子を見て一気に顔色を悪くさせた。
しかしそんなことは気にせず、ルシェルは続ける。
「せっかくのお茶会に水をさしてはいけませんし、私は今回は少し席を外すことにいたしますわ」
「分かった。ならば、もうここに居る必要はない。私も一緒に帰、」
「お父様はお仕事などの積もる話もおありでしょう……?私のことなら心配いりませんわ。どこか静かで落ち着ける場所でお父様のお話が終わるまで待っていますわ」
外面良くふんわりと微笑んだルシェル。
ベルファルグは今にもルシェルを連れて帰りたい気持ちに駆られていたものの、ルシェルがここまで言ってくれてはすぐに帰ることもできない。
そのため、ベルファルグは渋々納得し、うまく理由をつけて王妃にルシェルを王城の書庫で休ませてやれないか交渉までしてくれた。
そして、ルシェルは面倒なお茶会を抜け出し、書庫でゆっくり本を読める時間を勝ち取ったのである。
* * *
王城の侍従に案内され、扉が開いた瞬間。
ルシェルは、息を呑んだ。
天井まで届く、本棚。
梯子が、いくつも立てかけられている。
高い窓から、柔らかい光が、床に落ちていた。
紙とインクと、古い革の匂い。
「……すごい」
思わず、声が漏れた。
侍従は、「後ほどお迎えに参ります」と頭を下げて、扉を閉めて去った。
ルシェルは、棚の間を歩く。
歴史。
法律。
地理。
魔法理論。
古代語。
背表紙を眺めているだけで、胸の奥が、ふわふわした。
――これが、楽しい、ということなのだろう。
やがて、一冊の本が目に留まる。
高い棚の、一番上。
『星辰と物質の理』。
読みたい。
けれど、手が届かない。
その棚の近くには、梯子がなかった。
台もない。
――力を使って動かせば、すぐなのに。
手が、持ち上がりかけた。
そのとき、父の声が、頭の中で響いた。
――使いそうになったら、まず深呼吸だ。
「…………」
ルシェルは、持ち上げかけた手を下ろした。
面倒ではあるが、梯子を探すことにしたのだ。
梯子を探すため、ルシェルは書庫の奥へ歩いた。
やっと見つけた梯子を、なんとかずるずると少しずつ引きずって、棚の前に立てる。
一段。二段。三段。
慎重に階段を上がっていく。
そして、やっとお目当ての本の段までたどり着き、ルシェルは本に向かって手を伸ばす。
指先が、本の背に触れた。
引き抜く。
その拍子に、本が、ぐらりと傾いた。
「あ」
重い。
本が、手から滑る。
落ちる。
――止まれ。
身体が、勝手に動いた。
落ちかけた本が、空中で、ぴたりと止まった。
ルシェルは、はっとして、力を抜いた。
本は、ごとん、と音を立てて、床に落ちた。
「……あ」
やってしまった。
ルシェルは梯子から降りて、本を拾い上げようとして――そこで、気づく。
「いま、本が、浮いた」
声がした。
書庫の奥。
窓際の、大きなクッションの上。
一人の少年が、本を膝に乗せて、こちらを見ていた。
プラチナブロンドの髪。
柔らかな光を受けて、淡く光っている。
そして、紫色の瞳。
ルシェルと、同じ色。
ルシェルは瞬時にそれが王族だと理解した。
この国における紫色の瞳は、いわゆる『王族の瞳』と呼ばれるもの。
王族か王族の血を引く直系にしか現れないとされる色なのだ。
現在、この国の中で紫色の瞳を持つのは王族とミラースト公爵家の二家のみ。
そのため、ルシェルは消去法で彼が王族であると理解したのである。
「……気のせいですわ」
ルシェルは、反射的に答えた。
「そう、かな」
少年は、本を閉じて、立ち上がった。
ゆっくりと、近づいてくる。
怖がっている様子はなかった。
むしろ、目が、きらきらしていた。
近づいてくると余計にはっきり分かる、少年のガラス細工のように繊細に整った容姿。
彼のことを、ルシェルは事前に聞いていた情報で知っていた。
――この少年が紫の瞳を持つ、王太子である第一王子か。
「……でも、見えたよ。本が、空中で止まった」
「…………」
「あれは、魔法?」
「気のせいですわ」
「そんなはずは無い。この目でしっかり見たんだ」
「……さあ。私には何のことかわかりませんわ」
とにかく素直に話すつもりはなかったので、ルシェルは気のせいだと貫き通す。
少年は、じっとルシェルを見つめた。
それから、ふっと、笑った。
「君が、気のせいだと言うなら、そういうことにしておくよ」
「ええ、是非そうしてくださいまし」
「うん。誰にも、言わない」
「…………」
「言いたくなさそうだからね」
ルシェルは、瞬きをした。
この少年は、理由を聞かない。
ただ、私が嫌がっているから、言わないと言う。
――変な子だ。
「僕は、レオナルド」
少年は、胸に手を当てて、きちんと礼をした。
「レオナルド・アインハルト。この国の……王子、ということに、なっているよ」
「存じておりますわ」
「……あれ、驚かないの?」
レオナルドは、目を丸くした。
それから、おずおずと聞いた。
しかし、ルシェルはなんでもないような表情で首を傾げた。
「驚く?」
「僕が、王子だって」
「なぜ驚きますの?」
しばらく、沈黙があった。
それから。
「……ふ、はは」
レオナルドは、堪えきれないように、笑い出した。
子供らしい、屈託のない笑顔だった。
「君、おもしろいね」
「……私、いまなにか面白いこと言いましたかしら」
彼は、嬉しそうに笑っていた。
ルシェルは、レオナルドの行動を不可解に感じながらも、その表情をじっと見つめた。
「そうだ。この本を読みたかったんだよね」
嬉しそうに笑っていたレオナルドは、足元に落ちている本を見て、慌てて拾って手渡してくれた。
「『星辰と物質の理』……すごいな。これを読むんだ?」
「星と物質が、どう関係するのか知りたいのです」
「僕も、読みかけなんだ。……第三章が、難しくて」
「第三章は、前提の定義が曖昧ですから……第二章の注釈を先に読めば、内容が分かりますわ」
「え」
レオナルドの目が、大きくなる。
「……教えて、くれる?」
「…………」
純粋に見つめてくるレオナルドに、ルシェルは少し考えて、提案に頷いた。
そうして二人は、窓際のクッションに並んで座った。
一冊の本を、二人で覗き込む。
ルシェルは、思いつくままに説明した。
レオナルドは、時々、質問を返す。
その質問が、また、的確だった。
――この子は、頭がいい。
ルシェルは、素直に、そう思った。
この年頃で、こんなふうに話が通じる相手は、初めてだった。
* * *
その横顔を、レオナルドは、ずっと見ていた。
黒い髪。
紫の瞳。
真剣に本を読む横顔。
光が差し込んで、睫毛が、金色に透けている。
――きれいだ。
そう思った。
それが、顔のことなのか、瞳のことなのか、本を読む姿のことなのか、自分でも、分からなかった。
ただ、胸の奥が、とくん、と、小さく鳴った。
周りの大人は、みんな自分を「王太子殿下」と呼ぶ。
同じ年頃の子供たちは、機嫌を取ろうとするか、遠巻きにするか。
誰も、「レオナルド」を、見てくれない。
でも、この子は。
王子だと聞いても、態度に変化がなかった。
口調こそ貴族令嬢のそれで丁寧だが、まるで王子の自分になんか興味の欠片もないといった様子で、ルシェルは淡々と話していたのだ。
こんな人が、いるなんて。
――もっと、話したい。
――この子のことが、知りたい。
それは、生まれて初めて抱いた、強い気持ちだった。
* * *
扉が叩かれた。
「ルシェル様。そろそろ、お時間です」
侍従だった。
ルシェルは、本を閉じる。
「あら、もうそんなお時間なのね。もう戻らなくては」
「あ……」
レオナルドは、慌てて立ち上がった。
「ルシェル。……僕と、友達になってくれない?」
「友達?」
「うん」
ルシェルは、少し考えた。
「……友達って、どういうものなのでしょう?」
レオナルドは、きょとんとして。
それから、恥ずかしそうに笑った。
「分からない。僕にも、いないから」
「…………」
「でも、本で読んだんだ。友達は、秘密を守ってくれるものだって」
「秘密……」
「もちろん、僕も君の秘密を守るよ」
ルシェルは、父の言葉を思い出した。
――これから、一緒に見つけていこう。
「そういえばお父様が言っていた言葉なのですが、分からないことは、一緒に見つけていけばいいって仰ってくれたんです」
「……うん」
「……友達。私はよく分かりませんが、貴方となら友達というものが分かるかもしれませんわね」
「それは……友達になってくれるってこと?本当に?」
「私で宜しければ」
レオナルドの顔が、ぱっと明るくなった。
それから、近くの机に積んであった本の中から、一冊を抜き取る。
「これ、貸すよ。『星の名前の由来』。読み終わったら、感想を、手紙で教えてほしい」
「手紙?」
「うん。……だめかな」
「……分かりましたわ。読み終わったら、感想をお送りしましょう」
ルシェルは、その本を受け取った。
気づくと、胸の前で、両腕でしっかりと抱えていた。
* * *
帰りの馬車。
窓の外は、夕焼けに染まり始めていた。
行きは向かいの席だったが、今は、ルシェルのほうからベルファルグの隣に座っていた。
「どうだった?」
ベルファルグが、そっと尋ねた。
「疲れていないか? 頭は、重くないか?」
「……ちょっと」
「やはり、人が多かったか」
「それもある。……あと、報告が二つある」
ベルファルグの背筋が、ぴんと伸びる。
「聞こう」
「ひとつめ。私が魔法を使えないこと、お茶会で噂になってた。お父様が口止めしてるはずなのに、みんな知ってた」
ベルファルグの目が、すっと冷えた。
「……そうか。家の中の者から漏れたな」
「たぶん。私は気にしてないけど」
「私が気にする。調べておこう。……もうひとつは?」
「さっき、一回だけ、力を使った。本が落ちそうで、止めようとしたけど、間に合わなくて」
「……怪我は?」
「ない。本が、床に落ちただけ」
「そうか」
ベルファルグは、ほっと息を吐いた。
けれど、ルシェルは、続けた。
「それで、見られた」
「……誰に?」
「王子」
ベルファルグの表情が、固まった。
「……殿下に?」
「うん。でも、気のせいだって押し通して何も言ってないけど。それに、誰にも言わないって約束してくれたし。友達になったから」
「友達!?」
思わず、声が裏返る。
ルシェルは、きょとんとした。
「友達って、どういうものか、まだ分からないけど。一緒に見つけていくことにした」
「…………」
ベルファルグは、額に手を当てた。
深く、息を吐く。
けれど、その口元は、笑っていた。
「……そうか。殿下が、そう言ったのか」
「うん。嘘をついている目じゃなかった」
「分かった。この件は、私も気をつけておこう」
そして、ルシェルのほうへ身を乗り出して、頭に、そっと手を置いた。
「ちゃんと、話してくれてありがとう。それが、一番嬉しい」
「約束、破ったのに?」
「報告する約束は、守っただろう」
「……次はもっと気をつける」
ルシェルは、小さく頷いた。
座席に背中を預けると、急に、眠気が襲ってきた。
一日の疲れと、頭の重さと。
腕の中には、借りた本。
気づけば、ルシェルは、父の腕に寄りかかって、眠っていた。
ベルファルグは、動かなかった。
娘の寝顔を見つめたまま、馬車が揺れるたびに、そっと、肩を支え直した。
* * *
その夜。
王宮の自室で、レオナルドは、机に向かっていた。
真っ白な便箋。
羽ペンを握る手が、少しだけ、震えている。
――親愛なる、ルシェルへ。
そこまで書いて、手が止まった。
「……堅すぎる、かな」
便箋を丸めて、新しいものを取る。
――ルシェルへ。今日は、ありがとう。
また、止まる。
「…………」
窓の外に、月が出ていた。
レオナルドは、小さく笑った。
――早く、返事が、読みたいな。
まだ一文字も送っていないのに、そんなことを考えている自分が、不思議だった。




